5 血と享楽
ゆっくりと慈しむように、緊張を解きほぐすかのように体を撫でられる。
それだけで、じんわりとした熱が体に灯っていくようだった。
「ん……」
額に、こめかみに、頬に、優しく唇が落とされる。
うっとりと目を閉じると、まるで咎めるように首筋を舐められた。
「ひぁっ……!」
「まだ寝ないでくださいよ」
柔い部分に、硬いものが押し当てられる。
それだけで、体がひくりと反応した。
……この瞬間だけは、いつまでたっても慣れることはない。
「……力、抜いて」
そう促されて、なんとか力を抜こうとする。それでも、やっぱり緊張してしまう。
大きく息を吐き、意識して力を抜く。きっと、ヴォルフにも伝わったのだろう。
ゆっくりと、押し入ってくる。
──首筋に……吸血鬼の、牙が
「んっ、あ、はぁっ……!」
感じる痛みに悲鳴が漏れる。無意識に体が逃げを打つと、抵抗を封じるように強く押さえつけられてしまう。
じゅるり、じゅるりと生命の源を吸われていく。
最初は怖かったし、今でも痛みは感じる。それでも、その痛みすら甘く感じてしまうのはどうしてなんだろう。
「あっ、ん……ぅ……!」
跳ねる体を押さえつけられ、まるで捕食するように貪られる。
──立場を教え込まされ、躾けられていく背徳。
──圧倒的な力を持つ存在に支配され、奪われていく恍惚。
荒々しく血を啜る牙とは対照的に優しく頭を撫でられ、歓喜で体が震えた。
慣らされた体はたやすく主である捕食者を受け入れ、蹂躙され奪われることにすら喜びを感じてしまう。
これは防御反応なのか、それとも俺の中に隠された性なのだろうか。
自分が変わっていくのが怖い。でも、それ以上のなにかに満たされていく。
「ふ、ぁあ……ん……」
たっぷりと血を吸ったのか牙が抜かれ、がくりと脱力しシーツへと沈み込んでしまう。
「ぅ……」
ヴォルフが優しく頬を撫でる。俺を見下ろすその目は、興奮を宿すかのように金色に煌めいていた。
それは愛しい恋人を見る目か、生きていくのになくてはならない食料を見ているのか、それとも自分の所有物へと向ける視線だったのだろうか。
……何だっていい。俺を、選んでくれるのなら。
優しく髪を梳かれ、ゆっくりと唇を重ねる。
……確かに、血の味がした。
◇◇◇
「銀雪堂のミルクレープ。ブランフルールのチーズタルト」
「……反省してます」
「ハーネンフース亭のガトーショコラ」
「はいはい。今度食べに行きましょうね」
なでなでと頭を撫でられ、少しだけ溜飲が下がった気がした。
その約束、忘れるなよ。
「午後はゆっくり寝ててください」
「…………うん」
ちょっと申し訳ないけど、動けないのだから仕方がない。元はと言えばヴォルフのせいなんだし、ここはこいつの提案に甘えておこう。
ヴォルフはもう一度俺の頭を撫でると、そのまま部屋から出て行った。
それを見届けてごろんと寝返りをうち、ふぅ……と息を吐く。
血を吸われた後は、いつもこうだ。
俺のご主人様であるヴォルフは吸血鬼だ。
吸血鬼にとって人の血を吸う事はなくてはならない行為である。それは俺もわかっている。
でも、いくらなんでも起き上がれないくらい吸うのはないだろ!!……と抗議したくなる時もあるのだ。
たぶんその気になればあいつも吸血量を自制できるはずだ。実際にそうやっていた時期もある。
でも、最近は俺の体のことなどおかまいなしにちゅーちゅーやりたい放題だ。
まったく、ただでさえ女の体は貧血になりやすいのに、これではまともに動けないではないか!
