12 はじめてのおつかい(前)
「……というわけで、頼めるかしら」
「はい! お任せください師匠!!」
目の前の師匠は心配そうな顔をしていたが、俺はやる気に満ちていた。
どうやら今日になっていきなり師匠に急な用事が出来てしまったらしい。しかし、どうして今日じゃなければならない買い出しがあった。
というわけで、俺は師匠から買い出しを任されたのだ!!
「でも心配だわぁ、クリスさんまだこの辺りには詳しくないでしょう?」
「ご心配なく! ここで働く前もよくぶらぶらしてたので大丈夫です。必ずや任務を遂行させて見せます!!」
今まで何度か師匠の買い出しについていったことはあるが、俺一人で行くのは初めてだ。
シュヴァンハイムの街はそこまで治安が悪いわけじゃないけど、それでもぼったくりの店や怪しい奴らのたむろする場所なんかは存在する。でも、たかが買い出し。俺にできないわけがない!
うーん、これでまた一流メイドへと近づいてしまうな!!
何度も心配そうに振り返る師匠を見送って、俺は使命感に燃えていた。
ぐっと拳を握ると、師匠に渡されたメモがぐしゃりと嫌な音を立てる。……おっといけない。これは此度の任務を遂行するのになくてはならないものだ。大切に扱わねば!
街に出るなら着替えたほうがいいだろう。気合を入れなおして、俺は自室へと急いだ。
「…………どうしよう」
衣装棚を開けて真っ先に目に入ったのは、この前ヴォルフが買ってくれたワンピースだった。
あの時のことを思い出すと今でもにやけてしまいそうに……いやいや、羞恥心に襲われてしまう。
買ってもらったはいいが、俺は恥ずかしさのあまりまだこの服を一度も着ていなかった。しかし、せっかく貰ったのだから箪笥の肥やしにしておくのも勿体ない。
かといって本人の前で着る勇気は出ない。……だったら、あいつがいない間に一度着てみるべきかもしれない。
今は、その絶好の機会だ。
震える手でワンピースを手に取る。そして、そっと身に纏っていたメイド服を脱ぎ捨てた。
「……変じゃない、よな」
鏡の中ではどこか緊張気味の表情を浮かべた俺が、例のワンピースを身に着けていた。
なんかこうしてみると自分じゃないみたいだ。いや、もともと今の体は生まれ持った体じゃないけど、それでもそう感じてしまう。
気のせいか、いつもよりも洗練された雰囲気になっているような気がする。にっこりとほほ笑むと、まるでどこか上流階級のお嬢さんを見ているような気すらした。
ちょっと恥ずかしいけど、今日はこれで出かけよう。
あ、どうせなら……
ごそごそと部屋をあさり、お目当てのものを取り出す。
星の輝く夜空を凝縮したような美しい宝石が彩られた、精巧な作りの髪飾りだ。
これは以前砂漠の中の町を訪れた時、ヴォルフが俺にくれたものだ。
どきどきしながら髪飾りを身に着ける。
……うん、服とも合ってるし、これで大丈夫だ!
どこか高揚した気分で、俺は自室を後にした。
◇◇◇
「あれ……」
見知った人物を見つけて、ニルスは思わず立ち止まった。
少し離れたところを、別館のメイドであるクリスが歩いているのが見えた。ただいつものメイド服ではなく、上品なワンピースを纏っている。
普段は子供っぽい言動が目立つのでそんなに意識したことはないが、ああして見ると奇麗な人だな……とニルスはその後姿を見送ろうとした。
だが、その直後目に入ったものに、思わず傍らの池に落ちそうになってしまった。
ふわふわとした足取りのクリスの後方、少し離れたところを彼女の主人であるヴォルフがつけていたのだ。
クリスは気づいている様子はない。クリスに声をかけるのかとも思ったが、ヴォルフはつかず離れずの距離を保ちつつ、クリスに気づかれないように後ろをつけているようだ。
……これは、どうみても尾行だ。
見なかったふりをしようかとも思った。
だが、いくら恋人同士でもストーカーは問題だ……!
意を決して、ニルスはヴォルフへと近づく。
「……ヴォルフリート様! いったい何を……」
「しっ、気づかれる」
「いやいやいや、あんた何やってんですか!!」
しまった、つい身分をわきまえず生意気な口をきいてしまった!
