4 師匠と呼ばせてください!
ここユグランス帝国は、貴族が強い力を持つ国だ。
特に「六貴族」という六つの家がそれぞれの地方を統括しており、勢力の均衡が保たれているらしい。
そして、ここヴァイセンベルク家は六貴族のうちの一つであり、広大な帝国北部を統括する大貴族なのだ!
……ということを頭ではなんとなく理解していたが、実際に歩いてみて驚いた。
ヴァイセンベルク家の城館は滅茶苦茶広い!
敷地内にいくつもの建物が立ち並び、一番大きな建物は宮殿かと思うほどの規模なのだ。
その中で、ヴォルフの私室は意外にも屋敷の周りに広がる森にほど近い、ジークベルトさんたちの居住する本館からは少し離れたこじんまりとした別館に存在した。
まあこじんまりとか言っても普通の家に比べたらめちゃくちゃでかいし内装も豪華だ。これだけで文句なしに立派な屋敷だと言えるだろう。
しかし、その広さの割には人の気配がないような気がする。
「ここって、お前の他には誰か住んでんの?」
「ヴァイセンベルク家の人間は僕だけです。あとは少数の使用人がいますけど」
「ふぁー……!」
なんかもう、規模が違いすぎてよくわからなくなってきた。
金持ちの考えることはわからないな……!
「あなたの部屋は……」
「あそこ。ジークベルトさんが用意してくれたんだ」
俺の実家もここからそう遠くない所にあるけど、さすがにメイドとして働くとしたら住み込みの方がいいだろう。そういうことで、一応俺にも部屋が用意されていたのだ。
「近いですね。……僕の部屋と」
「え! あ、うん……」
よく考えればそうだ。俺とヴォルフの部屋は目と鼻の先にあると言ってもいい。
……よく考えたらおかしくないか?
主人と使用人の部屋が同じような場所にあっていいんだろうか。そう考えると、俺に用意された部屋も、使用人の部屋とは思えないほど大きかったような……
「まあいいじゃないですか。兄さんが用意したって事は、堂々と使えばいいんですよ」
「う、うん」
なんか身に余る待遇な気はするけど、雇い主であるジークベルトさんやヴォルフがいいっていうならいっか。
俺とは常識の違う人たちなんだ。そういう事もあるんだろう、たぶん……
(覚えきれる気はしないが)ヴォルフは次々と屋敷内を案内してくれた。
応接間、書斎、広間……様々な場所があるが、あまり使われた形跡はないようだ。
「ここって、お前が戻ってくるまでは誰か住んでたの?」
「いや、手入れはしていたみたいですが住人はいなかったようです」
「えぇ……!?」
なるほど、どおりで生活感がないわけだ。
ちょっと納得しながら歩いていると、ヴォルフがにっこり笑って振り返った。
「そして、ここが厨房です。……エーリク!」
ヴォルフが厨房の扉を開ける。その向こうでは、一人の男性が料理の下ごしらえをしており、その男性と何か話している女性がいた。
「ラウラもいたか。ちょうどいい」
「まあまあ坊ちゃん。一体どうされたのです?」
女性の方がこちらを振り返る。俺とは少し形の違うメイド服を纏った、五十代ほどの人のよさそうな女性だった。
「今日から一人使用人が増えることになった。一応僕の専属扱いだけど、基本的な事を教えてやって欲しい」
「よ、よろしくお願いします! クリス・ビアンキです!!」
ヴォルフが紹介してくれたので、慌てて二人に向かって頭を下げる。
「あらあら、可愛らしいお嬢さんですこと」
「よろしくな、嬢ちゃん!」
二人はにこやかにそう言ってくれた。それだけで、胸のつかえが取れたような気がした。
「クリスさん。こちらの女性はラウラ。ここ別館の家事仕事を一身に受け持ってくださる方です」
「まあ、そんなに褒められると照れてしまいますわ」
ラウラさんがころころと笑う。なるほど、この別館の家事仕事を受け元つ人か……。
「…………一人で?」
「ええ、一人で」
「えええぇぇぇぇ!!?」
ちょっと待て! この建物めちゃくちゃ広いけど、それを一人で!!?
一体どうすればそんなことができるのかずぼらな俺には想像ができなかった。
「ラウラも大変でしょうから、クリスさんも空いた時間に彼女の仕事を手伝って貰ってもいいですか?」
「そ、それはもちろん!」
むしろ彼女の足手まといにならないだろうか。それだけが心配だ。
「それと、向こうにいるのがエーリク。ここの料理人です」
「厨房のことは俺に任せな!」
そう言って豪快に笑ったのは、四十代ほどの筋肉隆々な大男だった。
料理人の恰好をしていなければ、歴戦の戦士、と言われてもなっとくできるだろう。
「この二人がここで働く使用人となります。何かわからないことがあったら、僕か彼らに聞いてください」
「……もしかして、ここで働いてるのってこの二人だけ?」
「そうです」
ヴォルフは何でもないような顔をしてそう答えた。
この広い建物をたった二人だけで……駄目だ、想像もつかないよ……!
