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おまけのおまけ・ポンちゃんのポスター

前話から派生した、おまけのおまけ。

ヤマもオチもない設定説明みたいなお話です。


こちらは、本田視点になります。

 四連勤あけの俺の休日初日、唯ちゃんは朝から仕事に出ていた。

 午前中の勤務なので午後からは休めるし、明日は休みだ。だから今日の午後から明日一日にかけて、唯ちゃんの時間はまるまる俺のモノ……なのだけれど。


 俺の休みに合わせて家に戻れるからと言う触れ込みで、母さんが経営する不動産会社に転職したにも拘わらず、唯ちゃんの負担が増えているように思えるのは何故だろう。

 やはり、仕事というものはそうそう上手くは行かないのだ。社長である母親も周りの目もあるから、とりわけ唯ちゃんだけに甘くすると言う訳にはいかないだろうし。

諦めと共に少し、寂しい気持ちになる。

 とは言え、彼女も仕事にやりがいを感じ始めているようだし。ただ俺を待つだけで毎日を過ごすよりは、唯ちゃんにとってずっと良い環境だと、分かっているのだけれど。冷静に考えると、不定期な俺の休みに、完全とは行かないまでもここまで合わせることが出来る職場など他には無いだろうから、恵まれた環境には違いないのだ。


 そう、ちょっと構って貰えない時間があるからと言って、頑張っている唯ちゃんを責める気持ちは全く無い。だから俺は、その上司である男に皮肉を込めたメッセージを送るのだ。


『約束と違わない?』

『何のことだ?』

『俺の奥さん、働かせ過ぎないで欲しいんだけど』


 その返事に届いたのは、ふざけたスタンプだ。柴犬のような犬が『てへっ』と笑いながら照れたように頭に前足をかけている。その下に新たなフキダシがポン! と続いた。


『唯が思った以上に有能でさ。ついついお仕事任せちゃうんだよねー』


 信兄の呑気な返しに、若干イラっとする。


『午後にはちゃんと、返してよ!』


 今の唯ちゃんは、確かに信兄の部下だ。でもそれ以前に、俺の奥さんなんだから。


『オッケー、オッケー!』


……軽い。


 そして我が兄ながら、チャラい……!

 俺はスマホをタン! とテーブルに置いて、溜息を吐く。信兄に当たってもストレスが溜まるだけだと、改めて認識したからだ。


 こんな風なのに―――意外と卒なく仕事をこなしているのが、更に腹立たしい。

 俺は地味な作業をコツコツ積み重ねるのが、好きだし得意だ。一方で人間を相手にするような仕事は、若干苦手だし億劫だ。勿論やるべき事はやるし、人との関わりを避けたりはしないが。

 だけど兄である信は、心底社交的で人当たりが良い。子供の頃は、単に調子が良いだけなのかも、と残念に思うこともしばしばだった。だけどだからこそ、それが世の中で必要とされるスキルである、と最近は思う。

 接客や交渉、人に仕事を振ったり取りまとめるのが上手なのだ。つまり、彼はああいった職場の、リーダーに向いている。三兄弟の中で、母が経営する不動産会社の後継者として一番適性があるのは、やはり信兄なのだろう。そう社会人の端くれになった今では、理解できるようになった。


 取りあえず唯ちゃんが残業にならないよう、念押しはした。おそらく信兄はあんな適当過ぎる姿勢を崩さないまま―――唯ちゃんをちゃんと時間通りに帰してくれるのだろう。

 と、なれば彼女が不在の間、俺はやるべき事に取り組むだけだ。

 休日のパイロットの大事な仕事は―――まず、体調管理だ。唯ちゃんが戻ってくるまでに、ジムでしっかり体を鍛えて体調を整えよう……!







 汗を流すと、朝方のモヤモヤした気持ちもすっかり吹き飛んだ。

 今日は仕事を終えた後、ランチに行こうと唯ちゃんと約束している。どうせなら、このまま迎えに行こう。スマホで唯ちゃんあてに、車で迎えに行く旨の連絡を入れて、退社時間を見計らい不動産事務所へ向かった。

 自社ビルの駐車場は、地下にある。窓口で一旦車を停めると、顔なじみの警備員さんが笑顔を見せてくれた。


(こころ)君、久し振りだね。社長さんのお迎えかい?」


 自動車免許を取ってから、母親の送迎は積極的にやって来た。そうすれば運転の練習にもなるし、祖母の所有する車から好きな物を使わせて貰えるから役得だった。

 この警備員さんは藤沢さんと言って、もともと母の経営する本田不動産に勤めていた人だ。定年後再雇用で、警備や管理の仕事を就いて貰っている。他の再雇用の担当者と交代だし、夜間や休みは専門の警備会社に任せることにしているから、昼間、無理のない範囲で働けるのだそうだ。

