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唯ちゃんと、シェアハウスの住人(6)

「カケル!」


 キッチンでレトルトカレーを温めていると、ニコニコしながら三島君が俺に近づいて来た。

 やや茶色がかっているウェーブのついた髪をワックスで整え、紺色のノーカラーシャツをサラリと着こなしている。それほど気合を入れてお洒落をしている様子ではないのに、いちいちカッコいい。これがセンスが良い、と言うことだろうか。

 ちなみに俺は老若男女限らず皆が利用すると言うファストファッションの、何の変哲も無い無地の白いシャツとジーパンだ。要するに穴が空いて無くて、洗っても型崩れしない生地のものなら着るものは何でも良い。元カノに選んでもらった服は、引っ越しの時に思い切ってほとんど処分してしまったのだ。


「水族館?」

「うん。今週末か来週末に、どう? 親戚から招待券を分けて貰ったんだ。女子二人誘ってさ、四人で行かない?」

「いや、無理。俺忙しいから」


 けんもほろろに断ったが、三島君は諦めが悪いようだ。

 ちなみに言い忘れたが、俺の名前は『翔』と書いて『かける』と読む。会って間もない人間をアッと言う間に名前呼びする三島君の距離の詰め方に、人見知りな俺は地味についていけない。


「佳奈ちゃんが、皆で遊びたいって顔合わせる度言うからさ。ほら、親睦を兼ねて」

「佳奈ちゃん?」


 誰だ、それは?

 首をかしげる俺に、三島君が呆れた顔をする。


「餃子パーティでしゃべっただろ? えーと、耳下くらいのふわふわの茶髪で、目が大きくて美人系の。丸い輪ピアスをしてたよね? あ、あと、デニムのショートパンツ履いていた!」

「うーん? ああ……」


 そう言えば、そんな子がいたような。うん、段々と思い出して来たぞ。確か熱心に三島君に話し掛けたり、身を寄せたりしていた。明らかに三島君に気がある感じの子だったはず。美人系と言うか……化粧が濃かった、という印象だった。服装も派手な感じで、というか布が少な目で、生足や肩を惜しげなく出していた。共同生活をしているのだからもう少し慎みが欲しいと感じるのは、男の勝手な言い分なのだろうか。

 それにしても、好みだと公言する土屋さんだけでなく他の女子まで名前呼びするとか、遊びに誘うとか。……これがひょっとしていわゆるパリピ、とか言う人種だろうか。俺には到底できそうもない。


「いや、ホント忙しいから無理」


 今の俺には、浮ついて女子と遊ぶような暇などないのだ。


「休日だよ? 休みの日はちゃんと休んだ方が良いよ。大学三年の春ってまだ卒論や就活まで間がある、最後の遊び時じゃないか。遊ばないで、どうするのさ」

「勉強する」

「真面目かっっ! でもさ、勉強には息抜きだって必要だろ? 効率のためには、たまに遊びだってやるべきだよ」


 チン! と電子レンジが終わりの合図を告げる。

 扉を開いて、レトルトカレーを入れた皿を取り出した。そこに先ほど温めたばかりのパックご飯を惜しげなく投入する。火傷に気を付けつつ皿を手に持ち、熱く訴える三島君をスルーした。キッチンを出て、ダイニングのテーブル席に座る。

 追いかけて来た三島君が、空腹を満たすべくスプーンを構える俺の隣に陣取った。横顔に視線が刺さるのを感じるが、俺はそれどころではない。さっさと食べて、一刻も早く机に戻りたい。


「頼むよ! 俺、ツッチーと仲良くなりたいんだ!!」


 カレーを頬張る俺に更に顔を近づけて、とうとう彼は本音を暴露した。


 三島君の顔は、いつになく真剣だ。俺だって気さくに話し掛けてくれた彼には、親しみを感じ始めている。出来ることなら力になりたい、とは思うのだが……


「ゴメン。本当に今忙しくて、遊びに行く暇はないんだ。別の人を誘って欲しい」

「そうか……」


 力を込めて改めて目を合わせてそう言うと、漸く三島君は理解してくれたようだ。けれども肩を落として、シュンと項垂れている。

 何か励ましの言葉を掛けるべきかと逡巡している時、ちょうど今しがた話題になっていた当人がダイニングに現れ、俺達に近づいて来た。

 土屋さんだ。黒縁眼鏡をかけ、真っ黒い真っすぐな長い髪をひとくくりにし、茶色い丈が長めのシャツに黒いパンツという出で立ちだ。全体的に色のトーンが暗い。やはり俺に負けず劣らず地味だな、と失礼なことを考える。


