悪役令嬢、婚約破棄だなんて。
母上は目的は果たしたと言わんばかりに帰って行ったけれど、俺はもう少しだけ茶会に残ることにした。
ユリアと二人、オーレリアとラスカー皇子のところへと戻る。
二人は日当たりのいいベンチに座って、仲睦まじそうに語らっていた。
ラスカー皇子の表情は柔らかく、オーレリアも生き生きとした様子で表情を変える。
あぁ、まただ。
最近何かにつけて、胸の内でとぐろを巻くものがある。
オーレリアのころころと変わる表情のうち、自分に向けられない表情を見つけると、それは増幅していく。
無邪気に笑うオーレリア。
俺の目の前にいるオーレリアはもう、出会ったばかりの頃のような無邪気な表情を俺に向けなくなっている。
思わず足を止めると、ユリアがこちらを見上げてきた。
「アルくん?」
「……あぁ、ごめん。なんでもないよ」
とぐろを巻く黒いものを隠すように微笑を浮かべる。
すると、談笑をしていたラスカー皇子がこちらに気がついた。
「アルフォンス。戻ったか」
「ええ。有意義なお話ができましたよ」
ラスカー皇子の言葉に返しながら近寄れば、オーレリアもこちらを振り向く。
その表情が、強張った。
……なんで?
「オーレリア、待たせたね。そろそろ帰らないかい?」
「……い、いえ。もう少し、お話をしていきますわ」
「僕らが席を外している間、十分、お話をしたんじゃないか?」
「も、もう少しだけ……ほら! アル様も、ユリア様とお話されたらいかがです? 学園に戻れば、しばらくお話する機会もありませんでしょう?」
気づかないふりをしてオーレリアに声をかければ、彼女はまくし立てるようにお茶会への滞在を頼んでくる。
別にお茶会に引き続き参加すること自体は文句ない。
だけど。
「……ふぅん?」
その言い方は、気に食わないな。
本当に最近のオーレリアは反抗期だ。
今だってユリアをだしに俺を追い払おうとする姿勢がありありとうかがえる。
婚約者である僕をないがしろにするなんて、淑女の風上にもおけないな。
隣にいたユリアが体を揺らす気配がした。
そんなことお構いなしに、俺はベンチに座るオーレリアの前に立つと、左手でその右手を取って、腰をかがめて右手をオーレリアの背へと回した。
そして彼女のふっくらとした白い頬に顔を寄せ、その耳元で小さく囁く。
「君の王子様は誰?」
「……っ」
オーレリアの息が詰まる。
せわしなく視線をうろつかせて、俺を見上げてくる。
その表情に、悪いとはわかっても、胸の奥にとぐろを巻いていたものが少しだけ顔をのぞかせる。
「僕じゃないのかい? 他の王子様に目移りするのなら、閉じ込めてしまわないとね」
意地悪だと思っても、やめられない。
ただの言葉遊びだと自分に言い聞かせながら、オーレリアの心をくすぐろうと言葉を重ねる。
「もう一度聞くよ。君の王子様は、誰?」
「……アル様は騎士様ですわ。騎士様ならわたくしに膝をついて、愛と剣をささげるべきでしてよ?」
オーレリアがまぶたを伏せながらそう言った。
俺の問いかけに、欲しい答えは返ってこなかった。
ここで押すか、引くか、一瞬だけ逡巡していると。
「アルフォンス、オーレリア嬢が困っている」
横から声をかけてくるのはラスカー皇子だ。
俺はにっこりと笑ってオーレリアから体を離す。
「困り顔の婚約者って可愛いと思わないかい?」
「人を困らせて楽しむなんて悪趣味だ」
「それもそうか」
顔は笑みを浮かべたまま、俺はオーレリアの手を少々強引に引くと、彼女を立たせた。
「オーレリア、帰ろう」
もう一度言えば、オーレリアはちらりとラスカー皇子を見やって小さくため息をつく。
そのため息に含まれた思いには見ないふりをしていれば、オーレリアがラスカー皇子に向き合った。
「それでは失礼します」
「ラスカー様、失礼します。ユリア様も」
軽く挨拶をして、踵を返す。
その時に、見たユリアの表情がすごく印象的だった。
あの表情はなんだろう。
驚き? 困惑? 呆れ?
