母上、光源氏計画してもいいですか?
オーレリア嬢を抱き上げて歩きだした途端、ネヴィルが上体を起こして俺の隣に並ぶ。
「どこに行くんだ?」
「母上のところさ。こういうのは早い方がいいからね」
「兄弟、悪い顔してる~」
失敬な。人を悪人みたいに言わないでくれるか??
「兄弟はしばらくラスカー皇子についていてあげて。シンシア様ともお話ししてくるから」
「ん? 了解」
一瞬不思議そうな顔をしたけれど、兄弟は何も聞かずに頷いてラスカー皇子の所へ戻ってくれた。
俺はそれを横目で確認し、お茶会の中心へと戻るべく足に力を込める。
途中、腕の中のオーレリア嬢へと視線を落とすと、オーレリア嬢は放心したように俺を見つめていた。エメラルドの瞳と視線が合ったので、微笑んでやる。
「どうしたの? 僕の金色の妖精姫」
「ふぇっ」
変な悲鳴をあげてオーレリア嬢が俺の首にますますしがみつく。恥ずかしがって顔を隠したのかな。子供の高い体温がしっかりと俺の体に伝わってきて、なんだか心までほっこりしてきた。
お茶会の中心へと戻ってくると、色々な人の視線がこちらに集まりだす。やっぱりこの銀髪は目立つなぁ。それ以上に俺がオーレリア嬢を抱き上げているのも注目の的になってるんだと思うけど。
そんな好奇の視線を一身に集めながら、俺は母上とシンシア様のいるテーブルを目指す。
母上とシンシア様は、俺が挨拶したときのテーブルから離れて、二人だけで隅の方に備え付けられたテーブルに座っていた。
談笑している母上の背後から近づくと、向かいに座っていたシンシア様がこちらに気がついた。
「え? アルフォンス君?」
ぱちくりと目を瞬きながら俺の名前を呼んだシンシア様。
遅れて母上もこちらを向いた。ティーカップに口付けていたらしく、そっとティーカップを置いている。
そんな母上のすぐ側まで歩み寄ると、俺はにっこりと笑った。
「母上、シンシア様。僕、リアル光源氏計画することにしたから」
母上が僅かに首を傾ける。
そして。
「アル、とりあえず女の子を下ろして差し上げて? 今にも泣きそうだわ」
「いや、突っ込むところそこじゃないでしょ」
母上じゃなくて、シンシア様から突っ込みが入りました~。
シンシア様が真顔で母上に突っ込む正面で、母上はどこかズレたことをを考えていそうな、不思議そうな顔で小首を傾げている。
それにしてもオーレリア嬢泣きそうなの?
ちょっと視線をさげると、俺の首にまわす腕をゆるめていたオーレリア嬢がちょっぴり涙目でぷるぷるしてた。
俺はますます笑顔になる。
可愛い。
俺が役得とばかりにオーレリア嬢を見つめていると、母上が予想通り斜めの返事をしてきた。
「その子、どこから拾ってきたの。元いたところに戻してきなさい」
「捨て猫じゃないし」
野良猫を拾ったときのような対応をされてしまい、思わず唇を尖らせてしまった。母上、ちゃんと見えてる? 俺が連れてきたの猫じゃないぞ?
そう思って抗議の声をあげれば、母上は俺が考えていた以上に真剣な顔をした。
「アル、あなたには例の件もあるから、自由に恋愛して、好きな子と結ばれて欲しいとは思ってる。でもここにいる子はシンシアの子のための婚約者候補なんだから、あなたがさらっては駄目なのよ」
ああ、そういうこと。
あくまでも母上はシンシア様主催のこのお茶会の体裁を大事にしているだけだ。
でもこの様子だと、このご令嬢の正体も気づいていないな?
