そろそろ最終回かもしれません。
前回のあらすじ。
お酒を飲んだら、裸体を見られました。
「勇者様、おはようございます。お着替えのご準備ができましたので、お手伝いさせていただきます」
悶えているうちに、朝になってしまっていたのか、日差しが差し込む客室。
私は、ベッドの横に立っている蒼髪のメイドに起こされ、そう告げられた。
着替え――じゃあ、昨夜の裸体事件の犯人はこの方なのか?
いや、決めつけるのは早計である。万が一違う場合は謂れの無い冤罪を被せてしまうかもしれないので、確認をとるべきだろう。
金糸をふんだんに使っている豪奢な掛け布団を剥ぎ、上半身を起こすと、目の前のメイドに視線を合わせた。
「おはようございます。お気遣いはありがたいのですが、着替えは自分でしますので結構です。それよりも昨夜、私を着替えさせたのは貴女でしょうか?」
「はい。僭越ながら、わたくしがお着替えをさせていただきました。布の首輪もつけていらっしゃったので、流石に寝苦しいかと思いまして。勝手なことをしてしまい、申し訳ございません」
深々と頭を下げる犯人は悪びれもせずにあっさりと自供した。
着替えという大義名分を得て、安心でもしているのだろうか。異性の裸体を見るのにそこまでしなくてはならないのか。
私は二度とこのメイドの顔は見れないだろう。
だが、謝ることは大事である。私も謝罪に関しては、大いなる理解があると自負している。だからこそ、その謝罪も受け入れ、寛大な心で許そうというもの。
恥ずかしさのあまり、一生顔が見れないのは変わらないが。
「いえ、大丈夫ですよ。それで、今後のスケジュールについてなのですが、私はどうすればいいのでしょうか」
「お許しいただき、有難う御座います。勇者様の今後のご予定なのですが、この後、すぐに王との謁見が御座います。そして、来るべき時に備え、勇者様には訓練をしていただきたいのです」
私は不穏な単語を聞き逃さなかった。
もう20年と電話番もしていた私にとって、一度の会話で全ての内容を覚えることは、なによりも大事なことだ。聞き返していいのは2度まで。それ以上聞き返してしまえば、相手方が不快な思いをしてしまうからだ。
それでも聞き取れなかった場合は、自然に聞き流すのみ。この技術を取得するのに私は5年掛かった。
これがある限り、私は他人との会話をより円滑にしてきたのだ。私に死角などない。
それで、今回の会話で大事な要点は二つ。
一つ目は王との謁見。昨日会ったスフィアは次期女王と名乗っていた為、今の王はまた別にいるのだろう。そして、昨日のパーティには参加していないことから、体調が優れないか、ご年配で寝るのが早いか、である。
それにパーティの最中では大事な話もできないだろう。
これはすんなりと納得できる。
しかし、二つ目の訓練が謎である。
来るべき時とは何を指しているのかすらわからないし、サラリーマンである私がする訓練とは一体何なのだろうか。
設定と皆様の会話から察するに、私は勇者ということになっている。
そして、勇者と言えば戦う者達を指す言葉だ。
ということは、私は何かと戦う為に訓練を行わなければならないのか。
だが、これを聞いてしまうのはご法度だ。何故ならばこの設定を壊しかねない質問だからである。
それは私の望むところではないので、ここは聞き流すのが正解だろう。
「そうですか、わかりました。では、私は着替えるので部屋を出ていただけますか?」
この一言は重要である。この方を一度許したとはいえ、二度も見せるわけにはいかない。それでは私の精神が崩壊しかねない。
「申し訳ございません。では、お着替えが済みましたら、お声掛けください。朝食を準備いたします。それでは」
もう一度頭を下げると、メイドは部屋から退室した。
メイドが置いていった服を見ると、見たこともない装飾が施された不思議な服ではあったが、これがこの設定の中のポピュラーな服なのだろう。
もしかすると、王に会う為、少し高価なものなのかもしれないが。
そんな事を考えながら、拉致されてからの一日目が始まった。
