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心理学を批判してみた

 心理学というのは、読者の皆さんは一体どのようなイメージをお持ちだろうか。


 人の心を読んだり、何やら超常現象じみた学問だとは思っていないだろうか。

確かに、そのようなイメージを持つことはTVの影響があるし、仕方がないであろうと思う。

が、心理学は本当はそのような適当な学問ではない(変なイメージを持たれると困るから、TVの「心理学」に対する扱いにはいつも眉を顰めているのだが……)。


 そもそも、大学で「心理学」という学問が存在する以上、それなりにきちんとした学問であることは想像に難くないのではないだろうか。


 良く心理学のテキストや謳い文句に「人の心を科学する」とかいうのがあるが、心理学という学問は、他の物理学や化学、生物学のような学問とはかなり異なる学問のように私は日々感じている。

この「科学する」というのはつまり、データの標準化を行い、限られた条件下でのとある要素の信頼性と妥当性を測ろうとする。

統計的な測定をしようとする。

それがこの「心を科学する」ということの意味である。


 「科学」と言えば、何か普遍的なものを探るという物理学や化学のようなものを想像していたのではないだろうか。


 が、人の心は普遍的なものではない。

外的刺激で幾らでも変化する可変的で流動的なものである。


 そんなものを一体どうやって統計的に測定しようと言うのか……。

 変えられるのは外的な刺激しかないので、なるべく、それらの刺激を統一化しようというのが基本的な心理学の姿勢である。

 例えば、真っ白な刺激の無い部屋に用意したり、赤いものを見せたり等々その方法は様々だ。


 が、そこにも問題は存在する。

 先程の話は、あくまで内的な刺激が一切変化していない時の話である。


 そんな心が果たして存在するだろうか。


 人によっては、恋人に振られたり、告白を受けたり、何か新しい趣味を見つけたりすることだろう。

 つまり、昨日の自分と今日の自分が同じであると何故言えるのか。

 ということである。


 人の細胞だって日々変化をしているというのに‼ 

 私達は昨日の「自分」と今日の「自分」を同じだと思っているのだろうが、それは「ほぼ」同じであって、全く同じであると言う保証はどこにも無い。


 人は外的な刺激を日々絶え間なく受けていることだし、それによって人の心も様々な形に変化する。

 人の心を知るのは非常に難しいのだ。

 

 心理学における人の心は、前述したように、外的な条件をなるべく統一し、より多くの人に受けて貰う事で「こういう時に人の心はこういう傾向があるのだろう」だとか、「こういう時にこういう行動をする人が多いんだ」とか、「こういう時に人の心はこんなものに影響を主に受けているんだ」とか何も全ての人に当てはまる物はなく、多くの人の心の状態について知るのが心理学の一つの特徴であると言えよう。


 心理学の皮肉にこんな言葉がある「心理学を学ぶよりもシェイクスピアの戯曲の方が人の心に

ついてより多く知ることが出来る」と。

 正直、言ってしまえば、それは一理あるなと私は思う。


 私の尊敬する先生が言っていた言葉で、「人のある所に心理学はある」という言葉がある。

 全くその通りだなと想うと同時に、心理学の細分化の問題もあるなと私は思う。


 洋服、犯罪、社会、色、電子機器、壁画、小説、芸術、科学等々、数え上げたら切りが無い。

 そのように細分化、専門化していってしまうと、それしか学ばなくなる。

 柔軟性が失われてしまうという欠点がある。

 それを回避するためには、早め早めに色んなことに興味を持って、少しでも幅広い分野の心理学をかじっておくことが大切であろうと考えられる(これは他の分野でも言えることだ)。


 細分化し過ぎてしまうと、それに固執してしまう。

 それだと、人の心を流動的なモノではなく、固定的な概念として捉えてしまいがちになってしまう。

 それに対し、シェイクスピアの戯曲や村上春樹などの小説などは人の流動性や可変性を良く捉えているように思える。

 それが「名作」と言われる作品であればあるほどその傾向は強いように思う。


 話を少し変えよう。

 人の心は流動的であるとともに、様々なものに影響を受けている。

 それらは一概に特定出来るものではない。


 良く、心理学の論文などを読んでいると、「主要因」という言葉が出てきているが、それはあくまで主にその影響を強く受けているわけで、それだけで人の心の在り方が決まるわけではない。

 人の心は色んな物の影響を受けているということを理解していく必要がある。


 良くテレビで心理学の専門家が犯罪を犯した少年の行動を分析したり、マスコミがこれが原因だの何だのと騒いでいる時があるが、そんなものは正直あまり意味が無い。

 養育歴や親子関係が人の心に大きな影響を与えることは確かだが、それだけが人の心を決定付けるものではないからだ。


 それよりかは、それからその子の人生をどうするのか。

 被害者の支援をどうしていくのかといったことを議論した方がより効果的ではないだろうか。


 人が過去に縛られるのは確かだとは思うが、それと同時に未来に生きることができるのもまた事実である。何が自分の人生を大きく動かしたのかという原因を探すのは大いに意味のある(もちろん、ケースバイケースだが)ことだとは思うが、それと同時にこれから如何に生きるのか。どう生きるのかを考えるのも一つ重要なことであると私は思う(考えすぎも問題だが。休養も時には大切である)。


 ここまで私は、

 ・「人の心を科学する」とは外的刺激を統制して測定一定の条件下、主要因を統計的に測定することである。

 ・人の心は流動的で可変的なものである。

 ・人の心の原因を決定づける要因を安易に決めつけてはならないし、決めることなどできない。

 ことを伝えた。


 それでも、心理学は人を理解する上で非常に役に立つ学問だと私は確信している。

 多様な人の心の在り方を学ぶのもこの心理学という学問の特徴の一つであると私は思う。

 興味のある方は少し心理学の本を開いてみてくれたら私はとても嬉しい。


【推薦図書】

・河合隼雄 心の処方箋

・V.E.フランクル 夜と霧

・神谷美恵子 「生きがい」について

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