8 本日お散歩日和
「明日、少し買いたいものがあるので街に出るんです。一緒に来ますか?」
はじまりは、その一言だった。
◇◇◇
「うーん、今日はいい天気だなー!」
天気は快晴。街には俺たち以外にも多くの人たちが繰り出していた。
楽しげな会話や露天商が客を呼ぶ声。どこからか食欲をそそるおいしそうな匂いも漂ってくる。
ヴァイセンベルク家のお膝元である北の都シュヴァンハイム。田舎育ちの俺からすると、その活気を見るだけでわくわくしてしまう。
大通りには色とりどりの三角屋根の建物が立ち並び、ガラス窓からはそれぞれの店の品物が誘うようにちらりと見えている。
さっそく初めて見るケーキ屋を見つけて、俺は嬉しくなった。
「……見ていきますか?」
「えっ!?……いや、今日はお前のお前の用事で来たんだったな!」
慌ててそう答えると、ヴォルフにくすりと笑われてしまった。
いかんいかん、今の俺はこいつのお供なんだし、分をわきまえねば!
今日のヴォルフは、とにかく目立つ白銀の髪を隠すようにキャスケットをかぶっていた。これはお忍びっていう奴なのかな。
かくいう俺もいつものメイド服でなく私服だ。仕事中だしメイド服のままでいいかな、と思ったのだが、街に出るときは着替えた方がいいらしい。そういうものなのかな。
「そうだ。お前は何買いに来たんだっけ」
「羽ペンとかナイフの補充とか……日用品ですよ」
そんなもの使用人に頼めばいいじゃん、とも思ったが、どうやらヴォルフはそういう物を自分で選びたいらしい。
「でも、今後忙しいときはあなたに頼むこともあるかもしれませんね」
「よっしゃ! 任せろ!!」
ここで役に立つ有能メイドだという事を証明せねば!
とりあえず店とか覚えておこう。
次々と店を回り、細々としたものを買っていく。
……中々覚えきれない。帰ったらもう一回聞いてリストにしておこう。
「少し疲れましたね、休憩しましょうか」
ちょうど目の前には大きな広場があり、いくつかの露店が出ていた。
ヴォルフは空いていたベンチに俺を座らせると、何か買ってくると言って走って行ってしまった。
「……そういうの、本来は俺の仕事じゃないか?」
いかんいかん。今までの癖でついあいつに甘えてしまう。今の俺はメイドなんだから、俺があいつの世話をしないといけないのに。
まあ今だけはあいつの好意に甘えておこう。結構歩いたし、店の位置を記憶しようと頭も使ったし、疲れたのは確かだ。
顔を上げると、多くの人が思い思いにくつろいでいるのが見えた。
そのにぎやかな光景を見ると心が明るくなる。
この世界はまだ、光に満ちているんだって。
……それにしても遅い。一体どうしたんだとヴォルフの姿を探して……俺は思わず顔をしかめてしまった。
ヴォルフは何人かの女の子に囲まれていた。その両手に飲み物を持っているのから推測すると、おそらく俺の所に戻ってくる時に声を掛けられたんだろう。
たぶんあの子たちはヴォルフがヴァイセンベルク家の人間だってわかって声を掛けてきてるわけじゃない。こんなことは今までに何回もあった。
俺のご主人様は、あれで中々女の子にモテるのだ……!
大丈夫。話が終わればすぐに戻ってくるだろうとわかっていても、どうしてもそわそわしてしまう。
ちらりと女の子たちに目をやると、どの子も都会の子らしく綺麗で洗練されていた。服なんかもセンスばっちりだ。
……今度は自身の姿に目をやる。俺はそんなに服にはこだわらないし、今日も適当なのを着てきたのだが……やっぱり、見劣りするような気がする。
そんなわけがない、と言い聞かせても、嫌な想像が拭えない。
どうしよう。もしもヴォルフが、俺を置いてあの子たちと一緒に行ってしまったら……
「おねーさん一人?」
そう不安になったとき急に声を掛けられ、驚いて思わず悲鳴をあげてしまった。
ふりかえると、さわやかな青年が俺の方を見て苦笑していた。
「ごめんごめん。そんなに驚くと思わなくってさ!」
青年が困ったように笑う。
見た事のない人だ。一体なんだろう。
「向こうに美味しそうなケーキ屋があったんだけど一人じゃ入り辛くて……よかったら一緒に行かない?」
青年は恥ずかしそうにそう言った。なるほど、その気持ちはよくわかるぞ。