「ツッチー、今帰ったの? お帰り!」

「あ、はい。どうも……」


 三島君の弾んだ声に、怯んだように土屋さんは目を逸らす。照れているのか、はたまた彼の熱意にドン引きしているのか。女心を読む検定があったとしたら十回中七回は落第するであろう俺には、到底察することは出来ない。

 カレーを食べつつ第三者的な気持ちで二人を見守っていると、ニコニコと笑顔を押し売りする彼の視線を避けるように、彼女は俺の方に改めて向き直った。そしてソワソワとした様子で手を握り合わせ、頭を下げたのだった。


「鈴木さん、有難うございました!」

「え?」

「あの、管理人さんに言って下さったんですね。すぐに表示を変えてくれたし、それに改めて外国人の入居者の方には案内があったそうで……ゴミの入れ間違いもすっかりなくなりました!」


 そう、俺が相談を持ち掛けた後、本田さんは想像した以上に素早く対応してくれたのだ。英語併記の分別ポスターが見易く掲示され、ゴミ箱やリサイクルボックスの表示もイラスト付きになって分かりやすくなった。

 ペットボトルが燃えるゴミ箱に捨てられていたのは、やはり悪意ではなくうっかりミスだったらしい。

 お陰で土屋さんの悩みは、すっかり解決したのだった。


「いや、俺は何もしていないよ。全部不動産屋さんが考えて、やってくれたんだ」


 本当に、ただ俺は事実を伝えただけだ。担当の本田さんが、見る間に対応策を考えて実行に移してくれたのだから―――俺の手柄では全くない。


「それでも!」


 否定する俺に、土屋さんは首を振ってズイっと一歩近づく。そうして熱が入ってしまったのか顔を真っ赤にして、俺の左手を掴み両手で握りしめた。


「これは鈴木さんのおかげです! 私一人じゃ何も進まなかった。助けてくれて、有難うございます……!!」


 急に女の子に手を握られた俺は、硬直してしまう。チラリと隣を伺うと、三島君の視線も俺の手を握りしめる土屋さんの手を凝視していた。大変、居心地が悪い。


「分かったよ。あの、分かったから……」

「あ……っ!」


 俺がチラリと掴まれた手を一瞥すると、土屋さんは分かりやすく動揺する。


「ご、ゴメンなさい!!」


 土屋さんはどうやら猪突猛進タイプ、というか、夢中になると周りが見えなくなるタイプらしい。ますます頬を朱く染めて飛びずさると、ギュッと握りしめていた俺の手を開放して距離を取った。


