母上、春の招待状ですか。
はーるがきーたー、はーるがきーたー。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、雪が溶け、春一番も吹き始めて温かくなった庭で、俺は木剣を振って素振りを繰り返していた。
もうあと数日で学園が再開する。そうしたら短い学期が始まって、あっという間に卒業式だ。
卒業式も星雪の夜のダンスパーティーと同じで、それぞれの学科に課題が課される。ただし違うのは、星雪の夜が最終学年である四年生が主導を握っていたのとは違い、次学年である三年生が主導を握るということか。
星雪の夜のように俺たち一年生は式本番は出る必要がなくなるので、いつもの演習の延長線なだけだけど。
そんな感じで俺はあと数日の冬休みを有意義に活用するべく、朝から鍛錬に励んでいたわけですが。
「あ、見つけたわ。アル、ここにいたのね」
芝生を優しく踏みならしてやってくるのは俺の母上。
優しい金の色の髪をふわふわとなびかせて、俺の乳母だったエッタを伴につけて庭へと降りてきた。
「母上、どうされましたか? ランチには早い時間だと思いますが」
「ふふ、ランチじゃないわ。これをあなたに」
ふんわり微笑む母上の表情は慈愛に満ちていて優しげだ。そういえば母上が怒ったところなんて見たことないな、なんて考えながら、母上に差し出されたものを受け取る。
なんだ? 招待状?
あ、このマークは。
「王家の紋章ですね。あぁ、春一番のお茶会ですか? 今年は早いんですね」
「あと数日もすればあなたが学園に戻ってしまうでしょう? 雪が溶けてから学園の休みに合わせようとすると、この日くらいしか都合がつけれなかったんですって」
「別に学生の俺に合わせる必要はないのに」
「シンシアも公務で忙しくて、うちへのお茶会に来るのも難しいみたいだもの。なら私達から会いにいくしかないでしょう? それに話し合うべきは私じゃなくてあなただし」
おっしゃる通りで。
母上は続編のこと知らないから、話し合うのは続編を知ってる俺とシンシア様、それからユリアの三人だけだ。
母上の言葉に反論できなかった俺は、苦笑しながら招待状を近くにいた使用人に預けて俺の部屋に置いてきてもらう。
「後でオーレリアに手紙を書かないとですね。……いや、直接会いに行ってもいいか。雪も溶けたので馬車が使えるし」
「オーレリアちゃんだけど、あんまりいじめないであげてね。たまにかわいそうに見えてくるもの」
「いじめるとは人聞きの悪い。愛情表現ですよ」
困った顔で頬に手を当ていさめてくる母上だけど、うがった見方をしないでいただきたい。
俺はただ、オーレリアを可愛がっているだけだし。
全然婚約者として俺のことが眼中にないオーレリアの、理想の男を演じて意識させるくらいで大ごとな。
「愛情表現っていっても、色々あるでしょう? オーレリアちゃんには、アルの……その……エルバート様みたいな甘い言葉をかける、みたいなのは違う気がするのよね」
父上の言葉のあれこれを思い出したのか、一人で顔を赤くする母上。
「母上、思い出して赤面しないでくれませんか? 見ていてこっちが恥ずかしいです」
指摘すればぽふんっとまたさらに真っ赤になって、母上は誤魔化すように手元の羽扇で口元を隠す。
推しの顔した母上のナイス照れ顔。
父上に知られたら殺されるので表には出さないけれど、心のアルバムにそっと綴じておく。推しが生きてる世界線は今日も平和だ。
「と、とにかく! 婚約してだいぶ時間が経つのだから、もうちょっとオーレリアちゃんに寄り添ってあげてほしいのよ。この冬の間も、オーレリアちゃんから私にSOSのお手紙が届いてたのよ」
「へぇ……。母上に手紙を送っていたのは知っていましたが、内容はいただけないですね」
