母がフラグを立てた日(下)
教会の聖堂とも言うべき場所の長椅子で、両親に挟まれて俺は座っていた。
ステンドグラスのカラフルな光が教会の床へと落ちる、温かで厳かな空間の中、名付けの儀式は粛々と進行していく。
「リッケンバッカー家当主エルバート様、こちらへ」
父上が名前を呼ばれて席を立つ。
凛々しいその背中に、母上がほぅと息をついてる。
それを生温い目で見る俺。
……いや、良いんだよ。両親がラブラブなのは。仲が悪い家なんかよりよっぽど良いよ。でもちょっと待ってくれ、精神的に非リア充だった頃が長い俺には耐えられない。
母上から視線を外してジッと父上の様子を見る。
アーシラ王国には、子供が三歳になるまでに名付けをしてしまうと、その名前を頼りに死神が魂を狩ってしまうという迷信がある。だから子供は三歳になるまで名付けがされず、三歳になって魂が肉体に定着したのを見計らい教会で神の加護を受けながら名付けをするらしい。
今はその名付けの儀式の中でも結構重要な部分だ。
貴族の家に代々伝わる家系図───通称「名帳」に父上が教会の神父の証人の元、俺の名前を書くというもの。
そう、この名帳に書かれた名前が俺の名前になるんだ。
どんな名前が書かれているのか、今からすごくドキドキしている。あああ、早くっ、早く知りたい……っ!
俺が生まれて三年間、両親が一生懸命考えてくれた名前だ。素晴らしくない訳がないだろう。これで変な名前を付けられたら両親のセンスを嘆く所だが、前世の推しが俺のために考えてくれたんだと思えば甘んじて一生を背負える気がする。
父上が名帳への記入を終えて戻ってきた。俺の隣に座る時に柔らかく微笑んで俺の頭を撫でてくれる。
くぅっ……! こ、これがイケメンの行動か……! 俺の父上マジイケメン……これは母上も惚れてしまうよ……。
父上が座ったのを見計らって、神父が次の儀式に移る。
「リッケンバッカー家ご子息、こちらへ」
母上が俺の手を取って一緒に立ち上がった。
長椅子のある列から出て、神父へと続くカーペットの道を歩く。
母上は神父のいる壇上に上がる前に俺の手を離した。そこからは一人で歩いて壇上へと上がる。
神父がリッケンバッカー家の名帳を手に膝を折った。
事前に受け取り方は聞いている。神父が名前に関する誓約への同意を尋ねたら「誓います」と言って名帳を受け取るだけ。
こんな簡単な儀式、精神年齢二十四歳の俺が間違えるわけもないと余裕に構えて、名前を告げられるのを今か今かと浮き足たって待つ。
そしてついにその時が来た。
「貴方に名が授けられました。名とは尊い生の中で、親より賜る最高の祝福。あなたはこの名に恥じぬよう、生を尽くすと誓えますか? アルフォンス・リッケンバッカー」
神父がお決まりの口上と共に、初めて俺の名前を告げる。
アルフォンス・リッケンバッカー。
それが俺の名前。
何だか胸がむず痒い。
そっかぁ、今日から俺の名前はアルフォンスになるのかぁ。
くすぐったい気持ちではにかみながら、俺は与えられたその名前を噛みしめる。
そして誓いの言葉を───
…………。
…………………………。
…………………………………………おい待て。
今神父何て言った。
アルフォンス? アルフォンス・リッケンバッカーって言ったか?
脳内へと駆け巡る某乙女ゲームの『続編』のオープニング映像。
そのオープニングに次々と流れていく攻略対象達の顔。
赤髪の爽やか少年と、金髪のチャラそうな男、銀髪の幸薄系な優男に、桃髪の真面目そうな少年、そしてシークレットの青い影。
その内の三人目。
銀髪の、幸薄系優男。
俺が成長したらまさしくあんな感じなんだろうなぁとか、ついさっき正装に着替えて鏡の前で思っちゃった、あの男の名前。
アルフォンス・リッケンバッカー。
つまり、死に芸シナリオライターの餌食でうっかりバッドエンド、トゥルーエンドに行こうものならヒロイン共々死亡フラグが避けられない、あの最悪ルート持ちの男───!?