「いやいや、母上、よく聞いて」
俺はすりっと女の子の頬に自分の頬をすり寄せた。ぴゃっとオーレリア嬢がさらに真っ赤になってますますぷるぷるし出す。
うん、可愛い。
もうちょっといじめて……げふんげふん、可愛がってあげたいけど、母上にちゃんと教えてやらないと。
「この子、オーレリア。オーレリア・サルゼート伯爵令嬢だよ」
母上がこてりと首を横に傾げる。たぶん聞き覚えがあるけどなんだっけとか思ってるんだろうなぁ……。
その母上の目の前で、ガタンとシンシア様が椅子の音を立てて立ち上がった。そしていつも母上の元へ遊びに来るようなノリで皇妃様が声をあげる。
「ナイス、アルフォンス君。その計画、ぜひ遂行してくれる?」
うんうん。やっぱりシンシア様には話が通しやすい。さすが人生の先輩だ!
「もちろん。その為に母上だけじゃなくて、シンシア様にもお伝えしようと思って連れてきたんです」
にっこりと笑ってやれば、シンシア様がうんうんうんと頷く。俺が言いたいことを理解してくれたようで何よりだ。
俺がオーレリア嬢と婚約すれば、ラスカー皇子の婚約者にはなれない。少なくともラスカー皇子においてオーレリア嬢由来の事件は起きなくなるはずだから、死亡フラグは消しやすい。
それに黒幕も分かってる。これに関しては後で屋敷に帰ったら『耳』に相談するとして。
俺の方もオーレリア嬢という婚約者を得れば、恋だの愛だのでうっかり友人関係を拗らせることもなくなるはずだ。
この世界に『強制力』はない。
全ては因果応報。
大丈夫だ。もし『強制力』のようなものが働いて、オーレリア嬢の代わりに別の婚約者がラスカー皇子にあてがわれても、先手を打って事件を防ぐ事は可能なんだ。
オーレリア嬢との婚約は、俺にとって保険のようなものでしかないけれど……目に見える形は『強制力』があると思っているシンシア様にとって分かりやすいフラグ破壊に繋がるはず。
そう、これは誰が見ても分かりやすいフラグ破壊なのだ。
断じて俺が食べちゃいたいくらいにオーレリア嬢が可愛いから婚約したくなったわけじゃない。……本当だぞ?
きょとんとしていた母上もようやく理解したみたいだ。ぎょっとしてシンシア様の方を振り向いた。
それからすぐにそろりとこちらに視線を向け直してくる。正しくはオーレリア嬢に、だけど。
俺もつられてオーレリア嬢に視線を落とせば、それまでぷるぷるしていたオーレリア嬢が、キッと俺を睨み付けてきた。
「いつまでだき上げてるのですの! いいかげん、おろしてくださいませ!」
何を言い出したかと思えば……。
それは聞けない相談だな?
俺はオーレリア嬢に顔を寄せて、そっと囁く。
「どうして? 君の可愛いおみ足が疲れてしまうよ?」
「わたくしは! 皇子さまの婚約者としてここにきたのです! あなたのその、ぶれいな行動、ぜんぶお父さまに言いつけますわよ! そうしたらあなたのおうちなんて、けちょんけちょんなんですからぁ!」
「ふふふ、可愛い抵抗」
オーレリア嬢がぐいぐいと俺の胸元に手を突っ張って下りようともがくけれど、俺にはノーダメージだ。伊達に父上に鍛えられていないぞ!