「こちらを」
食卓に並べられたのは、よくわからないスープにパン。それとサラダだ。
私も年を取るにつれて、胃が重たいものを受け付けなくなっていたので、これくらいがベストである。
ありがたく、その食事に手をつけていると、食堂の扉が勢いよく開いた。
「ふぁ……、お? んん? おい、オッサン。ここで何してる?」
若い男、18歳くらいだろうか。赤いマントに白い服を着ており、まさに『王子様』と呼ばれるような――。
「これは失礼。私は勇者として召喚された、官九郎と申します。失礼ですが、貴方様は?」
どかりとテーブルを挟んだ私の正面の席に座り、横柄な態度でこちらを遠慮なしに観察する仮称『王子』は、私の質問には答えず、メイドに一言「おい」と、声を掛けて食事を準備させる。
その間、私は黙々と食事を続けるが、仮称『王子』のお陰か、味が全くわからない。
この年になると危惧するべきは、若者である。それは何故か。
日本には少年法というものがあり、そのせいで成人していない若者はやりたい放題なのだ。
なので、私は常日頃から親父狩りに合わないよう、人気の多いところにいるのだが、ここではそれも叶わない。
「オッサンさぁ、勇者だって? 俺様を笑わせようとしてんの? それとも本気? なぁ、アンタ強いわけ?」
これは非常に不味い。
この手の輩は、無視をすると逆上してしまう。しかし、だからといって相手をしてしまうと私が痛い目にあってしまう。
ならばこそ、『あれ』を使うしかあるまい。
私は食事もそこそこに無言で立ち上がり、テーブルを回り込み、仮称『王子』の前に移動した。
「なんだ、オッサン。ここでやろうってか?」
「えぇ、やりましょう。しかし、貴方様が何かをする必要はありません」
「はぁ? どういうことだよ」
「こういうことです」
私はそう告げると、その場で飛び跳ねて、空中で足を折り畳む。
そのまま、大理石の床に着地すると両手を揃えて、頭を添えた。
「勘弁してください!」
これこそが、インパクトがあり、そして相手の度肝を抜く技、『ジャンピング土下座』である。
一見、私がふざけているようにも見えてしまうが、これは相手を呆気に取り、更にはシラけさせて、やる気を削ぐという効果を持つ。
だが、効果は絶大ではあるものの、地面が固いと足を負傷するという、諸刃の剣でもあるのだが。
生憎と、ここは床が大理石のお陰で、膝と爪先に多大なるダメージを負ったが、もし、この方が本当に王子ならば、この負傷もまた必要経費だ。
「は、はぁ? なんなの? もういいや……。おい、早く食事出せよ」
と、この通り、仮称『王子』は私に構っていられなくなった。
これこそが、土下座の真髄。まさに魔法。
30秒ほど頭を下げ続け、仮称『王子』が何も言わなくなったことを確認すると、私は立ち上がり、自分の席に戻った。
食事を再開し、もうすぐ食べ終わりそうな頃、慌ただしい足音と共に昨日いた黒いローブの爺が食堂に駆け込んできた。
「だ、誰じゃ!? 今魔法を使ったのは!?」
「え――」
えぇ、私ですが。
と、言い掛けて私は黙り込んだ。
私の土下座は、確かにこの設定の中では魔法ということにはなっているが、実際はただの謝罪である。
隠しカメラでも設置して、それを見ていない限りは、その現場を見ていない爺が知る由もない。だからこそ、この場合は私が行った土下座に対して言っているのではなく、また別なもののことを言っているのだろう。
全く、紛らわしいものである。
「爺、どうしたんだよ? そんなに慌てて。ここで魔法が使える奴なんているわけないだろ。魔法無効の結界が城全体に張ってあるんだし」
誰も爺の質問に答えないので、仮称『王子』が代わりにそう告げると、爺は真っ青な顔をしてこちらに視線を送る。
私は土下座をしただけであって、魔法は使っていないのだが、そんな視線を送られると、それを辿ってこの部屋にいるメイドや執事を含めた全員がこちらに振り向いた。
