母上、話を聞いて欲しいんです。
稽古試合があった日から数日。
なんとなくネヴィルと顔を会わせづらい今日この頃。
これじゃ駄目だと思いつつ、話しかけようとする度、いつも俺ではない誰かと一緒にいるネヴィルを見てしまえば、段々と声をかける気力も無くなってしまって。
情けないことに、実はここ数日、ほとんどネヴィルと会話していなかったりする。
ネヴィルによる死亡フラグのことだって、別に今すぐのことじゃない。
三年後、その時になってみないとネヴィルが何を考えたのかは分からないのだし。
ならばなおのこと、ネヴィルとのコミュニケーションは大切だと思うんだけど。
「なんか、どうしても気後れしてしまって話しかけれないんです……」
「それでお屋敷に帰ってきたの?」
「まるで夫婦喧嘩中の嫁みたいねぇ」
困った顔で頬に手を当てる母上と、呆れたようにティーカップを傾けるシンシア様。
ふんだ、なんとでも言うが良いさ。
でも俺が嫁ポジなのは納得いかないし、可愛い婚約者がいるのにネヴィルと夫婦扱いされるのは遺憾の意!
せっかく休日を使い、超絶めんどくさい外泊許可までとってリッケンバッカー家のお屋敷に帰省したのに、この言い様はないと思うよ前作転生組。
陽当たりの良い客間のテラスにあるお茶会仕様のテーブルで、優雅にお茶を飲んでる二人をジトリと睨む。
「何て言おうがお二人の勝手ですけど、僕がここに来たのは馬鹿にされるために来たわけではないことをお忘れなく」
ぴしゃりと言い放てば、シンシア様が口をつけていたティーカップをソーサーに置いた。
「そうは言われても、アルフォンスルートの詳細が知りたいんでしょう? 私もクリアはしてるけど、スチル回収の周回はまだだったから……アルフォンス君以上に詳しくはないと思うわ」
なっ……んですと!?
「そんなっ、シンシア様がアテにできなきゃ僕詰みじゃないですか!?」
「その代わり、うちの子のルートのことなら完璧よ! バッドエンドスチルも全回収してるから!」
「なんでそんな自分に都合のいいことだけを……!」
「都合がいいというか、シンシアの好みの問題よねぇ。シンシア、セロンが大好きだから……」
「なるほど、寡黙で誠実なタイプが好みということですか、シンシア様……」
「ふふ、セロンの女と呼ばれた私に隙はないわ。というか、事前告知で出てたラスカーのイガルシヴ皇国の皇子って立ち位置はいわばトゥルーとハッピーエンド後のセロンの子孫なわけだし……髪色ピンクだしでセロンとシンシアの子の可能性があるのではっていうのは界隈で有名だったし……セロンが出るかもしれないルートは全クリ必須じゃない……っ!」
「うわ、どっかで聞いたような話……」
まさしく同じ穴の狢じゃん。
すっごいマイナーではあるけど、エルエレ界隈にいた俺と同じように作者に踊らされてるじゃん……。
ぐぅ、と俺は呻き額を抑える。
どうしよ、シンシア様に聞けばどうにかなるかもとか考えていたのが甘かった……!
「この十五年間、ネヴィルのことは僕も忘れていたので、アルフォンスルートにおけるネヴィルに関連するストーリーはもうかなり記憶が朧気になってるんですよ……。唯一言えるのは、ネヴィルはヒロインに恋をして、でもその恋はむくわれなくて……その嫉妬がきっかけで、僕は殺されるエンドがあったということだけです」
きっかけは嫉妬だったけど、だんだんネヴィルのその感情は変質して、最終的にはアルフォンスを「罪人の子」として正義を振りかざして断罪することになる。
でも、俺の記憶だと。
「ネヴィルがいったいどうして僕を殺すほど追い詰められたのかが、分かりません。バッドエンドでは僕が死にますし、次にストーリーが進んでもネヴィルは自分の心の内や誰が唆したのかを明かさず死んでいく、の……で…………」
……、…………。
「どっちにしろ駄目じゃん!?」
自分のことばっかりだったけど、ネヴィルも死ぬじゃん!?
