10 お嬢様も大変です!(前)
お昼を食べて、少し過ぎた頃。
ぽかぽかと温かい陽気は眠気を誘っているようだ。
俺は欠伸を噛み殺しつつ、本館から別館へと備品を運んでいた。
近道に裏庭を通ったのだが草が伸び放題でちくちくと足に刺さって地味に痛い。どうやら長い間手入れがされてないようだ。
『ねぇねぇクリス、おなかすいたよー』
『あれ食べたい! この前買ったチョコのやつ!!』
そんな中俺の足元では二匹の子犬がうろちょろし、しきりに菓子をねだっていた。
はぁ、気楽な奴はいいよな……。
「おまえらなー、さっき食ったばっかだろ」
『だってぇ、お腹すいたんだもん』
『だもーん!』
二匹は立ち止まりうるうるした大きな瞳で俺を見上げてきた。
その殺人的な可愛さに負けそうになるが、ぐっと心を鬼にして首を振る。
「駄目駄目。ちょっとはダイエットしろよ!」
『えー、ボクたち精霊だから太らないんだよー』
『羨ましい? 最近クリスちょっと太ったもんね』
「くっ、むかつくな……!」
そう、この二匹の子犬様はこれでも精霊なのだ。
俺が契約する精霊──スコルとハティ。
ヴォルフ曰く結構高位な精霊の子供らしいのだが、見た目はどうみても子犬だし性格もこれだ。おまけに全然俺の言う事を聞かない。
特にこの屋敷で働くようになってからは好き放題で、呼んでも出てこないし忙しい時に限ってこうしてまとわりついて来る。
……しかし太ったとは聞き捨てならない。ちょっと自覚がある分余計に。
どういう仕組みになっているのかは知らないが、精霊はどれだけ食べても太らない。自由に消えたり現れたりできるし、そもそも実態自体があやふやなのかもしれない。あぁ、羨ましい……。
こうなったら、一度お灸を据えてもらわねば……!
「ふふん、今お前たちが言った事をフェンリルに報告しなくちゃな」
『えっ!?』
『やめてよ、ひどいよー!』
途端に二匹は焦りだして、俺は笑い出したくなるのをぐっとこらえた。
フェンリルというのはヴォルフの契約する精霊で、白銀の毛並みを持つ狼の姿をした滅茶苦茶かっこいい精霊だ。
細かい所は俺にもよくわからないけど、スコルとハティはフェンリルの眷属であるらしい。
ヴォルフが言うにはフェンリルは俺の契約精霊として働くことで、スコルとハティの成長を促そうとしているらしい。当然、気高き精霊としては人間にお菓子をねだるなんて行いはふさわしくないのだ!
フェンリルが知れば、この二匹は間違いなく叱られてしまうことだろう。
「あーあ、フェンリルは何て言うかな! まさかお前たちがチョコマシュマロをしつこくねだった挙句、契約者である俺を太ったなんて馬鹿にしたなんて!」
『嘘だよぉ、ごめんねー!』
『クリスはダイエットなんてしなくても大丈夫だよー!!』
二匹はキャンキャン鳴きながら必死に俺の周りをぐるぐる回っている。
その光景に、思わず笑ってしまった。
その時だった。
「……ぅ……ひっ……」
小さな、本当に小さな声が聞こえた。
思わず足を止めてしまう。
「……猫?」
『ううん、人間の声みたいだったよ』
『女の子だね……』
スコルとハティも立ち止まって、耳をぴんと伸ばして声を聞いているようだ。
「女の子……?」
本館から離れた所にある俺たちが暮らす別館は、ヴァイセンベルク邸の敷地の中でもかなり隅の方に位置するようだ。
この先には森くらいしかないし、用がない限りこの辺りを訪れる人は少ない。
しかもここは、その別館の裏庭。庭師すらもやってこない場所だ。
こんな所に立ち入るのは、それこそ俺と師匠くらいなのに……。
女の子なんて、見たことがない。
『も、もしかしてお化けとか……?』
『怖いよ~』
二匹はぶるぶる震えながら俺の足にぴとりとくっついてきた。
……精霊が幽霊怖がってどうするんだよ。
しかし、困ったことになった。
二匹がこんな状態では、俺も幽霊が怖いから逃げるなんて言いだし辛いじゃないか!!