複雑そうな顔を見つけたけれど、俺はそれにかまうことなくお茶会を辞した。
行きと違って、帰りの馬車の空気は重たい。
その重みが自分のせいだと思うと同時、オーレリアに対する憤りもくすぶってしまうものだから、俺は胸中にないまぜになった感情を吐き出すように、深々と息をついた。
オーレリアの赤いドレスが揺れる。
馬車の振動とは違う動きだなと思いながら、オーレリアの表情を見た。
オーレリアは口紅をした可愛らしい唇をぎゅっと真一文字にして、俺と目を合わせないように窓の外を見ている。
普段なら気にもしないはずなのに、どうしてか今日はだけはその視線の先が俺じゃないことが気に食わなくて、話しかけた。
「ラスカー皇子との会話は楽しいかい?」
「もちろんですわ」
「どんな話をしたんだい」
「最近始めたことや、苦手なお勉強のことなどです。ラスカー皇子は人なみ以上にがんばられてるので、聞いていて応援したくなりますの」
応援したくなる、かぁ。
「そう。楽しいのならいいよ。だけど、節度は守るようにね。君は僕の婚約者なのだから。今日みたいに同じベンチに座るのはどうかと思うな」
ユリアに聞かれたら大人気ないとか言われそうだけど、あれはいただけない。
オーレリアの隣は婚約者である俺の特権なのに、なんで他の男が座ってるのか。自覚のないオーレリアに少々注意をすると、ようやくオーレリアが俺の方を向いた。
「お言葉ですけれど」
オーレリアのエメラルドの瞳がまっすぐに俺を映す。
「アル様はどうしてわたくしと婚約されましたの?」
「それは君が可愛いからさ。いつも言ってるだろう?」
「そうおっしゃるわりには、今のアル様のお気持ちはユリア様に向いているのではありませんか?」
「……なんだって?」
今なんて言われた?
俺の気持ちがユリアに向く?
「冗談を。ユリアとはそんなんじゃないよ。安心して、僕は君一筋だから」
「やめてください。わたくしなんかより親しげではございませんか。わたくしとラスカー皇子の距離よりも、アル様とユリア様の距離の方が近く思われます」
オーレリアの言葉にきょとりを目を瞬く。
んん? これはもしかして?
「……オーレリア、妬いているの?」
「ち、違います! どうしてそうなりますの!?」
オーレリアがカッと頬を染めて淑女らしくない大きな声を上げる。
そうかー。そういうこと?
思わずニヤニヤしてしまいそうになる表情筋を総動員して、大人の余裕のようなものを醸し出してみる。
「可愛い。嫉妬しちゃったのか。そうか。君が、僕に」
「違いますわ!! 私はアル様のことなんてこれっぽっちも想ってはおりません!!」
「そんなこと言わなくても。素直になって? 君のここにいるのは、誰?」
揺れる馬車の中で立ち上がり、腕を馬車の壁について、オーレリアを馬車の隅に閉じ込めてしまう。
その小さな胸に触れるか触れないかの距離に、壁についていない方の指を突きつける。
片足の膝を座席につけて、オーレリアの逃げ場を失くした。
その状態でオーレリアに囁くと、オーレリアは視線を忙しなくうろうろさせる。あわあわしてる小動物のようでいつも以上に可愛い。
困るオーレリアが可愛くて、もう少しだけ意地悪してみようかという気持ちが鎌首をもたげてくる。
唇の端がわずかに上がって、さてこの可愛い生き物をどうしてやろうかと考えていると。
「…………ぃ」
「ん?」
「アルフォンス様」
オーレリアがひたりと俺を見上げてくる。
その表情は、何かを決意したような、意志のある表情で。
何を言うつもりなのかと、微笑んで耳を傾ければ。
「婚約破棄をしてください」
「………………………………………………………………は?」
は?
はぁ??
今何言った?
今何言われた俺???
は???
「耳がおかしくなったのかな。ものすごい幻聴が聞こえた気がする」
「幻聴ではありません! アル様、婚約破棄してくださいませ!!」
「黙って」
ちょっと信じたくなくて、一回聞こえなかったことにしたのに、オーレリアは食い下がる。そんな彼女に苛立って、その唇を手で塞いだ。
何がどうしてそうなるんだ。
婚約破棄??
なんでそうなる!!!
「オーレリア、ごめんね。君の願いならなんだって叶えてあげたいって思うけれど、それだけはいただけないよ。どうしてそんなことを思ったんだ」
「むぐっ、むぐぐっ、むー!」
「はは、そんなふうに無理矢理話そうとするとせっかくの可愛らしいお化粧が台無しになってしまうよ」
口をふさがれたまま、もごもご話そうとするオーレリア。自分で聞いておいてなんだけど、オーレリアからこれ以上馬鹿な言葉を聞きたくなくて、口をふさぐ手はそのままにしてしまう。
どういう風の吹き回しだ。
今の会話の流れでなんで婚約破棄とかになるんだ??
