父上、知らんかったんかーい。
エッタに着替えさせてもらって身なりを整えてから食堂に行く。
食堂は晩餐会でも使う為かそれなりに広い。その広い部屋にある長テーブルの先で、父上だけが席に着いていた。
「父上、母上は?」
「具合が悪いみたいなんだ。だからもう少し寝させてあげるつもり」
父上は蜂蜜色の瞳を細くして微笑む。
エッタの言っていた通り、母上はタイチョウフリョウだそうです。
父上の肌がつやつやしているので、昨夜はそれなりにお楽しみだったようだ。ははは、前世非リアの俺には直視できない事実だな!
ついつい遠い目になってしまったけど、俺は気を取り直して椅子に座る。身長が足りないのでよじ登ってやろうとしたら、エッタが俺を抱き上げて椅子に座らせてくれた。尻にはクッションが敷かれるというナイスフォローもある。
お礼を言うとエッタは微笑んで後ろに下がった。すぐに給仕のメイドがパンとかスープとかベーコンエッグとかの皿を並べてくれる。
皿が並べられると、父上が人払いをした。
エッタを含め、給仕も全員部屋から退室していく。
「食べながら話そうか」
父上がそう言うので、俺は手を合わせた。
「いただきます」
父上は俺のそれを見届けると、黙祷してから自分もカトラリーを手にして食事を始める。
俺はスプーンを手にして、ポタージュをすくった。とろみのある白いポタージュはほんのりジャガイモの風味がする。なんだっけこれ。ヴィシソワーズって言うんだっけ? 名前うろ覚えだけど、とりあえずうまい。
一口、二口とポタージュをすくって口に運んでいると、父上がハムエッグを綺麗な所作で切り分けつつ口を開いた。
「エレからだいたい聞いたよ。君たちの事をね。僕らの天使……いや、アルフォンス。君もまた、エレの言うように生まれる前の記憶があるのかい?」
「そうです、父上」
ポタージュをごくんと飲み込んで父上を見れば、父上はちょうどハムエッグを丁寧な所作で口に運んで咀嚼しているところだった。
父上が口の中の物を嚥下して、またナイフとフォークを動かす。
「エレの話を聞いたけど、正直納得し難いところもある。だからアルフォンスからも分かる事、知っている事を教えて欲しい」
父上は昨夜の内に母上から事情を聞いていたらしい。それでもにわかに信じがたい内容だったんだろう。俺に別口で説明を求めてきた。
とりあえずこの時点で思ったことがある。
母上、父上に転生の事は隠してきたのか。
隠してきたのに俺のせいで色々知られてしまったのだとしたら、少々申し訳ないことをしてしまったかもしれない。
でも俺の今後の進退に関わることなので、存分にゲロって貰って構わないんだけど……でもそういや、あの人続編の存在知らなかったんだっけ。
一作目の悪役令嬢であった母上の物語と、二作目の攻略対象である俺の物語は別物だ。
父上がその辺りを理解してくれるかは分からないけど……でも話せと言うんだから一通り話してみようか。
俺はスプーンを片手に父上を見た。
絹のように柔らかでさらりとした長い銀の髪が首の後ろで一つに括られ、すらりとした体躯は数年前に転職した後でも無駄な筋肉など付いていない。
細められたアメジストの瞳が、父上と同じ銀の髪を持つ俺の言葉を待っている。
「今に関わらない前世の事は省くとして、どこから聞きたいんですか? 僕が知ってる母上の話? それとも僕の未来の話?」
「エレとアルフォンスの認識の誤差も確認したいから、全部かな」
全部かぁ。結構時間がかかるけど、父上がここで話せと言うなら良いか。
「えぇと……それならまず、母上と父上の事からなので『騎士とドレスと花束と』の事から話しますね」
死に芸シナリオライターが有名になった『騎士ドレ』シリーズ一作目、『騎士とドレスと花束と』。
この乙女ゲームは「騎士と描くシンデレラストーリー」をコンセプトに、ただの花屋だった主人公・シンシアが四人の騎士と恋を通じて成長していくサクセスストーリーだ。
とある事がきっかけでアーシラ王国の王女だと発覚したシンシアに付けられた四人の騎士。シンシアはその四人の騎士と恋をしていくんだけど……父エルバートのルートで悪役令嬢として出てくるのが母上であるスーエレン・クラドック侯爵令嬢だった。