確かに男一人でケーキ屋は入り辛いよな。
でもどうしよう。ヴォルフが戻ってきたら相談して……と考えた時だった。
にこにこと微笑んでいた青年の表情が、俺の背後を見た瞬間引きつったのだ。
「お待たせしました」
すぐに、聞きなれた声が耳に届いてほっとする。
「……連れに、何か用ですか?」
ヴォルフは俺にレモネードを手渡すと、青年に向かってにっこり微笑んだ。
青年はしどろもどろになっていたが、やがて表情を歪ませると舌打ちして吐き捨てた。
「ちっ、男連れかよ! 調子乗ってんじゃねーぞまな板が!!」
彼は確かに俺の方を見て、そう言い捨てたのだ。
…………まな板。
そっか、まな板か。俺は、自分が思ったよりもショックを受けていることに何よりも驚いた。
青年が俺たちに背を向けて歩き出す。その直後、舌打ちしたヴォルフが強く地面を踏みつけた。
それだけでヴォルフの足元から青年の足元にかけての地面が凍りつき、勢いよく足を踏み出した青年は滑って転んで前方の噴水に頭から突っ込んでいった。
人々の笑い声が響く。青年はばつが悪そうにずぶ濡れのまま広場から走り去っていった。
「……遅くなってすみませんでした」
気遣わしげに肩に触れられて、やっと動けるようになった。
ヴォルフが俺の隣に腰掛ける。レモネードを一口飲むと、少し心が落ち着いた。
「はは、まな板だって……」
それが何のことかは嫌でもわかってしまう。
ちらりと視線を下げると見える俺の胸は、見事なまな板っぷりを誇っているからだ。
「あんな低俗な奴のいう事なんて気にしたら負けですよ」
「わかってるよ。でも……」
やっぱり、直接言われると気になるものだ。
別にあんなやつにはなんとでも思われていい。ただ……ヴォルフはどう思っているのだろう。
俺だって元は男だし、どっちかっていうと貧乳より巨乳の方が好きだ。
普通はそうじゃないか。
「お前だって、どうせなら巨乳の方が好きなくせに……」
「別にそんな事はありませんよ。それに、あなたの胸は小さくても感度がいっ……!!!!」
ヴォルフがとんでもない事を言いだしかけたので思いっきり足を踏みつけると、クリティカルヒットしたのか声も出さずにその場に崩れ落ちていた。
「……今のはセクハラだ。断固抗議する」
平静を装いつつも、俺は内心大パニックに陥っていた。
なに、感度!? こいつ人の胸弄りながらそんなこと思ってたのか!!?
べべべ別に俺の感度がどうとかじゃなく、こいつがねちっこくやらしい感じで触ったり揉んだり摘まんだり舐めたりするのが悪いのであって……俺自身は別に普通、のはずだ!
まったく、もうまな板がどうとかはどこかに吹っ飛んでしまったじゃないか……!
やばい恥ずかしい。なんだろう、もっと声とか抑えた方がいいのかな……。
「……顔、赤いですけど大丈夫ですか」
「き、今日は暑いから! 汗かいたかもな!!」
空気を切り替えるように、立ち上がってわざと明るくそう口にする。
ヴォルフも痛みから復活したのか俺を追うようにして立ち上がった。
「僕の用事はだいたい済みました。あなたは何か買いたいものはありますか?」
買いたいものかぁ……。何もない、と答えようとして、ふと先ほどの女の子たちの姿が蘇る。
「……く」
「え?」
「かわいい、服、欲しい……」
なんとなく恥ずかしくて小さくそう口にすると、ヴォルフは驚いたように目を丸くした。
◇◇◇
若い女の子向けの衣料品店。
いざ目の前にすると、そのきらきらした雰囲気に尻込みしてしまう。
「どうかしたんですか?」
「だ、だって……あんまりこういうとこ来たことないし……」
自慢じゃないけど、俺は今まで本当に服には気を遣っていなかった。
だからこういう店。特に、こんな都会の若い女の子向けに特化した店になんて入ったことはない。
「大丈夫ですって。あなたみたいな人なら何の違和感もないですから」
「でもっ……あっ!」
ついに痺れを切らしたのか、ヴォルフが俺の手を引いて店の扉を押す。
「いらっしゃいませ~」
綺麗な店員さんが会釈する。もう逃げられない。
中には先ほどヴォルフに声を掛けたようなかわいい女の子がたくさんいた。
なんか俺、場違いじゃないか?
