唯ちゃんと、お姫様
本田の同僚のグラウンドスタッフ、綾乃視点のお話です。
※綾乃視点番外編『ただいま転職検討中!』を読まなくても理解出来ますが、読んだ方が楽しめると思います。『ただいま~』のネタバレがありますので、事前にお読みいただく事をお勧めします。
※2016.10.29四話を一話に纏めました。
本田君が見事試験に合格したと聞いて、高志が同僚を集めてお祝いをしようなんて言い出した時は驚いた。
高志はそれほど社交的なタイプでは無い。声を掛けられれば参加するけど、自分で飲み会の発起人をするなんて事は付き合ってこの方聞いた事が無かった。
万里小路高志は私がグラウンドスタッフ(通称グラホと言います。昔『グラウンドホステス』って呼ばれていた名残です)として勤めている航空会社の整備士だ。そして―――ええと、コホン。……私の愛しの彼氏様でもある。親睦会で隣同士になったのが切っ掛けで意気投合、付き合って既に二年が経過している。
仕事場限定でビシッとしていて、ともすれば年上に見られがちな私は素では感情がそのまま出ちゃうタイプで結構おしゃべり。そんな私の話を寡黙な高志はキチンと聞いて、最後に一言二言返してくれる―――って言うのが、私達の通話パターンだ。何処かへ出掛ける時も私が誘うのが普通。だから高志が祝賀会をやる、と言い出した時は「えええ?!マジ?」と声に出して驚きましたよ。
このたび試験を通過して副操縦士になる本田君は、パイロット訓練生として地上勤務に従事していた。私は一時彼の指導係をしていた事がある。しかし最初、彼が高志の大学時代の友人だなんて全く考えもしなかった。けれども色々(詳しく知りたい方は番外編『ただいま転職検討中!』をご参照ください!)あって、二人の関係を知ったのだけれど―――その内本田君は違う部署に異動してしまって、それほど直接関わる事は無くなってしまった。あ、でも高志とは時々飲んでいるらしいけど。
で、今日は久しぶりに本田君と話せるなぁ、近況を色々聞いてみたいなーと思っていた。高志はあまりおしゃべりなタイプでは無いので、尋ねなければ本田君の話題に触れたりしないのだ。私も仕事が忙しい中、自分の事と高志の事を話すのに手一杯で、本田君の話題まで辿り着けずに日々が過ぎてしまっていた。
この祝賀会には、地上勤務で本田君と関わった役職の付かない若い人ばかりに声を掛けている。勿論グラホ仲間もいーっぱい参加している。何故なら本田君がものスッゴイ美男でスマートで優しくて、独身女性(いや、既婚女性もかな?)に大人気だからだ。とは言っても、本田君はどちらかと言うと性質的には理系男子と言うか高志と似ていて、あまり女性に気安い雰囲気が無い。だから進んで話をするのは男性陣が多いようで、男性職員にも結構好かれているのだ。
けれどもその誠実そうな所がまた良い!と……グラホ連中は陰で本田君を『王子』と呼んで、盛り上がっている。
そしてそれと対極に『姫』と呼ばれて同僚のお姉さま方から敬遠されている存在もいる。
河合桜子と言う、新人グラウンドスタッフだ。
噂では……親戚の幹部職員が便宜を図って就職するに至ったコネ入社らしい。そしてその噂を裏付けるように、仕事はあまり……と言うか全く熱心では無く、合コンで女王様みたいにモッテモテでちやほやされている、見た目は可愛い素敵女子だ。
……と言う理由で、グラホの先輩の中には彼女に妬みや苛立ちを抱える人は多い。けれども我が身に災難が降りかかるのは嫌……と言う心理も働いて、皆遠巻きにして陰で『お姫様』と呼び噂話に華を咲かせているのだ。
結果。彼女がミスしたりお客様が通り過ぎた途端悪口を言ったりした時―――注意するのは実質私だけである。ハハハ。