俺だってお化けは怖い。一人だったら速攻で逃げ出していただろう。……しかし、この子犬たちの契約者として情けない姿を見せるわけにはいかない。
震えそうになる足を叱咤して、大きく息を吸う。
「や、屋敷を守るメイドとして……確認しとかないとな……!」
そう自分に言い聞かせる。
そうだ。これもメイドとしての仕事の内なんだ!
一歩一歩、いつでも逃げ出せる体制を維持しつつ声の方へと近づく。
近づくにつれ、声は大きくなっていく。
そして、のび放題の茂みの影に、その姿が見えた。
「っ、だれ……?」
俺の立てた物音が聞こえたのか、泣いていた人影が振り返る。
そこにいたのは、6~7才くらいの小さな女の子だった。
危惧していた幽霊ではなかったとすぐにわかった。俺は、その姿を見たことがあったから。
「ステラお嬢様……?」
つややかな長い銀髪に、涙にぬれた紫の美しい瞳。
まるで職人が丹精込めて作り上げた精巧な人形のように、美しい少女がそこにいた。
彼女は……ジークベルトさんとユリエさんの愛娘のステラお嬢様だ!
この小さなレディはヴァイセンベルク家に久しぶりに生まれた女の子で、皆に過剰なほど大事にされているとヴォルフに聞いたことがある。
直接会った事はないが、俺も遠くから何度かその姿を目にしたことはあった。
「っ……!」
「す、すみません! 声が聞こえたからつい……!」
別に弁解する必要はなかったかもしれないけど、気が付いたら俺はそう弁解していた。
彼女は気高きヴァイセンベルク家のお嬢様だ。
うっかり使用人風情に泣き顔を見られるなんて不本意だったかもしれない。
お嬢様は慌てたように涙をぬぐうと、じっと俺の姿を見上げた。
「あなた、ヴォルフにいさまのところの……」
その言葉に驚いた。なんと、お嬢様は俺の存在を知っていたのだ!
しかしヴォルフにいさまか……。ヴォルフはそんなかわいい呼ばれ方をしてるのか。
ヴォルフとステラお嬢様は関係からすると叔父と姪になるのだが、確かに兄妹と言った方がしっくりくるような気もする。
そういえば、今のお嬢様もどことなく出会ったばかりのまだ(比較的)幼かった頃のヴォルフの面影があるような気がする。
そう思うと、失礼ながら親しみがわいてきた。
「クリスと言います。この別館で働かせていただいております」
怖がらせないように、無礼のないようにそう告げて、丁重に礼をする。
お嬢様は涙にぬれた大きな目をぱちくりと瞬かせていた。
「あの、ごめんなさい……。あなたのお仕事のじゃま、してしまったわね……」
お嬢様がぐすっと鼻をすすり目をこする。
スコルとハティが心配そうにその足元へと近づいて行った。
「あ、かわいい!」
とたんにお嬢様はぱっと顔を輝かせて、二匹を抱き上げる。
スコルとハティがぺろぺろと頬を舐めると、お嬢様はくすぐったそうに笑っていた。
……よかった。少しは元気が出たようだ。もふもふは偉大なり。
これに免じて、フェンリルに告げ口するのはやめといてやろう。
その微笑ましい光景を見守っていると、やがて俺に見られていることに気づいたお嬢様はぱっと顔を赤らめた。
「あ、その……あなたの、犬……? でも、精霊……?」
さすがはヴァイセンベルク家のお嬢様。どうみても子犬にしか見えない二匹を精霊だと見破ったようだ。
「はい、スコルとハティと言います」
「そう、クリスは精霊をしたがえているのね……」
感心したようにお嬢様が呟く。
従えてる……というには馬鹿にされているし、そもそも俺はヴォルフのおまけで契約したような状態なのだ。しかしここは黙っておこう。
……お嬢様の機嫌も良くなったようだし、そろそろ本題に入っても大丈夫だろう。
「あの、ステラお嬢様。何故このような場所に……」
こんな滅多に人の来ないような場所に、何故お嬢様は隠れるようにして、しかも泣いていたんだろう。
そう尋ねるとお嬢様はじっと押し黙って、しばらくしてそっと口を開いた。
「だれも、いないところを探してたら……ここを見つけて、だれもいなかったから……」
「……なにか、あったんですか?」
そう尋ねると、ステラお嬢様はきゅっと身につけていた上等なドレスの裾を握りしめた。
そして、震える声を絞り出した。
「……たの」
「ぇ……?」
「にげ、たの……! お歌の、レッスンから……!」
