其の十四
日が昇る。
雨は止んでいた。
『・・・お早うさん』
母は起きた娘に微笑む。
娘はまだ自分の中で昨日の事を整理できていないのか、何も答えない。
『足、見せてみ』
ああ、これやったらすぐに治ると母は娘の足を取り外す。
『如何や。これで良うなったやろ』
娘は答えない。
『・・・なあ、繰子。もう一遍、あの人ん処行こか。ちゃんとお別れ言お、な』
『・・・かのえ』
娘が口を開く。そして無言で頷いた。
巫女の死体の前で、二人は手を合わせた。これが如何言う意味なのか娘には能く判らなかった。けれど、そうするものだと母は言った。
本当は其処に巫女は居ないのだけれど。けれどせめて別れくらいは言わせてやりたかった。
「・・・お母ちゃん」
娘がこの日初めて母を呼んだ。
『ん、なんや?』
母は娘の方を見る。
「うち、人間になる」
娘は巫女を見続けている。
『人間て・・・そら、お前――』
「うちが人形やから皆死ぬんやったら、うちが人間なったらええんや。お母ちゃんが読んでくれた本に書いてあったやろ?せやから、人間になる」
『それは――』
――なれるだろうか。それは、所詮は絵本に書いてあった事だ。けれど。
「な、良ぇ考えやろ?」
母のほうを向いた人形は必死でにんまりと笑っていた。
『・・・そうや、なあ。それもええかぁ』
否定など、出来なかった。
『・・・そうや、昨日な、その、この人を看取った時にな、荷物全部くれるて言うとったで。せやから貰っときぃ。人間になるんやったら必要んなる』
「本当?」
『あぁ、大きに言うんやで』
巫女がくれた風呂敷の中身には決して多少ではない金と櫛、粗末な裁縫道具、そして替えの巫女服が入っているだけだった。
娘が巫女服を手に抱く。
『・・・そうや、着物も擦り切れとるし、町で着物でも買おか。可愛いやつ』
母は如何にか元気づけようとする
『な、せやから――』
「うち、これが良ぇ」
娘は巫女服を見つめている。
『せやけど、そら、大きさが・・・』
「これが良ぇ」
娘の眼は真剣だった。
母はふふっと笑う。
『・・・しゃあないなぁ。縫い物教えたるわ。こっちおいで』
母子が立ち去った後、黒い死体の前に女が一人、立っていた。
女は死体を、そのつり眼で見て、舌打ちする。
その女の姿の、着物より何より目立つのはその頭であろう。その女の過去に何があったのか。その本来、黒い筈の長い髪は根元から毛先まで真っ白だった。
『・・・役立たずが』
そう言って白髪の女は何処かへ消えてしまった。
「如何や、似合とる?」
人形は繕い終わった赤と白をその身に纏い、袖を翻してくるりと回る。大きめの袖がひらひらと蝶の羽の様にも見える。
『あぁ・・・良ぉ、似合うとるで』
とても良く似合うと、素直に母は思う。娘に縫い物を教えるのは思った以上に難しかった。自分は口や動作でしかそれを教えられないのだから、それは難儀した。針を持つ娘にはらはらし乍ら必死で耐えた。何度か挫折しそうになったが、娘は諦めなかった。それだけ娘にとって、あの巫女の存在はそれほど大きかったのだろう。少しだけ、ほんの少しだけ悔しい様な、寂しいような気持ちになる。
「えへへ、お揃いや」
着ている巫女服を抱き締める様にして娘が笑う。
その顔を見て母は、まあ良いかと思う。
『・・・さて、そろそろ行こか』
娘はあいと答えて母の手を握り、二人は歩き出した。
蜘蛛の糸に捕まった蝶は、蜘蛛が自ら死を選ぶ事によって漸く、その羽を手に入れたのだ。
何時の日か、自分が人になる為に。娘を人にする為に。二人は旅立つ。
その時まで二人の旅は終わらない。
了