高志は私を『熱血スポ根の主人公』と呼び、シラッと揶揄う……と言うか、多分心配してくれているんだよね。
高志の心配通り、私は彼女に嫌われていたりする。
腹いせなのかアプローチなのか、はたまた両方なのか分からないけど。お姫様の河合さんは、私が本田王子に気があり、嫉妬で河合さんに嫌がらせをしている―――と虚言を訴えた事がある。本田君はそれをキッパリと跳ねのけてくれた。私はホッと胸を撫で下ろしたのだけれど―――
ところが本田君にはあまり良く無い結果になってしまった。
『お姫様』が、本気になってしまったのだ。
河合さんは見た目はとても可愛らしく、細くて庇護欲をそそるような容姿をしている。勿論美容にも装いにも手を抜かない。お嬢様育ちなのか身に着けているモノも全て今旬なブランドモノばかりだ。
キラキラ~と眩しくて、男性陣には結構彼女をチヤホヤしている人が多い。チヤホヤしていなくても、微笑んで体を寄せられると大抵の男の人が頬を染めてドギマギしてしまう。
さてそんな可愛らしい素敵女子で、男性陣に常にチヤホヤされてきた河合さんにとっては、きっと滅多に無い事なのだ。ビシッと跳ねのけられて、ますます本田君に入れ込むようになってしまった。
本田君が異動してチケットカウンターに出入りしなくなった後も、異動先の部署に足繁く通い、男性陣と親しくなって本田君の周りをウロチョロするようになった。本田君は失礼にならない程度にやんわりと受け流しているらしい。
気の毒だなーと思う。
と言うのは、本田君には大事な彼女がいるらしいから。
本田君が彼女をとても大切に思っている事は、一言だけ彼女の事を語った時の―――その表情と声の調子で伝わって来た。けれども揶揄われるのが嫌なのか、色恋事を職場に持ち込まない主義なのか、本田君は彼女の存在を公にはしていない。彼女の存在を知っている高志も私もそれに倣って口を噤んでいるので、相変わらず本田君は独身女性の注目の的だった。けれども河合さんの強いアプローチに引いているのを見て、皆同情しているのか同じに見られるのが嫌なのか、彼女のように積極的にアピールする人は割と少ない。
だから―――今回の祝賀会は荒れるかもしれない。
皆、爛々と目を輝かせている―――気がする。既婚者や彼氏持ちの私や清子なんかは、ちょっと引いちゃうくらいに。
参加者が八割ほど集まった時、会場に『本日の主人公』本田君が現れた。
「皆さん、主役が現れました。拍手をお願いしまーす!」
高志が立ち上がって、大きな声で促した。
おおっ、スゴイ!高志ってやれば出来る人なんだ!カッコイイ!
なんて、私が目をハートに自分の彼氏にときめいていたら、次の瞬間会場が一気にどよめいた。
「ちょ、ちょっとアレ!」
隣に座っている清子にバシバシと腕を叩かれて、我に返る。
「いたたた、何よ~」
「ほ、本田王子が……」
「本田君が?」
高志から本田君に視線を移した。すると背の高い本田君の脇に、チョコンと小さいシルエットが寄り添っているのが目に入った。
素朴な感じの、優しそうな女の子?女の人?
「あっ……」
もしかして。
「本田君の彼女?」
「「「「「え?!」」」」」
私がポツリと呟いた言葉に、周りに居た女性陣が悲鳴のような声を上げて振り向いた。
「何それ!」
「か、彼女?」
「彼女……いたんだ……」
「そりゃ、いるよね。あんだけカッコよけりゃ……」
「うっそ」
「ショック~!」
「私の希望の星が……」
抑えきれない阿鼻叫喚がアチコチから聞こえて来た。
「ちょっと、綾乃!どういうコト?」
「えっと……」
思わずポロリと零してしまった事を後悔する。が、もう既に時遅し。
う~~。ま、いっかあ??