オーレリアの行動はサルゼート伯爵の動向と一緒に逐一俺に入ってくる。冬の間も雪に負けずに頑張ってくれていた『耳』たちのおかげなんだけど。
オーレリアが母上にSOSとは。
「僕は何も悪いことしてないのに、つれない婚約者ですね」
「あなたはスキンシップが多いのよ。まだ相手は十ニ歳の女の子なの。思春期なんだから、やりすぎはよくないわ」
「ほんの少しの戯れですよ。別に過剰な愛情表現はしてないじゃないですか」
そんなの俺も分かってる。オーレリアが子供だから、俺もキスとか甘い言葉の一つや二つで勘弁してあげてるんじゃないか。
むしろ物語の王子様を理想像に持つオーレリアに夢を見させるなら、もっと攻めてあげてもいいぐらいなのに。
学園に入学してからあまり会えなくなってるから、一回に合う時の密度を意識的に高くしているのは事実だけど、それを嫌がるなんて。
「やっぱりオーレリアにはまだ僕が足りてないようですね。やっぱり今日は直接会いに行くことにします」
「……あなたのそういうところが、逆効果だと言ってるのだけれど」
母上が深くため息をつく。
母上のその様子を見る感じ、俺がやってることをやめさせたいようだけどさ。
でもそれこそ、逆効果……というか本末転倒になりかねないことを分かってない。
「オーレリアの手綱を僕が握っている限りは、彼女は悪役令嬢として破滅することはありません。僕もまた然り。かといって夢見がちなオーレリアに愛のない結婚は可哀想でしょう? なら、僕を好きになってもらうように動くのがベストだと思いませんか?」
「そうね。でも、それならもっとオーレリアちゃんのことをよく見てあげて頂戴。あの子はあなたからの過剰なスキンシップに困ってるのは事実だから」
そうまで念を押されてしまえば、俺も強くは出られないじゃないか。
俺は肩をすくめた。
「善処しますよ」
昔はあれほと息子の俺を可愛がってくれてたのに、今やオーレリアの肩を持つ母上。
なんだろう、悪役令嬢同士、何かシンパシーでも感じているのかな。
そんなことを思って、木剣を持ち直す。
オーレリアのところに行くなら、一度風呂に入ってからにしよう。汗臭いまま行って嫌われたくはないし。
「それでは母上、僕は諸々身支度をしないといけないので」
「そうね。引き止めてごめんなさい。オーレリアちゃんにもよろしくね」
ふんわりと微笑んむ母上。
春先の緑が芽吹いた花壇を背景に微笑む光景は、我が母ながらいい絵になるなー。
「……推しスチル一枚ゲットしましたー」
「ちょっとアル!?」
ぼそっと呟いた言葉を耳ざとく聞きつけた母上が頬を真っ赤にして俺を睨みつけた。
ころころと変わる母上の表情は、ゲームで見ていた立ち絵のものとは全然違う。というか、もうゲームの「悪役令嬢スーエレン・クラドック」の顔が明確に思い出せない。
長く一緒にいれば、そりゃ昔の顔が思い出せなくなるのは分かる。最推しだった頃の絵を思い出せないのは悲しいが、逆にそれが母上が死に芸シナリオライターの試練に打ち勝った証拠となるので、感慨深い。
「……オーレリアもそうなれればいいんだけど」
ゲームでのオーレリアと、今のオーレリアはやっぱり違う。
ゲームのオーレリアはもっと高飛車で、傲岸不遜で、邪道を正道と信じて疑わなかった。
それに対して俺のオーレリアは突拍子のない言動はあるが、頭も良くて、マナーも完璧で、正道と邪道をわきまえている伯爵令嬢。
このまま、ゲーム終了まで何事もなく可愛いオーレリアのままでいてくれるといいんどけれど。
そう思いながら、俺は木剣を片付け、汗を綺麗に流すため、湯を浴びに行った。
母上のお使いでサルゼート伯爵家に来た俺は、さっそくオーレリアにお茶会の招待状を差し出し、エスコートの申し出をした。
金の髪をふわふわと背で揺らして、苺色の可愛いふっくらとしたドレスを着ているオーレリアは、ちょっとびっくりした顔で俺を見た。
なんで?
