11話『キミの居場所、この世界のみ』
福岡――
「カチャッ バダッ トタットタットタッ ボォスン」
肩にかけていたバッグを古ぼけた木製机の近くに、落とす。机上にあるのは、安物のアナログ目覚まし時計。17時53分。
脱いだ紺のハーフコートをハンガーに掛け、壁へ。倚子を引き、学生服のまま重力に任せ腰を下ろした。暫くボーッとし。バッグから教科書などを取り出し、机上に。
そのタイミングで鳴り響く、電子音。ポケットから取り出したスマホの、表示。“光”。その者からのメールを、開いた。
『条件1 直毘師になれ
条件2 指示に従え
条件3 口外するな
女が助かる 条件』
勢いよく立ち上がったために、椅子の背もたれが打音と同時に畳に吸い寄せられた。
ディスプレイを睨みつける少年。慌てて襖を開け、隣の部屋を見渡す。小さな四角テーブルと、キレイに畳まれた布団。小さな鏡台に諸々の化粧品。壁には女用の服が連ねられている。
スマホを操作し、耳に当てた。3コール後に、無音。
「姉さん!?」
「プチッ、ツーツーツー」の寂しくなる音色を即切り、再操作。
「お掛けになった電話番号は、電波の届かない場所におられるか、電」
自ら途中で切ることに。
突如思い立つように、狭い玄関で靴を履き、飛び出す。施錠もせずに。“吉岡山荘”の表札がある門を突破し、走った。必死に。
街灯に照らされた素朴な道を、20分ほど走った少年。白息は乱れ、鼻先と頬は赤く、額は薄らと汗ばんでいた。
着いた先の扉を躊躇なく、開く。
「あらっ、陽くん、お久しぶりぃ」
「ハァハァ、ねえさん、ハァハァ、ゴクッ、光姉さんは? ハァハァ」
「お姉さん、今日来てないわよぉ。体調悪いから休みたいって、今朝メールあって。……あれっ? お姉さん、何かあったの?」
「…………」
何も言わず、軽く会釈。扉を閉じ、再走。
近所のスーパー、コンビニ、書店に駆け込む。姉が行きそうな場所を探しているのだろう。しかし、会えず。
20時過ぎ。寒空の下をとぼとぼ歩く少年。ふとスマホを取り出した。見えたのは、メールのアイコン。受信に気付かなかった。早々に開く。
『2月28日16時
広島桜宮病院西棟 413号室
伊豆海吉ノ介宛 に来ること
直毘師からの転移 実施のこと』
足を止めていた少年は、文字を入力し始めた。
『姉はどこ』
と。
それほど待たずに聞けた、受信音。素早くタッチ。刹那、強張る身。脱力するように下げたスマホを持つ手は震え、逆の手は拳が揺れる。頭を垂れ、前髪を浮かす。噛みしめる歯、皺を寄せる目尻、赤染めの耳。その無言の中身は、怒りか寂しさか、それとも悔しさなのか。
ディスプレイに表示されていたのは、“姉”の異常な状態。白いシーツのベッドに仰向け、点滴らしきモノに繋がれ、ベルトらしきモノで身体を拘束し、包帯らしきモノで目隠し。まさに、精神病人扱いの姿。
立ち竦むこと数分、新たな受信音。
『捜しても ムダ
女から キミの記憶を 抽出
愉しき思い出と 共に
残るは 闇と 約3年分の寿命
計画成就すれば 元に戻す
キミの居場所 この世界のみ』
脱力感の再襲。全身が緩み、腰を落とした。声なき身震い。背中で泣くとは、このこと。
そんな少年を避けるように、数えるほどの通行人らは尻目づかいで、離れていく。
落ちる生温い涙は、アスファルトに冷やされ。火照っていた体は、すでに冷やされ。姉との温かな生活は、第三者に消され。希望で満たされていた心は、この世に没された。
どれほど経っただろうか。濃紺空に染まらない、白勝る半月と星群は、悲劇の少年を見下していた。その彼は反抗するように、見上げていた。通過するバイクのライトが照らす、少年の顔。赤筋の涙痕を頬に、血痕を口元に残し。化粧を施した鬼面の如くに……。
***