「うぅ……」
「そんなに気にすることないですって。それで、どういうのを探してるんですか?」
「うーん」
どういうの、と聞かれても困ってしまう。
なんていうか、ヴォルフの傍にいても気後れしないような感じのって……難しいよな。
ちょうど目の前を横切った少女は短めのスカートに大胆に胸元が開いた服を着ていた。
……ああいうセクシーな感じの服を着れば、自信がついたりするんだろうか。
「えっと、ああいうのは……」
「却下。露出度が高すぎる」
似たようなのを探して指差すと、即座に却下されてしまった。
なんでだよ、と思ったけどすぐにその理由に思い当たった。
確かに、俺みたいなまな板があんなの来てもみじめだよな……。
「……はぁ」
「どうかしたんですか?」
「なんていうか、どういうのがいいのかよくわかんなくて」
残念ながら俺にはファッションセンスが足りていなかったようだ。専属メイド失格だ。
そう落ち込みかけた時、何故かやたら嬉しそうなヴォルフの声が聞こえた。
「……じゃあ、僕が選んでもいいですか?」
「えっ?」
顔を上げると、どこか興奮した様子のヴォルフと目が合う。
「うん、いいけど……」
「じゃあこっち来て」
ヴォルフは自然に俺の肩を抱くと、近くの店員を呼んで何か質問していた。
店員が笑顔でヴォルフを案内する。そこには、上品そうな服が何着か並べてあった。
……結構高そうだ。大丈夫かな。
「これか……いや、こっちの方が……」
ヴォルフは真剣な顔でぶつぶつ言いながら、時折俺に体に合わせたりしながら選んでいるようだった。
なんかその真剣さに驚いた。こいつだって、そんなに見た目にこだわるタイプじゃなかったはずなのに。
「……これはどうですか?」
最終的にヴォルフが選んだのは、膝丈ほどの気品あるワンピースだった。
襟元のリボンは愛らしく、胸元のたっぷりのレースはうまく俺の貧乳っぷりを隠してくれそうだ。
素直にかわいいと思う。文句のつけようがなかった。
……かなり高そう、というところ以外は。
「いいと思うけど、値段……」
「気にしないでください」
いやいや気になるだろ、と思う俺を置いて、ヴォルフはすたすたと店員の方へ歩いて行った。
そして、そのまま会計を済ませてしまったのだ。
「え、ちょっと待って!」
「どうかしたんですか?」
ヴォルフは何でもないように振り返る。慌ててその腕を引いて、小声で囁く。
「金、払うから!」
「別にいいですよ」
「でも、仕事中なのに……」
「え?」
何故か、そこでヴォルフは驚いたように声を出した。
あれ、俺は何か変な事を言っただろうか。
「……今日、デートのつもりだったんですけど」
ヴォルフはばつが悪そうにそう口にした。
……え? デートだとぉ!?
「そうだったの!?」
「……やっぱり仕事だと思ってたんですね」
思わず顔を見合わせる。そして、二人同時に噴き出した。
なんだ、お互い勘違いしてたんだな。
店を出ると、ヴォルフが自然に俺の手を握った。
「じゃあ仕切り直しという事で行きましょうか」
そのまま俺の手を引いてどこかに向かっていく。
どこにいくのか、自然に頬が緩んでしまう。
しばらく歩いて辿り着いたのは、甘ーい香りの漂うカフェだった。
ここは、ガトーショコラで有名なハーネンフース亭だ!
「前、約束しましたよね」
「覚えててくれたんだ……!」
前に吸血された時、吸い過ぎた代償としてここのガトーショコラを要求したっけ。
何となく言っただけだったけど、ヴォルフはちゃんと覚えててくれたんだ。
じぃんと胸が熱くなる。そっとつないだ手に力を込めて、すぐ傍の体温へと身を寄せた。
◇◇◇
「美味しかったぁ……」
まだ舌がとろけてそうな気がする。
ハーネンフース亭のガトーショコラは噂に違わぬ美味だった。
テイクアウトも可能だったので俺たちの分と、あと師匠にエーリクさん、ニルスと、前にシュトーレンをくれたユリエさん達にも買ってきた。
あぁ、今夜またあの味が堪能できると思うと待ちきれない……!
ゆっくりと二人で屋敷への道を歩く。
色々あったけど、今日は楽しかったな。
「そうだ、服のお金……」
「まさか、プレゼントの代金を払うなんて無粋な真似はしませんよね?」
「プレゼントかぁ……」
そこまで言うのなら、ありがたく貰っておくべきなんだろうな。
「ヴォルフは、ああいう服が好きなのか?」
「あまり露出度の高いのよりはああいった物の方が気品があっていいですね。あなたにも似合うと思います」
「そっかぁ……」
残念ながら俺には気品なんてものはほとんどないので、服に負けないように気をつけなければ。
気品って、どうやったら身につくんだろう……。
「それに……あなたなら何を着てても、いや……何も着ていなくても十分魅力的ですよ」
「な、何言ってんだよ馬鹿!!」
ヴォルフが声を潜めてそんな事を言ってきたので、思わず大声を出してしまった。
すれ違う通行人が何事かと振り返る。
だがヴォルフはそんな俺の様子はどこ吹く風で、どこか怪しげに微笑んだ。
「あと、知ってましたかクリスさん」
「なにが……?」
つい聞き返してしまうと、ヴォルフは俺の体を引き寄せて耳元で囁いてきた。
「男が服を贈る時は……その服を脱がせたいって意図があるんですよ」
「!!!??」
慌てて一歩身を引くと、ヴォルフはおかしそうに笑っていた。
くそっ、こいつ俺をからかったな!!
「バカバカ! 真面目に聞いて損した!」
「本当ですって、だから……」
ヴォルフは一歩俺の方へ近づいてくると、いつも通りにっこりと笑った。
「ちゃんと、着てくださいね?」
「…………ううぅぅぅぅ」
そんなこと言われたらどんな顔して着ればいいのかわかんなくなるだろ!!
その時のことを考えるだけで顔から火が出そうだ。
でも……着ないのももったいないよな。
貰った服をぎゅっと抱きしめて、俺はぐるぐるとそんな事を考えていた。