本田君が彼女(たぶん彼女だと思う)を連れて来たんだ。公表するって意志の表れだろう。じゃあ私が隠さなくったって大丈夫だ。もともと口止めもされていないし、大した事知らないしね。
「うん、何か……以前、彼女いるっぽい事言ってたような……あ、でも詳しい事は聞いて無いよ?顔も知らないし。だからきっとあの女の子が『彼女』なのかなぁって」
「ふ~~ん。何で私に教えてくれなかったのよ~~」
清子、『本田王子ファン』ってワケでも無いのに絡むなぁ。
「いや、確信があったわけじゃ無くて。それにあれだけカッコ良かったら、いるよね?って思ってたし」
鋭い視線に晒されて、冷や汗を掻きながらゴニョゴニョ誤魔化した。
清子の視線もちょっと痛いけど、周りの同僚諸氏の視線が痛すぎる!つーか、絶対何か刺さってる。敢えて私が黙っていたなんてバラそうものなら、抹殺されるような気がした。
「まあ、ねえ。いない方がおかしいっちゃ、おかしいよね。『どっか悪いのか?』とか思っちゃう」
「そ、そうだよね~~」
私がウンウンと頷くと、周囲から刺さっていたトゲトゲもちょっと和らいだ気がした。
清子もウンウンと大きく頷き返してくれた。
「私なんか『王子』はてっきりソッチの趣味かと思ってたわよ?ほら、整備の万里ちゃんと偶に連れ立って帰ってるって聞いたから」
『マデちゃん』って……。
意味深に私を見るのは止めてください。ちょっとコワモテ寄りの高志の事をそう呼ぶ人は清子くらいだ。勿論私と高志の事を知っていて揶揄っているのだ。
するとやっと、どうやら私があまり詳しい事を知らないと言う事が浸透したようで、こちらを注視していた視線の束が三々五々散って行くのを感じる。それぞれ塊になってボソボソと憶測とあて推量の遣り取りをし始めた。
「おお、噂をすれば……っ」
清子が弾んだ声で言った。振り向くと高志が私の椅子の後ろに立っていた。
「ちょっと、来てくんない?本田の彼女に紹介するから。彼女知合いいないから、相手してあげてよ。玉井さん、イイかな?コイツ借りて」
「どーぞ、どーぞ」
清子がニッコリと笑いながら手を振って見送ってくれた。
……あれはきっと『後で色々聞かせろよ』って言う、笑顔だろうなぁ~。
** ** **
「あ、雪谷さん。お久し振りです」
「本田君、おめでと~」
「有難うございます。こんな席まで設けていただいて、本当に恐縮してます」
本田君が照れくさそうに言うと、高志が表情を変えないまま静かな口調で言った。
「実際は、お前を肴にして飲むのが目的だけどな」
「それは分かってるよ!万里小路に言ってんじゃなくて、雪谷さんにお礼を言ってるんだよ」
高志の軽口に、苦笑しながら本田君が遣り返す。するとクスクスと、本田君の隣の女の人がおかしそうに笑った。
「あ、雪谷さん。俺の彼女の、鹿島唯です。唯、こちら仕事でお世話になった雪谷さん……」
と彼女に紹介しつつ、声を潜めて「で、高志の彼女さん」と囁いた。すると優しそうな彼女、鹿島さんは「ああ、あの!」と言って頷いた。
何だか事前に話が伝わっているらしい……何て言われているか気になるな。『厳しいお局様』って言われてたらどうしよう?年は一つしか違わないけどね……。『貫禄ある』って言われるのは良くあるから、好意的にとってそっちだろうか?
「今日は皆さんの集まりにお邪魔しちゃってスイマセン。万里小路さんが是非って言ってくれたそうで、ずうずうしく付いて来ちゃいました!普段ポン……心君、仕事の話全然してくれないので、どんな人達と仕事してるのか興味を抑えられなくって」
本田君をチラリと睨み、少し肩を竦める様子が愛らしい。なんか彼女、癒し系って言うか可愛いタイプだなぁ。うん、おねーさんこういう娘、好きだよ?
睨まれた本田君はと言うと……スッゴくデレデレしていた。
うーん……イケメン振りは変わらないけど……甘すぎて胸やけしそうですな。こんな表情見ちゃったら、皆スッと夢から醒めちゃうんだろうなぁ。
この場合は『ガッカリする』って意味じゃなくて、本田君が余所見し無さそうだなって、二人を見ていたら分かり過ぎちゃうだろうって意味です。
自分の事は全く眼中に無い、望みナシって分かってしまったら―――大半の人はスッと我に返ると思う。無謀な恋にしがみついちゃうのは、望みが少しでもある場合に限るよね、普通。
私はさっきまで高志が座っていたらしい、鹿島さんの隣の席に腰掛けた。高志はちょうど空いた本田君の隣に移動した。
私は勿体ぶった様子で、フフフ……と彼女に笑い掛けてみる。
「じゃあ、本田君の恥ずかしい失敗談を……バラしちゃおうかなあ?」
「え?!ぽ……心君の失敗談、ですか?」
鹿島さんがキラキラと瞳を輝かせて身を乗り出したので、私はニヤリと嗤って本田君に視線を向けた。すると、彼が「ゆ、雪谷さん!」と慌てだしたので、噴き出してしまった。
「ジョーダンよ!本田君は完璧でした―――新人にしては憎らしいほどにね」
笑いながら言うと、本田君は胸を撫で下ろし肩を落とした。どうやら彼女の前ではカッコつけていたいらしい。本田君も案外普通の『男の子』だね。
「なーんだ!でも本当は何かあるんじゃないですか?聞きたいなあ~」
鹿島さんがおかしそうに笑いながら言うと「唯!」と本田君が拗ねたような声を出した。
本田君、幼馴染の彼女の前では本当に普通の『男の子』になっちゃうんだねー。そう微笑ましく二人を眺めていると、鹿島さんが本田君をグイッと押しやった。
「さあ、『本田君』は皆さんにお礼して回って来てね!」
「え、でも唯……を置いてくのは」
「私は雪谷さんと女同士の話をするから大丈夫だよ!私にばっかり構っていたら駄目じゃない。今日は心君の為に集まってくれたんでしょ?」
少し幼そうに見えた彼女は、どうやら本田君に寄り掛かってばかりのか弱い人ではなさそうだ。しっかりとした口調で不安そうな様子の彼にピシリと言った。
良妻?良妻なの?もう既に嫁の風格が……!
