第四話
「ノーコンもついに売れたな」
「いやいやそんなことないですよー」
「ミュースタ見てたけど、かましてたな」
グループが結成されてからすぐに放送が開始した深夜のレギュラー番組の収録でずっと司会を務めてくれているお笑い芸人さんとやりとりを交わす。
「小野なんか久しぶりやんか。もうこんなクソ番組には二度と出てくれへんと思ってたわ」
「めっちゃ出ますよ」
「ほんまに? てかクソ番組は否定せえへんねや」
「あっ……。クソじゃないです大好きです」
「ははは。言わされてる感満載やないか。でももう体張ったりはやらへんやろ?」
「全然! いつでも来いですよ」
「バンジーとかは?」
「飛びます」
「ゲテモノはもう流石に食べへんやろ?」
「う~ん、いや頑張ります」
「まじで? じゃあ前みたいに頭からガソリンかぶって燃え盛る炎の中に飛び込んだりしてくれる?」
「いや、それは前もやってなかったじゃないですか!」
一連の掛け合いでスタジオは笑いに包まれた。
「流石センター様。返しが的確ですね」
「ちょっとやめてください、そういうの」
「ははっ。はい! ではそろそろ参りましょうか。本日の企画はこちら!」
フロアディレクターのスタッフが手のひらが張り裂けそうな勢いで拍手をしたのでスタジオにいるメンバーも同じように手を叩いて盛り上がる。透子は久しぶりのいわゆるホームの仕事でとてもリラックスしていた。ここひと月ほど色々なテレビ番組へゲスト出演させてもらったけど、アイドルの場合ゲストとは言いつつもどこか試されているような内容ばかりだったので普段より気を張っていた。
昨日までで新曲のプロモーションが一段落した。様々なメディアのいろいろな媒体の取材をこなしてきたけど、その本数は過去最多だった。これまで何度も載せてくれたアイドル雑誌や音楽雑誌はもちろん、初めてノーコンを取り上げてくれたところもたくさんあった。
中には「大注目アイドルグループ、ノーコンセプトガールってどんなグループ?」とグループのコンセプトを一から説明してくれる特集もいくつかあってそれを見てファンになりましたという人がたくさん握手会にも来てくれていた。このタイミングで「コンセプトがない」、「物語性を押し出さない」、「裏側を一切みせない」などといったグループの根幹を世間にむけて大々的にアピールできたことで更に広い層にまでノーコンセプトガールの名を浸透させることに成功した。
また通常はアイドルグループが載るなんて考えられないような老舗の音楽雑誌にも取材を受けた。これは結構な快挙だったようで、賛否両論が巻き起こった「もはやノーコンセプトガールはアイドルではない」という見出しは大きな話題を呼んだ。
アイドルじゃないのなら私たちは何なのだろう? アーティスト? タレント?
いろんな人が好き勝手に透子たちのことを語るけど、その答えはわからない。この前もテレビで直接会ったことのないタレントの人が古くからのノーコンファンとして紹介されていて透子たちについて語っていた。
そして先日出演した生放送の音楽番組での「事件」が透子たちノーコンセプトガールの名前を全国に轟かす決定打となった。
何十年も続いているゴールデンタイムの生放送の音楽番組に遂に出演することができた。ブレイク間近の新人アーティストを紹介するコーナーでノーコンが歌わせてもらえることになった。
本番、早い出番で滞りなく一分半のパフォーマンスをあっさり終えた透子たちはひな壇に座って他の出演者のトークを聞いて大げさにリアクションしたりVTRで流れる曲を声に出さずに口ずさんだりしていた。こういう番組では透子たちのパフォーマンスなんかそれほど注目されていないことはいろんな歌番組に何度か出演させてもらっているうちにわかった。楽器を演奏したりプロのダンサーの人みたいに超人的な踊りをしたりしないアイドルのパフォーマンスなんてカメラの向こうで見ているほとんどの人に馬鹿にされていることは重々承知だ。それでも透子たちは笑顔を絶やさず、ともすれば学芸会と揶揄されるパフォーマンスを全力でやりきって鬱陶しいと言われながらも他の人が言うことに馬鹿みたいに大げさに反応する。そういうのが苦手な透子も無理して頑張っていたのだけど、やっぱり上手いこと出来ていなかったようであまりカメラに抜かれることはなかった。
すると何やらスタジオに不穏な空気が漂い出しているのに気付いたのだが、透子たちに与えられたのはカテゴライズするとゆるキャラとかと同じような仕事なので、透子はそれをヘラヘラしながら眺めていた。