オーレリア嬢のその可愛い抵抗についつい頬がゆるんでしまう。こう、ムキになっている時の顔がたまらない。前世、年の離れた妹がいた身としてはこういう行動をされるとつい絆されてしまう。
俺がオーレリア嬢と攻防戦をしている間に、「これでいいの?」と訝しげな母上を、シンシア様が上手に取りなそうとしてくれる。
「よく考えてみて? あの子、うちの息子のルートで悪役令嬢になる子なのでしょう? アルフォンス君の光源氏計画が功を奏すれば、ゲーム開始前にアルフォンスルートとうちの息子のルートが破壊されるわけで。あの子も、悪役令嬢として死ななくて良くなるかもしれないでしょ?」
「うーん……でも」
母上が悩む。
でも、の後には、俺も考えた万が一の『強制力』に関して危惧するような言葉が続く。それにはシンシア様も苦笑したけれど、なんてこともないように母上に返した。
「確かに、オーレリアがシナリオ改変によってアルフォンスルートで悪役令嬢になる可能性もあるけど……アルフォンス君のことだから、そうならないように光源氏計画を立案したんじゃないかしら?」
「どういうこと?」
「つまり、オーレリアを自分好みの女の子に仕立てあげて、責任もとるってこと。アルフォンス君の事だから、悪役令嬢なんかになる余地もないくらいに調教するんじゃない?」
「ちょうきょう」
シンシア様、よく分かってるじゃないか。
婚約するだけなら何の意味もない。オーレリア嬢がゲーム通りに扱いやすい、高飛車娘になってしまう可能性は少しでも減らしたいだろう?
何のための光源氏計画だ!
俺好みの清楚な女の子に……とまではいかないけど、常識ある立派なご令嬢にしてみせる!
オーレリア嬢が元気に一生を生きること。
これは、俺の周辺に転がっている死亡フラグ回避への一つの指標になるはずだ。
うんうんとシンシア様の正しい評価に内心で頷いていると、オーレリア嬢が手を伸ばしたのを見た。
オーレリア嬢の手が俺の髪にかかり、ぐいっと引っ張られる。あたた、ちょ、禿げる。
「おろして、くださいまし!」
「いいじゃないか。もう少しこのままでいよう?」
「レディをだきあげたまんまなんて、はしたないですわ! しかも! 皇妃さまのごぜんですのよ!」
「そう? 可愛い君がどこかに行ってしまわないように捕まえているだけなのに?」
「そ、そんなこと言っても、わたくし、あなたの名まえもしらないのですわ!」
あるぇ?
俺、名乗ってなかったっけ?
俺はちらと記憶の海を漁ってみる。特に、オーレリア嬢が登場してから今までの短い時間だけど……。
………………………………うん、挨拶してないわ。
気を取り直して、俺はオーレリア嬢を抱き上げたまま、オーレリア嬢の耳元にそぅっと囁く。
「俺はアルフォンス・リッケンバッカー。君の未来の旦那様だよ」
ちゅ、とおまけで耳たぶにキスを一つ。
オーレリア嬢の顔が真っ赤な林檎のように熟れて、俺は楽しくなる。
「にゃ、にゃにを………!」
「仲良くしてくれるかい?」
今度はおでこにキスをする。
オーレリア嬢は猫みたいな悲鳴をあげて、ますます真っ赤になるあたり、初で可愛い。
なるほど。父上が母上にハマる気持ちがちょっとよく分かった。
もうちょっと悪戯しようかなと画策していると、シンシア様と話し込んでいた母上の声がこちらに向いた。
「アル、いい加減になさい。オーレリアちゃんが真っ赤になって可哀想よ」
そんな殺生な。
俺は不満をぶつけようとして───ふと、この間父上が母上に向けて言っていた言葉を思い出す。俺は記憶の隅からその台詞をぐいっと引き出した。
「真っ赤に熟れてる林檎は早く食べたくなるものだと、父上が母上に言っていましたよね? 僕は、僕好みの林檎が早く熟してくれるようにおまじないをかけているだけです」
飄々と言ってやると、母上が一瞬固まった。
それからすごい剣幕で椅子から立ち上がる母上。
「ああああアル! あなた、なんてことを! その意味を分かって口にしているの!?」
「どうでしょうね」
すっとぼけてやるけど大丈夫。その意味は正しく理解しているつもりだ。
この台詞はつい先日、父上が母上を閨に誘う時に口にした言葉なんだよな。母上の照れた顔を見た父上が、まだ宵の口だというのに母上を連れて寝室へと籠ってしまう直前の言葉。その言を借りて、俺はオーレリア嬢におまじないをかける。
早く真っ赤に熟れてしまえば良い。
俺は君を逃がすつもりはない。幸せになりたいなら、俺のことを好きになってくれるのが一番なんだからさ。
「スー? 林檎がどうかしたの?」
「ひぇっふ!?」
母がシンシア様に追い詰められて身もだえしている内に、俺はオーレリア嬢を抱える腕に力を込める。
しっかりと抱きしめながら、オーレリア嬢に言葉を尽くした。
「ねぇ、可愛いオーレリア。僕がもっと可愛くしてあげる。そうしたらきっと、第一皇子だってイチコロだよ。僕と一緒に、ヒミツの特訓、しようよ」
「そ、そんなこと言ったって、むだなのですわ! あなたなんかの手なんてかりずとも、このわたくしなら皇子さまを射止めてみせますもの! あなたのものなんかに、なりませんわ!」
名前だけの婚約者でも良いんだけど、オーレリア嬢はそれすらも嫌らしい。あくまでも狙うのはラスカー皇子か……モテモテだラスカー皇子?