高志が笑って「ちょっと回ろうぜ」と本田君の肩を叩いたので、本田君はとうとう諦めて立ち上がった。「なんかあったら、すぐ呼んでよ!」と心配気に言って引き摺られて行く。
私達はヒラヒラ手を振って、男どもを見送った。
そして目を合わせてどちらともなく笑い出した。
「本田君って、心配性なんだね!意外だわ~」
口が笑ってしまって、戻らない。少し酔いも回って来たのか、何だかすごく楽しくなって来た。
「もう私も働いている、いい大人なんですけどね。同級生なんだけど、昔から心君は物知りでシッカリしてましたから。何かと心配『したがり』なんです」
「愛されてますな~」
私がニヤリとすると、鹿島さんも負けずにニヤリとした。その表情に「おっ」と思う。
「雪谷さんこそ、万里小路さんと信頼し合っている感じで良いですね!お互い支え合ってるみたいで、あてられちゃいました」
「え~~、そっかなあ?いつも素っ気ないんだよ?」
と言いつつ、何となく嬉しい。
これは『のろけ合戦』に突入か……!とニヤニヤしながらお互い見つめ合っていると、本田君が立ち上がって空いた席に、ストンと誰かが座ったのが目に入った。
―――あっ!
「楽しそうですね!私も一緒におしゃべりしたいので入れてくださ~い」
高い声にこちらを向いていた鹿島さんが、後ろを振り返った。
そこに居たのは、勿論……そう、にこやかに小首を傾げて微笑む『お姫様』、素敵女子の オーラを撒き散らして自信たっぷりに笑う―――河合さんだった!
「初めまして。私、河合桜子って言います。本田さんにはいつもスッゴくお世話になっているので、是非彼女さんとお話してみたいなぁって」
「あ、はい。初めまして」
鹿島さんはペコリと頭を下げた。
「鹿島唯です。いつも心君がお世話になってます」
河合さんはニッコリと微笑んだ。
わぁ……可愛い。
私も思わず見とれてしまうほど、彼女の笑顔は魅力的だった。
そしてハッと我に返る。
な……なんかマズくない?
こんな愛想の良い河合さんって正面から見たの初めてかも。ほら、この方私には不満げな顔しか見せないから……。確かに男性陣がデレデレしちゃうの分かるな、この笑顔だけ見たら裏があるように見えないかも。あ、でも台詞に何となく対抗心が窺えるかもしれない。『いつもスッゴくお世話になっている』なんて、まるで本田君がわざわざ自分から河合さんにかまっているかのような台詞だ。
ハラハラしていると、河合さんが私をチラリと見てこう言った。
「私と本田さん、雪谷さんに一緒に指導を受けた事があるんですけど、お話が弾み過ぎて雪谷さんによく注意されちゃったりしたんですよ」
「なっ……」
思わず、絶句し。それから私は仕事でのみ使用している鉄の精神を呼び起こし、笑顔を張り付けた。
「それは―――そんなに頻繁ではないでしょ?」
それに話が弾んでるのは、河合さん側だけだったし。本田君はちょっと困ってたんだってば。
「えー?しょっちゅうですよねえ?」
河合さんが親し気な口を!私に向けるなんて!
思わず違和感ありまくりで、夢の中の出来事のような気がしてきた。でも彼女がクスクス笑いながら見ているのは、私:二割、鹿島さん:八割って配分だ。私は知らず知らず緊張のあまり、背中に汗を掻いてしまう。
かなり事実を歪曲しているが、鹿島さんが誤解して本田君とギクシャクしちゃったらどうするんだっ……!