「オーレリア? どうして驚いているの?」
「えっ、あ、いえ、なんでもありませんわ?」
いや、何もなかったらそんな挙動不審になるわけないだろう。
俺から目をそらして、何か忙しなく考えている素振りのオーレリアは明らかに何かあったって態度だ。
客間のソファーでローテブルを挟んで向かい合っていた俺は、オーレリアににっこりと笑いかけた。
「何でもないなら、大丈夫だね。当日はうちから馬車を出して迎えに来るよ」
「…………」
普段ならここで「お待ちしておりますわ」の一言くらい言いそうなオーレリアが黙りになる。
俺は片眉をひょいっとあげると、オーレリアに尋ねた。
「どうしたんだい? 何か気にかかることでもある?」
「えっ、あ、いや……なんでもありませんわ」
「なんでもないことはないだろう? そうやって言葉を飲み込むのは君らしくないよ」
口をつぐむオーレリアにそう言ってみれば、オーレリアはおもむろに口を開く。
「アル様がそこまで言うのであればおたずねしますが……その、ユリア様の方をエスコートしなくてよろしいのですか?」
「ユリア?」
なんでユリア?
オーレリアから聞いた突拍子のない名前に目を瞬く。
「どうしてそう思うんだい? 確かにユリアもお茶会に招かれているけれど、ユリアはユリアでお茶会に行くだろう。それに君は僕の婚約者だ。婚約者をエスコートするのは普通だろう?」
「ですが、ユリア様はアル様が王妃様に紹介された大切な御方でしょう? それならアル様がエスコートすべきではなくて?」
「そんなことはないだろう。そうなったら君のエスコートは誰がするんだい?」
聞き分けのないオーレリアに少しだけ眉を寄せて聞けば、オーレリアはほんのりと頬を赤らめた。
何だ、その表情は。
俺の胸中になんて知らず、オーレリアはちょっとだけ照れたように話し出す。
「わたくしなら大丈夫ですわ。アル様がいないお茶会ではラスカー様がエスコートしてくださってますし、いつものことですわ。それにエスコートをしてくれる男性がいないなんて、ユリア様がお可哀想です」
「……君は本気でそう思ってるのかい?」
ちょっと言ってることがわからない。
なんで? なんで俺が婚約者を差し出して他の女性をエスコートしないといけないのさ。
しかも相手はユリア。俺のお相手としては一番選んじゃいけない人間だ。シンシア様に橋渡しした初めての一回は致し方なかったけれど、義理を果たした今は正直エスコートをする理由はない。
むしろ身分から言えば、俺じゃなくて同じ子爵家同士のネヴィルがエスコートするのが適切だ。本当はあんまりネヴィルとは関わってほしくないけれど、どうしてもエスコートが必要であるならそうさせるしかない。
でも正直、今回はお茶会だ。
男性もいるけれど、圧倒的女性比率が多いから、エスコート云々なんて本来は必要ない。
それでも俺がオーレリアをエスコートするのは。
それまで座っていたソファーから立ち上がると、俺はオーレリアの隣へとまわる。
気まずそうな顔。
そんな顔するくらいなら、言わなければいいのにさ。
「君は、まだまだ子供だね。僕が君をエスコートする理由なんて一つしかないのに、それを分かってはいないようだ」
「まぁ、分かっておりますわ。私とアル様は婚約者ですもの。ですが、ユリア様にはアル様が必要ではなくて?」
「そんなことはないさ。彼女はああ見えてたくましいし、僕らの問題に彼女は関係ないだろう?」
オーレリアに反論すれば、オーレリアの表情が少しだけ翳った気がした。
でもそれは一瞬のことで、オーレリアはすぐにツンとすました表情になる。
「……まぁいいですわ。お好きなようにしてくださいませ」
「つれないな、僕の妖精さんは。……あぁ、そうだ。せっかくだから君にドレスを贈ろう。春らしい、君に似合うドレスを」
「いえ、そんなお気づかいは不要ですの」
「気遣いなんかじゃない。僕が君に着せたいんだ」
男がドレスを贈る意味。
たぶんまだオーレリアは知らないだろうけれど、いつかはきっとその意味に気づいてくれることを願う。
僕の提案に、オーレリアがなんとなく憂鬱そうにため息をつくのが目についた。
だけど、僕は何も言わない。
君の王子様ならきっと君にもドレスを贈るはずだ。
だから君は、素直にそのドレスを受け取ればいいんだよ。




