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逃げ出した聖女、北の地で吸血鬼のメイドになる  作者: 柚子れもん
第1章 聖女と吸血鬼、もしくはメイドとご主人様
6/110

6 愛と情熱のカブトムシ(前)

「はぁ、暇だな……」


 今日はヴォルフは用事があるとかで不在。師匠もどこかに出かけている。

 料理人であるエーリクさんの手伝いをしようと申し出たが、たまには休めと厨房を追い出されてしまった。

 ……たまにっていうか、俺の仕事って結構休憩も多いと思うんだけどな。


 師匠が綺麗に掃除していったので、適当にぱぱっと掃除して終わりだ。

 部屋でごろごろしようかとも思ったけど、今日は天気がいいので外に出てみることにした。

 ここ別館の近くには、大きな池が広がっており、いつも何匹かのアヒルがのん気に水浴びをしている。

 エーリクさんが持たせてくれたパンを齧りながら、ぼけっとアヒルを眺める。その内に餌が欲しいのかアヒルが俺の足にまとわりついてきた。しかたないので、パンくずをちぎって投げてやる。


「ほら、しっかり食えよ」


 アヒルはガアガアと嬉しそうにパンくずをつついている。

 何匹かのアヒルにあげていたらあっという間に俺のパンはなくなってしまった。

 まあいいか、部屋にこの前買った菓子がまだあるし、お腹がすいたら食べるとしよう。

 再び池に戻っていくアヒルを眺めていると、急にブーンという羽音が聞こえてきた。


「ん?」


 顔をあげて音の発生源を探すと、なにやら茶色い物体が飛んでいるのが見えた。

 やがてその物体は、ゆっくりと地面に着地した。


「これって……カブトムシ……!?」


 そこにいたのは、大きな角を持つカブトムシだった。しかもかなりでかい。

 田舎育ちの俺でも、こんなでかいカブトムシを見たのは初めてだ。


「すごぉい……!」


 ちょっと興奮してしまう。俺はカエルみたいなぬめぬめした生き物は大っ嫌いだが、カブトムシはかっこいい。

 もっと近くで見たくて、地面にはいつくばったその時だった。


「おーい、マグヌス1世やーい!」


 まだ年若い少年の声が聞こえてきた。

 その途端、カブトムシは再び羽を震わせて飛び立ってしまう。

 どうやら奥の森のほうへ向かったようだ。


「あれぇ、メイドさんだ」


 カブトムシの軌跡を眺めていると、背後から声が聞こえた。振り向くと、そこには一人の栗毛の少年が立っていた。

 年は14、15才くらいだろうか。初めて会った時のヴォルフと同じくらいだ。なんだか懐かしく思えて、微笑ましくなってしまう。

 服装から見て、使用人の子なのは間違いないだろう。


「マグヌス1世……大きなカブトムシを見ませんでしたか?」

「あっちの森の方に飛んでったぞ」

「えぇぇ、せっかく捕まえたのに……」


 少年はその場でがくりとうなだれてしまった。どうやらせっかく捕まえたカブトムシに逃げられてしまったようだ。

 ちょっとかわいそうな気がしたので、持っていたビスケット(チョコが塗ってあって滅茶苦茶おいしい)を手渡してやる。すぐに少年は目を輝かせた。


「これ食べて元気出せ」

「ありがとうございます!」


 少年は嬉しそうにビスケットにかぶりついた。

 どうやら、初めて会ったころのヴォルフよりも随分と素直な性格のようだ。昔のあいつは生意気なことばっか言って……まあ今思えばかわいいものだな。