自分がその男だと認識した瞬間、俺はなりふり構わず大絶叫を教会に轟かせた。
「ち、誓えるかぁぁぁぁ!!」
ぐりんっと呆気に取られた神父を無視して後ろを振り返る。もう俺涙目。ふざけんじゃねぇよと母上の所へ全力ダッシュし、ぐいぐいとドレスを引っ張ったり踏みつけたりして、このやり場のない気持ちをぶつけていく。
「あんた転生系悪役令嬢じゃねぇのかよぉぉ! なんで自分から死亡フラグに突っ込んでいくんだ!?!? 馬鹿なの!? 母上馬鹿なの!?」
母上が驚いて、すごく間抜けな顔になってる。
それからハッとして俺のちまっこい身体を抑えるべく、肩をぐいっと掴まれた。
「え、ちょ、何、ば、馬鹿って……ちょっとなんで私が責められないといけないの?」
「馬鹿は馬鹿でしょ明らかに続編のフラグ立てんなよぉぉぉぉ死に芸ライターの餌食に僕を巻き込むなよぉぉぉぉ」
「は、はぁ?」
あああ! 駄目だ! 駄目だこれ! 母上分かってない!! 絶対に分かってない!
「何でわざわざ僕の名前をそれにしたわけ!? 原作厨なの!? 母上原作厨なの!? 息子見殺しにしたいの!?」
「い、愛し子……じゃない、アルフォンス、待ちなさい、落ち着きなさい。ちょっと待って、続編って何なの。どういうことなの」
「『騎士ドレ』二作目の話だよ母上の馬鹿ぁぁぁ!」
地団駄踏んで、母上に抗議する。
母上は俺の言葉になんとか状況を飲み込んだようで、俺の身体をなんか反転させてきた。
「と、とりあえず今は儀式中だから。名帳を受け取りましょう。ね?」
「嫌だぁぁぁ! 受け取りたくないぃぃ! 僕死にたく無いぃぃ!」
「大丈夫よ、神父様は貴方を取って食ったりなんかしないわ」
違う! 母上そうじゃない! すっとぼけるな!
ざわめく神父と名付けの儀式の為に参列している他の家族の人たち。
後ろも詰まっているからと、母上は半ば無理矢理俺に名帳を受け取らせると、そのまま教会を後にした。父上も、焦る母上と泣き喚く俺を何とも言えない表情で交互に見ながら着いてくる。
帰りの馬車に乗り込んだ俺は、早々に母上に抗議の声をあげた。
「改名を!! 希望する!! アルフォンス以外の名前に!! 今すぐ!! 書き直して!!」
「落ち着いて、アルフォンス。名帳の書き込みが終わってしまったら改名ができないのよ……。アーシラ王国にもこの名前で出生届が受理されちゃっているし……。それに、この世界には修正テープも消しゴムも無いのよ」
「母上の馬鹿ぁ!」
「あたたた」
うわぁぁぁ、と自分でも吃驚するぐらいにわんわん泣きながら母上の髪を引っ張ってやる。完全な八つ当たりだ。
その上叫んでいる途中から脳内キャパシティを越えたのか、涙腺がガバガバ緩みまくっていて、自分でも何でこんなに泣いているのか分からなくなる。
「ふぐぅぅぅっ」
「ほら、アルフォンス。泣き止んで。お母様に詳しいことを教えて頂戴。まずあなた、転生者なの?」
母上が中々泣き止まない俺を膝に乗せてくれた。動く馬車の中、向き合うようにして抱き上げられる。因みに父上は母上の隣に俺がいるので、母上の向かいに座っている。
俺は鼻をすすりつつ、涙を手でぬぐいつつ、母上の言葉にブンブン首を振って頷いた。
そうすれば母上は困ったように眉尻を下げる。
「そうだったの……。それで記憶が戻ったのはいつ? 今?」
この質問には首を横に振って否定した。
「……最初からあるし……母上が転生者なのも気づいていたし……」
「あらま……」
ちょっと驚いた顔をする母上。ルビーの瞳が真ん丸に開かれる。
それからすぐに真面目な顔になると、まだ拭いきれない俺の涙をハンカチで拭ってくれた。
「色々話し合わないといけないけど……今一番大事なのは、名前よね。アルフォンスじゃいけなかったの? 続編がどうのって言ってたけど……騎士ドレに続編があるの?」
「あるんだってばぁ……母上、もしかしなくても続編知らないの?」
「ええ」
申し訳なさそうに頷く母上。
いやまぁ、薄々感じていた事だけど。知ってたらこんな単純なミスするわけないし……。なんたって死亡フラグをへし折って、生存ルートを確保した猛者だからね。母上ならフラグ破壊お手の物でしょ。
