其の十三
洞穴の中。
娘は泣き乍ら寝てしまった。
『ごめんなぁ』
娘の頭を撫で乍ら母がぽつりと言う。
ふと視線が洞穴の入り口へと向かう。何時の間にか雨が降っている。
女が一人、其処に立って居た。
雨の中に居るにも拘らず、その身に纏う赤と白は濡れてはいない。
その女はもう、雨に濡れる事は無いのだ。
『・・・もう寝とるから、此方来ても大丈夫やで』
言われて女が傍へと歩いて来る。
『・・・上手くいったのかしら?』
暫しの沈黙の後、女が口を開く。
『如何やろ・・・なぁ、本当にこれで良かったんか?』
女は暫く黙ったままでいた。
『なぁ――』
『良いに、決まってるわ』
あの時。巫女が殺された後。
気が付けば巫女は、自分が自分の死体を見ている事に気付いた。
男の一人が自分を足蹴にしている。
自分は死んでしまったのだと思った。
覚悟はしていたが、悔しい。
悔しいが、不思議と後悔は無かった。
そして男が自分を跨ごうとした時だった。
とても恐ろしい何かが後ろから近付いて来た。
それは、初めてあの人形と出会った時と同じ感覚だった。
それは、一瞬の内に男達を殺してしまった。
それは、血で染まったような紅い着物を着た女だった。
『ごめんなぁ』
女が言った。
『間に、合わんかった・・・』
何と無く、その女が自分と同じであることが判った。
『あんた一体――』
その女は黒い死体を見る。
『・・・祖奴等が探しとる娘の母親や』
『あの子の・・・』
――そういう、事か。
あの子は無事かと紅い女は問う。
『無事、よ。多分ね。でも、何処に居るかは知らないわよ』
女は少し気落ちしたかの様にそうかと言うと次いで、おおきになと言った。
『・・・何がよ』
巫女が返す。
『あの子を、逃がしてくれたんやろ。せやから、大きに、有難う』
既に先程までとは違う、優しい様な、けれど何処か哀しい様な表情をしている。、見た目は如何やら自分よりも少し若い様な気がする。
『如何かしらね。もしかしたら、あの子を見世物にでもするつもりだったのかもしれないわよ?そうだとしたら――』
『それでも、守ってくれたやろ?』
そう言った女に、何処か見透かされているような気がした。
『ああ、もう!こんな事してる場合じゃないでしょう!早くあの子を探しに行きなさいよ!』
何故か恥かしい様な気がして、だから早く立ち去って欲しかった。
『・・・そう、やな。なぁ、一緒に探してくれへんか?』
『・・・嫌よ』
女はそうかと言うと立ち去ろうとした。
『・・・待って。もし、あの子が見つかったら、此処へ連れて来て頂戴』
『あぁ、そうするつもりやわ。あの子にも礼言わせんとなぁ』
女は何処か呑気にそう答えた
『・・・そうじゃないわ』
『良いに決まってる』
もう一度巫女が繰り返す。良かったに決まっている。
『せやけど――』
『だってこれじゃあ、あの子が死ぬって事が判らなくっても当たり前よ。死んだ筈の母親が常に傍に居るんだもの』
自分の考えは半分当たっていた。けれどもう半分は。考えてみれば、生き人形が居るのだ。幽霊だって存在しても当然である。
そう、此方の常識は通用しない。
そう、全ては人の枠の外なのだ。
そして今や自分も彼方側なのだ。
けれど、生と死の境目は変わらない様に思う。
――でも、本当は。
『それは、そうやけど・・・』
『熱いも寒いも死ぬも生きるも知らなくて、これから如何するつもり?せめて――』
せめて最後に、と巫女が続けた
『妾が教えてあげられる事はこのくらいだから、だから・・・』
――否、本当は。せめて最期くらい誰かに、泣いて・・・欲しかった。
何故だろう。泪が、止まらない。みっともない。もう何年も泣いた事など無いのに。
『仕方、ないじゃない・・・』
声が掠れる。
仕方がない。それを望んだのは、一瞬でも望んだのは自分なのだ。でも、そんな事は口が裂けても言えはしない。
『・・・大きに。初めてやわ。この子の事、そんな風に考えてくれた人に会うたんは』
――だからこそ生きていて欲しかった。
ふんと巫女はそっぽを向く。そしてもう行くわと背中を向ける。
『・・・これから如何するんや?』
さぁねと巫女が答える。
『取り敢えず、もう仕事は出来ないわね。する必要も無い。まぁ、別に好きでも何でも無かったから良いけどね』
『仕事って、巫女のかや?』
その格好を見れば誰でもそう思うだろう。
『・・・違うわよ。まぁ、夜鷹ってトコかしら?如何?同じ女として軽蔑でもした?』
何処か自虐的に巫女が言う。人形の母はそんな事ないでと返した。
『生き方なんて人其其やろ。何でかは知らんけど、他人の人生にとやかく言うほど阿呆やない。それに・・・この子にはそんなん関係無かったやろ』
微笑み乍らそう言った。
『人殺しでも・・・?』
巫女が女を見る。
『・・・妾、ね。昔、襲われたのよ。祝言の少し前だった・・・』
巫女は語り始める。
『まぁ、それで祝言は取り止め。さらに運の悪い事に、孕んじゃってねぇ、親からは罵られたわよ。隙があるからだとか、だらしがないからだとか色々ね。如何考えても妾は悪くないのにね。で、子供降ろした訳。絶望だった。これから幸せになる事しか考えてなかったのに。だから――』
――だから、あの時、人形に母と呼ばれた時、怖かった。
『で、その襲った男見つけて殺したんか』
『そういう事よ。ま、その後は想像出来るでしょ。もう家にも戻れない。尤も、あんな親の家に戻りたく無かったけどね。それからよ。最初は何時も思ってたわ。馬鹿な男を利用してるんだって。妾の幸せを奪った男と重ね合わせてたのね。でも何時の間にかそれが当たり前になってたわ。ま、そんなわけで、妾は二人、人を殺してるのよ』
暫しの沈黙の後、人形の母が口を開いた。
『それでも同じや。少なくともこの子に、優しゅうしてくれたんやろ。この子も嬉しかったと思うわ』
――そして自分も。
――それに、人を殺しているのは自分も同じだ。
『・・・詰まんない事話したわね。やっぱりもう行くわ。あぁ、そうそう。妾の荷物、その子に全部あげるわ。多少の金も入ってるから着物でも買ってあげれば?ぼろぼろじゃないの』
『・・・良ぇんか?』
『妾が持ってても使えないしね。それに、知らない奴に使われるよりマシよ。それと、その子の足、診てあげたら?』
足が如何したんと母が言い乍ら娘の足を見る。
『・・・そこまで教えないわよ。じゃあね、もう会う事もないわ』
そう言って巫女は雨の中へと消えて逝った。消えるその姿に母は、もう一度大きにと言った