再びお嬢様の目が潤み始める。俺は焦ってしまった。
「あのっ、レッスンって、そのっ……!」
「わたし、何回やってもうまくできなくて……先生は、パパがわたしくらいのときにはなんでもすらすらできたって……! でも、わたし、できなくて……!」
遂にお嬢様の瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。
……なるほど、お嬢様はジークベルトさんと比べられて落ち込んでいるのか。
ヴァイセンベルク家次期当主、ジークベルトさんは何でもスマートにこなす貴公子だ。今の話を聞く限り、きっと子供のころからそうだったのだろう。
ヴォルフもたまに、ジークベルトさんはあんな調子のいい性格なのにほぼなんでも完璧にこなせるのが解せないなどとぼやいていることがある。
身内から見ても、ジークベルトさんの多方面天才っぷりは群を抜いているのだろう。
「もうすぐ、ガーデンパーティーで……みなさまに、お歌の披露するのに……こんなんじゃ、パパも、ママも、恥かくってっ……!」
そう言って、お嬢様は再び顔を覆って泣き出してしまった。
……なるほど。きっと、その先生とやらも焦っていたのだろう。
俺だったら歌なんて上手くできなくても何一つ困らないが、貴族のお嬢様だとそうもいかないらしい。
うーん、これはどうするべきか……。
「レッスンが、嫌になったんですか……?」
「……そんなこと、ないわ……でも、先生の前だと、きんちょうして、足がふるえて、うまく、声がでないのっ……!」
……どうやら歌の教師に叱られたことがきっかけで、嫌な負の連鎖に陥っているようだ。
どうするべきか、と思考を巡らせてみる。
ヴォルフを通じて教師を変えろ、と進言することもできなくはない。でも、きっと……もっといい方法があるはずだ。そう考えて、思いついてしまった。
俺の悪い癖の一つ。深く考える前に口に出してしまう事。
今回も、気が付いたら口を開いていた。
「じゃあお嬢様! 一緒に練習しましょう!!」
「え……?」
「先生みたいに専門知識はないけど、とにかく練習あるのみですよ!」
おそらく今のお嬢様に必要なのは、自信を取り戻すことだ。
それならば、案外俺みたいなド素人相手の方がいいのかもしれない。
そんな簡単な考えで、俺はそう声に出していた。
断られるかとも思ったが、案外お嬢様は縋るような目を俺に向けている。
「い、いいの……?」
「もちろんです! 俺はヴォルフの所にいるので、空いた時間にでも声を掛けてくだされば」
しかしステラお嬢様は俺なんかが想像もつかないほど忙しいのかもしれない。
そうも思ったが、少しでも彼女の逃げ場所になればいいだろう。俺にはその程度しか役に立てそうはないもんな。
「……クリス、ありがとう」
「いいえ、お役にたてれば幸いです」
そう言って気取った礼をすると、ステラお嬢様はくすくすと笑っていた。
よかった、だいぶ機嫌も直ったようだ。
「皆が心配しているかもしれません。今は戻りましょう」
「……わかったわ」
そのまま、お嬢様と共に本館へ向かう。
「ありがとう、もうここで大丈夫よ」
お嬢様はくるりと俺の方を振り返ると、どこか必死な表情で声を上げた。
「さっきの約束、わすれないでねっ!」
それだけ言うと、お嬢様はたたっと走って行ってしまった。
彼女が確かに建物の中に入ったのを確認して俺もきびすを返す。
うーん、大貴族のお嬢様なんて何一つ不自由ない暮らしをしてるかと思ってたけど、案外大変なんだな……。
◇◇◇
翌日の昼過ぎ、俺はいつものように師匠についてメイドの仕事を教わっていた。
すると、別館の玄関ホールの方から何やら声が聞こえる。どうやら出かけていたヴォルフが戻ってきたようだ。
よし、お出迎えだ!
「おかえりー!……って、あれ」
ヴォルフはひとりではなかった。
その横には、ちょこんと見覚えのある人物がいたのだ。
「その、ステラがどうしてもあなたに会いたいと言うので」
「ふふ、約束、わすれてないわよね。クリス!」
ステラお嬢様はさっそくやってきたようだ。その目はやる気に満ちている。
……よし、これはやるっきゃないな!
「えぇ、お待ちしておりました、ステラお嬢様」
そう言って優雅に礼をすると、ヴォルフは呆れたように大きくため息をついた。