「……はぁ」
別に、血を吸われるのが嫌なわけじゃない。
ヴォルフは俺以外の血を吸わない。それは俺が頼んだことでもあるし、むしろ他の誰かの血を吸うと言い出したらそれこそ嫌だ。すごく嫌だ。
だから、この状況にはある意味納得しているのだけど、
「暇だなー……」
ひたすら寝ているだけでは暇だ。
経験上、半日も寝ていれば体力も回復して動けるようになるけれど、それまでの間は結構暇だ。
それに……どうしても、不安になってしまう。
以前、大地を浸食する邪神と戦っていた頃の名残で、どうしてもこうやって……無防備にたった一人で取り残される状況というのは不安になってしまうのだ。
ここはヴァイセンベルク家の屋敷で、多くの者に守られている安全な場所だ。頭ではそうわかっていても、心に巣食う不安は拭い切れない。
ふわふわの薄い毛布を引き寄せ、ぎゅっと体を丸める。
「ぁ……」
その途端、よく知る匂いが鼻をくすぐる。
これは、ヴォルフのにおいだ。
まあここはあいつのベッドだから当然なんだけど、意識すると急に恥ずかしくなってしまう。
別に体臭がきついとかそういうことはなくて、むしろあいつはあまりにおいというものがない方だと思う。
でも、抱きしめられたり密着した時に感じるわずかな匂いが、今ここにあるんだ。
「……変態か、俺は」
なんだか笑えて来てしまう。
でも、その匂いに包まれると、不思議と不安が消えていくような気がした。
うとうとと襲いくる微睡に身を任せ、俺はそっと目を閉じた。
◇◇◇
目を覚ますと、もう夕日が差し込む時間となっていた。
「ん……」
重い体を起こす。まだちょっとだるいけど、何とか動けそうだ。
立ち上がると少しふらついたが、これなら大丈夫だろう。
大きく伸びをして、気分を切り替える。
「今からだと……もうすぐ夕食かぁ」
取りあえずベッドを直して、夕食の準備をしよう。
「……クリスさん、大丈夫ですか?」
夕食の準備が終わる少し前、ヴォルフは戻ってきた。
どこか申し訳なさそうな、気遣わしげな視線に微笑んで答える。
「そんな虚弱でもないから大丈夫だって!」
「その、ほんとにすみませんでした……」
ヴォルフはもう一度謝罪を繰り返すと、俺に向かって小さな箱を差し出した。
「外まで買いに出る時間はなかったんですけど、よかったら……」
箱を受け取り、中を覗く。
そこには、粉砂糖がたっぷりまぶしてある美味しそうなシュトーレンが鎮座していたのだ!
「うわぁぁ……! 美味しそう……!!」
今すぐ食べたい!……けど今からは夕食の時間だ。
これは、食後のデザートだな!!
「義姉さんに頂いたんです。手作りだそうですよ」
「へぇ、すごいなー……!」
ジークベルトさんの奥さん──ユリエさんは前にちらっと見た限りいかにも上品な貴婦人という感じだったけど、お菓子作りが得意なのか。
自分でお菓子が作れるなんていいな。俺も練習しよう。うまくできたら、お返ししないとな!
そんなことを考えながら、夕食の席につく。
俺は使用人だけど主人であるヴォルフと食事を共にすることを許されている。
料理人であるエーリクさんの作る料理は上手い。……たまに肉を丸ごと焼いたような野性的すぎる料理もあるけど。
それに、今日はシュトーレンがある! デザートが待ってると考えると気分が明るくなる。
……うん、メイド生活も悪くないな!!
夕食が終わると、ヴォルフはなんだか難しそうな資料に目を通していた。ちらっとみたら細かい字でなにやら羅列してあるのが見えた。……俺だったら一分で頭が痛くなりそうだ。
この時間になると師匠の補佐も終わって、俺はヴォルフに何か命じられない限りは自由時間だ。
できるだけ邪魔にならないように静かに、俺はここヴァイセンベルク家のお膝元の街──シュヴァンハイムのガイドブックに目を通していた。
あっ、このお菓子屋さんは初めて見る。今度行ってみよう……!
「……もうこんな時間ですか」
時計に目をやったヴォルフが驚いたように呟く。よっぽど集中してたんだろう。
「疲れたでしょう。もうあがっていいですよ」
ヴォルフは俺の方を見て優しくそう告げた。
確かに、昼間たっぷりと血を吸われたのもあって中々に疲れてるかもしれない。
ここはこいつの言葉に甘えておこう。
「うん、お前も早く寝ろよ」
「わかってます。少なくとも自己管理に関してはあなたよりは自信がありますから」
「うっ……」
駄目だ。このまま会話を続けると俺の自堕落な生活の説教が始まってしまう……!
ここは撤収しよう!!
「じゃあ、おやすみ!!」
明るくそう告げて部屋を出ようとすると、何故かヴォルフが立ち上がり近づいてきた。
一体なんなんだろう。
「どうかした?」
「部屋まで送ります」
「は?」
送ります、って徒歩二十秒もかからない距離なんだけどな!!
でも、ヴォルフも疲れてそうだし気分転換がしたいのかもしれない。
とりあえず、ここは文句を言わないでおこう。
……約二十秒後、普通に俺の部屋まで到着した。
いまいち何がしたかったのかは謎だが、ヴォルフは俺が部屋の扉を開けて中に入るのを満足そうに眺めていた。
「えっと、じゃあこんどこそおやすみ……っ!」
そう言った次の瞬間、腕を掴んで強く引き寄せられた。
そして、掠めるように唇を奪われる。
「……おやすみ、クリス」
それだけ言うと、固まった俺の前で静かに扉が閉められた。
「………………※□▼$△&!!!!!」
なんなの! なんなんだよあいつはあぁぁぁ!!
勢いよくベッドにダイブして枕に顔をうずめ、じたばたとベッドの上で暴れまわる。
なんだよあいつは! 恥ずかしくないのか!! 俺は恥ずかしくて死にそうだよ!!!
「はぁ~…………」
吐き出した息が熱いような気がする。
まだ心臓がどきどきいってる。
せっかく穏やかに寝ようと思ってたのに、こんな状態じゃ興奮して眠れないだろ!!
続きは3日後くらいに投稿予定です!