2 緊急兄弟会議
かつて、大地を揺るがす大きな戦いがあった。
邪神が大地を浸食し、人々の心は闇へと飲まれてった。
だが、そんな中でも立ち上がる者がいた。
女神の加護を受けし勇者は邪神を打ち払い大地を救い、
聖女は大地を覆う闇を祓い人々の心に希望の光を取り戻した。
戦いが終わった後、勇者は少数の仲間と共に行方をくらませる。
そして、同じく人々の前から姿を消した聖女は……
とある家族会議の場において、羞恥心で死にかけていた。
◇◇◇
「うーん、なるほどねぇ……」
からかうような、呆れたような声が降ってくる。
せっかくこの仕事を用意してくれた本人に呆れられたかもしれない。俺は下を向いたまま、また恥ずかしさで泣きそうになっていた。
「まったく、昼間から二人揃って……いったい誰に似たんだが」
「まあまあマティアス。そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないか」
「……お前に似たんだろうな」
豪奢なテーブルを挟んだ向かい側では、見目麗しい二人の貴公子が言い合っていた。ここヴァイセンベルク家当主の長男であるジークベルトさんと、次男のマティアスさんである。
美貌の貴公子が向かい合うさまはまるで絵になりそうなほどだったが、話している内容は至極くだらないことだった。まぁ、俺のせいなんだけど。
あの後マティアスさんにこの部屋に連れてこられた俺たちは、そこで彼の長ーい説教を受けていた。
そしてついさっき話を聞きつけたのかジークベルトさんが乱入してきて、今はこのザマである。
あぁ、穴があったら入りたい。
特にジークベルトさんは俺にこの仕事を斡旋してくれた張本人なのに、初日から本来の仕事を忘れてご主人様といちゃいちゃしてました!……なんて恥ずかしいにもほどがある。
「……兄さん、クリスさんを責めないでください」
「ヴォルフ……?」
俺の隣に座って今までずっと黙っていたヴォルフは、顔を上げて迷うことなく二人の兄を見ていた。
……どっちかっていうと俺よりも身内バレしたヴォルフの方が辛いかと思ったのに、その堂々とした態度に感心してしまう。
「僕がクリスさんを誘ったんです。非は全て僕にあります」
「ヴォルフ!?」
事実としてはそうだけど! でもそんなこと言っていいのかお前は!!
ヴォルフの言葉を聞いて、ジークベルトさんはにやりと笑みを深くした。
「へぇ、弁解を聞こうか」
ヴォルフは大きく息を吸うと、とんでもないことを言ってのけたのだ。
「……まさか本当にメイドとして働くことになったとは思わなかったので、てっきり今日はそういう趣向で僕に会いに来たのかと」
「お前そんなこと思ってたの!!?」
思わず叫んで立ち上がってしまった。
確かにメイドに対する態度としてはどうかと思っていたが、まさかコスプレだと思われていたとは!!
お前の中の俺に対する認識はどうなってんだよ!!
「おいジークベルト。ヴォルフリートに説明していなかったのか」
「だって、先に話しとくより『部屋に帰ったらいきなり好きな子がメイドの格好してお出迎え!』って方が嬉しいかと思って」
ジークベルトさんは至極真面目な顔をしてそう言ったのだ。
……そんなメイド喫茶のオーナーみたいな事を考えてたのかこの人は。
それを聞いて、ヴォルフとマティアスさんは同時に大きくため息をついた。
「嬉しいとか嬉しくないとか、そういう問題じゃないでしょう……」
「それよりお前、俺が趣味でこんな格好してると思ってたのかよ」
小声で抗議すると、ヴォルフは俺の方を振り返りどこか呆れたように笑った。
「てっきり前の闘牛士ごっこと同じようなものかと思って」
「ば、ばかっ! 何言ってんだよ!!」
その一言でまた恥ずかしい思い出が蘇り、俺は一気に赤面した。
前に旅の闘牛士が華麗に闘牛をいなす場面を見た俺は、そのかっこよさに魅了され「決めた! 俺闘牛士になる!」などとこいつに宣言したのだった。
とりあえず練習しようとした俺に、ヴォルフはいきなり本物の牛が相手だと危ないから自分が牛の役をやると申し出てくれたのだ。
……今思えば、その時点で正気に戻るべきだった。
練習になってない練習を続けるうちに「じゃあ、もし本物の牛がこんなことしてきたらどうするんですか?」「う、牛はそんなとこ舐めな……ひゃぅ!!」(以下自主規制)みたいな事態に発展してしまい、俺の中で闘牛士を志した事実自体が黒歴史となりかけていた。
くそっ、思い出すだけで恥ずかしさで死ねる……!
「なになに、闘牛士ごっこ? おもしろそうだね」
「……馬鹿馬鹿しくて詳細を聞く気にもなれないな」
「…………もう、勘弁してください」
口から出た声は思った以上に涙声だった。
さすがにそれいじったら俺が泣き出すことが分かったのだろう。ジークベルトさんはさらりと話題を変えてくれた。
「まあなんであれ、昼間から本来の役割を忘れての密事はいただけないね。特にヴォルフ、今のクリスちゃんはうちの使用人という立場なんだ。主人であるお前の命令には逆らえないこともある。お前の方が自制するべきだろう」
「……わかってますよ」
「あと一応言っとくと閨事はメイドの職務じゃないからね」
「さすがにそのくらいはわかります!」
よかった。ちゃんとわかってたんだ。
他のメイドにもあんな風にしてるのではないかと少し心配だったが、どうやらそんなことはなさそうで安心した。
……別に嫉妬じゃない。健気に働くメイドさんを心配しただけだ!