「あぁぁぁっ! なんでっ! なんで俺はこんな大事なことを忘れていたのか! 駄目じゃんっ! ネヴィルも死んじゃうじゃん! それは駄目じゃん!」
「むしろアルフォンス君、あの死に芸作者がそんな美味しい設定を持っている子を殺さない選択肢があると思っていたの?」
「裏切りましたねシンシア様ぁぁぁっ!」
「むしろプレイしていたのなら、知っているとばかり」
そうだけど、そうだけど!
「俺前世も男だよ!? そこらに転がる乙女ゲーの当て馬モブ男の名前なんていちいち覚えてられるかっ! 好きでもねぇ男とただでさえ疑似恋愛してるのに……! 男にモテても嬉しくねぇよ!?」
「えっ、アル、前世も男の子だったのっ?」
「むしろ俺のどこに女子みを感じていたんですか母上!」
「乙女ゲーしてるからてっきり……」
「そうだね! 男のくせに乙女ゲーしてたからね!」
「だからオーレリアと普通に婚約できたのね。元同性との婚約に抵抗ないのかなとは思ったけど……」
「シンシア様まで!? 金髪ゆるふわウェーブの女の子大好きですよ! 騎士ドレだってスーエレンに出会わけりゃ速攻でやめてましたよ! スーエレンが最推しだったし、続編だってスーエレンが出るかもなんて妹の口車に乗らなきゃやってなかったですよ!」
「まぁ。聞いたシンシア? アルが私のこと最推しだったって」
「母上はちょっと黙ってて!」
俺の慟哭に、ポッと頬を染める母上。
今重要なのはそこじゃないからー!
でもその母上の隣では、何かを納得したようにシンシア様が頷かれる。
「現状はどう転ぶか分からないのは変わらないわね。そもそもクラドック侯爵は死んでいるし、アルフォンスルートの入り口になる噂だってもう既に広まっている。それにアルフォンス君には既に婚約者がいるんだから、ヒロインとの恋愛リスクは低い。それならネヴィル君の恋の嫉妬のせいで死亡フラグが立つのは回避できるんじゃないかしら?」
「そう、ですかね……まぁ、俺もそうはならないようにオーレリア嬢は断固として囲いこみますけど」
「……さらっと外堀を埋めようとしてくる辺り、ほんとエルバート様そっくり……」
母上が何か嘆いてるけど、父上を見ながらできる男の極意を入手してきた俺にぬかりはない。
シンシア様の言うとおり、その時になってみないと分からないってのは、他のオーレリアと変わらないか……。
「……今の段階でネヴィルが僕のルートに関係していたことを思い出しただけでも上々とします」
「そうね。もしかしたら変に気負わないでいてあげた方が良いかもしれないわ。今まで通りネヴィル君には接する方向でいきましょう」
シンシア様の言葉に頷く。
はぁ~。焦ったけど、よくよく考えてみれば焦ることも、悩むこともなかったんだな。
俺の死亡フラグ破壊は順調のはず。
何も怖じ気づくことはないわけで。
「ふふ」
「なに笑ってるんですか、母上」
胸を撫で下ろす俺を見て笑う母上。
その目が聖母のような慈愛に満ちた目だったので、居心地が悪くなってしまい、ついつい尖った言い方をしてしまう。
でも母上はそんな俺に気分を害した様子はなく。
「昔のことを思い出したのよ。アルが名付けの儀式をした時のこと。あの時のあなたも今みたいにパニックになってたなって思って」
「……あの時の事は忘れてください。時効ですよ、時効」
「嫌よ。せっかくの私の子の晴れ姿だったのだから」
くすくすと笑う母上。
その表情はとても晴れやかで。
「今だから言うけれど、私、前世で友達も、恋人もいなくて……ずっとお一人様だと思ってて。でも今はエルバート様もいて、シンシアもいて。でもそれだけじゃなくて、こんなに可愛い息子にまで恵まれて。とっても幸せなの。だからあなたとの思い出の一つ一つ、忘れるわけがないわ」
ぐっ……!