ニルスは焦ったが、ヴォルフは特に気にした様子もなく前方を歩くクリスに意識をやっているようだった。
「悪い、今はクリスさんの尾行中なんだ」
「……どうしてそうなったんですか」
──ヴァイセンベルク家に突如現れた当主の三人目の息子。
別館に居住していた当主の妾とその子供のことについては、ニルスも昔からその存在を知っていた。彼らのことを決して口外してはいけないと、両親からはきつく口止めもされていた。
だが、いつからか彼らの話はヴァイセンベルク家の中で半ばタブーのように扱われるようになっていた。
屋敷から三男の姿は消え、様々な憶測が流れた。
だからニルスも、ここ数年はその存在を気に留めることもなかった。
だからこそ、ある日突然ヴォルフが屋敷に現れた時は、たいそう驚いたものだ。
ヴァイセンベルク家の人間らしく整った顔立ちに、女性の使用人は随分と騒いでいたことをよく覚えている。
彼はどちらかというと長兄のジークベルトよりも次兄のマティアスに似た冷徹な性格の持ち主のように見えていた。
先日のカブトムシ捕りの一件まで直接お目にかかったことはなかったが、思ったよりも親しみやすそうな雰囲気にニルスは随分と安心していた。
自分とそう年も変わらないのに、随分とできた人だなぁ、と感心したものだ。
……彼のとある一面を知るまでは。
「お嬢ちゃん可愛いね! リンゴ一個おまけしとくよ!!」
「いいんですか!? ありがとうございます!!」
人の好さそうな中年親父の店主にリンゴを手渡され、クリスは嬉しそうにはしゃいでいる。
微笑ましい日常の光景だが、ニルスは傍らの存在が放つ絶対零度のオーラに凍えそうになっていた。
「……ニルス、君はあれをどうみる」
「どうもなにもどう考えてもセーフですよ! あの店主は僕の母さんにもおまけするので深い意味はないですって!」
慌てて弁解すると、物陰からクリスの動向を監視していたヴォルフのオーラが少し和らいだような気がして、ほっと息をつく。
ヴォルフとクリスは、クリスがここで働く前からの恋人同士であるらしい。前にヴォルフに直接確認済みだ。
メイドを恋人にした……というか恋人をメイドにするという発想がニルスには理解できなかったが、二人の仲睦まじい様子を見ていると「まぁいいか」と思い、微笑ましく感じていた。
……そう、今日までは。
クリスが青果店を後にする。
ここでやめないかな、と一縷の望みを持っていたが、残念ながらヴォルフは少し距離を置いてクリスの尾行を再開してしまった。
ここまでついてきてしまった以上勝手に帰るわけにもいかない、ニルスもしぶしぶクリスの後を追った。
「……今すれ違った男、クリスさんを振り返ってるな」
「ちょっと見るくらい許しましょうよ……」
……そう、街に出てからずっとこの調子なのだ。
よくできた人間のように見えたヴォルフも恋人であるクリスのことに関してだけは、どうやら倫理や常識というものをどこかに放り投げたようにぶっとんだ行動をとってしまうのだ!
クリスの尾行を開始してから、少しでもクリスに好意的な態度をとったり、彼女に興味をもつそぶりを見せた男が目に入るたびに、ヴォルフはこうやってぶつぶつと何やら物騒なことをつぶやいていた。
ニルスから見ればリンゴを一つおまけするのも、ちょっとすれ違った美人を振り返ることもそうおかしな行動だとは思えない。だが、ヴォルフにとっては死活問題であるらしい。行動を起こそうとするヴォルフを止めるのも何度目だろう……。
少し前まで彼に対して抱いていた憧れのようなものが、がらがらと音を立てて崩れていくようだった。
「ヴォルフリート様ぁ、束縛の強い男は嫌われますよ……。いくらクリスさんでもそのうち愛想をつかしてどっか行くかもしれませんよ」
「そうなった時のために鎖か、探知魔法でもつけとくか……」
「ヒィッ!」
もう嫌だ、おうちに帰りたい。
しかし帰ったところでニルスの生活圏とヴォルフとクリスの生活圏はだだ被りなのだ。
結局は同じだろう。
「はぁ……今日はまたなんで尾行なんてしようと思ったんですか……」
「いや、最初は普通に声かけようと思っただけなんだが、あの服……」
ニルスもあらためてクリスの身に着けている服に視線をやる。
遠めでも上等なものだとわかる上品なワンピースだ。……だが、クリスが自分からあの服を買うというのもなかなか想像できなかった。
「少し前に、僕が贈ったものなんだ」
「なんですか、ここにきて惚気ですか!」
「まあそれもある」
くそっ、何が言いたいんだこいつは……!
などと叫びたい衝動をなんとかこらえ、ニルスは彼の次の言葉を待った。
「たぶん、僕が声かけたら『べ、別に全然そういう意味じゃないから! 着替える!!』とか言ってすぐ着替えそうな気がして」
「……あなた何言ったんですか」
「男が服を送るのはその服を脱がせたいっていう意味があるって言って渡した」
「うわぁ……」
ニルスは引いた。この上なくドン引きした。
そんなことを言って渡すヴォルフもだが、ヴォルフの前ではないとはいえその服を着るクリスもクリスだ。
結局は破れ鍋に綴じ蓋。(どちらかというと嫌な意味で)お似合いの二人なんだろう。
くそっ、このはた迷惑なバカップルめ……!
僕のいないところで盛大に爆散しろ!!……などとニルスは内心で毒づいた。
もちろん、口に出す勇気はなかった。
「あっ、クリスさんとの距離が開いたな。行くぞニルス」
「えぇ、まだやるんですかぁ!?」
気の毒なニルス君の受難は続きます!




