43話『嘘をつく理由がない』
☆― 一人称 ―☆
火曜夜8時。
渋谷駅から徒歩4分ほど。裏通りの変哲なきビル内にあった。3階フロアでエレベーター扉が開くと、正面に目的のテナント。磨り硝子に大人しめな白文字での表記。“三穂クリニック”と。
「サクライ様ですね。お待ちしておりました」
このビルには相応しくない木目造りと緑色の、フロントにいた。上品なオーラを出しながら控え目で、扉奥の部屋へ案内してくれた受付嬢に、さらに奥の部屋出入口から顔を覗かせた者が、
「最後のゲストだから、今日は帰っても大丈夫よ」
と、戸締まりをお願いした。
院長室のソファーに座る前にコーヒーを勧められたが、断った。「あっそっ」の素っ気ない彼女は、対するソファーに座した。
「意外でした」
「何が?」
「もっと贅沢な造りだと……」
部屋を見渡しながら、率直な感想を述べた。
簡単な答えだった。患者は資産持ちの大物がほとんどだ。だからこそ、普段の緊張感を和らげるためには、この環境が大事だと。それに、患者が望むのは綺麗で贅沢なクリニックではなく、治療技術だと、告げた。
納得した後、ここに来た、いや相手に呼ばれた理由を確認することに。長居はしたくなかったからだ。
「なぜ、ここへ?」
コーヒーカップをローテーブルに置き、姿勢を正す女医がいた。
「申し訳なく、思っております。まさかあんな事件が起きるなんて……」
腰深めのソファーでやりづらいはずだが、頭を膝の高さほどまで下げてきた。
相手の意外な謝罪に、唖然。
「富山であの情報を提供しなければ……」
ホテルでの爆破事件、と世間一般に伝わっている事件の共犯者として、4日後に逮捕されたのは、事実だ。
ここの院長、三穂凜華からの情報がなければ、私はあのホテルに行くことはなかっただろう。だが、行きたかったのは私自身だ。
正直、彼女に嵌められた、と当時は思った。組織に批判的な立場の記事は、いつか私の命を狙いにくると考えていたからだ。組織に葬られることを、覚悟した瞬間だった。
「いえ、勉強になりました。聞くのと経験するのでは違いますからね」
一旦警察署に連行された後、スムーズな段取りで午後一には送検された。検察官の取り調べも行われた。1時間ほど形式的な問答の後、判定されず勾留された。だが、「不起訴」となった私は、釈放されていたらしい。マスメディアによって世間に、伝えられていた。
勾留翌日の朝、悪夢で目覚めた。幻覚が見え始めた時点で、“幽禍”を入れられた、と考えた。建毘師に助けを求めようにも、できるはずもなく。
以後、行動を覚えていない。悪夢、幻覚、幻聴の嵐で二日間苦しみ、心不全……私は、死んだ、らしい。
「……でも間に合って良かった」
「間に合った? あれはあなたの、指示でしたか?」
蘇生めた時、普通の部屋にいた。命毘師によって死後47時間後に息を吹き返したことを、知った。組織の手によって、奪命されたことも……。
「安全を確認できるまで」と告げられ、3食付きの山奥の別荘で、13日間。自由の身ではなく軟禁、と言っても過言ではない状態だった。
「指示できる立場ではないことは、以前もお話しした通りです。ですが、お願いはしてみました」
「(お願い!? 誰に? )であれば、命の恩人ですね。御礼を言わなければならないようです。ありがとうございます」
相手は目を閉じ、微笑しながら。
「誤解しないでくださらない。あなたのためではなく、私のためにやったことです。私が共犯みたいに思われるのは、気心なくて」
「(あ、そっ)そうですか。(元の女に戻った)……それで今日は?」
私の目を、凝視してきた。何か探られている感があり、私も表情を素振りも停滞させた。5秒ほどで沈黙は終わったが。
「如何です。新しい人生を手に入れたお気持ちと、お仕事のほうは?」
拘束されて5日目の午後、男が訪ねてきた。私の、今後について。つまりその事情を目前の女医は知っている、ということになる。
「まだ慣れません。窮屈すぎて」
「でしょうね。でも、あなたはあなただけのものではない、ということを忘れずに」