「あのっ! これだけ言いたかったんです!―――ハッキリ私の悪い所も指摘してくれて、向き合ってくれて、本当に嬉しかったんです。ありがとうございましたっ!!」


 そう言って、彼女は再びふかぶかと頭を下げる。それから真っ赤な顔のまま、ダイニングを飛び出して行ったのだった。


 なんとも慌ただしく……騒がしい人だ。


 やれやれ漸く食事に戻れる、と溜息を吐きつつスプーンと握り直すと、右肩方面から大きな溜息が聞こえた。

 振り向くと三島君が、恨めし気に俺を見ている。何となく気まずくなって、俺は言い訳めいた台詞を口にした。


「あの人、夢中になると周りが見えなくなるタイプなのかもね……?」

「……」


 後ろめたいことなど何もない筈なのに、あまりのタイミングの悪さに、つい下手な言い訳を並べてしまう。そんな俺に問い詰めるような視線を向ける、三島君。


「ナニ? ゴミ箱がどうとかって……」


 別に彼に咎められるような何があったわけでもない。あまり気は進まないものの、仕方なく先日の早朝、土屋さんの奇行を発見した所から簡単に説明した。


「あのさ。だから土屋さんが手を握ったのは、たぶん勢いと言うか……三島君が心配するようなことは何もないよ」

「あるよ、アリアリだよ……!」


 ムスっと三島君は口を尖らせた。それからハーっと溜息を吐いてガックリ肩を落とし、テーブルに突っ伏してしまう。


……落ち込んでいる所申し訳ないが、そろそろ無駄に使った時間が気になって来た。彼が黙ってしまったのを良い事に、俺は温めたばかりのカレーがすっかり冷めてしまう前に食べてしまおうと再び食事を再開する。

 おそらく嫉妬で目の曇った三島君にはそう見えたのかもしれないが、土屋さんの件は本当に誤解だ。そして俺は、今すごく忙しいのだ。つまりパリピの三島君の恋愛問題になんか構ってられない、というのが正直なところ。


 ガツガツとカレーを掻き込んで消費する。すっかり食べ終えた後、俺はキッチンへ皿を運びシンクで洗った。棚の自分のスペースに食器をしまい、ダイニングに戻って来る。


 三島君は、まだ突っ伏していた。

 俺は溜息を吐いて、再び彼の横に座る。


「あのさ、ホントーに何もないって」


 ムクリとテーブルから顔を上げた三島君だが、目が暗い。浮き沈みが激しい人だな、と思った。調子が良い時は、頼もしくすら見えるのに。

 俺は溜息を吐いて、自分ですら自覚しきれていない気持ちを告白する覚悟を決めた。


「俺……気になっている人がいるんだ」


 三島君は、俺に絶望的な視線を向けた。今、彼の頭の中には、本当に土屋さんのことしか残っていないのだろう。


「土屋さんじゃないから。その、ゴミ箱の件で相談した管理の担当の人だよ」


 するとパチパチと両目を瞬き、ピンと来ていないのか彼は首を傾げた。


「管理の……って、不動産屋さん?」

「うん」

「えっ……」


 三島君はちょっと目を逸らし、それから奇妙な物をみる目つきで俺を二度見した。


「カケルって……ゲイだったのか?」

「―――は?」


 突拍子もないことを言われて、今度は俺は目を剥いた。なのに僅かに復活した様子の三島君は、同情を込めた目つきで俺を見る。まるで気の毒そうに俺を慰めるような口調で、こう付けたしたのだ。


「石井さんって―――ああ見えて既婚者だよ? 子供もいるし……」

「は?! 誰がゲイだよ!」


 ゲイだと思われるのも不本意なのに、その上既婚者に対する片想いだと誤解されていた! 俺は慌てて、その誤った認識を否定する。


「石井さん……じゃねぇ! 新しく補佐に着いた女の子だよ!!」

「補佐の女の子?」


 三島君は更に首をかしげる。どうやらまだ彼女と顔を合わせていないらしい。


「本田さんって言って、小柄な女の子で……」

「本田さん?」

「とにかく土屋さんも俺もお互い何とも思っていないのは事実なんだから、もう良いだろ。水族館は別のヤツ、誘ってくれよ。ああ、まさか気付いてないと思わなったけど、佳奈とか言う人、お前に気があると思うから連れてったら面倒なことになるぞ」

「へ? 佳奈ちゃんが? まさか……」


 自分が気になる女の子に関することは見当違いに疑うくせに、自分に向いてる視線については鈍感らしい。これだから、コイツはモテるのかもしれないな。虚を突かれたようにボケっとする三島君を置いて、俺は立ち上がった。


「じゃ、俺忙しいから、またな!」

「え、あ……うん」


 思いも寄らぬことを言われたからか、三島君は素直に頷き、そのまま考え込むような仕草でダイニングテーブルに座っていたのだった。

本文中、ゲイと誤解されたことを強く否定する描写がありますが、自分の指向を誤解されたことに対する否定です。鈴木本人はゲイと公言している人と直接会った事はなく、他人の指向には特に意見は持っていません。LGBTを批判する意図はないことを、念のため申し添えます<(_ _)>

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