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唯ちゃんと、シェアハウスの住人(3)

 朝型の習慣は、このシェアハウスに越して来る以前からのモノだ。元カノと別れ、自分の生活を見直す様になってからずっと、四時に起きて七時まで勉強することを日課にしている。夜遅くまで起きて勉強するより、遥かに効率良く学べると気が付いたからだ。


 それは早朝五時頃、トイレに行くついでに水を飲もうとキッチンに寄った時の事だった。

 ダイニングの扉を開けてキッチンスペースに足を踏み入れる。すると、大きなゴミ箱の蓋を開け放して、背を丸めてゴソゴソと中を漁っている人影を発見したのだ。


「……」


 思わず立ち止まり、その異様な様子を凝視してしまった。

 一瞬掃除のおばちゃんかと思ったが、そうでは無かった。そもそも共同スペースの掃除は皆で順番にすることになっているのだ。だとしたらこれは、シェアハウスの住人の一人と考えるべきだろう。……で、無ければ侵入した不審者か……?

 混乱した俺が声を上げることも出来ず注視していると、その人物はゴミ箱の中から、ついに何かを見つけたようだ。しかし手にしていたのは、何の変哲も無い空のペットボトルだった。


「やっぱり……!」


 囁くように擦れた、そして悲壮な声だった。

 一体何をそんなに嘆いているのか。そもそもまだ薄暗い早朝から、人目を忍ぶようにゴミ箱を漁っているのは何故なのか。そんな疑問符で頭が一杯になり固まっている俺の視線の先で、不審者らしき人影が、不意にクルリと振り向いた。


「……ひっ……!」


 振り向いた人物は、ペットボトルを手にしたまま顔を引きつらせて動きを止める。


「あっ……あの! これは、そのっ……!!」


 つい、無言のまま彼女が手にしているペットボトルに目が吸い付いてしまう。あまりのことに言葉が出ない俺の前で彼女は顔面を蒼白にして、低い声でこう叫んだのだった。


「違うんです……!!」


 彼女は、不審者では無かった。

 しかしその行動は全くの不審者だ。朝、まだそれほど明るくもない人気(ひとけ)のないキッチンでゴミを漁る女。その顔には見覚えがあった。確かにシェアハウスの住人の一人だ。


「ええと……土屋さん、でしたよね?」

「あっ、あのっ……はい!」


 良かった。名前は合っていた。

 前髪は作っておらず、額から真っ二つに分けたやや量の多い黒髪を三つ編みにしている。先日顔を合わせた時には、ちょっと違う髪型だった筈だ。と、言っても全ての髪を後ろに撫で付けて一本縛りにしている、年頃の女性としてはいささか地味過ぎる髪型だったような。……ただ彼女も、全く構わない無造作ヘアと無精髭のままの俺には言われたくはないだろう。勿論余計なお世話だから、わざわざ口にはしない。

 餃子パーティでは、ひっそりと端っこにいるイメージだった。大きな黒縁眼鏡はお洒落と言うより実用だろう。

今は早朝だから仕方ないかもしれないが、若い男女が入り混じるパーティに出ている時も化粧っ気が全くなく、真面目を絵に描いたような出で立ちだったような気がする。これも身なりに構わない、地味そのものの俺に言われたくはないだろうが。


 ちなみに俺の元カノは『人前で化粧しないなんてありえない!』というタイプだった。俺の身なりにもアレコレ口を出し、スタイリストのように彼女好みの服を選んでいた。その頃は俺も言われた通りキチンと髭を剃り、床屋では無く彼女お勧めの美容室に通い、家を出る時はちゃんと髪型を整髪剤で整えていた。元々は容姿に気を配るタイプじゃ無かったが、付き合った彼女に好かれる努力はしていたのだ。

 しかし家でまったりしている時は、さすがに身だしなみに気を使うのは億劫だった。『近くのコンビニに行くくらいイイじゃん。スッピンでも俺は気にしないのに』と、化粧道具を並べ始めた彼女に言何度か言ってみたことがある。すると『そう言う問題じゃないの。女にとってはね、人前で化粧をしないなんて裸で外をうろついているようなものなの!』と、反論されたものだ。

