ポンちゃんの同窓会
久々にポンちゃん、本田心視点となります。
※『黛家の新婚さん』のネタバレがあります。気になる方は『~新婚さん』(92)話までお読みいただいた後、こちらをお読み下さい。
※2017.10.5八話を一話に纏めました。
結婚式を月末に控えたある日、高校の同窓会に参加する事になった。同窓会と言ってもかなり大規模なもので、一学年まるまる全員に招待状が届く。そして披露宴に使うようなホテルの大きな広間を借り切って行うのだ。今年は俺達の学年の同窓会を行って、その次の年は俺達の一学年下の学年の同窓会を行う……と言うように、持ち回りになっているらしい。
幹事は十クラスある各クラスから一名以上選出される。唯ちゃんや江島と同じクラスだった湯川が幹事をやることになったので、二人は受付の手伝いを頼まれたらしい。黛は仕事の為不参加だ。上手く行けば二次会に参加できるかもしれないが、それも江島の体調次第という事だ。具合はそれほど悪く無いそうだが、まだ安定期に入っていない身重の妻が心配なのだろう。本当は同窓会自体欠席させたいのかもしれないが、生まれてから出歩くのが難しくなるので、今は出来る限り江島の好きなようにさせるつもりらしい。
黛が父親、ねえ……。
正直、先を越されるとは思わなかった。全然相手にされていなかった相手と付き合った途端婚約、半年後には結婚に漕ぎ付け……小学校から付き合っている俺達が結婚する前に妊娠まで済ませてしまうとは。執着心なのか焦燥なのか、畳みかけるようにフルコースを平らげてしまった幼馴染の手際の良さと想いの深さに呆れてしまう。どれだけ余裕がないのか、と。
他人は他人。―――そう思ってはみるけれども、何となく悔しい気もする。こっちも悠長に段階踏む必要無かったんじゃないかとも。けれども自由な黛家と違って、本田家は会社経営も行っているし、古くからあの土地一体の地主をやっていた関係もあって付き合いが広い。せめて長男である信兄が結婚していればなぁ……我が家で一番に結婚するのが俺なので、どうしても手順を踏む事は避けられないのだ。鹿島家だって一人娘を嫁に出すのだから、おじさん、おばさんの気持ちを考えると当然の事なのだけれど。
だから新居を探している時、瀬田のマンションが空きそうだと聞いて飛びついた。俺も黛と同様家を留守にする事が多いから―――黛家と同じマンションであればかなり心強いと思ったのだ。黛に相談を持ち掛けたら、子供が出来たかもしれないと打ち明けられてとても驚いた。どうやら渡りに船、だったらしい。身重の妻を置いて仕事に明け暮れるのが不安だったそうだ。二人も医師が常駐している家で何言ってるんだ?と思ったが、専門が違えば素人同然なのだと返された。そう言うもんか?……よく分からない。
江島自身はと言うと、少し離れてはいるが実家の家族も頼れるし、末の弟が生まれた時に世話を手伝っていたからと、それほど不安は感じていないらしい。
そう言えばこの間うちに遊びに来ていた時も大層元気そうだったな。寝起きに廊下で鉢合わせしたのだが、水を飲んで二度寝するために部屋に戻る時、廊下までキャイキャイ二人で騒ぐ声が響いて来た。
楽しそうで、何よりだ。
ここに引っ越せてこれて良かったと―――その時改めて思ったのだ。
** ** **
クラスごとに席が決まっているらしい。俺はバスケ部で一緒だった亀井の隣だった。疲れた様子で席に戻ってきた亀井に労いの言葉を掛けた。
「幹事お疲れ」
「う~疲れた。本田!変わってくれ~!」
とふざけて抱き着いてくる亀井の愚痴を笑って聞き流した。文句を言いつつも亀井はこういう作業を昔から卒なくこなすのだ。こういうヤツが所謂『仕事のできる奴』って言うのだろう。社会に出ても愚痴を漏らしつつ、結局上手く立ち回る亀井が目に浮かぶようだ。
だから俺は薄く笑って、亀井の叫びを受け流した。
すると亀井は口を尖らせて少し八つ当たり気味にこう言ったのだ。
「涼しい顔してなぁ……お前は相変わらず順調だよな。航空大出て大手の航空会社に入って、パイロット―――だろ?全く羨ましいよ」
「そうか?これでも結構ギリギリなんだけど」
と言うか、溺れかけながら海流に流されながら、離れ小島を目指して必死で犬かきを続けているって心境なのだが。余程亀井の方が余裕にみえるけどなぁ。
「空港っていいよなー。どう?美女ばっかりじゃね?」
「うーん、確かに綺麗な人は多いかな」
と言うか、綺麗に身づくろいしているって感じだけど。確かに容姿に自信のある人は多いだろうな、と思う。接客業だからそれだけ気を使っているんだな、とも。きっとプライベートはそれなりに皆さん気を抜いているに違いない。俺だって家では髭面のまま、パジャマ姿でボーっとしている事が多い。職場と家では別人だと思う。
「まあた、モテちゃってるんだろー。いいなぁ……俺もCAに迫られたい」
「別にモテてはいないよ。婚約者がいるって皆知っているし」
「えー、同級生がパイロットになったって言ったら、職場の先輩に言われたぞ。知合いのパイロットは既婚者だけどモテてるし、出張が多いから遊び放題だって」
それ、どこのパイロットなんだろう……。出張中も結構フライトの準備で忙しいし、体調管理が第一だから遊ぶ暇なんて無いと思うけど。少なくとも俺には無理だな、職場の女性とプライベートの時間を共有しても気を使って疲れるだけだし。それにこれから訓練が始まるし、余計な事に頭を割いている時間は無い。
「それ、都市伝説かなんかじゃないの?それかそのパイロットが話を盛っているとか」
「まあ……お前はなぁ。今は新婚生活満喫中だから、余所見する気にもなれないのかもな」
『今は』って、微妙な言い方だな。
俺は唯ちゃん以上の女にこれまで会った事が無いから、亀井の言っている言葉の意味は分かるが、正直気持ちの上では首を傾げるしかない。
「俺の周りの先輩方だって、真面目だぞ。仕事と家庭第一だよ」
すると亀井がポン、と俺の肩を叩き―――ぐるりとそのまま腕を回して、グイッと顔を近づけて来た。
「お前、変わらねーな。……何か安心するよ」
ちょっと疲れた口調で言う亀井の声のトーン。