俺は深呼吸をすると思考を切り替えた。ヤバイな、泣きすぎてちょっと頭痛する。こんなに泣いたのいつぶりだよ……転生してからはあまり泣かない強い子として誉められてきたのに……。
それでも母上と視線を合わせて……抗議の意味を含めて睨み付けつつも、母上が知りたいだろう事を教える。
「『騎士とドレスとヴァイオリンと』。一作目の『騎士とドレスと花束と』の二年後に発売された新作ゲームのタイトル。シナリオライターは『花束と』と同じで、バッドエンドの申し子、死ネタホイホイ、死に芸ライターこと菜種素……。そしてその中の攻略対象の一人で、致死率最高ルートがアルフォンス・リッケンバッカーなんだよ……」
「お、おぉう……」
母上に説明しているうちに何だか段々目が虚ろになってくる。ははは……俺、これから、死に芸シナリオライターの餌食……。
『花束と』の時は今の父上であるエルバートルートが一番致死率が高かった。メインメンバーの中でもバッドエンドに行きやすいキャラが別にいて、攻略難易度が高いと言われていたけど、エンドでの致死率とはまた別だ。
父上のエルバートルートはバッドエンドとトゥルーエンドでヒロインが死ぬ。
バッドエンドはまだ分かる。シナリオの選択肢を間違えた時に、事件の途中で死ぬから。これはどの攻略対象ルートも共通。
ふざけるなと言いたいのはトゥルーエンド。
エルバートのルートはトゥルーエンドでエルバート氏がヤンデレを発揮してヒロインを殺してしまう。マジかよ。シナリオライター正気じゃない。ホラゲーだと思ってしまったプレイヤーが果たして何人いたのか……かく言う俺もホラゲーだと勘違いしてしまった一人だったけど。
まさしく『騎士ドレ』シナリオライター・菜種素が、バッドエンドの申し子から死に芸シナリオライターに昇格された瞬間だった。
そしてそんな死に芸シナリオライターが書いた続編の『ヴァイオリンと』。
その中で致死率が一番高いのはアルフォンスルートだった。
おかしいだろ!! 一作目と違って続編は学園ものだぞ!? 何で人が死ぬ!? しかもアルフォンスルートはエルバート同様バッドエンドだけじゃなくてトゥルーエンドでも人が死ぬんだぞ!?
エルバートルートと違うのは、ヒロインだけではなくその攻略対象も死亡フラグが立つということ。
つまり、俺が死ぬ。
きょ、許容できるかぁぁぁ!
心の叫びを丸ごと叩きつけるように虚ろ目に理性を取り戻して続編について母上に捲し立てれば、母上は心底申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ごめんなさい……そうとは知らずに名前を付けてしまったわ……。でもきっと大丈夫よ。アルフォンスは私の息子だから、きっとどんな障害も、死亡フラグも乗り越えられるわ」
「無理だぁ……初っぱなから死亡フラグ建築してるのにぃ……」
「大丈夫よ。私でも乗り越えられたんだから、アルフォンスにもできるわ。それにあなたには私もいるし、お父様だっているもの。私もエルバート様には随分救われたんだから」
よしよしと母上が背中を撫でてあやしてくれる。
ぐぬぬ、確かに先駆者である母上がそう言うならそうなのかもしれない……。
いやでももしかしたら同姓同名パターンの可能性だってまだ残っているんだから、俺はできればそっちの可能性にかけたい。かけたい、けど……。
でも絶対にこれは『ヴァイオリンと』のゲーム開始フラグに思えてならない。
それならやっぱり今ここで腹をくくるべきか……。
ガタゴトと揺れる馬車の中、俺は決意する。
うん、俺は母上の子だ。致死率百パーセントな前作悪役令嬢なのに母上は生き残っているんだ。
俺だってきっと死亡フラグくらいへし折れるはず。
俺は死に芸シナリオライターになんて負けない……! 絶対に生き残って、今度こそ前世のようにうっかり死ぬのではなく、大往生してみせるんだ……!
そうして今日この瞬間、アルフォンス・リッケンバッカーと命名されたこの日に、俺の乙女ゲーム死亡フラグ回避人生がスタートしたのである。