「か、カンクロー殿……。この魔力、間違いなく、貴方のものなのじゃが……。まさか、ここで『土下座魔法』なるものを使ったのでは……?」
「――えぇ、使いました。ですが、ご安心ください。害はありませんので」
ばれてしまっていては仕方がないので、私は正直にそう白状すると、がたりと、一斉に皆様が私から距離を取る。
「つ、使えるのですか? この結界の中で……?」
なるほど、これは不味い状況らしい。
ファンタジーを知らない私は、いつの間にか地雷を踏んでいたようで、この城内では魔法は使えない設定らしい。
なのに、今私の土下座魔法が発動したことで、皆様が私を警戒して距離を取ったということか。
これは設定が崩れかねない。
「いえ、もしかすると、結界が弱まっているのではないでしょうか? この城も新しいものではないようなので、結界もまた、昔に張られたものでしょう。万物は時間と共に劣化しますし、未知の魔法にも対応ができない。そういうことです」
結界が何かはわからないが、PCのウイルス対策ソフトみたいなものなのだろう。アップデートをしなければ、脆弱性をそのままにしてしまう事になる。そのせいで新たなウイルスには対応できずに、そのままスルーしてしまうのだ。
それを伝えることでここを回避しよう。嘘も方便とはよく言ったものだ。
「な、なるほどのぅ……。しかし、王城での魔法は法で固く禁じられております。説明を怠った我々にも責はありますが、今後、使われないようお願い致します」
「申し訳ございません。以後、気を付けさせていただきます」
その言葉を聞くと、爺は神妙な顔つきで食堂を出ていき、仮称『王子』もまた、引きつった顔でそそくさと出ていった。
「では、勇者様。この後は王との謁見が御座いますので、ここ、待機室にてお待ち下さい」
「わかりました」
蒼髪の変態メイドに連れられ待機室に入ると、紅茶を準備してくれた。
変態メイドからというのが、少し気に食わないが、VIP待遇に心が浮き足立つ。
社長や偉い方々はこういった気分なのだろうか。何も言わずとも秘書にコーヒーを入れてもらい、優雅に一日を過ごす。素晴らしい。私の場合は変態メイドだが。
「変た――いえ、えっと……貴女のお名前をお聞きしても?」
「あ、申し遅れました。わたくし、王城のメイド長を勤めさせていただいております、セラフィと申します」
変態メイド長改め、セラフィさんは丁寧な挨拶をしてくれたが、その表情は窺い知れない。私が見てないだけなのだが。
「ご丁寧にどうも。私は――――」
「カンクロー様、ですよね? 昨晩のパーティの時にお聞きしておりましたので」
さすがメイドと言うべきか、私の名前はリサーチ済みだったようで、自己紹介をする前に言い当てられてしまった。
予想外の展開にたじろいでいると、セラフィさんから「あの……」と声を掛けられてしまう。
「勇者様――いえ、カンクロー様は、朝食の時、どの様な魔法をお使いになったのでしょうか?」
朝食の騒ぎの時、セラフィさんは私のすぐ傍に立っていたので、一部始終を見ていた。
どの様な、と言われても、効果を考えたことはない。ただの謝罪であり、日本人の心であり、ワビサビだ。
それを言ってもいいのだが、確実に設定崩壊を起こしてしまうだろう。
「あぁ、あれは土下座魔法と言って、全ての物事を円滑に進める素晴らしい魔法です」
あぁ、この素晴らしさを伝えたい。セラフィさんにだけ土下座のなんたるかを原稿用紙500枚に纏めて提出してもいいだろうか。言葉にしてはならないのならばいいのではないのだろうか。500枚程度なら設定も崩さずに伝えることができるのではないか。
と、鼻息を荒くしていると、「ひっ」と小さな悲鳴が聞こえてくる。
この部屋には、私とセラフィさんしかいないが、きっと他の誰かの声だろう。
「と、とても素晴らしい魔法ですね! えー……あ、いつ、お使いになられたのでしょうか?」
やはりこの方はわかってらっしゃる。生まれた国こそ違えども、きっと心は日本人なのだろう。そうでなければ、この良さがわかるわけがない。
変態でなければ一晩中語り明かしたいところである。