 だから小さい頃から何だかんだ、顔を合わせている。俺の心情的に彼は、遠い親戚のおじさん、みたいなものだ。


「いや、えーと……俺の奥さんの、お迎えです。」


『奥さん』って口にすると、ちょっとだけ恥ずかしい。でも、他にどういえば良いのか。唯ちゃん、奥さん、妻、嫁さん……どんな風に表現しても、くすぐったい気分になるに違いない。まだ新婚なのだから、仕方ないだろう。


「ああ、奥さんね。今日、出勤なのかい?」

「藤沢さん、これからよろしくお願いします。まだ働き始めだから、職場に慣れてなくてご迷惑掛けるかもしれません」

「いやいやいや、こちらこそ! 良く出来た奥さんだよね。この間、他のヤツが受け取ったけど美味しいクッキーいただいたよ? お礼、言っておいてね」


 藤沢さんは、ニッコリと笑ってくれた。

 駐車券と、首から下げるタイプの入館証を受け取って駐車場に車を停める。そのまま重い鉄製の防火扉を開けて、階段を上った。エレベーターもあるのだが待っているのも面倒だし、運動も兼ねてなるべく階段を使うようにしているのだ。

 階段を登りながらスマホをチェックすると、唯ちゃんから返信が届いていた。どうやら時間通りに帰社できるようだ。『机を片付けて、待ってるね?』との返事に、待ち遠しさが込み上げて来て、二段飛ばしにしてスピードを上げる。


 三階が、唯ちゃん達の働く事務フロアだ。逸る気持ちに急かされて大股に廊下を進む。しかし事務室の入口の手前で妙なものを見つけてしまい、思わず足が止まった。


「これ……」


 この場所にある筈のないものが、あったのだ。

 意味が分からなくて呆然とその場に立ち尽くしていると、呑気な男の声で呼び止められた。


「カッコイイだろ?」

「……」


 振り向かなくても分かる。この緊張感のない、軟派な声の主は。

 馴れ馴れしく肩を抱かれる。俺は問いかけには応えず、その腕の主である信兄をムッとして睨みつけた。


「これ、どうしたの?」

「うん? ちょっとツテでね。手に入れたんだ」


 勿体ぶった言い方をする、意味が分からない。


「『カッコいいでしょ? これ、俺の弟!』って、来る人みんなに自慢してるんだ」

「……」

「おわっ! やめろっ!!」


 無言でポスターを剥がそうとする俺の両腕を、慌てて信兄がガシっと背後から掴んで抑え込んだ。


「業務に関係ないもの、職場に貼るなよ!」

「関係あるよ! 可愛いーい弟が念願のパイロットになった記念だよ? 社長(かーさん)にとっては、自慢の息子!! そりゃあ、自社ビルに貼るだろ!!!」

「そもそも何処からこんなもん、手に入れたんだよ。頒布しないヤツだって聞いてたのに!」


 今年の募集要項の、インタビューの対象に選ばれた。サイトやパンフレットにも少し写真を掲載すると言うので、何枚か写真を撮ったのだ。その後暫くして、同期で割と仲良くしていた広報のヤツから頼み込まれてしまい、その写真をポスターに使うのを了承した。

 ポスターに載るなんて恥ずかしいから嫌だったけど、ちょっとした企画で空港内に数枚貼るだけだから目立たないし、何処にも配る予定はないからって言われて。

 それに写真が掲載されると言っても、俺のは端っこに小さく載るだけだって聞いていたのに……。

 なのに出来上がったPDFを見てみれば、俺の写真がむしろメインみたいになっていた。

 広報の同期は俺が渋っていたのを知っていたので『最初はこんなレイアウトの予定じゃ無かったのに、広告会社の人が悪ノリしちゃって』と、申し訳なさそうに謝ってくれた。責める訳にも行かず、とにかく掲載期間が終わるまで黙っていれば、知合いに何か言われることは無いだろうと、頭の隅に追いやっていたのに。


 出所を尋ねる俺に、信兄はニヤニヤしながらこう答えたのだ。


「それは言えないな! 裏の繋がりで……」

「……」


 しかし冗談は決して許さない、と言うような俺の殺気の籠った視線に気づいて、信兄はサッと両手を振って直ぐにネタ元を暴露した。


「うそうそ! ばーちゃんだよ!! ばーちゃんの友達の! あの、お前の会社のお偉いさんから貰ったって言ってた!!!」


 ゴタゴタしている所で、スッと事務所の出入口が空いた。そこから唯ちゃんがひょっこり顔を出している。争う俺達を目にして、目をまん丸にしていた。


「えっと……何してるの?」

「いや、その」


 子供みたいに言い争っていたことが恥ずかしくて、俺のテンションは一気に下がった。ポスターを剥がそうとしていた手もゆっくりと力を失う。それを阻止していた信兄も、俺の腕を解放した。しかし何故か俺の背後に回り大きな体を縮めるように屈みこむ。口元に掌を添え、言い付けるように彼はこういったのだ。