現場に現れた異変の正体はすぐにわかった。どうやら出演者の一番の目玉であった海外からのお客様、マイヤ・スターリングがパフォーマンスできなくなってしまったとかでカメラの後ろ側はてんやわんやの大騒ぎだった。インカムを付けたネルシャツにデニム姿のスタッフさんがCM中に司会者とこの後の流れについて話し合っていた。
それをすぐ後ろで聞いていて、ここ最近の良い流れを感じつつも今ひとつ決定打に欠けると感じていた透子は発言した自分でも驚いてしまうようなことを口に出していた。
「あの、私たち曲さえ流してくれればもう一曲くらいできますけど」
楽器のセッティングとか特別な準備も特にないし。曲に乗せて笑顔で動き回ってればいいし。
そうして余った時間を埋めるためにノーコンは更にもう一曲パフォーマンスすることを許された。自分から持ちかけた提案だったとはいえ、それはまさかの展開だった。予期せぬハプニングに混乱していた制作サイドは正常な判断力を失ってしまっていたのだろう。
せっかくだからとことんやろうと透子は演出にちょっとだけ口を出させてもらった。やけくそになっていた番組スタッフはその提案ももはや悪ノリとしか思えないテンションで採用してくれた。
透子の演出案によるノーコンのアンコールステージはこんな感じだった。
パフォーマンスが始まるとノーコンのメンバーたちはセットもないただのスペースでカメラワークも照明も何も決めずとにかく踊った。通常なら画面の下部に表示される歌詞もない。だから絵的には定点カメラで撮影したリハーサル映像に毛が生えたくらいのものだっただろう。それをテレビで数分間流し続けるのはいくらなんでも厳しいので途中でリンリンとメイメイにスタジオを飛び出させる。向かった先のマイヤ・スターリング様と張り紙がされた楽屋をノックして扉を開けると、中から飛び出してきたのは世界的歌姫ではなく透子でズッコケる。その後、三人はスタジオに戻り最後に他のメンバーたちとポーズを決めて締める、というものだった。
それは茶番と言われても仕方ないようなちゃちな演出だったのだが、放送終了後、三分程のパフォーマンスの模様が動画サイトにアップされるととんでもない再生数を記録することとなった。
そうしてノーコンセプトガールは良くも悪くも世間に名前を売っていった結果、三月に行われる武道館でのライブは先行抽選の段階から相当な倍率となった。
今日の楽しい収録が終わって明日になると武道館のための本格的なリハーサルが始まる。透子がセンターになって初めての大きなライブは、過密スケジュールによって準備期間が今までで一番短かった。
短いと聞かされていた準備期間は本当に短くてあっと言う間に過ぎ去ってしまった。でも最近のいい流れもありメンバーもそれぞれ手応えを感じているのか短期間でも集中してそれなりに良いリハーサルができた。武道館で単独公演を行うのは二度目だけど、一度目は観客動員が思わしくなく二階席の大半は暗幕で潰され、それ以外にも空席が目立っていたので今回のライブはリベンジの意味合いも含まれていた。しかし「ノーコンセプト」の制約により特別な意味合いをこちらから大々的に打ち出せないので表向きにはただ武道館でライブを行うだけということになっているけど、実際にはファンの人たちが勝手に物語を作って盛り上がってくれていた。
結成された頃はたぶんそこまで深く考えず斜に構えた誰かが思いつきで言い出した「ノーコンセプト」という誓いは、最近ではこんな風にあえてこちらが何も言わないことによって人々のドラマチックを求める部分がかえって大きく刺激されるという副産物を産み出し始めていた。それは前触れなしのセンター交代でも同じような作用が生じていた。
これまで何度かのライブツアーの経験や武道館でやるのが初めてではないということもあって順調にリハーサルをこなし、トラブルもあまりなく本番当日を迎えた。
昨日までは汚いレッスン着にすっぴん、ボサボサの頭だったのが髪型をセットし可愛くメイクして綺麗な衣装に着替えるとアイドルが出来上がる。もうすぐライブの始まりだ。出番ギリギリまで付けられている前髪のピンを外したら全員で集まって円陣を組み気合いを入れる。
「円陣行くよー! 急いでー!」
グループのリーダーの黒瀬マドカが号令を掛ける。楽屋として用意された部屋はとても広く、メンバーたちは方方に散らばっていたので全員が集合するにはまだ時間がかかりそうだった。
ライブが始まる直前の空気が透子は苦手だった。なんだかみんながそわそわして、これから始まることへの緊張と不安を口にするけど、言葉や態度の中には抑えきれない期待感が漏れ出していて、それがなんだかこそばゆかった。いつもと違うテンションになってはしゃいでいるメンバーやスタッフを見るとなんだか透子は冷めてしまう。
どんどん冷えていく透子を置いて温まっていくみんなから出たふわふわした空気が天井の近くに溜まっていく。透子は低い姿勢になってまだ冷たいままの床の近くまで潜った。