「……それで、何なんですか専属メイドって」
ヴォルフは落ち着きを取り戻そうとするかように足を組み直すと、じっとりとした目をジークベルトさんに向けている。
「お前の日常の世話と、あと仕事の補佐もやってもらうつもりだけど。お前だって気心の知れた相手の方がいいだろ?」
「いや……別にいりませんけど」
「ぇ……?」
予期せぬ言葉に、思わず顔を上げてヴォルフの方を凝視してしまう。
俺のご主人様のはずのヴォルフは、当然だとでもいうような顔をしていた。
「別に世話係なんていりません。今まで一人でやって来たんだし。仕事の補佐ももっと適任がいるんじゃないですか」
……ヴォルフにはそんなつもりはなかったのかもしれない。
でも、それは俺にとっては決意とか存在そのものすら否定しかねない言葉だったのだ。
そっか、ヴォルフには、俺は必要ないのかもしれない。
ぐっと拳を握りしめると、メイド服のスカートにしわが寄ってしまった。でも、それを気にする余裕もない。ぎゅっと唇を噛みしめて、泣かないようにするのが精一杯だった。
……メイド生活一日目。
さっそくご主人様に捨てられてしまいました。
「……ふぅん、そっか」
ジークベルトさんは感情の読めない声でそう呟くと、俺に向かって思わず見惚れてしまいそうな笑顔を作って見せた。
「じゃあクリスちゃんは僕の所で働いてもらおうかな」
「…………は?」
ヴォルフが眉をひそめる。だがジークベルトさんはそれを気にする様子もなくすらすらと言葉を連ねていく。
「別にいいじゃないか。お前が喜ぶかと思ってお前の下に配置したけど、いらないなら僕のところで引き取るよ」
「はぁ? クリスさんがいなくても兄さんの所には使用人が山ほどいるじゃないですか」
「いやいや、大勢の方が楽しいじゃないか。あー楽しみだなー! クリスちゃんにいろいろお世話してもらうの!」
そう言ってジークベルトさんは、俺に向かって華麗に片目を瞑って見せた。
俺はというと、事態について行けずにただぽかんとすることしかできなかった。だが、次の瞬間ものすごい力で腕を掴まれて、思わず小さく悲鳴を上げてしまう。
「……前言撤回します」
ヴォルフは家族に向けるとは思えないほどの鋭い眼光で、ジークベルトさんを睨め付けていた。
思わず体がぞくりと震えたが、対するジークベルトさんは余裕の笑みを崩してはいなかった。
「僕にはクリスさんが必要です。だから、クリスさんには僕の元で働いてもらいます。……『専属メイド』として!」
ヴォルフは、はっきりとそう宣言した。
こいつは、俺の事を必要だと言ってくれた。
不覚にもじぃんと胸が熱くなる。さっき別の意味で、また泣きだしそうになる。
ジークベルトさんはその言葉を聞いて満足気な笑みを浮かべると、ぱんぱんと手を叩いた。
「はいはい! これにて一件落着かな? それじゃあ二人とも、マティアスに散々聞いたと思うけど公私の分別だけはつけるようにね!!」
早口でそれだけ言うと、ジークベルトさんは優雅に部屋を出て行った。
俺はぽかんとその光景を見ている事しかできなかった。
「まったく、あいつは場を引っ掻き回すことしかしないのか……!」
マティアスさんがまた呆れたようにため息をついた。
この人も、結構気苦労が多いのかもしれない。
そう思った瞬間、マティアスさんが俺の方へと視線を向けた。
「まあそういう事だ。クリス・ビアンキ、お前もヴァイセンベルク家の使用人として恥ずかしくない行いを心掛けろ」
「は、はいっ!」
そう言われて、反射的に背筋がぴしっと伸びる。
マティアスさんは次に、まだ俺の腕を掴んだままだったヴォルフへと視線をやる。
「ヴォルフリート、お前もだ。お前は主人として、ヴァイセンベルク家の一員としての覚悟と責任を持て。主人たるお前がそんな体たらくでは、使用人がだらけるのも当然だ」
「……わかりました」
ヴォルフははっきりとそう答えた。それを聞いて、マティアスさんも部屋を出て行こうとする。
彼は扉を開ける直前、一度だけ俺達の方を振り返った。
「……俺も、プライベートの時間なら文句は言わん。以上だ」
それだけ言うと、彼はそのまま部屋を出て行ってしまった。
残されたのは、俺とヴォルフの二人だけだ。
なんて言っていいのかわからずにおそるおそる表情を確認しようとすると、ヴォルフもこちらも見ていたのでばっちりと目が合ってしまう。
「あ、あの……」
「まあ、そういうことなので……」
ヴォルフはくしゃりと前髪をかき上げると、少し困ったように笑って見せた。
「あらためて、よろしくお願いします」
仲間のような、友人のような、恋人のような……そんな俺たちの関係に、今日から一つ新たなものが加わったのだ。
ご主人様とメイドという……主従関係が。
まだまだよくわからないことだらけだけど、新しい関係が増えればその分だけもっとヴォルフとの距離が近くなる。そんな気がする。
「…………うん!!」
嬉しくなって何度も頷いてしまう。
メイド生活一日目。なんとか正式採用です!
祝! 無職脱出!!