「ゆーい! 君の旦那さん、クレーマーなんですけど。何とかしてよ」

「な……っ」


 拳を握って振り向き、キッと睨みつける。

「わぁ、クレーマー怖い!」と、信兄は自らの体を抱きしめてみせる。

……わざとらしい。


「―――廊下で、騒がない」


 静かな言葉ながらも、唯ちゃんの声はピシリと響いた。

 ささやかな諍いを再度始めようとしていた俺達は、途端にピリッと口を引き結ぶ。

 背の高い俺達二人に歩み寄る唯ちゃんは、かなり小柄だ。まるで教師のように凛とした言葉を放ちつつも、その顔には柔らかく、微笑みさえ浮かべている。


「専務?」

「ハイ」


 俺の後ろで背を屈めていた男が、まるで悪戯を見つけられた生徒のように背筋を伸ばした。つまり『専務』とは、信兄のことだ。唯ちゃんは、職場では公私を分けるタイプらしい。普段見慣れた、俺に激甘の彼女とのギャップに……予想外に胸が震えてしまう。


「田中さんが、先月の経費の領収書締め切るって言ってましたよ。今出さないとあの会食の経費、『今度こそ専務持ちにする!』って、息巻いてました」


 いつも『信君』と呼んで兄のように彼を慕っていた筈の唯ちゃんが―――信兄を圧倒しているような気がするのは気のせいだろうか。態度も言葉も、最初の一言以外は全て上司に対する丁寧なものなのに、何故か二人の上下関係が逆のように見えて来る。


「えっ……あ! ヤバい。あれは経費にして貰わないと……」

「早く! 戻って領収書出してください。人を揶揄って遊んでいる時間なんて無いですよね?」

「わわわ……直ぐ行くから! 田中さんに『せめて今日中は待ってて』って言っておいて!!」


 唯ちゃんはフッと笑って、頷いた。


「伝えておきます」


 あっという間に面倒臭い兄貴を、唯ちゃんは追い払ってくれた。まるで小さい勇者みたいに、腕組みをして信兄の背中を見送っている。そして人差し指を口元にあてて「ちょっと待っててね」と俺に笑って見せる。

 事務所へ戻って行き、直ぐに荷物を手に戻って来た。田中さんに先ほどの件を伝えた上で、帰り支度をして来たのだと言う。


―――出来る……!


「お待たせ! ポンちゃん」


 ニコリと満面の笑顔を俺に向ける唯ちゃんは、もういつもの可愛らしい……俺の奥さんだ。さっきの勇者は幻だろうか? いいや、唯ちゃんはもともと強い女性なのだ。

 ただ、俺には特別に優しく、甘いだけなのだ。


 そして彼女は外では背筋をピッと伸ばして、仕事をこなす大人の女性でもあった。

 その様子は新鮮で―――ちょっとだけ、ドキリとさせられてしまった。


 けれどももう、仕事はお終い。

 職場の廊下だけど、敢えて俺は彼女の手を取る。

 ほんの少し、嫌がられるかな? と心配したけど、嫌がられはしなかった。

 代わりに、ちょっと恥ずかしそうに頬を染めている。


 エレベーターに乗る所で、バタバタと自分の部屋から戻って来て、事務室に飛び込む信兄が見えた。乗り込み、扉が閉まったところで顔を見合わせて笑い合う。


「唯ちゃんって……強いね」


 信兄の扱いが上手い。

 俺が何を言っても、のらりくらりと躱す男が一言二言で操られていた。

 心から感心して俺がそう漏らすと、ちょっと驚いたように目を見開いた唯ちゃんが、フッと頬を緩めた。


「知らなかったの?」


 その笑顔が何だか大人っぽくて―――俺の頬は熱くなる。


(いや、知ってたよ。)


 返事の代わりにキュッと握る手に力を籠めると、彼女はフフッと楽しそうに笑ったのだ。

唯ちゃんの本田家最強説が、俄かに(元から?)浮上しております。

『専務に言い辛いことをお願いするなら、次男の嫁に相談するのが一番!』と言う合言葉が、社内広まりつつあるようです。

唯ちゃんが忙しくなったのは、信の所為なのかも…?


おまけのおまけ話まで足を運んでいただき、誠にありがとうございました!

休憩時間のお茶請けにでも、楽しんでいただけると嬉しいです。


※いつ追加できるか分からず一旦完結表示を付けたのですが、予想外に早く出来てしまい追加更新してしまいました…(;´Д`)

この後追加するメドはまだ立っていないのですが、発作的にできる可能性もあるのでちょっとだけ連載中のまま放置します。出来なかったら、その内こっそり完結表示に戻すかもしれません<(_ _)>

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