「母上は本来、主人公が四人の騎士の内、父上を選んだ場合の恋の障害となる役所です。人形令嬢スーエレンは生家のろくでもない両親の影響か、生来感情に疎かった。高望みする母親の洗脳で王子と結婚できたら何かが変わると思っていた頃に、仲睦まじい名ばかりの婚約者と主人公の姿を見て嫉妬という感情を覚える……というのが物語の正しい筋書きです」
自分は変われないのに、婚約者はその在り方を変えていく。戦慄した悪役令嬢スーエレンが二重の意味での嫉妬に狂い、その身持ちを崩すのはエルバートルートだけだったけど、その陰でクラドック家はあらゆるルートで悪事を犯していく悪党一族だった。
人身売買、武器食糧の密輸、麻薬の売買、国家機密の情報漏洩、国庫の横領、税金の改竄などなど……。
スーエレン個人の結末はエルバートルートでしか語られなかった。その上で母上は、シナリオ通りなら、どのルートへいってもクラドック家として一族郎党処刑される運命からは免れないはずだった。
「僕が父上と母上の息子だと知った時はすごく驚きました。死ぬしかなかったはずの母上が生きていて、父上と結婚している。死なない努力をした母上のそれまでの人生を思うと、尊敬もひとしおですよ」
「……そうか」
父上がどことなく複雑そうな顔をする。
実際に母上と父上がどんな人生を駆け抜けたのかは知らないけど、その結果として俺が生まれた事実だけは変えられない。未来を変えた母上は本当にすごいんだって事を本当はもっと熱く語りたいけど、その努力はきっと父上の方がよく知っていると思う。
「母上がどこまで話したかは知りませんが、僕が知る父上と母上の物語はこんな感じでした。父上、実際はどんな感じだったんですか?」
スポーツ選手にインタビューするノリで父上に話を振ってみる。父上はカトラリーを置いて少し考える素振りを見せた。
「……エレの話と合致する上で、確かに心当たりのある話はある。でもそれは周知の事実でもあるからね」
「ですよね」
それは知ってた。というか、父上とヒロインがくっついていない以外は結構有名な話かも。エッタがたまに「奥様と旦那様は大恋愛の末に結ばれたのですよ」って言って、母上の実家の悪の所業から没落するまで、さらには結婚した経緯等々、色々教えてくれたし。
「まぁ、過去の事は過去の事です。今ある事実を認めるだけなので。そんな事よりは未来の事の方が重要なので……僕の将来に大きく関わる『騎士とドレスとヴァイオリンと』についてお話しします」
そう、重要なのは俺が攻略対象として出てくる続編の話だ。まぁ続編と言っても世界観が同じなだけだと思ってたゲームなんだけど……。
「明言はされていませんでしたが、続編についての考察の一つに、前作『花束と』には語られなかった「もしも」の未来の先にある話が『ヴァイオリンと』だと言われてました。僕のこの容姿が、憶測を呼んだのです」
『花束と』に出てきた攻略対象と悪役令嬢の色を持ち、あまつさえその家名を継いでいる攻略対象の存在は、俺も妹もそこに救いを求めるくらいに非公式な裏設定として公然の秘密のような扱いだった。くっそう、男の俺が乙女ゲームにハマるとは……スーエレン可愛さのあまりに公式と妹に嵌められた気がする……。というか、こんな話をしているからか、推しを前にして妹が書いたエルエレ本が読みたくなってしまった。これは重症だ……。
ごほん。えっと、気を取り直して、そう続編の話。
『花束と』の後に出された『ヴァイオリンと』は、一作目に出てきた敵国イガルシヴ皇国が舞台になる学園もの。
「自分だけの騎士を見つける」をコンセプトに、音楽の道を志して学園に通うヒロインが、学園関係者と恋をする話だ。
攻略対象は隠しキャラを含めて五人。
平民出身で明るい性格をした騎士科のデニス。
女性好きでちょっとチャラい学問科のフランツ・サルゼート。
その珍しい容姿と実家に纏わる灰色の噂で敬遠されている騎士科のアルフォンス・リッケンバッカー。
真面目でストイックなイガルシヴ皇国皇子の学問科ラスカー・バステード・イガルシヴ。
そして隠しキャラ、ヒロインを音楽の道で導く音楽科教師ルスラン・マグナンティ。
