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私の背中を押してください  作者: 箱々屋満平
15/16

最終話

 それは救世主の帰還というには荒れ過ぎていた。民衆の人垣の上を歩く少女は、まるで国家の転覆を謀った大罪人が斬首台までの道のりを見せしめのために歩まされているようだった。取り囲む民衆たちは礫を飛ばさんばかりに光る棒を力いっぱい振っていた。


 両足に鉄球が縛り付けられているようだ。空から落ちる雨粒は酸が混ぜられているみたいで顔に当たった部分をひりつかせた。ステージに出た瞬間は降っていなかったと思うけど、気付いたらスタジアムが水浸しになるほどの激しい雨が降り注いでいた。

 ライブが始まると没入しそれ以外のことが考えられなくなる、というゾーンに透子はまだ入り込んだことがない。この次にどう動くかとか次のパートの歌詞とかどんな表情をすればいいかとかいろいろなことを考えてしまっているから無心で、無我夢中に、なんてなれっこない。でもだからいろいろなことが見えるのかもしれない。

 今も打ち付ける雨に顔をしかめてしまわないようにとか歌い出しまでの時間と歩く姿勢、あと目線の位置のことなんかで頭がいっぱいだ。そういえば風は止んだみたいだ。

 透子はスポットライトの光が照らす場所からはみ出さないように慎重に足を運ぶ。この光が当たっていないところに足を踏み外してしまうと真っ暗な谷底に落ちてしまいそうな気がした。

 いろんな音がする。最も大きな客席からの声の後ろの綺麗な旋律に耳を凝らす。

やっぱり良い曲だな。これまでの曲の中で一番好きかもしれない。ファンの人たちは相変わらずすごい対応力で初めて聞くはずの曲なのに徐々にお決まりのコールを入れだしていた。

 ちょっとお願いなんだけど、この曲は静かに聞いてくれないかな。まあ、でもそんな決まりないし好きに楽しめばいいよね。あとイントロが終わったらもうちょっとアップテンポの明るい感じになるからね。

 目が慣れてきたのかさっきまでぼやけていた景色の輪郭がしっかりしてきてセンターステージの様子が見えてきた。透子を迎えるためにメンバーが花道の続きを作ってくれている。

 一番手前にリンリンとメイメイが立っている。メイメイは曲の世界観に浸ってすまし顔を作り、リンリンは透子の方を見ていたずらっぽくニヤニヤと笑っている。そのまま足を止めずにメンバーの間を歩く。髪を伝う雨水が肩に落ちる。いや空から直接降ってきているのかもしれない。夏の終わりの日に降る雨は楽しかった思い出もやり残したことも全てを洗い流そうとしているみたいだった。

 花道の最後にはマリーと彩雪が待っていた。お手本みたいな姿勢の良い立ち方をしているマリーと、なんでかわからないけどへにゃへにゃしてしまっている彩雪がいる場所から一歩踏み出した。すると流れる音楽は透子が長い旅路の果てに辿り着くのを待ってくれていたかのように転調して、それに合わせて花道を作っていたメンバーが左右に散らばっていく。

 途端にステージの真ん中に一人で残されてしまった。360度、全方向から観客に囲まれ寄る辺がなくなってしまった透子は心細くなって叫びだしそうになる。それを必死で抑え込んで歌に乗せて吐き出した。


 歌い終わった。歌い終わってしまった。

 ワンフレーズ目を歌いだしてからの記憶がなかった。果たして歌詞や振付を間違えずにちゃんとパフォーマンスできていただろうか。足元を確認すると、最後に立つべき所定の位置についていたので踊れてはいたのだろう。

 少しして、四方から透子たちを包むように拍手の音が轟いていることに気が付いた。透子は自分に送られる賞賛に応えるために一度立ち直してから深々と頭を下げる。それを見た観客たちは更に強く手を叩いた。

 背中を打ち付ける雨が一曲歌い終わって火照った透子の体を冷ましていく。同時にいつもの冷静さを少し取り戻すと自分の行動に滑稽さと白々しさを感じて地面に強く打ち付けられたボールのように勢いよく頭を上げた。すると今まで支配できていた空間が手からするすると滑り落ちるようにこぼれていった。観客たちも魔法が解けたようにまたそれぞれ好き勝手に暴れ出した。

 透子に出来るのはここまで。場所だけ真ん中に立っても、やっぱりどうやっても神様に透子は見つからなかった。最近、新しいものが流行り出したり新人タレントが急に売れ出したりすることを「見つかる」と表現するのをよく聞くことがあって、あんまり好きな言い方じゃないと思ってたけど、自分も無意識で使ってしまった。

 他のメンバーはいろんな方向に手を振っていた。そして観客の人たちも思い思いの方向へ手を振っていた。その視線をもう一度集めるために透子はまた言葉は発さないといけない。