何だ、どれだ。
何がオーレリアの琴線に触れた??
俺は何を間違ったんだ。
なんでオーレリアは俺から離れようとするんだ?
オーレリアの望む理想の王子様をいつだって演じてきたはずだ。
それなのになんで。
「オーレリア、僕と君の婚約は皇妃であるシンシア様公認のものだよ。それを破棄するということの意味は理解しているかい?」
こくり、と口をふさがれたままのオーレリアがうなずく。
俺は目を細めた。
「じゃあなんでそんな馬鹿な話をするのかな。僕のどこが不満なんだ。不満があるなら、治すよ。だから遠慮なく言ってごらん」
口をふさいでいても何の解決にはならない。
一呼吸おいて冷静さが戻ってきた俺は、そっとオーレリアの口から手を離す。
オーレリアは目をそらすことなく俺を見上げる。
「アル様はユリア様に心変わりされたのでしょう? 幼い頃からの婚約ですもの。心変わりされても仕方ありません」
はぁ?
「そんなことはないよ。誰がそんな巫山戯たことを君に吹き込んだのかな?」
「それだけではありませんわ。皆が言うのです。アル様の血は罪人の―――」
「黙れ」
自分でも驚くくらい低い声だった。
オーレリアも自分が言ってはいけないことを言ったのだと自覚したのか、口をつぐみ、少しだけきまりの悪そうに視線をそらす。
畜生。あれだけ、あれだけ大切にしていたオーレリアに、まさかそんなことを言われる日が来ようとは。
ついさっきユリアに言った言葉を思い出す。
慣れてる。罪人の子だとか血だとか、誰に言われようと気にならない。それは事実だし、そう言って人の本質を見ない人間の程度なんて知れている。
だけど。
だけど、それをオーレリアが言うのは駄目だ。
ずっとくすぶっていた黒いよどみのようなものが、腹の底でふつふつと煮える。
マジでこんなことを俺のオーレリアに吹き込んだのは一体誰だ? 純粋培養の可愛かったオーレリアはどこに行った?
どうしたらオーレリアは俺を見る? 俺を見て、俺の腕の中が安全だと認識する? 君を守れるのが俺だけなんだってことを告げられたらどんなに楽なことか。
オーレリアの耳をふさぎたい。不要な言葉が、くだらない言葉が、穢らわしい言葉が、幼い彼女の耳に入れたくない。今更だと思うけど、過去に戻ってオーレリアの耳を塞ぐことができたのなら。
瞳だって閉じさせれば、ラスカー皇子に目移りなんかさせなかったのに。俺だけ見ていれば、こんな馬鹿みたいなこと言わなかっただろうに。ユリアと二人でいるのを見られたのも良くなかった。ユリアとは共同戦線張っている以上、必要なことと思ってたけど駄目じゃん俺。傍から見た評価はさっきのお茶会でも聞こえてきていたじゃないか。
外界のもの全てからオーレリアを遠ざければ、オーレリアは俺のことを見てくれるのだろうか。結婚相手として不足のないはずの俺から目をそらすことはしなかったはずだろう? 爵位だって上だし、財産もそれなり。いざとなったら前世チートでリッケンバッカー家の財産を倍にすることくらい俺ならできる。
目まぐるしく脳内で駆け巡る、これまでのなんちゃって光源氏計画。何がいけなかったんだろう。あれもこれも思い出せばきりがない。
オーレリアを自由にさせすぎたのだろうか。俺のいないお茶会にはやはり出させるべきじゃなかった? 学園に行った後ももっとこまめにオーレリアに会っていればよかった。というか、いっそのことオーレリアを家に閉じ込めていられたら―――
あ、それいいかも?
「オーレリア。僕は君を手放す気なんてさらさらないからね」
「ですが、アル様!」
「黙って」
三度目はもう口で言うだけじゃ物足りないだろう?
オーレリアの唇を奪う。
ふ、と呼吸が止まる。
たぶん、初めての。
「……もう、いいよ」
「ふ、ぇ」
「君の理想を演じようと思っていたけど、それだけじゃ駄目なんだね」
「あ、アル様っ……?」
腕の中で呆然とするオーレリアを見下ろしながら、淡く微笑む。
オーレリアはまだ幼い。俺からしたらまだ子供だ。そんな子供をしつけるのは大人の役割だろう?
オーレリアが婚約破棄の言葉を撤回するまで、帰さない。
俺は、御者に馬車の行き先を変更させた。