亀井は俺より二年ほど早く社会に出ている。色々割り切れない経験をする事も、それだけ多かったのかもな……なんて、想像してしまった。
先生になりたくて、教育大に進学しようとした亀井。結局不合格で、滑り止めの私大に進学した。だけど元来器用で気配り上手な性格だから、就活もそこそこにあっさり比較的大手の、優良な企業に就職した。世間から見れば十分に恵まれているのだろう。だけど、何処かでかなえられなかった夢の事を思い出して、こんな筈じゃなかったと思う日も……あるのだろうか。
俺も地上勤務をしている間、大学の友人から色々とままならない現実について教わったし、職場でそう言う場面を目の当たりにする事もあった。だけど、子供の頃から憧れていた飛行機乗りと言う仕事に就けて、このまま努力すればそれが実現する一歩手前まで来ている。
亀井は本当に辛い事は口にしない。いつも冗談に紛らせて―――フザケて見せる。
そんな亀井を、俺は昔から結構……いや、かなり尊敬しているんだ。
「亀井も変わって無いよ。相変わらずカッコ良い」
「ばっ……!おまっ……そーいう事、真顔で言うなって。相変わらず恥ずかしい奴だな」
「ハハハ、照れちゃって」
「もう知らん!あ、これから自己紹介始まるんだ。俺、ステージ行くからこっちのテーブル頼むな。任せるから、飲み物とか気にしてやって」
「へーい」
生返事しながら頷くと、亀井も少し呆れたように笑顔を取り戻し……ステージへと走って行ったのだった。
** ** **
「八年も経過すると、すっかり見た目も変わってしまった人も多いですね。太ったとか禿げたとかそう言う事じゃないですよ、女性は綺麗になってますし男性は立派になってしまって昔の面影を見つけ辛くなっていると思います。なのであらためて親睦を深める意味でも、クラスごとに壇上に上がって頂き自己紹介をしていただきたいと思います」
マイクを持って滔々と語っているのは亀井だ。
慣れているなぁ……進行も堂々としていて、より一層頼もしく感じる。
「マイクをお渡ししますので、左から順にお名前と最近の近況を手短に説明してください。あ、島谷君は短めでお願いしますね。この人マイク握ると離さない人ですから」
一組のトップバッターの島谷に、そう言って亀井はマイクを渡した。
苦笑しながらマイクを受け取る島谷に、会場からクスクス笑いがあちこちで上がっている。彼は一組の幹事なので同窓会の準備中からずっと一緒に関わって来たようだし、亀井も安心して突っ込めるのだろう。
俺と亀井は二組なので、島谷達のあとに壇上に上がった。島谷は応戦とばかりに亀井に冗談を仕掛けつつマイクを渡すと、既に一組の自己紹介で温まっていた会場からドッと笑いが湧き上がった。
皆すげーな、と思う。大勢の前でその場を仕切るかつての同級生達を見ていると、すっかり社会経験を積んで大人になったんだな、と実感出来て感慨深いものがある。俺なんかほぼ技術職だから、こんな風に大勢の人を纏めて笑わせるなんて無理だな。何とか色々な試験をパスしてパイロットになれて本当に良かったと思う。営業職とか接客業とか……工学系の武骨な俺には、きっと務まらない気がする。
そう言えば唯ちゃんと進路で一度、すれ違いそうになった事があったっけ。
俺はあまり気の利くほうじゃなくて、唯ちゃんが俺と一緒に進学したいって思ってくれているなんて考えても居なかった。勿論別れるつもりなんてサラサラ無かったけど、ただ自分の夢にチャレンジするのが当たり前だと思っていた。
今思うと、単純思考のガキだったなーって恥ずかしくなる。航空大に通っている同級生で俺と同じように地元に彼女がいた奴も何人かいたけど、自然消滅したり、相手や本人に違う相手が出来て結局別れてしまったって言う話もよく聞いた。大学が違う時点ですれ違ってしまい高校の彼女とは上手く行かなくなる結末も珍しく無かった。男も女も、大学に入ると高校とはまるで違う自由さと価値観に、目移りしてしまう人も多いらしい。
それを思うと唯ちゃんが俺と一緒の大学に行きたいって考えるのは、彼女としては割と普通の考え方だったのかもしれない。だけど何となく―――俺は唯ちゃんと、どんなに体の距離が離れていても心が離れるってイメージを抱けなかったんだ。
だけど就職してから大学時代の友達と再会して、俺が唯ちゃんの好意と厚意に胡坐を掻いていたって言う事実に思い至り、初めて不安を抱いてしまった。ちゃんと彼女の気持ちを優先しないと、もしかして心の距離も離れてしまうって事があり得るんじゃないかと……その時漸く怖くなったのだ。
これまで俺が自信満々でいられたのは―――偏に唯ちゃんの俺に向けられる愛情が真っすぐで揺るぎない物だったから。だから疑い一つ持たずに俺は自分の好きな事に集中していたんだ。今だって結局、それは変わらない。唯ちゃんは俺の時間に合わせられるよう、結婚後、仕事を辞めてサポートを優先するって決めてくれた。それも全く躊躇いも無く。おそらく俺がいない間、母ちゃんは唯ちゃんに自分の仕事を手伝わせようなんて目論んでいると思うけど。それだって、俺優先って事には違いない。
同じ航空会社の整備士で大学の同期、万里小路の彼女は、現役でバリバリ働いている職場に無くてはならないグラウンドスタッフだ。彼女に仕事を教わった俺としては、結婚で仕事を辞めるなんて勿体無い!って他人事なら当り前のように考えられるのに。
こと自分の事となると、公平に考えられなくなってしまうから不思議だ。だって唯ちゃんが俺を優先してくれるって事が―――嬉しくて仕方が無いのだから。
よく女性に『優しい』と言われる事がある。
何とも思っていない相手に対しては、心を乱さず公平でいられるし、自分の気持ちを押し付けずに落ち着いていられる。つまり関心があまりないって事なんだけど。だから一見、そんな風に見られるかもしれない。
だけど唯ちゃんには甘えまくってしまう。
繕ったりなんか出来ないし、カッコつけようとか考えた事も無い。
あれ?これってやっぱ……まずくないか?以前感じた危機感がまた頭をもたげる。
唯ちゃんは本当に、俺優先の生活に満足しているのだろうか……?
