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ポンちゃんと、キャビンアテンダント(5)

「本田さん」


 私はトイレの扉を開けて一歩踏み出した。


「豊田さん、もう大丈夫なんですか?」


 すると本田さんは机の前から立ち上がり、振り向いた。スラリと伸びた脚を見て、改めてスタイルの良さに溜息を吐く。私ははやる胸を抑えつつ彼の方へゆっくりと近づいた。身長制限があるから私の背は平均より高い方だと思う。だけど彼はかなり高身長、近づくほどに見上げなければならなくなる。恥ずかしくなって私はそっと顔を伏せて視線を逸らした。


「いえ、その……」

「どうしたんですか?」


 表情を曇らせた私の顔を本田さんが覗き込んだ。私はゴクリと唾を飲み込み口を開いた。


「大丈夫なんかじゃ、ないです。本当に痛いのは……胸ですから」

「え?」

「私、本田さんの事が好きなんです。だから胸が苦しくって……どうにかなってしまいそうで」

「豊田さん?あの、何を言っているのか……俺、結婚しているんですが」


 ポカンとしている彼を見上げる。ああ、そんな呆けた顔もカッコイイ……私は心を決めて、真っすぐに彼の精悍な眼差しを捕らえた。すると本田さんは驚いたようにパッと視線を背けた。


 分かっている、彼は誠実な人だ。私の邪な考えに気付いていなかったのだろう。だからこそ、無防備にこの部屋に招いてしまったのだ。

 それを分かっているのに、私の胸に灯った炎はその程度の拒絶では収まりきらないぐらい燃え盛っている。


 私は目を瞑って、勢いよく彼の胸に飛び込んだ。すると不意を突かれて、大きな彼の体がグラリと傾ぐ。私を抱えたまま、ベッドに腰を付く形に倒れ込んでしまった。


 意図せずして彼の膝に乗ってしまった私は、必死で彼の胸に縋りつき思い切ってその背に腕を回した。自分の中では唯一の女らしい武器、なかなかに育った胸元をグッと押し付けるようにして。


「本田さん、今日だけ……今日だけで良いんです!私を……傍に置いて下さい」

「豊田さん、冗談は止めてください」


 肩を押そうとする彼の手が熱いのに気が付いて、私はハッと顔を上げた。頬が少し朱い、目が切なげに潤んでいるように見えるのは―――気のせい?それとも……


「本気です!一度で良いの!迷惑なんてかけません、誰にも言いませんから……だから、私の気持ちをどうか無かった事にしないで……!」

「そんな……」


 本田さんの擦れた声に期待が高まる。フッと溜息を吐いて髪をかき上げた彼の瞳が―――ギラリと欲望に光った気がして、私は息を飲んだ。




「分かりました……豊田さん、約束は守ってくださいよ」




 その細めた目の、壮絶な色気に眩暈がしそうになる。


「……!……」

「悪い(ひと)だ。俺は貴女を決して好きにはならない、それでも―――いいんですか?」







** ** **






 はっ……!

 ヤバい!妄想が爆発してしまった……!


 これからどうするべきか、咄嗟にトイレを借りる事に成功したものの見当もつかない。頭が引っ繰り返るほど考えをめぐらすけれど、考えれば考えるほど安っぽい展開しか思い浮かばないのだ。


 全く、あり得ない妄想話で涎垂らしている場合じゃないよ!……それに最後の方、本田さんのキャラ、百八十度変わっているし。絶対彼が言わなそうな台詞言わせてるし。この間読んだ恋愛小説のヒーローの台詞に酷似しているし……!!


 じゃなくて、これを切っ掛けに距離を詰めるって方が妥当なんでしょ!そう、例えばちょっとの間一緒にお茶でも飲んでお互いの話をするとか、今後相談に乗って欲しいからとかなんとか言って、アドレス交換を願い出るとか……!


 トイレを借りるって口実にしても、そろそろ長居し過ぎのラインに踏み込んで来た。本田さんにこれ以上変な印象を与え続けたくない。そそっかしい上にお腹壊すキャラって救いようがないよね?本田さんは優しいから笑ってくれたけど、内心『他人の部屋まで来てトイレ借りるって厚かましい奴だ』と呆れているのかもしれない。


 良い策は全く浮かばないけど、とりあえずもう諦めてトイレを出よう!そしてお礼を言って、何となくおしゃべりに移行するよう話題を提供して……。話題って?この地方の隠れた名店とか、知る人ぞ知る美味しいお菓子の事とか?そんなんじゃ直ぐに話題が尽きちゃいそうだな。じゃあ、最近一番熱い話題と言えば……M副機長と先輩CAのアノ噂について、とか?ううむ、それって私の欲望に直結し過ぎかも。それに真面目そうな本田さんいは光の速さで引かれちゃうかも??




 便座に座ったまま頭を抱えていると、扉の向こうからコンコン、とノックの音がした。




 だけどノックされたのは、私のこもっているトイレの扉では無い。この部屋のドアの方だ。誰か来たのだろうか?息をひそめて耳をすましていると……ややしばらくして本田さんが扉を開ける音がした。


『はい?』

『お客様、お届け物です』

『……えっ……』


 ガチャリとU字ロックが外される音がして、扉が解放されたらしい。驚いたように息を飲む本田さんの気配がして、私も息を詰めた。




『どうして……』

『ケーキをお持ちしました!』

『えっ?あ……!』




 扉越しに女性の声が響いた。初めの『お客様……』より大きく聞こえるのは、彼女が部屋に入って来たからだ。彼の戸惑いが伝わって来て、私はハラハラしてしまう。遣り取りから、もしかしてその女性はホテルの従業員とかでは無くて、知合いでは無いかと思ったのだ。


すると唐突に音が消えた。立ち上がり扉に耳を付けるが……何も聞こえない。バクバクと胸の動悸が速まる。




 その時咄嗟に閃いたのは―――




 もしや私と同じような思いつきを抱いたCAのうち誰かが、強引に入り込んだのでは?!本田さんの人の良さに付け込んで押し入るなんて……!これは本田さんの貞操の危機なのでは?!


 慌てた私はトイレのドアをバンッ!と開け、彼の危機を防ぐべくサッと勢いよく部屋の中へ飛び出したのだった……!


 ……自分の事は棚に上げて。

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