この思いの先は…(世羅鷹斗)。
やっと解放されると思ったんだ。
この息苦しさから…
いつも感じている劣等感から…
この窮屈で自由のない檻の中から…
謙虚であれと。誠実であれと。幼い頃から厳しく言い続けられてきた。清廉潔白な祖父母、厳格な父母、常に正しく人に恥じる生き方をするなと。二度と同じ過ちは繰り返すなと。
それは、婚約が決まった時から一層厳しくなった。
逃げ出したくてしょうがなかった。何処に行っても誰かが監視している様な気がして、自分を快く思わない大人達ばかりで。
世羅の家に生まれたと言うだけで、子供の頃から蔑みの目で見られ何をしても正しく評価されずに、この世界が色を無くた様に見えていた。
そんな時あいつに会ったんだ。
ただ、楽しそう心から笑っていた。
俺に笑いかけてくれた。
『家名が嫌なら名前で読んで言いですか?。』
『辛気臭い顔をしてると幸せが逃げて行くんですよ』
『美味しいご飯が食べられて暖かい寝床が有るなんてそれだけで贅沢です。感謝しなくちゃ罰が当たりますよ。』
『ぐだぐだ悩んでる前に自分の思っている事伝える努力をしたらどうですか?』
『誰かと自分を比べたってその人になれるわけじゃないですよ。自分は自分にしかなれないんです。』
『無駄な努力なんかありません。一つ一つが自分の力になるんです。』
俺と言う存在を認めてくれる。俺を見てくれる。俺に笑いかけてくれる。その事にどれだけ救われただろう。
あいつの口から紡がれる言葉が俺の世界を変えていった。あいつが笑うだけで世界が色付いて見えたんだ。
告げる事の出来ない思いばかりが積もっていった。
『誠実であれ』
ずっと言われ続けていた言葉が俺を支配する。
家の為にこの思いを捨てて生きて行かなければならない。解っていた事だった。
ただ、怖かった。また、あの色の無い世界で独りになるかと思うとどうしようも無く怖くて堪らなかった。
失う事なんか出来なかった。忘れる事なんか出来る筈が無かったんだ。
どれだけ傷付けてもあいつは…葵だけはどうしても失うわけにはいかなかった。
誠実で在りたい。葵にも詩織にも。俺が俺でいられるのは葵といる時だけだから。
決意をした次の日の朝、婚約者である詩織に俺の正直な気持ちを告げた。葵は俺の側に居てくれる。二人の問題だからと。
『婚約を解消したい。詩織、君は何も悪くない。俺は葵以外選ぶ事は出来ない。彼女を愛しているんだ。』
『先輩は何も悪くありません。全部、私の我儘なんです。』
この時俺は、自分だけが正しいと信じて疑わなかった。だから、あんな行動が出来たんだと思う。自分の行動がどういう結果を導くか何て考えもしなかった。
この後、俺と葵は強制的に世羅の家に連れ戻された。厳しい監視下に置かれ、慌ただしく動く家人達に掛ける言葉すらなく、ただ、その時を待つ事しか出来なかった。
だから、知らなかった。あの後、詩織がその場を納める為に頭を下げていたなんて…。父さん達が凌駕の当主に土下座をしていたなんて…。何一つ知る事すら許されなかった。