不満そうには見えないけれど―――それって俺の思い込みじゃないって、言い切れるのだろうか。 気持ちを隠したり、押し殺したりはしていない?そう言うのが積もり積もってある日俺の事が嫌になったりしないのだろうか。女性は付き合っている男性に対して、減点方式だって聞いた事がある。
一緒に暮らし始めて益々俺は唯ちゃんに依存するようになっている。
俺は快適だし幸せだけど―――自分の幸せに溺れすぎて、また盲目になってしまっていないだろうか……?少しだけそう、ちょっと不安を感じた。
そんな風に感じてしまうは、この同窓会で顔を合わせるかもしれないアイツの事が何となく気に掛かっていた所為かもしれない。
** ** **
「本田君、スゴイね。パイロットなんだぁ」
「いや、まだ卵だけど。そうなれればいいんだけどね」
この子誰だっけ?何となく見覚えがあるから同じクラスの子かな?この年頃の女子は化粧慣れしているから、昔の面影を探すのに大変労力が必要になる。名札を見ると『沢渡』とあるが全くピンと来ない。旧姓、と書いていないから未婚かな?ただ単に旧姓しか書いていない可能性もあるけど。
「ねえ、連絡先交換しようよ」
「……」
俺は笑顔のまま、暫し無言になった。
あ、この人独身だ、きっと。
「俺、もうすぐ結婚するから女の人と連絡先交換するのはちょっと……」
ニコリと笑って察して貰える事を願う。
何を勿体ぶってるんだって、自分でも思わないでもないけれど。
連絡先の交換ぐらいじゃ、唯ちゃんは多分怒ったりしないし。
だけど大学時代に、あまり親しくない相手に連絡先を教えて痛い目に合った事があるから、つい警戒してしまう。
ある日知らない人からメールが届いて、この間連絡先を交換したその人から教えて貰ったって事も無げに主張されたり、彼女がいるって知っているのに、連絡先を教えた途端毎日朝晩メールを寄越して来る人もいた。呑んでいる最中に酔っぱらって飲み会に来るように、シツコク何度も電話してきたりする人も。
だから連絡先を教えるのは男にせよ女にせよ、為人を見て十分に信頼できると感じた相手だけにする事にしている。そのほかどうしても連絡先を教えなきゃならない場合は二つある電話番号のうち、いつも使わない方を教えるつもりだ。何かあってもそっちは解約すれば良いから。
「えーそんなの、関係ないでしょ?友達付き合い、異性とはしないって事?そんなに彼女、心狭い人なんだ」
ちょっとシツコイな。相手の事情を考慮しない態度に僅かに不快感を抱く。こういう人に教えると後が面倒そうだから、やっぱりナシだな。俺目当てじゃなくて、同僚のパイロットとのパイプが欲しいと言う可能性もあるけど。
しかし俺が断っているのに、それを唯ちゃんの所為にされるのは嫌だな。
「いや、唯は別にそんな事は……」
「え?『唯』って……鹿島さん?まだ付き合っていたの?!」
「ああ、うん」
「えー、本田君って優しいよね。子供の頃から付き合っているからって、義理堅過ぎない?」
「……」
何故そう言う解釈になるんだ。
初恋を成就させる人間が珍しいって言うなら分かるけれども。俺は薄く笑って、返事をしなかった。もういい加減……怒るよ?
