きょうだい、名前を教えて!
名付けの儀式があった日の翌日、俺はアーシラ王国にあるリッケンバッカー家のお屋敷の一室で目が覚めた。
どうやら馬車の中でいつの間にか寝てしまったらしい。服が着替えさせられてる。使用人の誰かがやってくれたのかな。
ベットに座ったまま、腫れぼったい目でぼけぇっとしていると、部屋の扉がノックされた。
「はーい」
「坊っちゃま。起きていらっしゃいましたか」
「エッタ!」
乳母のエッタが微笑みながら部屋へと入ってくる。
俺はベッドから飛び降りると、エッタに抱きついた。
細身な母上とは違う、ちょっぴりふくよかなこの感じ。赤ちゃんの頃は「母ではない他人の乳は飲むまい! その乳はちゃんと自分の子供にやってくれ!」と頑なに拒んでいた乳母だけど、最近気がついた。
抱きついたとき、うちの母上より安定感がある。
母上は今二十二歳という若さで、体も随分と細く、スタイルが良い。くるくる変わる表情がどこか少女めいていて、あまり母って感じがしない。むしろ顔のせいで「ストップ推しメン、ノータッチ」が脳内によぎっちゃって気軽に抱き付けられない。
しかも父上がいるし。ヤンデレの素質を持つ父上は、息子だろうと母上にベッタリし過ぎれば殺気を飛ばして睨み付けてくる。
一度出来心で抱っこを母上にねだった時はヤバかった。最初は温かい目で見てくれていたから家族団欒って感じがしていたんだけど、時間が経過するごとに父上の周囲の温度が下がっていくんだ……。父上、息子に嫉妬するのは本当に止めていただきたい……。
それに対してエッタは子爵夫人という身分の低さからか、どことなく下町の肝っ玉母ちゃんみたいな所がある。前世から想像するような母らしい母みたいな感じ。
そんな訳で、母上は真の母上だけど、母力が大きいのはエッタだと思ってる。
それにエッタの仕事は俺の乳母だ。拒み続けるのも彼女の仕事にはならないので、脱母乳した頃からエッタにちょっとずつ我が儘というか、甘えてみたりしている。
この母性に俺は陥落してしまった。
いや、ちゃんと母上も好きだけどな! なんてたって推しだし!
エッタが膝をついて俺を抱き締め返してくれる。ふっくらとした抱っこに幸福感を堪能していると、エッタは改まった様子で声をかけてきた。
「坊っちゃま、命名おめでとうございます。どうかこのエッタにもお名前をお教え頂けますか?」
そういえば、まだエッタに直接名前を言っていない!
会ったらすぐに教えようと思ってたんだった!
俺は少しだけ体を離すと、エッタと視線を合わせる。
「ありがとう、エッタ。僕の名前はアルフォンス。アルフォンス・リッケンバッカーです」
「アルフォンス様……アーシラの神の加護をお受けできたこと、心よりお祝い申し上げます」
にっこりと笑えば、エッタもにっこりと笑い返してくれる。優しく頭を撫でられた。くすぐったくて、もっとぎゅっとエッタに抱きついてしまう。
母上はいつまで経っても年齢不詳感のある美少女だけど、エッタはエッタで愛嬌のある女性だから笑顔を見ると気持ちが晴れる。眼福、眼福。
エッタにむぎゅうとしていると、後ろからひょこんと俺と同じくらいの子供が顔を出した。エッタの背中越しに目が合う。
「や、きょうだい」
「兄弟!」
もっさりとちょっとボリューム多めの襟足が長い黒髪に、エッタ譲りの優しそうな青目。今は真面目そうに顔を作ってるけど、興奮するとすぐに目元に朱が差すので嬉しそうなのは丸分かり。
エッタの息子で、俺の乳兄弟だ。名前は、まだ無い───訳じゃない。
兄弟はムニムニと唇を動かして、今にも何かを言いたげにしている。
エッタを見上げると、兄弟に向かって大きく頷いていた。
エッタが俺の体を離して膝行しながら横にずれた。俺と兄弟の間に何もない空間ができる。
兄弟がムニムニしていた唇を開いた。
「めいめい、おめでとうございます。あらためまして、わたしのなまえはネヴィル・チェンドラーと、もうします。こんごも、すえながく、よろしくおねがいします」
「こちらこそ、命名おめでとうございます。僕はアルフォンス・リッケンバッカーです。ネヴィル兄弟、これからもどうぞよろしくお願いします」
エッタに挨拶を丸暗記させられていたのか、兄弟が棒読み気味に名乗ってくれた。俺の方も笑顔でさっそく昨日付けられた名前を名乗る。
握手を交わして、二人でにかっと笑い合った。
「アルフォンス! アルフォンスって言うんだな、きょうだい~!」
「兄弟はネヴィルって言うんだね。すごく格好いいし、似合ってる!」
「そう言うきょうだいは昨日、めちゃくちゃイヤがってたな! うしろで見てた!」
「ぐっふぅ!」
し、知ってたし。あそこに兄弟がいたの分かってたし!