「本田さん、とっても素敵ですよね。あんな彼氏がいて羨ましいなぁ……でも、大変ですよね、本田さんと付き合うのはいいけど結婚となると……」
「?」
鹿島さんが首を傾げた。
「パイロットの妻って、大変だから相当な覚悟が要りますよね?当然、本田さんから色々要求されて困ってませんか?」
「え?パイロットと結婚すると、何か大変な事があるんですか?」
まあ、確かに。
パイロットの妻は大変そうだ。
フライトは不規則で、長い時間家を空ける事も多い。ほとんど母子家庭みたいになっちゃうから、夫と常に一緒にいたい人とか記念日や家族の行事を大切にする人には耐えられないかもしれない。おまけに半年ごとの検診に引っ掛かると地上勤務になっちゃうから、心と体を健康に保つ為に奥様はアレコレ気を使わなきゃならない。休みだってぐったりしてしまって、子供にかまわずゴロゴロしちゃう人も多いだろう。
彼氏に構われたいとか、優しくしてくれる所が好きだ、とか言う女性は寂しくなってしまて務まらないだろう。実際離婚まで至るケースも多いって聞くし。
「今、お仕事されているんですか?鹿島さんは。結婚したら当然辞めるんですよね?」
河合さんは鹿島さんの問いには答えず、いきなり質問し返して来た。
笑顔のままだけど、何だかそれが怖い。
「え?仕事ですか、してますけど……辞めるかどうかは……」
「そうなんですか?本田さん大変ですよね?これからフライトで不規則になるから、結婚した時妻が仕事していたら中々顔を合わせる機会、取れないですよね。それに半年ごとにチェックを受けて引っ掛かったら、地上勤務になってしまいますし」
「地上勤務?」
「飛行機を降りなきゃならないって事です。パイロットの妻で居たかったら、彼の健康管理は必須ですよ?年収も二分の一以下になりますし、何より本田さんって好きでパイロットを希望しているんですよね?それが出来なくなったら可哀想ですよね?」
河合さんの言っている事は確かによく言われている事だし、正論だ。
だけど何だか少しづつ、相手を追い詰めるような口調になっているような気がしてくるのは気の所為じゃないだろう。
「ちょっと、河合さん。それは本田君と鹿島さんの問題でしょ?必要があれば本田君から話す事じゃない?」
私がイエローカードを持って割って入ると、審判に抗議する選手みたいな目で河合さんは私を睨んだ。
「パイロットと結婚したい、カッコイイってだけで付き合ってるんだとしたら、今のうちに手を引いた方が良いって忠告してあげているんです!それに、もう副操縦士になるって言うのにこんな基本的な事も話していないなんて―――本田さん、もしかして彼女と結婚まで考えていないんじゃないですか?ねえ?鹿島さん、全然そう言う事本田さんから聞いていないんですよね?」
「……」
鹿島さんがそれまでほんのり浮かべていた、口元の笑みが姿を消した。
「……聞いていないです。全く……」
その途端、河合さんの口元に笑みが上った。
まるで鹿島さんの笑顔成分と元気を、河合さんがすっかり吸い取ってしまったかのように。
私は慌てて、また口を挟んだ。
駄目。これってもう、レッドカードだって!!
「『結婚考えてない』とか憶測で物を言うのは、駄目だよ河合さん!」
「えーでも、真剣なお付き合いだったら、普通最初に言いますよね?仕事の事」
「そうだとしても、河合さんには関係ない事でしょ?あなたが踏み込んで良い所じゃないわよ」
「私は親切で助言しているんですよ?」
河合さんがうすら笑いで私を見た。
出た!いつもの小馬鹿にするような表情が!
今までニッコリ可愛らしく微笑まれて、気味が悪いと言うか違和感ありまくりだったんだ。何故か河合さんのわっるーい表情を見てホッとしてしまう。
しかし今大事なのは、鹿島さんだ。
私は鹿島さんの肩に手を置いて、注意をこちらに向けようとした。
「鹿島さん!気にしないで」
「でも……」
「本田君、鹿島さんの事とーっても大切にしているって……『特別で大事な存在だ』って言ってた!私聞いたもの!」
河合さんがイヤーな顔をする。そして私を睨んだ。
いっくらでも睨んでくれ!事実だからしょうがないじゃん!
「だから本田君が鹿島さんに仕事の事話さないとしたら、それくらい鹿島さんを大事に思って尊重してるって事だよ!心配掛けたくないからだと思う」
「でも肝心な事打ち明けられない相手って、結婚しても長続きしませんよねー」
私はキッと河合さんを睨んだ。変な合の手を入れるな!
「そんな事ないよ」
「いえ」
静かな否定の声が、鹿島さんから発された。
私はヒヤリとしたものを感じて、鹿島さんの肩に触れた手に力を籠めた。
「河合さんの言う通りだと思います」
鹿島さんは神妙な表情で、口を噤み。
私は動揺で目を白黒させた。
河合さんが勝利を確信したようにニタリと嗤い、次の瞬間一転してキラッキラと輝く様な会心の笑みを浮かべた。
あわわわ……ヤバい。
私が付いていながら、何て事に……!