彼女の言う通りだった。
木戸駿平および柳刃公平は、5月以降、この世に存在していない。別荘に現れた男の依頼を考慮した結果、別人として生きていくことになった。ただし、ジャーナリストとして、だ。
他の仕事も選択できた。その場合、取材で知った組織や奉術師についての記憶を消す、と説明された。それに、新たな仕事に就くとしても、ジャーナリスト一辺倒の私が……今更、という思いだった。
日本人ジャーナリストとして、新たな本名と生活の場を条件付きで、与えられた。それが約1ヶ月半弱前。男の依頼は……三穂凜華も知っていた。
「事実、が条件です。偽情報ならお断りします、と」
吹き出し、笑い始めた。さらに女医は、言い切ったのだ。「事実を虚偽にしているのは、ジャーナリスト」だと。「出世、見栄、数字、金、保身のために」と。
(ふん。否定できねぇじゃね〜か)
ただ、「あなたは違うけど」と。これまでの影組織に対する記事は、見解は違ったが的外れでなかった、と評価してきた。
「事実を知ることは命懸け」だと、理解もしていた。
男の依頼は、『原稿を書くこと』だった。
HSの野望を少しでも遅らせるために。野望とは、現在進行形である連続殺害事件の裏に潜む、プロジェクトAR。以前より私が知りたかったことだ。
さすがに詳細までは教えてくれなかったが、国力衰退を目論む外国の存在を知った。その思惑で動くHSの抵抗勢力となった旧NS派の防御策のみならず、世論を巻き込んだ対抗が不可欠……と判断したようだ。そのために、記事にして欲しい情報を提供してくれることになっていた。
ただ以前と違うのは、自身のライター名ではなく、記者兼代筆者として。国産雑誌ではなく、米産雑誌日本版の記事として。
「彼の説得に時間は掛かったけど、先日の記事には感心してましたよ」
彼とは、アメリカ人ジャーナリストのことだ。それも業界では有名な人物で、私も名は知っていた。私が原稿を書き、その男から米国系出版社へ出す。つまり「HSは、手を出せない」ということだ。
(三穂、どんだけの人脈あるんだ)
彼女の案をもとに、NS側官僚は動いたことになる。相当な権力を持っていると、踏んだ。
ただ違和感もあった。
なぜ、その案を彼女が出してきたか、だ。メリットがなければ彼女は動かない。わざわざ私を生かしている意味が、解らない。その方法なら、私でなくてもいいはずだからだ。
それを問うてみた。
「簡単です。理由は3つ。あなたはお金では動かない。組織に対する執着心が強い。それに、奉術師に護られている」
「奉術師に、護られてるって、今仰いました?」
「まぁ、惚けても無駄ですよ」
「惚けてなんて? 言っている意味が解らない。阿部阪にだって断られたし、他に知ってると言えば、端上さんくらいだ」
「嘘が下手ね」
「嘘をつく理由がない」
「以前のあなたは、どんなに幽禍を注入しても発症しなかった。そんな報告を聞いていたわ。
つまりあなたの知り合いに、私と同じ進毘師がいるってことよ」
(すせりび……確か、幽禍を体内に埋め込まれても、清浄してくれる奉術師だよな)
覚えがなかった。彼女の言うことが正しいなら、納得するところもあった。闇組織への批判記事を何度掲載しても、なぜ他のものと同様に奉術師を使って、葬ろうとしなかったのか。その謎が解決した。
しかし、頼んだことも会ったことも、ない。正直に伝えると、目前の進毘師は半信半疑の範囲で、信じてくれた。
ただ勾留中は、その者の守護は不可能だ。だから闇に冒され、私は死んだ。
疑問が残るのは、それが誰なのか、どうして私を護っていたのか、だ。彼女も首を傾げていた。
私の内では、誰だか判らない進毘師がいたことで、蘇生かされた。感謝しかなかった。
今日私をココに呼んだのは、進毘師の名を知りたかったから、のようだ。もし判明したら、三穂凛華へ連絡することになった。組織の誰にも、言わずに。
私は白谷統真、ライター名儀賀羽哉人として、ジャーナリスト業を続けていた。
☆―☆―☆




