5話 戦慄舞台(2)
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東京――
単調な色彩ながら漂わす高級感。ダークブラウン系絨毯の通路と程よく照射するダウンライトの天井。両サイドの艶かなライトブラウン色木製壁と重厚な扉が、老舗をアピール。
それを背に、吹き抜けの一階を見下ろすのは、優雅さえも感じるだろう。が、私の気は張っていた。廊下中間ほどの部屋にいるだろう者たちに接触できるかどうか、の賭け前だからだ。
(三穂……フッ、なんか借りを作ったような気分だ)
富山から始発で帰京。旧型茶店で朝食後、この有名ホテルへ。三階で様子を伺っていたが、ある部屋に食事が運ばれ、入室する複数のメンバーを確認できた。見たことのある顔も数人。
つまり、女医の情報は正しかった、ということだ。
正午過ぎに始まったであろう、その“定例会”らしき集会が終わるまで待機した。部屋に飛び込みたい気持ちもあるが、流石に……無理せずにいた。2つの扉外に立ちはだかる、SPらがいるから、だが。
一階ロビーを往来する人たち、ホテルキャストを高みの見物するのも、意外に愉しい。
(ん!? まさか、な……)
知っている人物に似た者の、斜め後姿。数メートル移動し、確認を試みたが。フロントとは逆の方へ、姿を消した。
それから暫くしてのこと。1時を過ぎていた。ふと廊下を見ていたが、律儀な姿勢からは程遠いSP。身体をボウフラのように畝らせ、片手を腹部に、片手を尻に当てていた。それも、2人同時に。
(あいつら、何食ったんだ?)
突然部屋から退出してきた、一人。扉の音のみで姿勢を正す、SPたち。その2人に興味を示さず、グレースーツ姿の眼鏡男は私の方へと、近づいてくる。咄嗟に背を向け、ロビーを見下ろす。耳穴で気配を伺いながら。エレベーター到着の音色。閉まったであろう音で、首を回し目視。眼鏡男の姿はなく。
(どこに行くんだ?)
上昇していく男を私は、知っていた。昨年、あの犬島で写真に収めた後、身元を調べていたからだ。
視線を戻した。
(あ〜ららっ)
我慢の限界なのだろう。1人がモゾモゾ歩き出し、もう1人に声を掛けながら、姿を消した。その間も無く、残りの男も尻を抑えながら、奥の特別な個室に向かった。
(おいお〜い、SP失格だぞ〜ぉ)
心の中では緩めの笑い。だったがすぐに、緊張度が逆転した。
(なっ!)
廊下奥から歩いて来る、ズボンポケットに手を突っ込んだ、細身の少年。SPのいない奥側の扉で立ち止まり、コチラを見ている。私に、気づいていた。
(な、なぜ君が!?)
彼の目には怒りとも悲しみとも取れる、決死の覚悟が現れていた。なのに、薄らと浮かべる口元の笑みは、恐いほどに……。
寸刻、迷いなく木製扉を開き、部屋に消えた。
(ま、まさか……い、いかん!)