 男だらけの世界で生きて来た俺にとっては、そう言う綺麗を保つ為の女の人の面倒な手順を新鮮に感じたものだが……


 いや、元カノのことは、もういい。話を、目の前に戻そう。


 何故、俺が土屋さんの名前を憶えていたかと言うと―――それは彼女が三島君のモロ好みの女性だったからに過ぎない。

 隅っこで周りの視線を避けるように縮こまっている彼女の所へ、三島君はわざわざ人波を漕いで近づいて行き、何くれとなく世話を焼いた。飲み物を勧めたり、俺を巻き込んで会話を盛り上げたり……いかにも女慣れしていて話し上手な彼に興味を持つ、綺麗でノリの良い女の子は他にも居たのに、彼の視線は真っすぐそちらへ向かっていた。

 そう、土屋さんはまさしく『毎日早起きして予習するような、真面目なタイプ。真っすぐな黒髪をゴム一つで素っ気なく纏めて、いつもスッピン! 化粧なんかしたことがない! みたいな』子だった。三島君がそんな子が好みと言ったのは、冗談でもその場を盛り上げるネタでもなく、本当のことだったのだ。


 ただ土屋さんは三島君みたいなタイプが苦手らしい。背の高い彼に顔を覗き込まれる度、目を白黒して視線を逸らしていた。

 その様子を目にした俺は実家の猫、ユキを思い出した。目を白黒させる土屋さんの様子はまるで、抱き上げられていきなりパニックになる警戒心の強い猫のようだ。臆病なユキは、猛烈な人見知りでもあった。二人の遣り取りを見ていて、猫を扱いなれていない友人がユキを構い過ぎて鋭い爪でバリッとやられる様子を重ねてしまったのだ。

 残念ながらいかにもモテそうな三島君が『好きな子にモテない』と言っていたのもまた、真実であるようだ。


「あの、ええと……」


 ペットボトルを手に、真っ赤になっている土屋さんは苦し気だ。今の状況を何とか言い訳せねば、と必死になっているのだろうか。

 俺は手を上げて、彼女を制した。何かを言おうとして、言えずにもどかしい様子の彼女が気の毒になったのだ。


「俺、水を飲みに来ただけだから。別に良いよ、誰にも言う気無いし」

「えっ……」


 俺はスタスタとシンクの方へ歩み寄り、ガラス棚からコップを手に取り水を入れた。浄水器が付いているから、そのままでも美味しく飲めるのだ。

 立ち尽くす彼女に、一応ペコリと頭を下げる。そうして彼女に背を向けて、水を満たしたコップを手にキッチンを出ようとした時……


「ま、待って!」


 突然、後ろから腕を引かれた。

 バシャっ! と、コップの水が零れて俺の手と、短パンを濡らす。裾から零れた雫が膝を伝う感触に、思わず声を上げる。


「うわっ」

「あっ……! ご、ゴメンなさいっ……!!」


 振り向くと直ぐ後ろに、俺の腕を掴む土屋さんがいた。俺と目が合った彼女は慌てて俺の手を離し、シンクに駆け戻るとペットボトルを置きタオルを手に取る。そうして直ぐに戻って来ると蒼い顔をして、立ち尽くす俺の前に素早く跪いた。

 躊躇もせずに短パンの下の俺の膝を拭き始めたので、今度は俺の方が慌てて飛びのいていまう。


「ちょっ……! 大丈夫だから!」

「え……」


 彼女は手にタオルを持ち跪いたままの姿勢で、俺を見上げポカンとしている。伝わらなさにもどかしさを覚えつつ、改めてハッキリと意志を伝えた。よく知らない女子に足を拭かせて平気でいられるほど、俺の心臓は強くない。


「大した零れていないし、自分で拭けるよ」

「……!……ゴメンなさい!!」


 彼女はパッと立ち上がり、蒼ざめた顔をまた赤くした。距離感を間違えたのを、恥じているようにも見える。腕を伸ばして突き出されたタオルを受け取り、俺はコップをテーブルに置いて、膝と短パンに零れた水を自分で拭った。


「「……」」


 作業の間暫くお互い無言だったが、拭き終えた俺がキッチンにタオルを戻して彼女に向き直ると、土屋さんはおずおずとこう切り出した。


「あの、出来たら言い訳を聞いて貰えませんか……?」


 このまま彼女を置いてきぼりにするのは、あまりにも気まずい。俺は、コクリと頷いた。

 すると彼女はたどたどしく口を開き始める。そして早朝にこっそりゴミを漁っていた理由を話し出したのだった。

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