何人かでリハーサルのときに書き出したノートを見ながら立ち位置の確認をしていたり、携帯で写真を撮っていたり、手鏡で顔面の最終チェックをしていたりしたメンバーがやっとぞろぞろと集まってきて円を作った。透子もマリーに急かされてようやく水面に顔を出した。
「彩雪! 円陣!」
廊下の一番奥は明かりが届かないから薄暗く、そこだけ真空状態みたいだった。彩雪はマドカが自分の名前を呼ぶ声を無視して踊り続けている。全員に配られた進行表を丸めてマイク代わりにして一人だけのライブは進む。音は流れていないけどその動きからライブの最後に予定されている曲だとわかった。マリーの手とアイリーンの手を握る透子の左右の手のひらにじわりと汗が滲んだ。
「彩雪、時間だよ」
踊り終わるのを待ってマドカが優しく言うと、彩雪はすでに一公演やりきったみたいに肩で息をしながら円陣の最後の部分を繋げて輪を完成させる。見ているだけで湯気が出そうな彩雪だけど不思議と汗は全然かいていないみたいだった。綺麗に分けられた前髪も崩れていない。
「じゃあ行きます。えー、昨年に続いて武道館です。リハの時間が取れなくてみんな苦労したと思います」
マドカは用意されている拡声器を使わず肉声でメンバーたちに語りかける。メンバーたちも集中してマドカの言葉に耳を傾けた。しんと静まり返った中を動き回るカメラを構えたスタッフが着ているナイロンジャケットが擦れる音がシャカシャカうるさかった。
結局、全員で頭から最後まで通しでてきたのはゲネプロでの一回だけだった。グループとしても仕事が増え、個人でも活動するメンバーも何人かいる。これからは足りない部分はそれぞれで補っていくしかないのだろう。
「その分、集中して準備ができたと思うので、今日はその成果を思いっきり発揮しましょう」
特に彩雪は出演していた舞台の公演と重なってリハーサルにはほとんど参加できていなかった。
「じゃあ、トーコから一言」
「えっ!?」
一気にみんなの視線が透子に集まる。カマカンこと鎌本カンナが「よっ! センター!」と野次を入れてきた。そのおかげで多少雰囲気が和らいでみんなの表情がにこやかになった。やっと我に返った彩雪も優しい笑顔でこっちを見ていた。
「あー、ええっと、じゃあまあみんな怪我のないように、頑張りましょう」
「それだけかい!」
カマカンのつっこみに笑い声が上がる。透子も笑いながら「こういうの苦手だからやめて」と言った。
「じゃあトーコの言う通り怪我のないようにみんな気をつけて。それじゃあ行きましょう。……ノーコーン! イチニッサン!」
「ウォイ!」
昔からやってるちょっとダサい掛け声で気合いを入れた。
円陣が済むと注入した気合いを中和させるために決まってスタッフの人も含めてみんなで拍手をしながらハイタッチをする。なかにはより多くの気合を注入するために背中を思いっきり叩いてもらっているメンバーもいた。
この時間が一番苦手な透子はいつものように足早にステージ袖に移動した。
ステージ袖まで来ると会場の熱気が少しだけ伝わってきた。透子がセンターになってから初めての大きなステージでのライブが始まろうとしている。
「トーコやばいよー。ミスしたらフォローしてね」
ステージ袖はすごく暗い。ここにいるとどんどんと瞳孔が開かれていって透子の体が闇に包まれていく。すぐにライブの始まりを告げるオーバーチュアが流れ出すだろう。透子は目を閉じてその時を静かに待つ。右手に繋がれている彩雪の手はとても冷たかった。
「次の曲で本当の本当に最後の曲です」
「えぇぇぇーーー!」
満員の観客が心底残念そうな声を挙げて避けられない終焉に拒絶の意思を示した。いつものお決まりのやりとりだが、今日はそんな風に駄々をこねたくなる気持ちもよく理解できた。
「今来たばっかりー!」
すでに開演から三時間近くが経過しているけど客席からのふざけた野次も本当にそうかもしれないという錯覚に陥ってしまいそうだ。
会心のライブだった。ノーコンの今の勢いを具現化するかのように、何を歌っても満員の場内は沸き上がり、透子たちの出す全ての要求に観客たちは従った。激しい曲では共に踊り、静かな曲では歌詞の世界へ一緒に入り込んだ。透子は武道館という空間を完全に支配できたような気分だった。
大音量の音楽と激しいライトの中で踊りながら見た光景は透子がステージに立つ意味を思い返させてくれた。
誰かのためになりたい。
透子は大層ご立派でご高尚なことを思ってこの世界に入ったわけではなく、どうせ何かをやるなら誰かのためになってくれた方がいいという思いからアイドルになった。将来の夢も特になく特別なバックボーンもない透子がこうして小奇麗に着飾らせてもらい大きなステージに立たせてもらっているのだからできるだけたくさんの人に幸せになってもらいたかった。そんな理想に今日のライブでは少しだけ近づけた気がした。
