唯ちゃんと、シェアハウスの住人(4)
悲壮な表情で土屋さんが訴えたのは、どうやらシェアハウスの住人の中にゴミの分別をしない人がいる、という事だった。
ある日、燃えるゴミの中に空のペットボトルが混じっているのを目にした彼女は、容量九十リットルと言う大きなゴミ箱の上蓋を外し、それを取り出してリサイクルボックスに分別し直した。
そして、その日を境に中を確認するのが日課となってしまう。二日に一回ほどのペースで、燃えるゴミ以外のものが其処に捨てられているのを発見してしまうのだ。
以来、ゴミ箱をチェックし異物が混入していれば正しいゴミ箱に入れ直す、と言う活動を密かに続けていた彼女は、ある日ふと気が付いた。その様子を他の住人に見られたら、どう思われるだろう? 興味本位で他人のゴミを漁っているように思われるのではないか?……と。
結果として、今朝のように誰も起きていないような早い時間に起きて、確認するようになったのだとか。
そこまで聞いて、俺はふと疑問に思った。
「土屋さんは―――もとから早起きなの?」
「いえ。どちらかと言うと低血圧で、朝は苦手です」
苦手なのに、わざわざ早起きして人の尻拭いをしていたのか……! すごく親切な人、と言えばそれまでだけど。……何だろう、ザラっとした気分になる。
「だったらさ。間違えている人に、言えば良いんじゃないの?『ゴミをちゃんと分けて下さい』って」
「……その、誰がやっているか分からないので」
「住んでる人、皆に言えばいいんじゃないの?」
「それは……ちゃんと分別している人にまで言うのは、失礼と言うか、申し訳ない気がします……」
そう言う問題だろうか。
「あのさ。それって、土屋さんは親切でやっているのかもしれないけれど。誰にも言わないで、無理してフォローして……って。共同生活で、それやってたら色々破綻するんじゃない?」
集団で一人が犠牲になるのは傍から見て良い気分ではない。それに無理している当人にしても最初は良くても、続ける内に不満やストレスを溜め込んでしまうことになる。結果、その集団に不協和音が生じるなんて良くある話じゃないだろうか。
それは、何気なく零れた一言だった。
だが俺の言葉に、土屋さんは息を飲み押し黙ってしまった。そこで漸く、俺は言い過ぎてしまったのだと悟る。
元カノに『正論が聞きたいんじゃない』と、かつて言われたことを思い出した。グチグチと悩み事を並べる彼女に、良かれと思って解決策を提示したら、不機嫌を露わにそう言われたのだ。どうやらまた、俺はやらかしてしまったのだろうか?
だけどこれは俺の本音だし、共同生活をしている土屋さんの悩みは、同時に俺の悩みでもある。だからハッキリ意見を言わずに『そうだね、分かるよ』と頷くだけではいけないと思うのだ。
俺だって知らない他人同士との共同生活は初めてで、戸惑っている。社交的とは決して言えない人間だから、尚更だ。だけど俺は中高と男子校で、変わらない顔ぶれの中で過ごして来た。経験上、言いたいことを抱えたままにせず口にした方が、長く付き合う上では良いと言うことだけは知っている。
しかし若干、言葉がきつかったかもしれない。そこでフォローのつもりで、代案を提示する事にした。
「いや、掲示板に書くとか、管理人さんに相談するとかでも……」
しかし、この提案にも彼女の顔色は悪くなる一方だ。
餃子パーティのことを思い出す。もしかすると、彼女は思った以上に人との遣り取りが苦手な人なのかもしれない。
そう言えば三島君が声を掛けるまで、誰とも口をきいていなかったようだ。他の女性陣とも、全く打ち解けていなかったかもしれない。ひょっとすると、女性陣に人気のある三島君に特別に目を掛けられていた、という理由で孤立してしまった可能性もあるだろう。
非社交的、という分類では俺も土屋さんと似たようなものだ。が、俺は必要なことを話すことに、躊躇は無い。ただ話題が少なく、軽いノリについて行けないだけなのだ。つまり地味で目立たないタイプってことなんだけど。
これは俺が何とかするべきなのだろう、と、その時悟った。
俺は肩を竦めて、彼女に提案する。もちろん、出来る限り彼女をこれ以上怯えさせないようにと気を配ったつもりだ。
「俺、管理の人に相談してみるよ。何かうまい解決方法があるかもしれないし。不動産屋からの注意事項なら、きっと皆悪く取らないだろうし、波風立てずに話が進むと思うよ」
「え……でも。これは私が始めたことで。鈴木さんに、ご迷惑掛けるわけには……」
『でも』も何も……! 土屋さんが無理して自分を犠牲にしている様子を目の当たりにして、知らんぷり出来るほど俺は強心臓ではない……!!