しかし、私は知っている。ここでガツガツいってしまえば、嫌われてしまうことに。昔、愚かで無知だった私は、当時、交際させていただいていた女性に一日中この話をした晩、彼女は精神病院の電話番号を書いたメモを残して、私の前から消えてしまった。
そういったほろ苦い経験から私は学習しているのだ。
そんな昔の思い出に浸っていたが、気を取り直して、居住まいを正す。
「そう言って頂けて光栄です。えっと、あの王子のような格好をされた方に使わせていただきました」
「パドリック様ですね。あの方はこの国の第一王子で御座います。あの方の前に座り込んだときでしょうか?」
パドリックと、言うのか。厄介な人物である。
今後、私に何かと絡んでくる未来が安易に想像できた。
しかし、その度に私の魔法を披露すればいいだけである。
「えぇ、そうです」
「そうでしたか――」
「カンクロー様、失礼致します。王の準備ができましたので、謁見の間までお越し下さい」
私とセラフィさんの会話を遮るように、部屋の外から声が掛けられる。
「では、行きましょうか」
私はセラフィさんにそう言い、カップに残っていた冷たくなった紅茶を一気に飲み干すと、立ち上がった。
傍に控えていたセラフィさんは、私の座っていた椅子を引いて扉を開けて待っている。
「はい、こちらになります」
これから会うのは、この設定の中でも最重要人物、ソーリー王国国王。
謂わば、上司――否、会長とでも言うべき人物に会うのだ。私のサラリーマンスキルが発揮される場である。
少しだけ、面接前の緊張感に似た感覚に頬が緩んでしまった――。
「勇者、カンクロー・ヒダリミギ殿。御入来!」
その声と共に、大きな彫刻のような両開きの扉がゆっくりと開いていく。
そこには赤い絨毯が敷き詰められ、豪奢なシャンデリアの釣り下がる、贅の限りを尽くした、豪華な一室。
その最奥――玉座には、立派な白い髭を蓄え、疲れきった表情を浮かべる老人が一人座っている。
顔だけ見たならば、ただの老人であるが、その迫力たるや、全体を押し潰すような圧力と刺々しく肌に突き刺さる鋭さを持ち合わせていた。
そして、その右隣には豪奢な淡い青色のドレスで着飾ったスフィアさん。
左隣には今朝、一緒に食事をさせていただいた危険人物のパドリックさん。
お二人は王の子、謂わば、王子と王女ということか。
部屋の両サイドにも家臣や貴族達が立ち並ぶ。
見知った顔以外は、私を見て訝しげな表情を浮かべていた。
それも無理はないと思うが、こうした大事な場では常にポーカーフェイスでいなければならない。
確かに立場的には、私の方が圧倒的に低く、アウェイであり、この方々にとってはホームなのだろうが、王の御前であり、私を召喚したのは次期女王であるスフィアさんだ。
しかしながら、家臣達の思いも頷けるのも事実。
勇者と言えば、若くかっこよく逞しい男を想像するはずだ。
だが、実際に現れたのは、ひ弱そうな色白の中年男である。
だから、こういう表情になるのはわかる。こういったところは妙にリアルで、本心からそう思ってるのではないかと、疑ってしまうほどだ。
だが、ヤジが飛ばないのは、王の威圧があるからこそだ。
これが、まさしく王の貫禄。
私は、セラフィさんに指示された場所まで歩き進め、その場に膝を付くようにしゃがむ。
「お主が、此度の召喚で現れた勇者であるか」
威厳のある声、それは重圧を帯びており、私を押し潰すかのようだった。
「名を左右 官九郎と申します」
王を見つめていた視線を床に移し、頭を垂れる。
だが、とある思いが私の心の中で燻っていた。
ここで、突然ではあるが、皆は『破滅衝動』という言葉はご存じだろうか。
例えば、学校で静かにしないといけない時に奇声を上げたくなったり、先生や上司に叱られてる最中に変顔をしたくなったり、と、明らかにやってはいけないことをやってはいけない場面でやりたくなることだ。
その言葉の通り、それを行ってしまえば、自らを破滅に導く行為であり、それを衝動的に行いたくなる現象だ。