ステージに立つと後ろの方までお客さんがよく見える。こんないかにもアイドル然としたことを言うと胡散臭いと思われるかもしれない。確かに最上段の一番奥にいるお客さんの表情までを肉眼で見ることができるかというと、できない。でも全ての人が例えば笑ってくれている、みたいなことがわかるような感覚に襲われることが極稀にあって、今日はそれを感じられた。また、ちょうど真ん中の一番後ろにいた全身黒づくめの人なんかタオルとかうちわを持っていなかったけど絶対自分のファンなんだろうなという確信すらあった。
モヤモヤしていた視界はライブが進んでいくうちにどんどん晴れていくのが目に見えた。今透子の目の前には雨が上がってそれまで宙を舞っていた埃がパーっと消えたみたいに澄んだ景色が広がっていた。
そんな中を先頭に立って真ん中で踊るのは気持ちが良かった。「フォローして」なんて言っていた彩雪はミスひとつなく完璧だった。いつでもどんなときでも大事なところはバシっと決めるのがなんとも彩雪らしかった。そんな彩雪と、いつも通り華麗に舞うマリーが両脇にいてくれるのは本当に心強かった。
「じゃあ今日の感想を誰かに聞きたいと思うんですけど……」
アンコールの一曲目が終わり、ここまでMCらしいMCの時間がなかったのでこの時を待っていたようにお客さんがステージにいるそれぞれが好きなアイドルに手を振り声を上げる。
「誰にしようかな……」
マドカが用意された台本にそって今日の素晴らしいライブを締めくくろうとしている。この後の段取りでは透子が指名されることになっている。
「それじゃあ……、えっ? あっ、じゃあ、彩雪」
予定通りコメントを用意していたのにマドカは台本通りに透子を指名せず、決められた流れを無視して手を挙げた彩雪を指名した。
「はい。えー、みなさん今日は本当にありがとうございました」
今は何を言っても最高のリアクションが返ってくる。一列に並ぶノーコンのメンバーたちから一歩前に出た彩雪はライブを一本やりきったところだというのに首から上には一滴も汗をかいていない。
「今日のライブ、いかがでしたかーっ?」
今は何を言っても最高のリアクションが返ってくる。でも彩雪の言葉に対する反響の大きさは格別だった。彩雪は客席からの賞賛の声を全身で浴びると無邪気な子供みたいなくしゃっとした笑顔を見せる。あんな顔をされると誰でも彩雪のことを守ってあげたくなるだろう。
「今、ノーコンにはいろいろな変化が起こっています。私自身も力不足でその変化に付いて行けてなくて悔しい思いをすることもあるんですけど、こうしてライブにたくさんの皆さんが来てくれて名前を呼んで応援してくれるから私は頑張れます」
彩雪が目を伏せると潤んだ白目に長いまつげが浮んだ、ところが透子たちの背後に設置されているスクリーンに大写しになった。その後、そんな彩雪に喉が潰れんばかりに声援を送る観客たちの姿が映し出されていく。彼らは漏れなく彩雪の名前が書かれたタオルやうちわを掲げていた。
支配できていたと思っていた空間が、透子の手からするすると滑り落ちていき、途端に居心地が悪くなる。今までステージにしか当たっていなかった照明がいつの間にか客席にも向けられていた。
「みなさん、これからも私を、そしてノーコンのことを愛してくれますかっ?」
「ウォォォーーーっ!」
今は何を言っても最高のリアクションが返ってくる。しかし彩雪に限る。
明るくなった客席は彩雪の言葉で心を動かされた人で埋め尽くされて全ての人が拳を振り上げていた。澄み渡っていた世界がどんどんと濃い色に塗りつぶされていくみたいにぼやけていった。
「それではみなさん、最後まで盛り上がって行きましょう。聞いてください」
深々とお辞儀する彩雪が頭を上げる気配がないのでマドカがマイクを引き取って次に進める。たぶんそうしないといつまで経っても彩雪は顔を上げなかっただろうし、客席の狂乱も静まらなかっただろう。
――今日のライブで世界が変えられると思いました。
透子が用意していた言葉はマイクを通ってスピーカーから大きく発せられることはなかった。
ライブを締めくくる最後の曲はいつも同じだ。昔から何度も披露してきたその曲では真ん中で踊るのは彩雪だ。この曲が発表された当時、歌唱メンバーに選ばれていなかった透子には本来この曲を歌う資格はなかった。今日のライブで歌ってきたなかで最も後ろの位置で踊ると目の前を他のメンバーの背中に遮られてしまった。
ここからでは世界なんて変えられそうもなかった。