「唯、どうした?」
そこに救いの神が現れた。
いや、それともひょっとすると『生贄』か?
女二人が彼を挟んで反目しているのだから。
あ、違うか河合さんが一方的に絡んでいるのか―――って、それが一番まずいじゃないの……っ!
俯いて返事をしない鹿島さんの顔を、心配そうに覗き込む本田君。
その仕草や声音だけで、彼が鹿島さんをとても大切にしている事が伝わって来る。
この場にいる人間皆が神妙な表情をしているのに。
河合さんだけが不自然にニッコニコしていた。―――おいっ!
一方、本田君は河合さんに全く意識を向けず、鹿島さんの―――私が触っていない方の肩に優しく手を置いた。
「唯?」
「ポンちゃん……」
ん?
鹿島さんの小さな声は聞き取りにくかった。
『……ちゃん』?何て言ったのかな?
すると彼女はキッと顔を上げて、本田君を見た。
「何で教えてくれないの?パイロットの奥さんって、やる事沢山あるんじゃない」
「え?……」
本田君は何を言われているのか、まだ整理が付いていないようだった。戸惑ったように彼女の顔を見下ろしている。
その緊張の走る光景に胸がざわめき、私はオロオロしてしまう。
もっと早く河合さんを遮るなり、何処かへ連れて行くなりすれば良かった……!なんて私がハラハラしているのに、チラリと目に入った主犯の彼女は―――得たりと言うようにニンマリしている。
お前な~演技力も、根回しも随分達者だな!
やっぱ本気で仕事やったら、もっと出来たよね……!覚えられないっつーのは完全に手抜きだな!
私は慌てて取り成した。
「鹿島さん、河合さんの言った事あんまり気にしないで?」
「河合さん?」
そこで漸く本田君はその存在に気が付いた、と言うように河合さんを目に入れた。
すると何故か河合さんはスッと表情を変え、怯えたような表情を作った。
「え?私は何も……パイロットのお仕事のお話を少ししただけです。雪谷さん大袈裟に言わないでください。いっつも私の事、目の敵にして……」
女優だな……!
しかし私も本田君も騙されないぞ。
私達は視線をチラリと合わせ、同時に目を細めて冷たい視線を彼女に投げ掛けた。
すると分が悪いと思ったのか、河合さんは瞳を潤ませて首を振った。
「雪谷さんっていつもそうですよね、本田さんに私の事悪く言って……雪谷さん、本田さんの事狙っているんじゃないですか?彼女を庇う振りして、本田さんと目くばせなんかして」
「……狙ってなんか無いです。ちょっと話を変な風に持って行くの止めてくれる?」
「こわ~い!」
そう言って、心なしか本田君側に身を寄せる河合さん。
そりゃ、怖くなりますとも!
しかし本当に懲りないですな。私は本田君を狙ってなんかいないってのは、見てて分かるでしょ?単なる鹿島さんへの当てつけ?それとも自分が構われないのに、本田君が私に普通に話しかけるから嫉妬で目が曇っちゃったの?
私達はピタリと睨み合った。
そして数秒、沈黙がそこを支配した。
するとそんな遣り取りの間―――ずっと黙っていた鹿島さんが、スッと立ち上がった。
そして本田君の正面に向き合って両掌でキュッと拳を作る。それから小柄な頭を上げて―――スッと息を吸い込んで彼をしっかりと見つめた。
半個室になったそこに集まった参加者たちはすでに皆、程よく酔っぱらっていた。各々小さく盛り上り、こちらに気を向けている者はほとんどいない。
けれども鹿島さんが立ち上がり、本田君と向かい合ったことで―――ポツリポツリと視線がこちらの方に集まり始めるのが分かった。
何となくだけど。
先ほど本田君を巡る茶番が目の前で繰り広げられたと言うのに、鹿島さんの意識は本田君その人にだけ、スッと向けられているような気がした。そして、今の気まずさの原因を作った『お姫様』河合さんを含め、本田君以外の周囲や状況が彼女の目には入っていないように見えた。
「……唯?」
「どうして黙ってたの?今教えて貰った所だよ、パイロットと結婚したら仕事辞めないと勤まらないって」
背の高い本田君を見上げる彼女の声は、真剣だった。
本田君も直ぐに鹿島さんだけに意識を集中したようで、しっかりと彼女を見返している。
「そんな事無いよ。唯……も仕事頑張って来たんだから、俺に合わせる必要なんかないんだ。今まで通りで大丈夫だよ」
「でも不規則な仕事で会う時間も無くなるんでしょ?体調管理も大変だって言うし……」
「俺も反省したんだ、相談しないでいつも好き勝手に自分の遣りたい事ばかり優先してさ。唯……にだって大事な事があるんだからそれを尊重したいよ。会う時間は何とかなるよ、一緒に暮らせば。体調管理は今まで通り自分で出来るし、もし不都合あったら同居して母さんに面倒見て貰う事もできるから」
「―――ポンちゃん!」
え?
