先輩、仲良くやりましょうよ。
野営演習二日目は慌ただしい熊騒動から開幕したわけだけど、昼日中は特にトラブルなく進んだ。
旗を一つと、午後に二回、他チームと交戦して、なかなか戦績はいい感じになっていると思う。
相変わらずエイブラムとブルースは前線に立とうとしない。クラーク先輩と俺の二人であしらえるからいいけどさ、彼らの成績が俺たちの手柄で上がるのはなんか釈然としないなぁ。
まぁ、そんなことより。
ブルースが何か企んでいるかもと身構えていたものの、一日目のスタート時のあれ以降は何もないことから、他に何かを企んでいる気配はなさそうだ。
誰かと連絡を取ってるわけでもないし、進路について主導権を握る素振りも見せない。
これなら順調に野営演習は進みそうだーーーそう思っていたら。
二日目の夕方。
今夜の夜営地にて、奴は動いた。
「火が点かないですねぇ」
「……」
「火が点かないですねぇ」
「…………」
「火が、点かないですねぇ」
……こいつ。
今はクラーク先輩もエイブラムもいない。
クラーク先輩は周囲の見回り、エイブラムは補充用の薪を集めに行っている。
残った俺は川で獲った魚の下拵え、ブルースは火の番という役割でこの場に留まっていたのだが。
ブルースはこれ見よがしに俺に火打石を見せつけながら、火が点かないアピールをしてくる。
わざとか??
こいつ、わざとか???
内心苛立ちながらも、俺は微笑を浮かべた。
「着火材が湿気っているのかもしれないですね。屑木を替えてみては?」
「分かんなーい。やってみてくださいよぉ、リッケンバッカー侯爵子息サマ」
ブルースが火打ち石をこちらに投げてきた。
いちいち腹が立つ奴だな??
投げられた火打ち石をキャッチして、さてどうしたものかと手のひらに収まった物を見る。
火打ち石。
火かぁ……。
着火ぐらいならいけるか……?
相変わらずトラウマの根源にある炎に好き好んで近寄りたくはないけどさ。
ちらりとブルースを見る。
弱味を握られるのは御免だな。
大丈夫だ、着火するだけなら一瞬だ。線香花火みたいなものさ。
そう自分に言い聞かせ、俺は腰をあげてブルースが組み上げた焚き火用の材木に近づいた。
膝をつき、枯れ木から削り出したおが屑に火打ち石を近づける。
カチ、カチッ、カチ。
「……おや?」
「えぇ~? 侯爵子息ともあろう方が火もつけられないんですかぁ?」
それブーメランだからな? お前への盛大なブーメランだからな??
侯爵子息の俺より、子爵家のお前の方が使う機会多いんじゃねぇの? という言葉は横に置いておく。別にこいつが火打ち石を使えようが使えまいが俺には関係がないし。
苦戦しながら火打ち石をカチカチ鳴らしていると、唐突に大きな火花が散った。
心臓が凍る。
呼吸を忘れ、思わず火打ち石を手から落としてしまった。
しまった……!