「本田君だったら、ヨリドリミドリでしょう?いい加減飽きたりとかしないの?」
「……次の自己紹介始まるよ」
壇上に次のクラスの人達がゾロゾロ上がり始めた。
俺が相手にしていない事に漸く気が付いたのか『沢渡』はムッとした様子で席を立ちあがった。去る瞬間「……お高く留まって何さ、ちょっと顔がイイと思って」とボソリと呟いて去って行った。
聞こえてるんだけど。あ、聞こえるように言っているのか。
こういう事は実はよくある。
妙に初対面から褒めちぎって纏わり付いて来て、自分に全く靡かないと分かると掌を返したように厳しい態度になって、陰口を言いふらしたりする。
『褒めてやったのになんだ、労力掛けさせておいて』とこんな感じに腹を立てているのだろうか。何か貢いだ末に振られた男の人みたいだな、って思う。
それが分かっているから、いくら褒められても特に心は動かないんだよなぁ。きっとあの人に興味を持たない俺は、あの人の物語の中では悪役なんだろう。きっと他の関係ない人に聞こえる所で俺を悪しざまに言う事も、全く悪いなんて思っていない。だってあの人にとっては、俺は加害者で―――自分は被害者なんだから。
でもこういう体験もそれほど悪い事ばかりではない。
現実を知って諦めも付くし、用心深くなった。
それに何よりこういう事があるたび―――俺の彼女、唯ちゃんは何ていい女なんだろうって、改めて実感できるんだ。自分はなんて幸運なんだろうって。
「はー、やっと一息つける」
そう言って亀井が俺の隣に腰掛ける。俺はホッとして肩の力を抜いた。
「他の幹事と交代したんだ?」
「ああ、漸く腹ごしらえできるよ」
ガツガツ箸を伸ばし始めた亀井を見てクスリと笑い、何とは無しに壇上に視線を移した。すると直ぐに目を引く大きな体が視界に飛び込んできた。
「後藤……」
「ん?」
ローストビーフを頬張りながら、亀井が顔を上げた。
「あー『ごっつぁん』!相変わらず目立つよなぁ」
後藤にマイクが渡ると、場が一気に和んだ。
彼は学校ではマスコット的存在で、性格も温和だから誰からも好かれていた。
確か一年の時唯ちゃんのクラスに転入して来たんだっけ。
一時期女子の間で後藤のふよふよした体を突く行為が流行ってしまって、唯ちゃんも友達と一緒に転校したての後藤を突いていたな。何だかすごく腹が立ってしまって、思わず唯ちゃんを引っ張ってそこから引きはがし、後藤に触るのは止めてくれって訴えた事がある。唯ちゃんは吃驚したように目を丸くして―――それから、コクリと頷いたっけ。
あの時後から思ったんだよな。
随分狭量だったな、俺―――って。
ホンワカと穏やかな気質らしい後藤は転校したてで、きっとああいう流行が起きない限りクラスに溶け込むのに時間が掛かったかもしれない。別に後藤が唯ちゃんに迫ったと言う事実も無かった。頭が冷えて冷静になると、唯ちゃんだって後藤の事を何とも思っていないと言う事も理解できた。
それを言うなら、俺の方がずっと唯ちゃんに迷惑を掛けてきた。
俺に気のある女子に近付かれたり、嫌味を言われたり……本来なら、唯ちゃんはもっと俺に当たったり文句を言ったりしても良かったと思う。でもいつでも唯ちゃんは泰然としていて、何があっても何処吹く風って感じなんだよな。返って好意的にとって相手がぐうの音も出ないって場面も幾つもあった。その度いつも何てこの女はカッコ良いんだろうって爽快に思う。
そう言うトラブルを唯ちゃんは気に病んでいる素振りは全く見せない。
だけどこれからもそうだって言えるのかな。こうして唯ちゃんとの事を振り返ってみると、俺は些細な事で嫉妬しちゃうような心の狭い男で、好きな仕事をして唯ちゃんを付き合わせて、俺の所為で全然関係ない女の子に絡まれる事もあって―――いつか本当に愛想を尽かされたりしないだろうか。
俺がそんな事を初めて考えるようになって変な方向に気を使ってしまった時、唯ちゃんは俺の事が一番大事なんだって、だからちゃんと話そうって言ってくれた。
すごく嬉しかった。
だけど本当に唯ちゃんは俺でいいのか?って改めて不安が胸に湧き上がる。
何故だろう?今までいくら不安になったと言っても―――こんな風にモヤモヤした気持ちになる事は無かったのに。
俺は壇上の、背の高い少しぽっちゃりとした男を眺めながら、そんな自分を持て余していたのだった。
** ** **
「後藤、すげーな。ジョブフィーリングってアイツが作った会社だったのか」
「『ジョブフィーリング』?」
壇上で後藤の挨拶が終わった後、亀井が呟いた。声に明らかに驚きが滲んでいる。
俺は自分の考えてに沈んでいて、後藤の挨拶の中身を聞き流していた。
「知らねえの?今一番人気のあるバイト検索サイトだよ。採用されると祝い金が貰えるから、成約率がすげえんだって。確かこの間一部上場したって新聞に書いてあったけど」
「知らない」
俺はバイトをした事が無かった。
忙しかったのもあるが、バイトをする必要が無かったと言うのもある。後藤はバイトをした事があるのだろうか。そう言う会社を作るくらいだから経験はあるんだろうな。
「あの大人しいホンワカした男がねえ……大学在学時に起業して、今や一国一城の主か」
「後藤……アイツ、本当にスゴイ奴なんだな」
素直に賞賛が口をついた。
昔から、奴には敵わない―――そんな気がしていた。そして未だに全く敵わない気がする。
どっしりとした貫禄のある体と柔和な表情。その上もうしっかりと自分の腕一つで会社を作って経営しているなんて。その温和な性格の何処にそんな野心を秘めていたのだろう。
「そう言えばお前のホラ……幼馴染の黛だっけ?サッカー部の。アイツ医者になったんだって?」
「ああ、K大の附属病院で今研修医やってるよ」
「ひー!相変わらずスペック高えな~。ったく嫌んなるなぁ、俺の学年は才能に恵まれている奴ばっかりで」
「全くだ」
コクリと頷くと亀井が目を丸くして、それから俺の肩をポンと叩いて真顔で言った。
「いや、お前も入ってるから、その中に」
「俺は別に……努力してやっとしがみついているだけだよ」
まあ、黛も同じ事言ってたけどな。
そしたら亀井が目を細めて冷たい視線を寄越した。