「美味しかったです! ありがとうございました! えぇと……」

「俺はクリス。そこで働いてるんだ」


 そう言って別館の建物を指差すと、少年はぽかんとした表情を浮かべた。


「あれ、でもあそこのメイドさんってラウラさんだけのはずじゃ……」

「え、師匠のこと知ってんの?」

「師匠……? ラウラさんなら知ってますよ。たまにお菓子くれるんです」


 そう言って、少年は嬉しそうに笑う。なるほど、師匠の知り合いだったのか。


「俺は最近ここで働き始めたんだ。ラウラさんは俺の仕事の師匠だな!」

「へぇ、さすがはラウラさんですね……! 僕はニルス。うちは代々ヴァイセンベルク家に仕える森番の家系で、僕もそのうち森番になる……はずです!」


 やはりここで働く使用人の子だったようだ。

 森番か……確か森の手入れとかする仕事だっけ。よくわからないけど大変そうだ。


「さっきのカブトムシはお前が捕ったのか?」

「はい! マグヌス1世は僕が今まで捕まえたカブトムシの中で一番大きくて強くて威勢がいいカブトムシでした! まあ威勢が良すぎて逃げられたんですけど……」

「まあ元気出せよ。カブトムシなんてたくさんいるだろ」

「そうですね……また捕りに行こうと思います。でもマグヌス1世級のは中々いないんですよ……」


 ニルスはまた落ち込んでしまった。よっぽどあのカブトムシに愛着があったのだろう。


「確かにすごい強そうで貫禄あったもんなぁ、俺もあんなの初めて見たよ」

「わかります? マグヌス1世はまさにカブトムシの中の王者って感じだったんですよ!!」


 ニルスは嬉しそうにそう言うと、目をキラキラさせてマグヌス1世の良さを語りだした。

 なんかその話を聞いていると、俺もうずうずしてきてしまう。

 端的に言うと、カブトムシ捕りに行きたくなったのだ!


「なぁ、そのカブトムシ捕り、俺も一緒に行っていい?」

「クリスさんもカブトムシに興味あるんですか!? 女の人では珍しいですね!」

「うっ……!」


 やばい、不審に思われたか!?

 俺が元々男というのは、事情を知る相手以外には基本的に秘密にしていることだ。別に言ってもいいんだけど、ヴォルフが変な趣味持ってるとか噂されたら困る。

 できれば、普通のメイドだと思わせておきたい!


「べ、別によくない!?」

「ええ、何の問題もありません! 偉大なるカブトムシの前では、男も女も皆カブトムシを求めるハンターに違いはないんですから!」


 ……よかった、ニルスも結構アホなタイプだったようだ。

 こうして、俺たちは明日の早朝一緒にカブトムシ捕りに行く約束をした。

 うーん久しぶりのカブトムシ捕り、これは腕が鳴るな!




「へぇ、カブトムシ狩りですか」

「狩りってほどじゃないけど……」


 戻ってきたヴォルフにその話をすると、なんとも言えない微妙な顔をしていた。

 まあ、貴族様のやる狩りに比べたらちっぽけかもしれないけどさ。


「ニルスは本気なんだよ。カブトムシに情熱を注いでるんだ。応援してやりたいだろ」

「……森番の子供でしたっけ。随分と肩入れするんですね」

「頑張るやつは応援したくなる」


 そう言うと、ヴォルフは何か考え込んでいた。

 おかしい、俺はそんなに難しい話をしただろうか。



 ◇◇◇



「ニルス・ラーセン。カルステン・ラーセンとヨハンネ・ラーセンの息子で現在14才。いたって素直な性格の少年で、女性の使用人の一部に可愛がられている。ラーセンは代々ヴァイセンベルクに仕える家系だ。間違っても殺るなよ」