でも、だ。
オーレリア嬢は俺がもらうって決めたんだ。
「そっかぁ」
「ふにゃあっ」
俺はオーレリア嬢宣言に軽く返事だけをして、彼女の細い首もとに顔を埋める。なんだろう。ミルクの匂いがする。
そして、優しくて甘い匂いに包まれながら、ちょっと強目にオーレリア嬢の首を吸い上げる。
オーレリア嬢がびっくりしたように体を跳ねさせた。顔を首から話せば、ぷるぷるとオーレリア嬢が睨み付けていた。
「痕、つけちゃった。君は、僕のだよ」
「な、なななにをおっしゃって……っ」
「皇子様なんかに目移りしないくらいドキドキさせてあげるから、ね?」
眦つり上げたオーレリア嬢が自分の手で首もとをごしごししてる。え、ちょ、それはショックなんだけど?
あんまりなオーレリア嬢の態度に少しだけショックを受けるけど、それはそれ。
目的は達成したから、これぐらいのことでへこたれはしない!
シンシア様の方を見ると、母上とシンシア様が何かアイコンタクトをとっていた。シンシア様が笑顔になり、席から立ち上がって、俺とオーレリア嬢の前に歩み出る。
シンシア様は少しだけ腰を屈めて、オーレリア嬢に声をかけた。
「オーレリアさん、ひとまず今日は私の方からサルゼート伯爵にお話を通しておきますので、このお話を受けるかどうかはお父様とよくお話しなさい。私の息子を慕ってくれるのも嬉しいですが、ここまで熱烈に愛してくださる殿方はいないのです。貴女が立派なレディになったとき、誰の隣にいたいのかよくよくお考えなさい」
「は、はい、ですの」
皇妃らしく威厳を持ちながらも、シンシア様が諭すようにオーレリア嬢に言い含める。
皇妃であるシンシアを前にガチガチに緊張したのか身をこわばらせるオーレリア嬢は、表情がぴゃっと固まって、返事もかくかくと壊れた赤べこのように首を振っている。
ふはは、さすがシンシア様。どんな馬鹿の子でも皇妃という莫大な権威の前には無力であるという良い例だな!
さて、これで材料は揃った。
近いうちに伯爵家にも正式な挨拶をしなければならないけれど………ひとまずは、これで完了だ。
俺は、オーレリア嬢を婚約者にして、光源氏計画をする。
男の浪漫? そうだろう、そうだろう。
だがこれは俺の欲望を満たすための計画ではないのだ。あくまでも、死亡フラグ回避のための計画。
まぁでも、シンシア様の後ろ楯もあるので、これで簡単に外堀は埋められるだろう。
さぁオーレリア嬢、覚悟して?
俺が君を幸せいっぱいにしてやるからね。