と、話が変わってしまったが、要はこういった真面目な空気を壊したくなる衝動が今まさに私の中を駆け巡っている。
しかし、私は仮にもアラフォーと呼ばれる世代。大人になり何十年も経った人間であり、自制心はそこらの人間よりあると自負している。
ここでそれが行えるほどに私は面白い人間でもない。むしろ、つまらない部類だ。
だから、したいと思うだけであって、実際にはしない。
「よい、楽にせい。我はソーリー王国国王、ダラフスティ・ソーリーだ。突然の召喚、すまなんだ」
王は意外にも低姿勢な態度で得体の知れない私に頭を下げた。
私の勝手なイメージかもしれないが、こうした時代の王とは、自らの地位にふん反り返り、他者を見下し、人を人とも思わない暴君かと思っていた。
なるほど、この国の王はそうではないらしい。
「いえ、謝罪などもったいない。私は召喚で呼ばれたとはいえ、勇者となったからにはその責務を果たす所存で御座います」
「うむ、素晴らしい心構えであるな。して、今後のことなのだが、勇者カンクローには、魔王を打ち取ってもらいたいのだ」
「ほう――魔王、で御座いますか。打ち倒すのが要求なのであれば、それを行うことは吝かではありません。ですが、それは私にどういったメリットがあるのでしょうか」
私の言葉に王以外の全員がざわめきだした。
よくは聞き取れないが、どうやら不味いことを言ったらしい。しかし、私は何も不味いところはない。むしろ、自然である。
この設定を壊してはないし、メリットを提示してもらうことも変ではない。
「貴様ッ! 王に対して余りにも不敬であろう!」
西洋の歴史には詳しくはないので、よくわからないが、王に一番近いところに控えているということは、あの方は王の側近なのであろう。
年にすれば、私より10は上といったところか。そんな男が私に声を荒ぶらせて吠える。
「不敬、ですか? 失礼ですが、どの辺りが不敬なのか説明をいただけるとありがたいのですが」
「き、貴様ぁぁ! 仮にも勇者ならば、魔王を倒すことは当たり前だ! それにメリットだと!? 貴様はただ黙って魔王を倒せばよいのだ!!」
「はぁ、貴方は交渉には不向きですね。――――私は勇者で、この世界で唯一魔王を倒す力を持っている。そして、王は国を、民を守るために害悪な魔王を倒してほしい。この時点で、私と王は対等な立場だと思いませんか? もし、私が魔王を倒さない、もしくは魔王の側についてしまったら、貴方がたには魔王を対処するすべを持ちませんよね? 私はこの国の生まれではありませんし、もっと言うならば、この世界の生まれでもありません。極論を持ち出させていただくと、私にはこの世界を救う理由もメリットもないのです。わかりますか? この場は、王が私に命令するのではなく、王と私が交渉する場なのです。もし、私が気難しい性格だったなら、貴方の今の言葉でヘソを曲げて、魔王を倒すことはなくなっていたかもしれません。……王よ、家臣がこの程度では、魔王の魔の手から脱したとしても、国の命は長くは持ちませんよ?」
これは本音ではないし、意地悪を言っているわけでもない。
ただの牽制をしているのだ。
そうしなければ、素直に従って魔王を倒した後はどうなるだろうか。
そんなことは火を見るより明らかである。
だからこそ、家臣の方には申し訳ないが、それを利用させてもらった。
交渉術の一つである。こうすることで、私に知恵があり、ただの傀儡にするには難しいと判断させる。
その上に、何かプラスアルファで付くのであれば、それはそれで大歓迎である。
謝るだけが私の得意分野ではない。これでも厳しい社会を20年生き延びているのだ。ただでは転ばない。
まぁ、これも一つの理由であり、もう一つ、私がこれを言った最大の理由が別にあるのだが。
私が早口で捲し立てると、その側近は真っ赤なになった後に自分の失態に気づいた後、王へと振り向き、真っ青になっていった。
なんとも変化の激しい家臣である。前世はタコだろう。