私も息を呑んだけど、周りで二人に注目し始めた面々も、皆一様にウッと言葉を飲み込む雰囲気が伝わって来た。
『ポンちゃん』?
って……もしかして普段、本田君彼女にそう呼ばれているのかな?
王子様な彼に、果てしなく似合わない呼び名だけど……。
そう言えばもしかして彼女、さっきもそう呼んでた?そして時々『心君』って呼び方、言い難そうにしてたかも。
な、なんか二人の日常の一端を目にしたようで、勝手に照れちゃうな……。
だけど鹿島さんは自分が本田君を『ポンちゃん』呼びしているって事に、まるで気が付いて無いみたいに続けた。
「仕事は好きだよ、だけどね―――」
鹿島さんは本田君の手をキュッと握った。
「私にとって一番大事なのは『ポンちゃん』なの!仕事とか趣味はポンちゃんがいない間にやれれば十分。ポンちゃんより大事な物なんて―――小学校の時から無いんだから!」
「唯ちゃん……」
ザワッと、会場がざわめいた。
彼女の衝撃告白より、本田王子が彼女を『ちゃん付け』で呼んでいる事に皆、驚いたのだ。普段クールでスマートな彼に似合わない……あっまあまな呼び方だ。
あ、そっか。小学校からだもんね。呼び名変わってないとか?
で、対外的に、もういい加減大人になって恥ずかしいから……『唯』とか呼び捨てにしているんだ?
なんかそんな事を考えていたら。
学生の頃、同級生と一緒に帰るだけの付き合いをした時みたいな気分が逆流して来て―――ポカポカ体が温まって来た。
チラリと周囲を見ると、ソコココで頬を朱くしている人や瞳をウルウルさせている人が目に入る。
この年になるともう、皆それぞれ仕事や人間関係で修羅場を潜って来て―――いい加減汚いものもツラい事も色々見聞きしたり経験して―――眉一つ動かさずにいられるくらい慣れっこになっている人が大半だろうに。
だからこそ、なのかもしれない。
逆に『こーいうの』って……スッゴく恥ずかしい。
「大事にしてくれるのは、スッゴく嬉しいよ?でももうすぐ結婚するって言うのに頼ってくれないのは、スッゴく寂しい!私だってポンちゃんの役に立ちたいって考えてるの!そういうこと……分かってよ~」
強気に攻めてた鹿島さんの声が最後だけ、震えた。
その時私の心臓も一緒にフルっと震えたような気がした。
「唯ちゃん、ゴメン」
本田君が小さな彼女に手を伸ばし、ギュッと抱きしめた。
「俺が忙しいから式の事とか全部任せちゃってるし、いつも俺を優先してくれるって当り前に思ってた事、改めて反省したんだ。でもかえって寂しくさせちゃったんだね、俺……唯ちゃんの気持ちに気付けなくてゴメン……こんな駄目な俺だけど……」
もうその場には自分達のおしゃべりを続けようと言う人はいなかった。
皆固唾を呑んで、抱き合う恋人同士を見つめている。
女性に素っ気ない本田君の―――意外過ぎるあまーい態度と成り行きに、皆目を見開いて注目していた。
本田君は抱き込んでいた小柄な体をゆっくりと解放して……彼女の両肩に手を置いて、こう尋ねたのだ。
「見放さないで、結婚してくれる?」
彼女は吃驚したような顔をして、一瞬目を見開き。
そして興奮で上気した頬をそのままに―――ふわりと包み込むような笑顔を返した。
「―――もちろん!当り前でしょ!」
その途端、わっと歓声が上がった。
拍手がその場を包み込み、口笛や指笛まで吹く人もいる。
「よっ王子様、やるねえ!」なんて、揶揄いまがいの野次を飛ばす人もいる。
やいやい騒ぎになった途端、二人はハッと我に返って周囲を見渡し真っ赤になった。
私は二人を見つめながら―――ちょっとウルウルしてしまった。
もともと感情移入しやすい性質だからなぁ~、なんて諦めつつ鞄からティッシュを出して 化粧が落ちないように注意しながら涙を拭っていると……ポンと、背中が温かくなった。
いつの間にか高志が私の横に座っていて、背中を擦ってくれている。
「なんか、感動しちゃった……」
笑いながらそう言ったけど、何となく高志の気遣いが嬉しくなって思わず更に涙腺が緩んだ。
高志はそれには答えず、少し苦笑しただけだったけど。
ポンポンと背を叩く手は……温かくて優しかった。
** ** **
その後、遠慮して鹿島さんを遠巻きにしていた人達も、入れ代わり立ち代わり傍に近付いて来るようになった。それから垣根が吹き飛んだように、遠慮なく根ほり葉ほり二人の関係について尋ね始めた。
小学校からずっと付き合っていて、既に結納を交わして婚約指輪を購入しているらしい。指輪を付けていないのは、無くすのが嫌でしまってあるからだそうだ。(勿体無い!)