母上の恥ずかしいくらいストレートな気持ちに、俺は胸を抑える。
「推しが今日も尊い……っ」
「推しバレしたからって途端にアルフォンス君推し萌え隠す気なくなったわね……。スーも親子揃ってなにをやってるんだか……」
この形容しがたい気持ちに悶えていると、シンシア様から呆れた声をかけられて、俺はスンッと真顔になった。
「推しが今日を生きているだけで尊いこの世界ですよ。エルエレ最推しの僕には毎日が公式供給ですよ」
「毎日が公式供給」
「パワーワードね」
さすがの母上も今の俺の言葉には若干引き気味だったけど、今さら言った言葉は取り消せない。
ずっと黙っていたんだ。推しバレしたんだから、今くらいクソデカ感情で叫ばせてくれよー!!
「さっきまで落ち込んでいたのに、現金なものねぇ」
「ふふ。でもアルが元気になってくれたのならいいのよ。アルは私と違って、こうやって人に相談することができるんだから、一人だっていう不安は取り除けるでしょう?」
「あら、あなたにだって私がいたでしょ」
「そうだったわね」
ちょっと拗ねたように唇を尖らせるシンシア様に、母上がころころと笑った。
元ヒロインと、元悪役令嬢が二人でイチャイチャしてる。
こういうのだよ。
俺はこういうのがほしいんだよ……!
ここ数年、推しの萌えの供給過多というか、主に父上によるエルエレいちゃ甘現実ストーリーがリアルタイム放映されていたせいで感覚が麻痺ってこれが普通の日常とか思っていたんだけど、しばらく母上たちから離れたことで萌えの心が再燃してしまったようだ。
ビバ、騎士ドレワールド。
ビバ、推しの生還ルート。
だがしかし、死亡フラグ盛り沢山なアルフォンスに転生させたのは許さんけど。
なんかぐだぐだ考え込んでいたのも馬鹿だったなと思えてきたので推しの力とは偉大である。
「ほっとしたら、久しぶりに羽を伸ばしたくなりました。母上、せっかく学園にも外泊許可を取っているので、明日はオーレリア嬢に会ってきますね」
「急にお邪魔しては迷惑じゃないかしら」
「大丈夫です。明日のオーレリア嬢の予定は午前のお茶会だけですから。午後にはダンスのレッスンがあるので、僕がいた方が都合がいいはずですよ」
母上に忠告されるけど、それはノー・プログレム。
俺はにっこりと言葉を返す。
「……スー。アルフォンス君、今まで学園にいたはずなのに、どうしてこんなに婚約者の予定を把握してるの……?」
「不思議ね……?」
シンシア様と母上がこそこそ話し合うけど、筒抜けなんだよなぁ。
週に一回くらいしかないオーレリアからの手紙。
確かにそれだけではオーレリアの動向全てを把握するのは難しい。
だけど毎日のように優秀な『耳』がサルゼート伯爵の動向を報告してくれるついでに、オーレリアのことも報告してくれるからね。
オーレリアのことはなんでも知ってる。
最近じゃ、話し相手がいない者同士、ラスカー皇子と時々お茶会をしているようだし。
婚約者のたしなみとして手紙を送ってくれているだけで、たまにその手紙を書くことすら乗り気じゃない時もあるみたいだし?
「たった一ヶ月ちょっと会わないだけで、オーレリアが僕のことを忘れてしまいそうですからね。たまには顔を見せてあげなくては」
目を細めて微笑めば、母上がふるりと震えた。
「……? なんだか今、エルバート様に秘密事が知られた時みたいな感覚が……」
「……あの父親にして、この子あり、ね」
そりゃ、父上の背中を見て育ちましたから。
なんだよく分からずに疑問符を飛ばす母上と、やれやれと疲れたようにため息をつくシンシア様。
俺はそんな二人に何も言わず、ただ笑って、冷めた紅茶に手を伸ばすのだった。