「はっはっは! メラダから魔法に長けていると聞いてはいたが、頭も切れるようであるな。許せ、勇者カンクロー。此奴も我や国のことを考えて言ったのだ。悪気はない。……しかし、カンクローの言葉にも一理ある。こちらから厳しく言っておくことにしよう。それで、お主は言ったな? 「王と私が交渉する場」であると。勇者カンクローよ、そなたの望みはなんだ?」
ふむ、順調に事が進んでいる。私はこの言葉を待っていた。
私の望みとは――――
「私の望みは、魔王と戦わないこと。――即ち、魔王、並びに魔族全体との和平で御座います」
またもや場がざわついた。
それも仕方ないだろう。魔王と戦うはずの勇者が、魔王と手を取り合おうと提案しているのだから。
「――――それができれば苦労はしない。……我とて、民を、兵を無駄には死なせたくないと思っておる。しかし、相手は魔の者。それも叶わぬからこそ、戦うのだが?」
「では、和平を組むに当たって、私がその役を承りましょう。万が一失敗した時は、そのまま私が魔王の首を取ります。それならば、最初から戦って魔王の元へ近付くよりも、より安全で、確実に魔王に近付ける筈です。勿論、最初から倒すのが目的ではなく、あくまで第一目標は和平で御座いますが」
「……ふっふっふははははは!! 勇者カンクローよ! 歴代の勇者とは違うとは思っていたが、こうも奇特な人物だったとは! 面白い、その和平が実現するのであれば、今後、魔族との戦争はなくなり、世界は平和になるということだ。やってみせるがいい」
昼食は食べなかった。
食べれるはずもない。
私は、宛がわれた客室へ引っ込み、椅子に座り、テーブルに向かっている。
何をしてるか――それは、遺書を書くためだ。
それもそうだろう。考えてもみてほしい。
私は、40数年間、戦いとは無縁の人生を歩んできた。
ただただ平凡な人生であり、誇れる事といえば、会社に入り、一度も休んだことがない事だけだ。
そんな男が魔王と戦う? 何を寝ぼけたことを言っているのやら。喧嘩ですら人生一度もしたことがない男に何ができる?
だからあそこまで屁理屈をこねて、家臣の信頼を落としてまで戦いを回避した。
しかし、その後に待っていたのは、平和の使者だ。
何故そんな事を口走ってしまったのか。数時間前の私を殴り飛ばしたい。
初めて人に殺意を覚え、その相手が自分とは、まさに傑作。
さぁ、どうするか。悔やんでいても仕方がない。
と、いうよりも悔やんでいる暇があれば、何かこの状況を打破する方法を考えねばならない。
何故私は遺書なんか書いてるんだ。そんな暇はない。というか、誰に渡して誰が読むんだ。
私は備え付けられていたゴミ箱に無意味な紙屑となった遺書を捨て、ベッドに横たわる。
「さて、どうしましょうか……」
頭を抱えて唸っていると、ノック音が鳴った。
「どうぞ、開いてますので」
「失礼致します。昼食を取っていなかったようなので、軽食をお持ちしました」
食事の乗ったカートを押しながら入ってきたのは、蒼髪のセラフィさん。
変態ではあるが、よく気のきく素晴らしいメイドである。
ベッドから立ち上がり、テーブルへ移動すると、セラフィさんがてきぱきと食事をテーブルに並べていく。
「先程は素晴らしかったです。王の御前でも怯むことなく、自分の意見を通してしまうとは、本当に素敵です」
あれは死にたくなかった故の詭弁です。
とは、言えない。
「えぇ、まぁ。有難うございます。誰かが傷付いてしまうのは、悲しいですから」
そんな事は一切思っておりません。むしろ、自分が傷付かなければいいとさえ思っております。
とも、言えない。
「ふふ、もしかしたら、本当にカンクロー様ならやってのけそうですね。魔族との和平」
「ははは、私はやらなきゃいけないんですよ。いえ、やりますよ。必ず」
「そんな世界が早く見たいです。期待して待ってますね。カンクロー様」
王よ、何故貴方はすんなり私の提案を飲んでしまったのか。
あそこは却下すべきなのだが。だからこそ、私はそう見込んで、あれを提案したのである。
こうもトントン拍子で事が進むとは思わなんだ……。