挙動不審になりそうなのをぐっとこらえて、俺はごく自然な動作で火打ち石を拾う。
「驚いた。結構大きく火花が散りましたね」
「そうですねぇ」
ブルースが俺の手から火打ち石を取り上げる。
その口元が、嫌な感じに歪んだ弧を描いた。
「僕も驚きですよぉ。完璧超人だと思っていたリッケンバッカー家のご子息サマでも、火花ごときに驚くんですねぇ。……いや、正確には怯える、ですかぁ?」
「……なんのことやら」
ブルースの戯れ言を、笑顔で受け流す。
だけどブルースには確信があるように、火打ち石をカチカチと鳴らし始めた。
「とぼけなくていいんですよぉ。火、苦手なんじゃないですかぁ?」
「そんなことはないけれど……何を根拠にそう思うか聞いても?」
ひきつりそうになる表情を無理やり固めて、微笑を浮かべた。
本当に嫌な性格をしているな、こいつ。
俺の気も知らないで、ブルースは見下すように胸を張って俺を見た。
「いやぁ、嫌いな人の行動って目につくじゃないですかぁ? 例えばどうして寒いのに焚き火の中心地から離れて過ごすのか、とか。熊避けの火をやるにも、あの平民より貴方の方が火に近かったのになんでやらなかったのか、とかぁ?」
「偶然です。僕だって熊に遭遇すれば動転くらいして気がつかないこともありますよ」
「ほんと~にぃ?」
やけにねっとりとした聞き方をしてくるブルース。
絡みつくようなその質問の仕方に不快感が募る。
「じゃあもう一回。火が怖くないなら、点けられますよねぇ?」
ブルースが火打ち石を渡してくる。
俺はやれやれといった体で手に取るけどーーー内心、心臓が爆音を響かせるくらいに緊張が走っている。
さっきの火花が、想像以上に精神に効いていた。
フラッシュバックするのは前世の死に際に見た赤。
弾ける火の粉は俺の目の前に絶え間なく降り注いでいた。
……くっそぅ、少し気を抜くだけでも手が震える。
だからといって、ブルースのこの挑発に乗らないわけにはいかないけれどさ。
他人に弱点をさらしてたまるか。
俺は再び火打ち石を手に取ると、カチカチと鳴らす。
何度目かでおが屑に火花が飛んで、種火になった。
黒い煙がか細く昇る。
そこに息を吹きかけて、種火を育てた。
最初はチリチリとおが屑を赤色に染めていた種火が、だんだんと広がっていく。
ゆらゆら。
めらめら。
赤と、オレンジと、黄色のグラデーションに混じる、黒。
目が奪われる。
小さな炎が燃え広がっていく先にあるのは、俺の、腕?
その瞬間、弾けるように目の前が真っ白になる。
「っ!」
「えっ?」
ダンッ、と。
種火に拳を叩きつけた。
黒い煙が揺らいでかき消えた。
……最悪だ、気分が悪い。
頭はガンガンと痛み、心臓が忙しなく動き、指先の末端が冷えていく。それなのに背中にはつるりと汗が伝っていく。
種火を潰した俺は片手で顔を覆って深呼吸をした。
騒ぐ心音を、新鮮な酸素でなだめる。
深く息を吸って、吐いて、吸って……そこまでしてようやく、ブルースの方へと意識が向いた。
ブルースは俺の突然の暴挙に驚いたのか、目を白黒とさせている。
「え……あ、手……? 火、素でで……? はぁ……? えっ、あ、熱くないのぉ……?」
熱い?
何が?
さしものブルースも、目の前で起きたことだというのに、俺が素手でそこそこ広がっていた種火を消し潰したことが信じられないらしい。
俺はブルースを一瞥すると鼻で笑った。
「こんなもの、熱いうちに入らないですよ」
相手が俺じゃなくて、普通の人で、普通に怖いものがある人間だったら良かったのにな?
前世を持つ俺が、これしきのことに怯んで醜態をさらすとでも?
全身を焦がす熱さを知っている。
肺を焼く熱さを知っている。
皮膚を融かす熱さを知っている。
それに比べればこの程度の火傷なんか、熱さのうちに入るかっての。
「白状すれば、確かに僕は炎に恐怖を感じますね。ですが僕は小心者なので、恐怖なんてものを感じる前にその元凶を握りつぶそうと思ってしまうわけですよ。こんな風に……」
種火を潰した腕を手招くようにブルースに向けた。
おや、ひどくはないけどやっぱり火傷をしてしまっているみたいだ。皮膚が爛れてしまっている。
俺の手を見たブルースは、「ひっ」とうめいて青ざめた。
その様子が滑稽で笑えてくる。
「この程度の怪我で青ざめるようなら、この先騎士としてやっていけませんよ。それにね、センパイ。 嫌がらせも結構ですが、相手は選んだ方がいいですよ」
ブルースに近づき、その肩に慰めるように手を置いた。
「いずれ僕も侯爵位を継ぐ人間です。自分の身が可愛いのなら、些細な波風を立てるのは得策ではないですよ? 同じく侯爵位を持つエイブラム様の権威を笠に着ようなんて甘い考えは、通用しませんから」
家格に物怖じせずに俺に目をつけたのは評価するけど、常識的に考えてみなよ。
ここで禍根を残して損するのは誰なのかを、さ?