「いや、全然しがみついてる感、醸し出して無いから」
「俺すげえ必死なんだけど……」
「航空大に合格してそのまま大手航空会社に就職。その上、幼馴染の恋人ともうすぐ結婚式挙げるんだろ?全部、すっげー涼しい顔でやっているように見えるけど」
「元からこういう顔だし」
「全く……羨ましいよなー。俺がお前ぐらい顔良かったら、もっと面白おかしく暮らすけどな」
「亀井はそのままでカッコいいだろ」
「それは身内びいきだっつーの。お前の趣味がおかしいっ」
あ、真っ赤になった。
褒めると照れる所は相変わらずなんだな。すっかり大人びた慣れた物腰になったように見えて、少しだけ距離を感じていた。だけどこんな風に高校の頃の素直で単純な亀井が、ひょっこり顔を出すから面白い。その表情が見たくてついつい褒めてしまうって言うのもある。
「でもなー、本当に俺なんかまだまだ……パイロットって言っても見習いなんだけど。まだお客さん乗せて飛行機を飛ばす補佐にもなってない。半人前以下だよ?亀井みたいに一人前にすら働けてない」
「それはそれだけ危険な仕事なんだから、仕方ないんじゃないの?時間かけて育てて貰うのは」
「そうなんだけどなー。後藤みたいに自分で会社立ち上げて独立している奴をみると、どうしても比べちまうな。本当に、後藤もカッコイイよな」
「……でも見た目はお前の方が勝ってるぞ」
グッと肩を抱かれて慰められ、つい溜息を吐いてしまう。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどな。好きな子の好みから外れていたら、そんな風に思えないよ……」
「『好きな子』って……お前まさか他に……?」
亀井がゴクリと唾を飲み込んだ。その声が動揺したように、僅かに震える。
何を緊張しているんだ?イマイチ分からないが、俺はそのまま考えている事を返答した。
「唯にとっては、後藤の見た目の方が好みなんだよな」
「あ……『好きな子』って、鹿島の事……ね」
首に巻き付けていた腕を解いて、亀井が明らかにホッとしたような顔をしたので、首を捻った。
「他に居る訳ないだろ」
「いや……そうだよな、うん。やっぱお前はいーな。安心するわ」
「どういう意味だ?」
「ううん、何でも!さぁ、飲もうぜ!あと二クラス自己紹介終わったら、ちょっと間空けて写真撮影して、一次会締めるから。せっかく高い会費払ったんだから食べて飲まなきゃ、損だぞ?」
「そうだな」
「それにしても―――お前、相変わらず後藤をライバル視してるんだな。俺はどうしてそう、お前が後藤に嫉妬するのか理解できんよ。女が十人いたら、十人全員が後藤よりお前を選ぶと思うけどな」
「……」
俺は黙って、ビールに口を付けた。
あり得ないけどもし亀井の言うように、十人中十人の女の子が俺を好んだとして。
百人に一人が後藤を好みだと選ぶとする。その一人が―――唯ちゃんだったなら、その慰めはなんの意味も持たないんだけどな。
なんて……これ以上グチグチ言ったら、ますます彼女に相応しい男から遠ざかりそうだったから―――口を噤む事を選んだ。
だけどそんな消極的な戦略しか取れない自分が、柔和なくせに意外と野心家の後藤に益々負けているような気がして、少し凹んでしまったのだった。
** ** **
そのクラスの自己紹介が全て終わり後藤が壇上から降りる時、代わってそこへ上ったのは、唯ちゃんと江島のクラスの男女十数人ほどだった。幹事の湯川がマイクを受け取って仕切り始める。
ドキッとした。
すれ違う瞬間、後藤と唯ちゃんが笑い合うのではないかと思ったからだ。しかし唯ちゃんは江島と何か楽し気に話していて、後藤には目を向けない。しかし後藤の方は気が付いていたのではないだろうか。何となくそちらの方を眺めている気がしたのだ。
視力が良いのも、善し悪しだ。
見たく無い物まで見えてしまうし、気にしてしまう。
あ、唯ちゃんにマイクが渡った。
「二年間GISと言う旅行会社に勤めていましたが、今年の春退職して家庭に入る予定です」
亀井がチラリと俺にわざとらしい流し目をして見せて、ニシシと笑った。苦笑して周囲を見ると、何人かこちらを興味深そうに眺めていたり、ちらちら視線を寄越しつつ会話を交わしている人もいる。物珍し気に見られるのは仕方が無いけど、さっきの失礼な元クラスメイト(?)が口にしたような会話だったら嫌だな。俺の事は構わないけど、唯ちゃんの事をほんのちょっとでも悪く言われたくない。
隣の江島が「ファシオって言うお菓子会社に勤めています」とだけ言って、結婚には全く触れずに、ペコリと頭を下げ直ぐにマイクを隣に渡した。
あれ?黛の事、言わないのかな?
うーん……でも確かに言い辛いかもしれない。
江島はあまり高校では目立つタイプでは無かった。と言うか前に出たり、そう言う事が苦手なんだろうなって思う。
一方黛を知らない人間は、きっとこの学年にはいない。
と言うか他の学年の生徒も、おそらく大多数の者は名前くらいは知っているかもしれない。物凄く目立っていたから―――色んな意味で。
しかし江島と正反対で黛は人前に出る事も、周囲の視線を集める事もまるで気にならない性質だ。と言うか目立つ事が当たり前過ぎて、何も感じていないように見える。正直あのメンタルの強さは物凄く羨ましい。
そう言えばアイツの親父さんも母親の玲子さんも……周囲の目とか全く気にしないっぽいもんな。特に玲子さんなんて、注目を浴びるのが仕事なんだし。黛も玲子さんに無理矢理舞台に立たされたってブーブー言ってた時期があったから、他人の視線に否が応でも慣れてしまったのかもしれない。
ここで江島が黛と結婚したなんて発言しようものなら、質問の集中豪雨が降って来るかもしれない。体調も万全では無いし防波堤になる黛もいないから、触れずにいるのかもしれないな。―――ったく、黛はその場に居ても居なくても騒がしい奴だ。江島さんが引き取ってくれて本当に助かった。じゃ無かったら、黛が休みの日に俺達の新居に入り浸ったり……なんて未来もあったかもしれない。 いや、其処までアイツも暇じゃないか。