「みなさん、ご心配おかけしてしまい本当にごめんなさい」

 散り散りになっていた視線がまた透子の元へと集められる。

「そんなことないよー」

 美しい曲を歌い終えてもまだ透子の中には邪魔なものが残っていた。捨てた捨てたと思っても奥底までこびりついたそれは完全には消し去ることは難しいみたいだ。でも前よりは軽くなったみたいで、こういう場所では軽い感じで言葉が出てくるようになっていた。

「こうしてまたみなさんの前に戻ってくることができて、それもこんなに大きなステージに立つことができて本当に嬉しいです。まだまだ実力不足な私たちがこんなところでライブが出来るのもみなさんのおかげです」

 これくらいのことは目をつぶってでもできそうだった。現にスタジアムは透子の言葉に湧いていた。


 出来る。私は出来ている。


 でも何にもしなかったら何にも出来ない彩雪に全部の視線を持って行かれてしまう。早く、何か心を惹き付けるフレーズを絞り出さないと。

「これからもみなさんと一緒に素敵な時間を過ごせるように頑張っていきますので、私の背中を押してください」

 反応は上々だった。力が入りすぎて後半の方は変な言い方になってしまったかもしれないけど、まあ及第点だろう。

 これ以上マイクを独占するのは良くないのでマドカに渡す。

「それじゃあトーコも戻ってきたところで、次が最後の曲になります」

「えぇぇぇー!」

 最後の一曲を披露したら、この日のライブは幕を閉じる。ライブ後も何かあった気がするけど、何なのかは思い出せない。まあ、何でもいいか。今ならたぶんちゃんとできるだろうから。




「こんだけいたら嫌いな人もいるんでしょ?」

 収録が始まってすでに数時間以上が経過してからやっと司会者の人に話を振られた。顔面にずっと貼り付けている笑顔のまま透子たちは「いないですよー」とか「みんな仲良しです」と全く面白くない返しをした。それでは不服と司会者は追求の手を緩めない。

「楽屋で嫌いな奴の衣装に画鋲しこんだりしてるんじゃないの」

 ここで初めて笑いが起こった。もし笑いがサッカーで言うところの得点だとすれば得点者には司会者の名前が刻まれるだろう。

 今日は特番の収録でたくさんのタレントや有名人がゲストとして集められて、ひな壇型のセットにテレビの中の世界で格が上の人から低い位置に座らされていた。透子たちはちょうど中段の一番外側だ。司会者のお笑い芸人は元々毒舌が売りで人気が出た人だけど最近ではこうした司会業や朝の情報番組のコメンテーターを中心に活躍していた。

「でもあなたなんか最近一人でシャンプーのCMやってるでしょ? 今日は二人に挟まれてるけど、本当はこんな番組も一人で出たかったって顔してるね」

「えっ?」

「えっ、ってことは図星じゃん」

 どかん。

 司会者のツッコミでスタジオは大きな笑いに包まれた。こんなときも真ん中に座る彩雪は自分のペースを崩さない。トーク番組があまり得意ではないのか、いつでも今朝飼い犬が死んでしまったのかと心配になるくらい表情が死んでいて自分からは一切喋らない。だから今日のように両サイドに座る透子やカマカンが代わりにギャーギャー言うことになるのだけど、その度にうるさい奴らだと思われてしまう。話を聞いているのか聞いていないのかわからないような顔をしている彩雪をいじった方がおいしいと判断した司会者はその後も執拗に彩雪に話を振り続けた。まあ、彩雪は本当に話を聞いていないんだけど。

 グループ内での不仲の話が終わったらたぶん給料の話や恋愛禁止、いつ卒業するのかのどれかについて聞かれるだろう。テレビを観ている人だってもうわかってると思うけど、それらの話題について透子たちが答えられる回答はあらかじめ決められている。他のグループでも散々繰り返されてきた退屈なやり取りをまたこうやって求められるってことはたぶん世間の人たちが透子たちについて興味があることなんかそれくらいってことなんだろう。

 マニュアル通りの返しを用意していたら彩雪が素っ頓狂なことを言い出して、いつの間にか彩雪を中心にトークが展開されていた。いつもみたいに。

 ひとしきり話が盛り上がったところで司会者の隣にいるアシスタントの女性タレントの人がしたり顔で語りだした。大昔、まだリンリンやメイメイが生まれるずっと前にアイドルグループにいたその人は「私たちの頃は」とか「先輩アイドルとしてのアドバイス」を得意げに披露してくれたけど、同じアイドルの話とは思えないくらい透子にはピンとこなかった。一連のやりとりを数パターンの相槌と笑顔を駆使して乗り切る。

 こんな風にして日々は続く。

 そしてまた週末になるとライブや握手会をする。確実に有限の未来が終わりに近づいていく。


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