あの死亡フラグ宣告現場を思い出してうっかり精神的ダメージを受けたけど、すぐに気を取り直してぶんぶんと腕を振り回しながら二人で笑いあった。
乳兄弟である兄弟……いや昨日からネヴィルになった兄弟は、アーシラ王国ではなくて、生粋のイガルシヴ人だ。母上が隣国イガルシヴ皇国で妊娠が発覚し、そのまま現地で乳母を探したので本来ならイガルシヴ人である兄弟は俺よりも早く名前が決まっていた。
それをエッタがアーシラ王国人である俺に合わせて、命名の時期を揃えてくれたんだ。
イガルシヴ皇国にも似たような名付けの儀式の文化がある。形式や名付けの時期が違うけど、エッタの方針でアーシラ王国の様式に揃えてくれていたので、実は昨日の名付けの儀式にも兄弟とエッタがいたのだ。
名付けの儀式は年に一回、各地の教会で行われる。
俺達は父方のお祖父様達、つまりリッケンバッカー家管轄の教会で名付けの儀式をした。儀式は爵位順で行われたので子爵家であるチェンドラー家は侯爵家である俺よりも後に名付けがされる予定だった。
つまり、俺達リッケンバッカー家の後ろで待機していたわけで!
俺の! 醜態が! ガン見されていたわけで!
……三歳児にしてさっそく黒歴史を作ってしまった気がしたけど、兄弟は掘り下げることなく笑って流してくれたので良しとしよう。
「アールフォンス!」
「ネーヴィール!」
お互いに名前を呼び合いながら二人でぶんぶん腕を振り回していると、エッタが苦笑しながら俺と兄弟の肩にそれぞれ手をかけた。
「さぁさ、ネヴィル。坊ちゃまはこれから朝の御支度です。旦那様にお呼びされてるんだからまた後で」
「あ、そうだった。それじゃ、きょうだい。またあとで」
少年らしい楽しげな笑顔で、兄弟が一旦部屋から出ていった。
朝早くに何やってんだと思わなくもないけど、昨日、俺が早々に強制退場させられた挙げ句、寝ちゃってたからなぁ。
誕生日プレゼントととかクリスマスプレゼントみたいに、俺と早く名前の自慢大会したかったんだと思う。うきうきとしていた乳兄弟の期待を裏切った俺ってまじ絶許案件……。
無垢な三歳児の楽しみを奪うクズな俺だけど、この埋め合わせは近い内にできたらなと思う。
それより先に父上だ。
父上が俺を呼んでいるらしい。
エッタに服を着替えさせてもらいながら、俺はエッタに尋ねた。
「エッタ、母上は? 父上とお話しする前に、母上に会いたい」
父上と話す前に、前世のあれこれについて色々母上に聞いておきたいんだよね。俺の知識はゲーム準拠だし、母上がどうやってこの世界で生きてきたのか……前世持ちとしての世渡りの仕方を出来れば教えてもらいたい。
だからエッタに母上に会えないか聞いてみたんだけど……正面に膝をついて俺の服のボタンを留めていたエッタが、ちょっとだけ微妙な顔になった。
「奥様は……体調が優れないそうですので、お昼頃にお尋ねになられた方がよろしいかと」
「おぉぅ……」
またかよ父上。
毎度の事だけど、母上、強く生きろ……。
父上と母上は夫婦なので、当然ながら寝室が一緒だ。父上によって子供は出入りが厳禁されている寝室。その上大抵母上が体調が悪いと言って昼まで寝ている時は、父上の肌艶と機嫌がすこぶる良い。
お察しって奴だよね……はっはっはっ。ついつい遠い目をしてしまう。
何回でも言おう。
夫婦仲が良いのは大変よろしい事ですね。