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大人になるということ

 僕らは歩む。

『人生』という長い長い答えのない道のりを、旅路を。


『大人』になるとはどういうことだろう。

『大人』って何だろう。


 こういう問いは、中学生以降の人々はかなり体験していることだろう。


 今回は、『大人になるとはどういう事なのか?』について考えていきたいと思う。


 が、ここで留意してもらいたい点が幾つかある。

 一つは、これはあくまで私の主観的な考えである。なので、これをどう感じ、どう受け取るかは読者の皆様にお任せするということ。


 二つ目は、一つ目を受けて、読者の皆様にもこの機会を通じて『おとなになるということ』について考えてみて欲しい。


 これから思春期に向かう人も。既に思春期、青年期に入って大人と社会が嫌いで嫌いで仕方がない中高生も。就職や大学院のことを考えるに当たって、どんな『大人』になりたいのか分からない大学生の方も。もう自分は社会人で『大人』だと思っている人も、『大人』になりきれていない人も、もう一度思春期や青年期の頃を振り返って、再度考えてみ欲しい。


 以上の事を踏まえた上で『大人になるということ』について共に考えていきたい。


『大人になるとはどういうことか』を考え始めるのはおそらく、早くて6年生。中学生の頃が多いだろう。


 それは、今まで『絶対的な存在』であった大人に疑問を持ち始める時期でもある。

 いや、『大人』や社会に疑問を持ち始めるから、『大人とはなにか』について考えることに繋がるのだが……。

 そのような疑問が第二反抗期へと繋がっていくのだろう。


 同じに、『自分とは何か』という疑問も持ち始める。

 これから何をして生きていくのか。何をすべき何かということだ。


 様々なことから影響を受ける。

 受けすぎる程に受けてしまう。


 加えて、大人に反抗しているということ、社会に反抗しているということ、自分には何か凄い才能が秘められているのではないかという『誇大妄想様症状』とも言うべき現象が彼らの心の中に起こることがある。

 それが、『中二病』と世間で言われるものの正体なのであろう。


 疑問を持つということは、それについて知りたいということと同じだ。

 その子供たちを、社会で『大人』をしている人々はそれを「面倒くさい」、「こどもの言うことだから」と片付けずに、長い時間を掛け、他職種と連携しながら向き合って欲しいと思う。


 学校の中にいると、一定の職種の人としか話すことが出来ない。

 学校の教員なんか(別に、教員を侮蔑しているわけではない)、大学を出てすぐに教員になる人が殆どであろう。

 確かに、科目を教えるプロではあるかもしれないが、『社会』にはアルバイトくらいでしか経験することがないのではないだろうか。


 現在、とある高校で地域の人に部活動の顧問をしてもらうという活動や、様々な職業の大人(年齢的に)を呼んで、いくつかのテーマ(例えば、『あなたを色に例えるなら?』、『大人ってなんだろう?』、『恋をするってどういうこと?』、『教育ってなに?』)に沿って、フリップで自分の考えを書くという活動をしている団体も存在している。


 また、『哲学カフェ』という色んな職業、年齢の人で集まって自由に語り合うという場を展開している人もいる。


 そのように、色んな大人(年齢的に)と()()()話し、語り合うことで、色んな『大人』がいることを知り、自分の世界を広げていくことが、思春期、青年期の子どもたちが『自分』を知り、『大人になるということ』を考える指針になるではないかと私は考えている。


 人は心的に『死と再生』を繰り返す。

 それは、一生続く。

 特に、思春期、青年期の頃が1番激しい。


『死』には苦しみが伴う。

 無力で、儚き自分の力に打ちひしがれるかもしれない。

 が、それを乗り越えた先に、苦しみの『殻』を乗り越えた先に、新しい世界を、景色を見ることが出来るのではないだろうか。


 経験談を交えて話そう。

 私には、しばらく学校に行くことが出来なかった経験がある。

 学校に行こうとすると、お腹が痛くなるのだ。


 今思えば、あれは心身症なのだろうと思う。

 要因は幾つもあったのだろう。

 クラスの人が嫌だ。

 友達がいない等々。


 結果、学校に行かなくなった。

 あれは、『殻』に閉じこもっていたのだろうと思う。


 勉強はしていた(自分の好きな)。

 でも、自分が自分ではない感覚の時があの頃にはあって。

 攻撃衝動が沸き上がる時があって。

 言葉にし難い感情が当時はあった。


 それが何なのか今考えても分からない。


 取り敢えず、とても苦しかったのだけは覚えている。

 あれは、私の『死』の体験だったのだろう。


 あの経験があったから今の私がいるのだと思う。

 あの時を乗り越えた、生き抜いたからこそ今の自分があるのだと確信をしている。


『死』の体験というのは人それぞれ異なるであろう。

 そこには当然苦しみが伴う。

 が、それを乗り越えることで新しい世界を見ることが出来るのではないだろうか。


『大人になる』ということ。

 それは、『社会』に出るということなのだろうか。


『社会』に出て、給料を貰って。

 自分で稼ぐということなのだろうか。


 それは少し異なるのではと私は思う。

 とある地域では、火の中に飛び込むことが出来る人が『大人』として認められるところがある。

 また、とある少数民族では入れ墨を入れることが『大人』になる条件だというところもある。

 他にも色々あるが……。


 これらに共通しているのは、『覚悟』があるかどうか。

『今の自分を乗り越える』ことが出来るかどうか。

『責任』を持つことができるかどうか。


 これらが『大人』になる条件なのではと私は考えている。


『覚悟』をもつことが出来るかどうか。

『後世に何を残すことができるのか』ということなのではないだろうか。


 子供を育てるのが大人の義務だ。

 子供は周りから様々なものを吸収する。


 今まで得た知識、経験、技術を後世に、子供に伝える。

 そして、子供を『一人の人間』として見て、共に考えること。

 それが大人の役割なのだと考えている。


 





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