しかし俺がフライトで不在の時、本田家の実家で食卓を囲む黛を想像してみて―――全く違和感が感じられないんだよなぁ。不思議な事に唯ちゃんと黛が一緒に居ても警戒心は全く湧かないのだが……だけどそう言う状態は、俺だけ除け者にされているみたいで何か嫌だな。俺が一緒に居られないのに黛だけ楽しそうにしているのも、腹立たしいし。
俺は壇上の江島さんを眺め、これからの彼女の騒がしい人生を思って……同情の目を向けずには居られなかった。
江島さんが黛を拒否らないでくれて……本当に良かった。
申し訳ない、と思うと同時に。深く深く―――彼女に感謝したのであった。
唯ちゃんと江島の挨拶が終わった辺りから、俺にパラパラと幾つか視線が集まっているのだが…… 徐々にその視線の圧力に居心地の悪さを感じ始めていた。
そう、その原因は―――唯ちゃんが結婚相手を名指ししなかったからだ。
彼女にとっては自分の相手は俺しかいないって思っているから説明の必要は無いと思っているのかもしれないけれど……そこはかとなく、気を使った視線が混じっているのに気が付いた時『あ、別の相手と結婚するって、考えている人もいるのかな?』と漸く腑に落ちた。
しかし聞かれもしないのに『俺が結婚相手だから!』なんて立ち上がって宣言するのも変だしなぁ……誰か一人、尋ねてくれれば解決するのに。なんて思っている内に亀井が突破口を開いてくれた。
「ったく、長い春を成就させるなんて、まるで漫画だな」
ニヤニヤ笑いで揶揄ってくれたので―――俺はホッと胸を撫で下ろした。
さっきまでこういう話題は周囲にあまり聞こえないように気を使ってくれていたようだから、亀井は敢えて声のボリュームを上げてくれたのだろうと思う。
すると亀井と逆隣の席に座った元クラスメイトの二ツ川が、勢いよく話し出した。
「やっぱ、鹿島の相手ってお前か……!いや~つい、いらん気を使っちゃったよ!」
「なーんだ、そっか。そうだと思ったけど、万が一違ったらと思ってヒヤヒヤしていたんだ~」
二ツ川の向こう側に座っている髪をアップにした女性、影山も胸を押さえ眉を下げたから、俺も思わず笑ってしまった。皆イイ奴だな。きっとどう切り出そうか、触れない方がいいのか……と気を揉んでくれたのだろう。
今日は唯ちゃんは受付係だったから、一緒にいる機会があまり無かったのだ。周囲が俺達の現在の関係に気付かなくても仕方が無い。こんなに長く付き合っているカップルが珍しいと言うのは、今や俺にだって理解できる。俺も最近連絡を取っていないクラスメイトと、その高校時代の彼女をを見掛けたら―――きっと同じように気を遣ってしまうだろうな。
そんな会話を皮切りに、色々と質問攻めにあってしまった。
暫くそうしてクラスメイト達と忙しく話していて、目を向けられなかったのだが。ふと―――何となく会場に視線を走らせて唯ちゃんを探した。江島の横には湯川……あれ?唯ちゃんがいない。……廊下に出ているのかな。
思わず嫌な予感がして、更に頭を巡らせて周囲を広く確認してみた。
後藤が―――いない。
「―――それでさ……本田?」
亀井に呼ばれて気が付く。いつの間にか俺は席を立っていた。
「どした?」
「えっと―――トイレ!行きたい。……行って来る!」
「あ……そう……行ってらっしゃい」
俺の勢いに気圧されたように、亀井はボンヤリと返事をした。
気の抜けた声に見送られ―――俺は会場の外へ続く大きな扉へと大股で歩き出したのだった。
焦る気持ちを抱えたまま会場のドアを開けて、廊下へ出た。
亀井に訳を話せば『何馬鹿な事を言っているんだ』って一笑にふされる事は分かっている。
高校の頃、後藤に嫉妬する俺に亀井は呆れていた。さっきも言われたばかりだ『まだ後藤をライバル視しているのか、何故奴に嫉妬するのか理解できん』って。
だけど亀井は黛に対しては警戒心を持っていたな。唯ちゃんと黛が話している現場を見た亀井に『嫉妬しないのか』と問いかけられた事がある。『取られちゃうとか考えないのか』と尋ねられて俺は『それは無い』と即座に否定したっけ。
唯ちゃんが黛の事を男として全く見ていないって事は、俺にとって既に当り前の事だったし、幼馴染の黛は絶対に人の彼女に手を出すような真似はしないと分かっていたからだ。今改めて振り返ると……黛が唯ちゃんを好きだったのって、単に友達としてだけだったんじゃないかって思う。だから余計、その時俺は危機感も何も感じなかったんだろう。
だけど後藤は……。
高校時代、何度か彼と話す機会があって、その度思ったんだ。
後藤はすごくいい奴―――イイ男だなって。
優しいし、いるだけで場を和ませる雰囲気があって。男女の別なく好かれていた。
黛は唯ちゃんの好みから外れている。性格も、見た目も。
だけど後藤は―――唯ちゃんの好み、ど真ん中の男かもしれない。優しいし頼りがいがあって―――表に出さない野心を持っている実力のある男。何よりその安心感のあるフクフクした体は……唯ちゃんのタイプそのものなんだ。
俺は小学校と中学校の初めくらいまで、後藤みたいにタップリとした体型だった。それは本田家の遺伝子の所為で。親父も信兄も幼少期まで割とふくよかな体形で、第二次性徴を迎える頃から徐々に痩せて行く体質だった。弟の新も今では面影も無いけれど、子供の頃はぽっちゃりとしていた。……他の女の子が太っちょの俺に見向きもしなかった頃、唯ちゃんは俺の見た目を物凄く気に入ってくれた、変わった女の子だった。
中学生になってスッカリ痩せてしまった俺に、彼女は名残惜しそうに『モフモフで柔らかかったポンちゃんが懐かしい』って言ってくれたっけ。俺は体型が戻る五十歳くらいになるまで待ってて、なんて言ってその場をしのいだのだけれど……パイロットになると言う夢を叶えた今、定年まで出来る限りその職業を全うしたいって思っている。そうすると半年ごとの検診に合格する為、体型も維持しないといけない。それ以前に―――実は俺の父親は五十を過ぎてもまだスラリとした体型のままだ。つまりパイロットを引退しても唯ちゃん好みの見た目には戻れない可能性がますます大きいって事。
扉を出た所には受付の名残が残っている。少し広くなった待合スペースにはまばらに人影があって ―――だけど割と小柄な唯ちゃんも、後藤の大きな体も見当たらない。
トイレだろうか?