それから半年後に結婚式をやる事も決まっていて、式場も決まっているらしい。でも打ち合わせは本田君は初回に一度行ったきりで、後は本田君のお兄さんと鹿島さんで行っているのだとか。それから鹿島さんは旅行会社に勤めているんだって。
結婚したらキャンセル待ち&空席がある時限定だけど割引価格で安く飛行機に乗れるよ~とか、パイロットの試験や勤務時間の事とか、逆に皆が鹿島さんに教えたり。
その後、終止和やかに楽しくお祝いの会は進行したのだった。
本田君は揶揄われまくりだったけどね。公開プロポーズ(?)の後、我に返ってスッゴく恥ずかしがっていたから、皆更に盛り上がってしまった。
本田君に対して憧れの気持ちを抱いていた独身女性達も、憑き物が落ちたように彼に対して気安い態度になった。高かった敷居が低くなったみたい。本田君も人の子なんだなーって、皆実感したんだと思う。結構残念な所があるのが、また好ましいと言うか……。
ふと気が付くと―――そんな中でその盛上りに付いて行けない河合さんは、難しい顔をして黙り込んでいた。
一次会が終わって、本田王子を護衛のように従わせた鹿島さんが「色々教えていただいて有難うございました!河合さんのアドバイスを肝に銘じて頑張りますね!」と彼女に向かってガッツポーズをしていたのを―――私と高志は黙って見守っていた。
背中しか見せていない河合さんの表情は分からなかったけど……今度は嫌味や仕返しみたいな事は言わなかったみたいだ。その後、鹿島さんは癒し系の、本田君は爽やかな笑顔で皆に手を振って屈託無く帰って行ったから。
河合さんは戦意を喪失してしまったのかもしれない。最初から彼女の悪意は鹿島さんに傷一つ付けられなかったし、本田君の眼中にも入っていなかったと言う事を、改めて思い知ったようだった。
何か言わなきゃならないような気がして……「ナイスアシスト!」ってニヤリとして肩を叩いたら、心底嫌な顔で無言で睨まれた。
力尽きたように二次会を断って一次会で帰る河合さんの背中を見送っていると、急に後ろから両頬を摘ままれて、ビヨンと伸ばされた!
「……全く甘いんだから。あんな奴に同情すんなよ」
「ひなひよ~(しないよ~)」
同情なんかしたら、きっとプライドの高い彼女は腹を立てる気がする。
高志は私に歯向かったり、軽んじたりする彼女をよく思っていない。勿論それは私もだけど―――実は、本音を言うとちょっとだけ同情してしまった。
と言うか『”若い”って”恥ずかしい”と同義だねっ!』ってちょっと懐かしい気持ちになった。
恋愛ではああいう突っ走り方はしなかったけど、新入社員の頃は仕事で私も色々やらかしたからなぁ……あー恥ずかしいっ!って彼女の落ち込みようを見て、我が身を振り返ってあれやこれや久し振りに思い出してしまった。彼女とは年、三つしか違わないんだけどね……。
その後も河合さんは相変わらず合コンの女王で『お姫様』だったけど。
……ちょっとだけ仕事に身を入れるようになった。
その仕事ぶりをみてほんの少しだけ彼女を見直した私は。
「河合さんも、いつか私みたいに『指導係』になれそうだね……!」
ってお世辞のつもりで褒めたら。
また、いやあ~な顔で睨まれた。
そんで無言で立ち去られた。ありゃ。
【唯ちゃんと、お姫様・完】
その日綾乃がその話を伝えたら、高志に爆笑されました。
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