「アルフォンスの名前があるね」
静かに頷きながら話を聞いていた父上が片眉をあげた。
俺は苦笑しながら頷く。
「……『ヴァイオリンと』と『花束と』は同じ作者が物語を書いています。軽率に登場人物を殺すことで有名だった作者は、学園が舞台になる『ヴァイオリンと』でもその嗜好を発揮します」
他のルートは省こう。正直、他のルートではあまりアルフォンスが関わることはあまりなかったから。
とりあえず俺のアルフォンスルート。
その珍しい容姿と特殊な生い立ちのために、昔から遠巻きにされていたアルフォンスは友人を通じてヒロインと出会う。
敬遠される理由になっていた特異な容姿に対して「兎みたいな可愛い色ね」と言ったヒロインに興味をもったアルフォンスは彼女と友好を深めていくけれど、それに嫉妬したのがアルフォンスの友人だった。
発端は友人が嫌がらせ目的でアルフォンスの母親の実家にまつわる黒い噂を流し始めたこと。これが火種となり、昔の埃が舞い上がってヒロインとアルフォンスが事件に巻き込まれていく。
「事件に巻き込まれると、程よい解決をしない限り僕と主人公はたった一つの選択ミスで死にます。奔走中の判断ミスで死ぬのは当たり前ですが、この事件の恐ろしい所は全ての謎を解決してしまうと僕も主人公も共倒れで死んでしまうのです。たった一つの生きる道を探すには、本当に綱渡りのように不安定な道筋なんです。僕がアルフォンスという名前を聞いて恐れたのは、その未来です」
そこまで話した俺は、ふぅと大きく息をつくとグラスに手を伸ばした。果汁を絞った甘酸っぱいジュースが口に染みる。
父上は何かを思案するように数拍の間瞳を閉じた。
たぶん今、俺の話を咀嚼してるんだろうなぁ。未来の話って言われてもピンと来ないのは当たり前だし、母息子揃って「前世で自分達の未来を見た」と言ってるのってかなり頭がおかしいと思われても致し方ない事だし。
「……エレも同じようなことを言っていたよ」
「母上が?」
だいたいは話し終わったかなと思って小さなパンに手を伸ばしていた俺は、パンを掴みつつ父上を見る。
「エレも自分の話をした後に言っていた。思い出したときには手遅れで、何をやっても裏目に出そうだったから、行動するのが怖かったと。だから全てを諦めて、何もしないことを決めたんだと」
一旦言葉を区切った父上は、椅子の背に背中を預けて宙を見る。
「アルフォンスはエレの事を人形令嬢だと言ったね。確かに婚約した当初の頃のエレは人形のようだった。エレがあのままだったら、僕はきっとクラドック家が没落した時に見限っていただろう。でもエレはある時を境に変わった」
宙を見ていた視線が俺の方へと向けられる。俺は手に持っていたパンをどうすればいいのか困ってしまって、とりあえず机の上で両手で持ったまま固まる。視線だけは父上に固定だ。
「今のエレだから、僕らは今こうしているんだ。記憶を思い出したエレがいるから、今の形がある。───アルフォンス、断言しよう。君が君である限り、決められた未来なんてものは有って無いようなものだから、安心して好きなように生きると良い」
決められた未来なんて、有って無いようなもの。
父上の言葉はまさに目から鱗だった。
俺が「僕」として居る限り、このアルフォンスはゲームのアルフォンスにはなり得ない。
それは当然のことだと思っていたけど、改めて言葉にするととても頼もしい魔法の呪文のように聞こえた。
アルフォンスが死ぬ未来なんて、有って無いようなもの。
致死率百パーセントだった元悪役令嬢の母上も言っていたじゃないか。俺は彼らの息子なんだからきっと乗り越えられるって。いざとなったら、母上も父上も助けてくれるって。
「……父上、僕が死にそうな時は助けてくれますか?」
「そうならないように今から鍛えてあげようか。僕も昔は騎士だったからね。今の皇妃様を守る栄誉を戴いてたくらいには、それなりに強かったよ」
父上が目を細めて笑いながら手を伸ばす。
昨日の決意を今一度噛み締めて、ぺちゃんこになるくらいパンを力強く握っていた俺の頭をそっと撫でてくれた。
前作攻略対象の撫でテクは最高すぎて、ちょっぴり涙が出そうになったのは、俺だけの秘密である。