咄嗟に駆け出し。手前の扉の金メッキ取手を握ると同時に勢いよく開け、踏み込む。
いるはずの者たちの視線を、無視しながら。あるはずもない風を、顔肌に感じながら。解るはずもない回旋する塊を、両眼に映しながら。
腕を突き出す少年を、眼中に捉えた。
(やめ)
叫ぶことも間々ならず、瞬間、物陰に身を潜めた。
経験のない調和もない、破壊されているだろう轟音と振動だけが、刻み込まれた瞬間だった。
***
痛みを堪え、戦慄舞台となった高級ホテルから、程よく離れた。
<は~い、空腹で死にそうな砂で〜す>
交互一車線の通りに不似合いの赤色灯車らと野次馬の背を眺めながら、電話。
「あ~分かったよ……で、どこだ?」
<東京暁医療センターっす>
「今から行く」
警察が来る前に依頼していた。探偵の砂場仁に。
それは亡骸が何処に運ばれる、かだ。確証はなかった。損傷の少ない者なら、組織にとって今後も使い道は、あるだろうから。
病院に運ばれたのは、4人。手術を終えた順に、個々の肉体は特別区域の病室へ。一般の入院患者の目に止まらないように、と予想がつく。
その区域だけは視覚範囲内でも異様さを、漂わせていた。通路手前には『関係者以外立入禁止』と貼紙された縦型ホワイトボード。通路の電灯は消され、その奥には数人の護衛《SP》らしきダークスーツの者たち。
病院で私自身も、治療を受けた。怪我人姿で堂々と待合ベンチに居座り、遠目ながら観察もできた。
「柳刃さん、よく解放されたっすね、あんな早くわぁあぁあぁ」
欠伸しながら問いかけてきた青年を、無視したかった。が、時間経過も遅い。相手にすることで、紛らわすことにした。
「あぁ、俺を相手にしている時間も人もいなかったんだろう。所轄の捜査員と、十分話しただけだ」
当然ながら、現場で警察による事情聴取を受けていた。
『何故ここにいたのか?』の問いには「取材だ」と応え。『何が起きたのか?』の問いには「突然のことで、覚えてない」とした。『他に誰かいたのか?』の問いには、未成年の彼のことは触れず「殆ど知らない顔だから、分からない」と誤魔化した。
「データとか大丈夫っすか?」
「大丈夫じゃない」
カメラとスマートフォンのデータを調べられた。ジャーナリストとして「このデータは必要だ」と、駄々をこねてみた。
上役に相談してきた生真面目で物腰の低い若手捜査員は、『すみません。重要参考人として連行するか、場合によっては一切没収するとのことです。なんか、捜査の妨げになるから、情報が漏れると困るそうです。……』と、申し訳なさそうに説得してきた。
この件、公にするのは確かに難しいだろう。被害者、容疑者、そして状況、証拠など、総合的に考えても、だ。だからこそ、強気でいた。しかし、『容疑者として拘束することもできるそうです』と、再び上役からのお達し。渋々、この事件に関する画像を全て、彼の目前で削除していた。
「えぇ〜え!? 勿体な〜ぃ」
砂場の残念がる顔に、微笑みで返した。
機器を没収されなかったのは、幸い。ROMまで調べられたら、発覚してしまうからだ。演技はそれほど上手くないはずだが、最低限のデータは守れた。
「ただ気になることが、な……」
「おっ、何ですか?」
隣席の青年が目を輝かせ、身を寄せてきた。
「近い!」
尻の幅分、その彼から遠のく。が、その分近づいてくる。遠のく。近づく。鬱陶しさを感じつつも、仕方なくそのことを語り、時間を潰した。
その間、『立入禁止』のはずの通路から看護師に引率され入っていく、複数の老若男女たち。被害者の家族、と予想した。予想したのは、あることを想定しているからなのだが……しかし、以後特に動き見られず、閉館時間となった。
追い出された私と砂。救急入口と関係者入口の見える位置で、張り込むことに。4月中旬の夜に、震えながら。
深夜0時過ぎ。
(来たか!?)
横付けされた乗用車から降りる、2人。関係者入口から入館した。30分ほどで出て来た。2人の素振りからして、キャップ帽の男に興味を抱く。扉から乗車までの数秒間で、なんとか数枚、収めた。砂持参の高性能一眼レフカメラで。
後日身元確認のために、男らの写真をメールで送った。相手は、阿部阪敬俊。建毘師一族の総裁、らしい。彼とはあれ以来、相互協力関係を続けている。
残念ながら、『把握していない奉術師はいる』とのことだった。ただ、帽子男については『見たことがあるような』との返事も。同様の中途半端な反応を、砂も示していた、のだが。“空似”と思い込んでしまっていた。