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farero ― 灯台守 ―

 突然、後頭部に鈍い衝撃を感じて、不快感に意識が覚醒する。



「起きろ、この宿無しが」



 目蓋をこじ開けながら、声がした方に慌てて顔を向ける。

 赤紫色の夕陽を背に縁取られた男のシルエット。



「こんなところで寝るな、と言ったんだ。邪魔だ」



 私が枕がわりにしていたバックパックをもう一度蹴飛ばすと、その人物は低い声でそう唸った。


 隅々まですっかり冷え切って震えの止まらない身体をさすりながら、気力を振り絞って上半身を起こす。



 相手は、小柄な老人だった。


 潮風になぶられるままの白髪。

 古びたニットの上に乗った顔には深い皺が刻まれ、張り出した眉骨の陰で深い海色の瞳が鈍く光っている。


 しかし、初対面の相手にいきなり「宿無し」とは、口が悪い。

 実際その通りだから反論出来ないのだが、自分の口調に拗ねた色が混ざるのも隠さず、私も老人に言い返した。



「そう言われてもね。行く所がないんですよ、セニョール」


「……ほぉ、カステリャーノを話すのか、chinoチーノのくせに」



「カステリャーノ」とは、スペインの首都マドリード周辺地域で話される標準的なスペイン語のこと。そして、「chinoチーノ」とは「中国人」を指す言葉だが、この老人が中国と日本の違いを認識しているか、疑わしい。


 おおよそ「アジア系」「東洋人」程度の意味で使っているのだろう。


 スペインの地方部における日本の認知度は、決して高くない。自分は中国人ではなく日本人だ、などといちいち説明するのも億劫なので、私はだんまりを決め込んだ。



「……ついて来い、chinoチーノ



 私の沈黙を、老人がどう解釈したのかはわからない。だが、逆光に負けじと視線を合わせていると、老人はそう言い捨ててさっさと歩き始めた。


 そのあまりの素っ気なさに、聞き間違えたのかと逡巡する。すると、もう一度こちらを振り返って「聞こえないのか。ついて来いと言ってるんだ」としわがれた声を張り上げた。


 他に行くあてもない。


 私はわざと緩慢な動作でバックパックを背負い上げると、老人の背中をのろのろと追い掛け始めた。



――――――



 小柄な老人の背中は意外な素早さで、教会の裏手へと消えていく。そのまま墓地へ上る道を脇に逸れて、丘の裏へと回り込んでいった。


 こちらは重い荷物を背負って、旅の疲れもあるというのに。配慮してくれる気配は全く感じられない。慣れた足取りの老人の後をフラフラと辿りながら、ようやく私も丘の裏側に至る。



 にわかに開ける視界。下方から不意の強風に煽られて、思わず仰け反りそうになる。数羽のカモメが上昇気流を受けて、私のすぐ側をフワフワと漂っていた。


 なだらかに下る斜面のずっと先、青黒い海に細く突き出した岬の突端。



 そこに、小さな灯台が見えた。


 遠目に見ても、さほどの高さはないとわかる。白色の石造りで、二階建ての住居が併設されていた。



 灰褐色の階段が真っ直ぐ、岬まで伸びている。そして、他に建造物は見当たらない。つまり……


「あそこまで歩くならば少し休ませて欲しい」とは男の意地でどうしても言い出せない。


 バックパックを背負い直して、歯を食いしばると、ひたすら老人の背を追った。



――――――



「ここを使え」



 甲に銀毛を生やした皺だらけの手で、扉を開く老人。


 やはり灯台に併設された住居は、この老人の住まいらしい。そうすると、彼は灯台守なのか。



 案内された部屋に足を踏み入れ、室内を見渡す。


 奇妙な違和感。その原因はすぐにわかった。この部屋の調度は、少しずつサイズが小さいのだ。


 子供部屋だったのだろう。



 意外に聴き取りやすい口調でトイレへの経路を説明する老人。無愛想に思えたが、どうやらここに宿泊させてくれるらしいし、根は親切なのかも知れない。


 その旨を伝えて感謝の言葉を述べると、鼻を鳴らされた。鷲鼻からはみ出した銀毛が揺れる。



「勘違いするな、chinoチーノ。儂はお前の事など、放っておけと言ったのだ。だが、ガブリエラが……」


「ガブリエラ? 奥さんですか?」


「……誰だろうと、お前の知った事ではない。風呂を使う時には一声掛けろ」



 それだけ告げると、木製の扉を乱暴に閉めて老人の足音は遠ざかっていった。



 正直言うと酷く空腹で、背を伸ばして立っていることもいまや苦痛だった。食事のことも尋ねたかったのだが……


 いや、久し振りにまともな場所で眠れそうだし、これ以上を求めるのは贅沢というものだろう。



 使って良いとは言われていないが、ベッドメイクされたばかりのシーツと毛布が視界に入ると、もう我慢出来なかった。


 バックパックを降ろすとそのままベッドに倒れ込む。はみ出した足を折り曲げて、なんとか毛布の下に身体を納めた。



 途端にこみ上げるカビ臭さに顔をしかめる間も無く、私の意識は窓外から聴こえる波音に溶かされていった。

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