俺は誘導表示を見ながら、奥まった廊下を目指して歩き始めた。
するとトイレに続く廊下から、ちょうど二人が出て来る所に出くわした。
「唯ちゃん!」
「ん?あ、ポンちゃん」
揃って現れたのは、やはり後藤と唯ちゃんだった。二人は楽し気に笑いながら現れた。そして俺に気が付いて足を止める。大きな頼りがいのありそうな体の横に並んで、こちらに手を振っている唯ちゃんの元へ小走りで駆け寄った。
唯ちゃんの隣にさり気なく立つ。
すると俺とそれほど身長の変わらない後藤が、少し驚いたように目を見開き―――それからホンワカと笑顔を零した。
「本田君、久し振りだねえ」
全く屈託のない笑顔。そうだ、後藤ってこういう奴だった。高校の頃に気持ちが舞い戻ったみたいに―――鮮やかに印象が復活する。
「ああ、久し振り。ええと……元気そうだな?」
「うん、お陰様で」
ニコニコ笑いながら堪えるフクフクとした体からは、盤石なオーラが漂っている気がする。これが自分で何もかも作り上げた男の余裕なのだろうかって考えてしまうのは……ただの僻みなのだろうか。それとも彼の余裕のなせる業だろうか。
「今ね、ちょうどお手洗いから出た所でバッタリ顔を合わせたんだ。ね、ごっつぁん?」
「うん。本当に同時だったよね」
笑い合う二人を見て、思わず少し心が沈んでしまう。
「そう……」
唯ちゃんの説明に笑顔を作って答えはするものの―――余裕ないの無い男、そのものの俺は、その後どう続けて良いものか都合の良い言葉がとんと出て来ず言葉を続ける事ができない。会場に唯ちゃんと後藤の姿が見えなくなって心配になって慌てて探しに来た、というのが正直な所だからだ。
勿論、二人が示し合わせて会場を出たなんて思っていない。だけど何だか偶然顔を合わせるような予感がしたのだ。それが立ちどころに現実になってしまって、俺はかなり動揺していた。二人のタイミングが合った事に、ついつい焦りの気持ちが湧き上がるのを押さえられない。
そんな俺の見っとも無い動揺には全く気付かない様子で、後藤は朗らかに笑い掛けてきた。
「本田君って相変わらずカッコイイよね、パイロットだっけ?仕事で結構本田君の会社の飛行機利用するよ。もしかして本田君が運転している飛行機に乗ったりしてたのかな?」
「いや、まだ訓練中だから……旅客機を運転するまで行ってないんだ」
「そっかー、残念。でもスゴイよね!本当に似合ってるよ!俺なんかこんな体型だから……絶対無理だなぁ。客席だってエコノミーに乗れないくらいだもの」
謙遜してそう言うが、たぶんエコノミーには『乗れない』んじゃなくて『乗らなくても良い』と言う事なんだろう。
「それは体型の所為じゃなくて、稼いでいるからだろ?事業家だもんな、一部上場したんだって?おめでとう」
「有難う。上場するのも善し悪しなんだけどね……でも見栄えはいいよね、響きとか」
「―――もう一国一城の主なんだもんな。羨ましいよ」
「ええー、照れるな!憧れの本田君にそんな風に言われるなんて……俺感激だなぁ。それだけで、この仕事していて良かったって気になるよ」
如何にも感動した!と言うように胸を押さえて目を閉じる後藤。そのお道化た仕草を見て、唯ちゃんがクスクスと笑っている。
けれど彼女はそれから「あ」と小さく呟いて、思い付いたように俺を見上げた。
ドキリ、と胸がなる。
いや、ギクリか?
見透かされてしまうようなつぶらな瞳を見返し、ゴクリと唾を飲み込むと彼女は眉を顰めて言ったのだ。
「ポンちゃん……」
「は、はい」
思わず緊張した面持ちで答える。
「……大丈夫?」
「え?何が?」
俺はとぼけてソッポを向いた。
「お手洗い。……行く途中じゃなかったの?」
「あ、ああ!うん、大丈夫!大丈夫!」
思ってもみない事を言われて、慌てて首を振る。
そうだよな、そう思って当然だ。なんせそこへ続く廊下の入口で俺達は鉢合わせしたんだから。
「えっと、そうじゃなくて……」
何と言って良いか煩悶して戸惑っていると―――後藤とカチリと目が合ってしまった。
後藤は何故かシッカリと俺に頷いてみせ、それから笑顔でこう言ったのだ。
「俺、先に戻ってるから、ごゆっくり」
「あ!……ああ、有難う、後藤」
どうやら後藤は勝手に、俺が唯ちゃんに用事があるものと受け取ってくれたらしい。察したとばかりに……少し大人びた、それでも未だにホンワカとした雰囲気を失わない魅力的な笑顔で首を振り、彼はその場をスマートに去って行ったのだった。
その逞しい背中を見送って―――俺は大きく溜息を吐いた。そして唯ちゃんの方を改めて振り向く。
すると……唯ちゃんが華奢な腕を胸の前で組み、首を少し傾げて俺を見上げていた。
まるで俺の心情を読み取るような、真剣な瞳で。
チョイチョイと唯ちゃんが俺を手招きする。
そして手を引かれて、今さっき唯ちゃんが出て来た廊下に引っ張り込まれた。
更に彼女がチョイチョイと手招きする。耳を貸せと言う事だろうか?俺は少ししゃがんで顔を寄せた。するとニュッと伸びて来た細い指にキュッと頬っぺたを摘ままれてしまった。
「いててて」
直ぐにパッと離されたので、俺は体を起して頬を押さえた。
そこに下から唯ちゃんの抑えた声が届いた。
「変なこと、考えてるでしょう?」
腕組みをして目を細める唯ちゃん。俺はウッと詰まって視線をサッと逸らした。すると唯ちゃんはグルリと俺が逸らした方向に体をずらして、更に手を伸ばしてピョンピョン跳ねだした!