「家格の高い人間に取り入るのはいいですが、それにつられて気も大きくならないように。……身の程、わきまえたらいかがです?」
国全体で見れば貴族そのものが全国民の内の二割程度だろう。侯爵位以上となればそのさらに数パーセント。
学園内でも公爵家出身は今、いけすかない生徒会長である四年のレオポルドくらいで、他学年にはいない。侯爵家も一学年に一人いれば良い方か。
まぁ相手が侯爵家だろうと、伯爵家だろうと、本来なら学生の身分で家の権威を笠に着るのは良くないとは思うけどさ。
かといって侮られるのを良しとするわけないからね?
使えるものはなんだって使うよ、俺は。
火打ち石をブルースに返し、魚の調理へと戻る。
忘れた頃にヒリヒリと痛み出した火傷は、ただただ鬱陶しかったけれど、三日間の演習が終わるまで手当ても何もしなかった。
三日目、午前いっぱい旗探しをして、午後には下山した。
本当にあっという間の三日間だったなぁ。ブルース企画の俺への嫌がらせ案件と熊騒動以外は特にこれといった出来事もなく、平和なキャンプだったと言っても過言じゃない。
俺たちの班の成果は、旗が二つに腕章が合計三十近く。
初日のブルースの手引き分の戦果が大きかった。
これだけの戦績を上げられれば、前期の成績はまずまずなものでしょ。
キャンプ感覚でのバトルロワイヤルはなかなか楽しかったなぁと振り返ってみる。
ネヴィルと会わなかったのだけが残念だけど、本気のネヴィルとの手合わせは今の俺じゃあ役不足かもしれないからなー。良かったと言えば良いのか、運が良かったと言えば良いのか、ちょっと悩みどころ。
まぁこれを機に俺の実力が認められ、学園へと戻った暁には俺の生活が劇的に変わった……なーんて、漫画みたいなことはなかったわけだけど。
でも、少しだけ変わったことは幾つかあった。
まず、エイブラム。
野営演習中、ブルースによいしょされるだけで影の薄かったエイブラムだけれど、俺の剣の腕が本物だと知るや、前ほどひどいあてこすりをしてこなくなった。侯爵家なのに学問科じゃなくて騎士科を選んだ変わり者同士、親近感が沸いたのかもしれない。
次にブルース。
こいつはもう分かりやすいくらいに俺を避けるようになった。エイブラムの腰巾着らしく、未だに彼の周囲を彷徨いているのを見かけるけど、俺とすれ違うのも嫌なのか、姿を見かけた瞬間回れ右をする。
「根は小心者だからいじめてやるな」というのは、野営演習まで俺に風当たりの強い態度で接してきていたエイブラム氏の談だ。うっせぇ、俺が逆にいじめられたんだよ。
最後にクラーク先輩。
彼との関係は良好だ。学年が一つ上なこともあり、授業が合同の時など話しかけてくれるようになった。今度の長期休暇には城下へ一緒に遊びに行く予定を取りつけた。
入学してから初めての友人といっても良いかもしれない。次の休みが楽しみだ。
それなりに得られるものがあった野営演習。
濃いようなあっさりとしていたような三日間を終えれば、騎士科もいよいよ長期休暇に入る。
前世の夏休みほど長くはないけれど、二週間くらいの帰省期間が設けられるから、久々に実家で羽を伸ばせる。
二週間もあればオーレリアとのデートに割ける時間も沢山できるし、「耳」からの情報を父上と精査できる時間もできるし、クラーク先輩とも出かけて……あぁそうだ、いい加減母上とシンシア様との情報共有もしてフラグ回避に努めないと。
休みの間にやりたいことは沢山ある。
やりたいこと、やらないといけないことを指折り数えながら、休み前の学園生活を、俺は無難に過ごした。