そうキッパリ言ってしまいたい衝動に駆られたが―――泣きそうに眉を寄せる彼女にそんな事を言ったら、今度こそ本当に泣いてしまうような気がした。
女に泣かれるのは、困る。
どうして良いか、分からなくなるから。
俺は溜息を噛み殺しつつ、出来る限り何ともないような口調で首を振った。
「別に迷惑でも何でもないよ。同じ屋根の下で暮らしているんだから、ゴミの問題はそもそも俺の問題でもあるし―――あっ」
時計を目にして気が付いた。ヤバい、もう三十分も経ってるのか! 今日のノルマ、まだ全然終わって無かったのに。
「俺、もう行くよ。じゃあね、土屋さん!」
「え、あの、ハイ」
俺は彼女に手を上げてから、背を向けた。彼女も咄嗟に手を上げて応えたように見えたから、それ以上は気にせず一目散に自分の部屋へと戻る。そして、今日のノルマをこなすべく、がっぷりと机に向かったのだった。
土屋さんの悩み事は、住人全員の悩み事だ。
そう―――だからこれは、別に下心があっての行動では無い……!
そんな風に自分に言い聞かせて、大学から帰宅した俺は、菜園で野菜を摘んでいる彼女に声を掛けたのだった。
「こんにちは、本田さん!」
「あ! こんにちは、鈴木さん。お帰りなさい! 学校終わったんですか、お疲れ様です」
『お帰りなさい』と言う言葉が、胸にジンと染み入るような気がした。つい余韻に浸ってしまい言葉を失う。
ジッと彼女に見入ったまま黙っている俺を不審に思ったのか、本田さんは俺の見下ろす場所でコトリと小首を傾げる。そんな愛らしい仕草に、胸が苦しくなった。
いやいやいや、待て待て待て! 俺はシェアハウスの住人として、管理担当の彼女に伝えなければならない事があって、声を掛けたのだ。目的を忘れるな……!
自分を叱咤し、俺は努めて平静を装って返事を返した。
「あ、はい。終わりました。ただいま……です」
小柄な彼女はまたしても黒地に白い小花柄の、大きな日除けの付いたつばの広い帽子を被り、デニムのつなぎの作業着に身を包んでいる。華奢な若い女性と、その野暮ったいようなスタイルとのミス マッチが、とてつもなく絶妙な組み合わせに思えるのは何故なのか。
まるで磁石に引き付けられるみたいに、無意識に彼女に固定されてしまう視線に俺は慌てた。
彼女を中心とした世界が輝いて見える。錯覚だろうか? それとも……いや、ダメだ。そんなことを考えている時間は、俺には無い筈だ。俺は引力を引き千切るように、目の前の彼女から一旦視線を外した。
俺には今、やるべきことがある。一度手放した夢に、もう少しで手が届きそうな所まで来ていて―――今、全身全霊でそれに打ち込んでいる所なのだ。だから恋とかそう言うものからは距離を置くと、決めた。そうする事で失恋の痛みからも解き放たれ、気持ちがかなり楽になったものだ。
だから、ちょっと好みの感じの良い……可愛い女性が身近にいるからって、浮かれている場合じゃない。
そう、これは恋じゃない。これは、恋なんかじゃ無くて……
……そう! しいて言えば『癒し』!
俺は彼女と会って、癒されているだけなのだ……!
ストイックに勉強し続けるのは、流石に疲れてしまう。だから温かい笑顔で、柔らかい声で微笑む彼女と……こうして些細な交流をすることで疲れた気持ちを癒すのは、俺の目的に適うことだ。
だからそう! こうして、彼女と接することは―――悪い事じゃない。
おまけに今日は、話し掛けるちゃんとした理由もあるのだ。シェアハウスの管理担当になったと言う彼女は、最初に会った時にこう言っていたではないか。『何でもおっしゃってください! 私で対応しきれないことも相談して対応しますので』と。
だから、さっそく集団生活の悩みを相談する、という訳だ。そう、これは当り前のことなんだ。
俺はさきほど無理に引き剥がした視線を再び戻し、もう一度シッカリと彼女に向き合った。
「あの、収穫手伝います! それでその後、シェアハウスのことで相談したいことがあるんですが……今、お時間大丈夫ですか?」
すると彼女は「はい、大丈夫です」と、笑顔でコクリと頷いてくれたのだった。