「殺りませんよ! ていうか詳しいんですね……」

「ヴォルフ、使用人の把握も主人の務めだ」


 そう言って優雅に前髪をかき上げた兄を見て、ヴォルフは小さくため息をついた。

 クリスが共にカブトムシ捕りに行くと言っていたニルスという少年。少し気になって聞いてみれば、ジークベルトは瞬時に思ったよりも正確な情報を提供してくれた。

 うっかりヴォルフのいない隙にクリスをたぶらかそうとする輩だったら断固阻止しようと思ったが、どうやら年相応の素直な少年のようだ。一緒に行かせても大丈夫だろう。


「ニルスは年上の女性に可愛がられるのが上手いタイプだね。それについては学ぶべき点がある」

「そうですか……」

「そんなどうでもよさそうな反応しないでくれよ。わかる? ヴォルフ、年上の女性だよ?」


 ヴォルフはすぐにジークベルトの言わんとすることを悟った。

 今の性別だけで見れば、確かにクリスも「年上の女性」に分類されるかもしれない。


「うっかりクリスちゃん盗られないようにね。もしそうなっても素直に敗北を認めろよ?」

「ありませんよそんなことは! クリスさんのことを尻軽みたいに言うのはやめてください!!」

「冗談だよ」


 そう言ってジークベルトは笑った。だが、ヴォルフは笑えなかった。

 ヴォルフとクリスは一般的に恋人といえる関係にある。だが、この関係はヴォルフが押して押して押しまくってなんとか今の位置におさまったものだ。

 クリスは確かにヴォルフに好意を、愛情を注いでくれている。だが、今後もそうしてくれるかどうかはわからない。

 ヴォルフに嫌気がさして他の相手の所へ行く可能性だって……十分考えられる。


「おーい、ヴォルフ? 大丈夫?」


 ニルスは14才。クリスは基本的に年下には甘い。

 自分が14才の時には既にクリスに心惹かれ、中々素直にはなれなかったが常にクリスのことを気にしていて、叶うならばモノにしたいと思っていた。

 ニルスを子供だと侮ってはいけないだろう……。


「駄目だこりゃ」


 うっかりカブトムシ捕りをきっかけに愛が芽生えたとしたら……!


「ほら、悩んでないで直接話してきなよ!」


 ジークベルトに背中を叩かれて、ヴォルフはやっと正気に戻った。

 そうだ、まだ決まったわけじゃない。

 今ならまだ間に合うじゃないか……!


 どこかすっきりした気分で、ヴォルフは兄の元を後にした。




「あ、おかえり」


 別館に戻ると、クリスは興奮した様子で何かの本を読んでいた。ちらりと視線をやると、大きなカブトムシの図が見えた。……どうやら昆虫図鑑らしい。


「久しぶりだからさ、いろいろ準備しとこうと思って」


 クリスはいつになくはりきっているようだ。よほどカブトムシ捕りを楽しみにしているのだろう。


「クリスさん、明日のカブトムシ捕りなんですが……」


 クリスが何事かと顔を上げる。

 まっすぐにその目を見つめて、ヴォルフは口を開いた。



「僕も……一緒に行ってもいいですか」



 クリスはぽかんとした表情を浮かべた。

 ヴォルフは拳を握りしめて、クリスの返答を待つ。


「……え、別にいいんじゃない?」


 何事もないように、クリスはそう答えた。


「いいんですか?」

「別にいいだろ? 二人よりも三人の方が採集効率よさそうだし。ていうかお前もカブトムシに興味あったんだな!!」


 クリスは嬉しそうに目を輝かせた。その表情を見ていると、少しでも浮気の可能性を考えてしまった自分が情けなくなりそうだ。


「ありがとうございます。ほら、朝から行くなら早めに寝た方がいいんじゃないですか?」

「うん、正直起きれるかどうか心配なんだよな……」


 クリスは朝が弱い。普段でもそうなのに、特別早く起きるような事が出来るのだろうか。


「だったら一緒に寝ますか? 起こしますよ」


 からかうつもりでヴォルフはそう口にした。

 クリスならば真っ赤な顔で「な、何言ってんだよこのドスケベ吸血鬼が!!」とでも言うかと思ったのだ。

 だが、クリスの反応はヴォルフの想像を裏切った。


「え、いいの? 助かったよ!」


 ……予想外の返答にヴォルフは固まった。そんなヴォルフには気づかずに、クリスは「着替えて枕持ってくる!」などと言って部屋を飛び出してしまった。


「まったく、あの人は……!」




 目の前では愛しい相手が無防備に眠っている。

 襟ぐりの広い寝衣から見える白い首筋が、浮き出た鎖骨が、見えそうで見えない胸元が、まるでヴォルフを誘っているようにすら思えてくる。髪から、肌から甘い香りが漂ってくるのは錯覚だろうか。

 ……しかし手を出すことは許されない。ここで起こして楽しみにしているカブトムシ捕りを邪魔したりなんてしたら、本当に愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 起こさないようにそっと口づけるだけなら、一瞬鎖骨を舐めるくらいなら……いや、間違いなくそれだけでは物足りなくなる。もっと先を求めてしまう。

 うっかり起こしたら間違いなくクリスは怒るだろう。ここはおとなしく寝ておくのが最善策だ。


 悶々とした思いを抱えながら、ヴォルフは煩悩を振り払おうとしっかりと目を閉じた。

次回はカブトムシ捕り(本番)です!

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