「ラウラ、さっそくだけど仕事の説明を頼めるか?」
「えぇ、お任せください!」
ラウラさんが優雅に礼をする。それを見届けて、ヴォルフは俺の方へと向き直った。
「それではクリスさん、僕は少し用事があるので外します。夕食までには戻りますのでそれまではラウラの言う事をよく聞いてください」
「りょーかい!」
ちょっと驚いたけど、ここからが本当の仕事の始まりだ!
少しでも役に立てるようがんばらないとな!
◇◇◇
ラウラさんに仕事の説明を受ける。
彼女の仕事ぶりは、なんていうか……華麗だった。
鮮やかに埃を取り去り、踊るように備品を補充し、舞うように紅茶を入れる。
……なんだこれは、俺は幻術でも見ているんだろうか。
これぞメイドの中のメイド。彼女こそがメイドの女王様っ……!!
「……という感じですね」
「はっ!!」
まるで白昼夢から覚めたようだった。
何だ今のは。これが……メイドの仕事なのか……?
俺は、メイドの仕事を舐めていたのかもしれない。いや、舐めていたんだ……!
「う、うぅぅ……」
「あらあら、どうなさったのですかクリスさん?」
「お、俺には……無理です、できませんっ……! ラウラさんみたいな、立派なメイドにはなれないんですっ……!」
泣きながらその場に崩れ落ちる。
無力感に支配される。そうだ、いつだってこうだったんだ。俺は何をやっても覚えが悪くて、うまくいかなくて、最近では面接でも連敗続きだった……。
俺みたいに馬鹿で不器用な奴にメイドなんて重大な仕事が務まるわけがなかったんだ……!
「……顔を上げてください」
肩に手が置かれたかと思うと、優しく語りかけられる。
顔を上げると、優しく微笑むラウラさんがいた。
「誰だって、初めから上手くできるわけではありません。私とて、初めて奉公に出た時には本当にお恥ずかしい有様でした」
「……ラウラさんも?」
そんなの、信じられなかった。
彼女にも、うまくいかなかった頃があったなんて……!
「人は成長する生き物です。大切なのは、たゆまぬ努力を続けることです」
「ラウラさん……!」
まるで、脳天に雷が落ちたかのようだった。
そうだ、まだ就職一日目だ。俺は、こんな短時間で何を悟った気になってたんだろう……!
「師匠と呼ばせてくださいっ!!」
「あらあら、恥ずかしいわ」
「…………何やってんですか?」
気が付くと、手を取り合う俺とラウラさんを戻ってきたヴォルフがちょっと困惑した目で見ていた。
ふん、メイド同士にしかわからないこともあるんだよ!!
それから数日……俺はラウラさん、いや……師匠の元でメイドの仕事を学んでいた。
最初に言った通り、ヴォルフの世話は本当に必要なさそうだった。なので、今の俺のメインの仕事は師匠の補佐だ。
やたらと多い空き部屋を掃除していると、ヴォルフが俺の所にやって来た。
「調子はどうですか?」
「待ってろよ、すぐにみんなを唸らせるメイドになってやるからな!」
「いや別に唸らせなくてもいいんですけど、その……少し頼みたいことがあるんです」
ヴォルフは珍しく遠慮がちにそう切り出してきた。
なんだろう。ヴォルフが何かやって欲しいことがあるならそっちが優先だ。とりあえず掃除の手を止めて近づくと、強く手首を握られた。
「……一緒に来てください」
どこか熱のこもった声でそう告げられ、俺は自分でも意識しないまま頷いていた。
ヴォルフは俺の手を引いたまま、自分の部屋の方へと進んでいく。
そして部屋に入ると、ヴォルフは即座に後ろ手で鍵を閉めた。
「ぇ、なんで鍵……ひゃあ!」
いきなり強く抱きすくめられて、思わず変な声が出てしまった。
だがヴォルフはそんな俺の様子など気にも留めていないようだ。
体の芯に響くような声で、耳元で、熱く囁かれる。
「…………クリス、欲しい」
「っ……!」
……それだけで、何を求められているのかわかってしまった。
首筋に熱い吐息がかかる。……たぶん、俺が拒否すればこいつは無理強いするようなことはしないだろう。
でも、拒否なんてできない。したくない。
「…………いいよ」
そう告げて、優しく抱きしめ返す。
すぐに、ベッドへと押し倒された。
次回はアレです。