うっ……ちょっとそんな可愛い仕草、こんな処でしないで欲しい。
俺は慌てて唯ちゃんの肩をガシリと掴んで、動きを拘束した。再び見下ろすと同窓会用に丁寧にお洒落をした唯ちゃんと目が合う。そうなんだよな、今日は一段と彼女は可愛らしい。ついつい嫉妬が止まらないくらい、心配になってしまうくらい。
「ポンちゃん、最近変だよ」
「……」
「お仕事……やっぱ大変?疲れてるのかな?」
疲れては……いる。
社会に出てほぼ一年、自分って何にも出来ないんだって思い知らされる場面も多かった。いつ一人前に働けるようになるんだろう。果たしてこのまま無事にパイロットとして旅客機を操縦する身になれるんだろうか?って不安な気持ちをついつい抱いてしまう事も。
つまり自信喪失しているのかな。だから、独り立ちしている同級生が気になってしょうがない。
「……後藤って、優しいし頼りがいがあって……イイ男だよな」
「そうだねぇ」
のんびり返す唯ちゃんの返事に、自分で同意を求めて置いてグサリと傷ついてしまう。
「……体型もさ、唯ちゃんの好みドストライクだろ?フクフクしているし、安定感あって。俺、パイロットになったら、ずっと体型維持しなきゃいけないから……昔約束した五十代になっても太れないと思う」
「そうかもねぇ」
更にグサリと胸を抉られる。もう、泣いても……イイですか?
「唯ちゃんは、本当は後藤の方が……」
まだ俺達は籍を入れていない。結婚式の準備はしているけど……後戻りは可能なんじゃないか?そんな考えがふと湧いて来て、悲しくなる。
「ポンちゃん、それ以上言ったら怒るよ?」
唯ちゃんは腕組みをしたまま、薄く微笑みつつ俺を見上げている。そして溜息を一つ吐いて「ばかねぇ」と呟いた。またグサリと胸に何かが刺さる。
「う……」
「ポンちゃんはさ、自分の好みど真ん中の見た目の人で、性格も好みの人と出会ったら―――私から乗り換えちゃうのかな?」
唯ちゃんの言葉を理解するのに数秒を要した。
ええと……好みの女の人と出会ったら?唯ちゃんから乗り換え……?
「え……」
「長年付き合って来たのに薄情だなぁ……それとも長く付き合い過ぎて、もう私なんか飽きちゃった……?」
「まさか!そんなわけない!」
唯ちゃんのあり得ない言葉に唖然とするしかない。
ていうか、唯ちゃん以上に好みの人なんて現れるわけ無い。
口で説明するのももどかしく、思わず焦りにまかせてギュっと小さな体を抱き混んでしまう。すると抱き込んだ囲いの中から唯ちゃんの細い声が響いて来た。
「ポンちゃんが心配している事は……そう言う事だよ。好みのタイプの男の人がいたらアッサリ心変わりしちゃって……もう今にも結婚しようとしている長年付き合った相手から離れたいって考えるような人間だって私の事言ってるのと同じだよ?―――そんなに私、信用ないかなぁ」
「……」
俺は首を振った。
「そんな事……ない」
更に腕に力が籠る。
「……ゴメン、俺自信なくて。唯ちゃんを犠牲にして自分ばっかり幸せになっている気がして」
「私だって―――幸せだよ?」
キュッと唯ちゃんが俺の腰に手を回して来た。
それから背をポンポンと優しく叩いてくれる。
「だいたいさ、私は容姿でポンちゃんを好きになったわけじゃない。全然逆。ポンちゃんを好きになったから……フクフクした体型も好きになったの!」
「唯ちゃん……」
俺が頭を離すと、唯ちゃんは腕の囲いの中から見上げるように視線を合わせて来た。そしてニッコリと笑ってこう囁いたのだ。
「それに、私ポンちゃんの遺伝を信用しているの。だからポンちゃんが五十代になるずっと前に……ふくふくの可愛い男の子か女の子を抱きしめられるって確信しているんだけど。―――自信ない?」
「―――っ」
思わず頬が熱くなる。
動揺で緩んだ腕から唯ちゃんがスルリと抜け出した。
手放した温もりを取り戻したくて、俺が再び手を伸ばそうとした時。
「あ、唯いた!」
と明るい声がして振り向いた。
「クラスごと写真撮るんだって。私達のクラス二番手だよ」
江島が廊下の角からひょっこり顔を出して、ニコニコと俺達を見ている。
もう戻らなきゃならない。
何だか名残惜しい……チラリと唯ちゃんを見下ろすと、上目遣いにフフッと微笑む彼女と目が合った。
ああ、俺の唯ちゃんは何て綺麗なんだろう。
今までも何度もそう思った。
そしてまた、今日も新しく俺は―――唯ちゃんに惚れ直すんだ。
「じゃあ行こっか?ポンちゃん」
そう言って満面の笑顔で手を差し出してくれた彼女の手を握って。
俺は思った。こうやってこれからもずっと、彼女と手を繋いで寄り添って歩いて行けたらいいなって。
今回も波風立ちそうで、立たずに終わりました。
家庭での力関係が何となく見えてきました。
しかし夫(仮)が喜んでいるので良しとします(笑)
お読みいただき、誠にありがとうございました。




