カップ麺と寝正月
目が覚めた。
昼をとうに越して起きるのが日課に成りつつある。
寝過ぎで腰が痛い。
寝つきは悪いが、寝相はすこぶる良いのだ。だから、寝たままの体勢で目覚めることになる。当然、無理な体勢で寝れば、無理な体勢で起きることになる訳だ。痛い。
起きたのには訳がある。
腹が減ったのである。一日十八時間睡眠でカロリーをほとんど消費していないにも関わらず、腹は減る。
そして度々襲ってくる尿意。
これらと闘いながら布団の中に居続けるのは、修行僧にも似た気分になる。
寝正月を決め込んで既に三日目。
カップ麺しか食してないせいか、手足は衰えてしまっている。
自力で起き上がるのも苦しくなってきていた。
尿意を我慢して二十分。限界が近づきつつあった。
私は残り僅かとなったライフゲージと相談しながら、のそりと布団から這い出した。
人間には様々な欲望が存在する。
キリスト教で有名な七つの大罪には、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲とある。しかし、ただ独り部屋の中に閉じ籠っていると、嫉妬や憤怒、強欲、色欲、傲慢などとは無縁になる。比べるべき他者がいないのだから当然だ。それが故に自ずと沸き起こる欲望は生命を維持するに極めてシンプルなモノになる。それが食欲・睡眠欲・排泄欲だ。
トイレで一先ずの排泄欲を済ませた私は、次に強烈な空腹を覚えた。
水道の蛇口を捻り、薬缶に水を注ぎ入れ火にかける。
お湯が沸騰する間にカップ麺の蓋を開ける。
正月休みになる前に買い込んできたカップ麺も残りあと僅かだ。ガサガサとコンビニのビニール袋をあさって見ると、もう四つしかなかった。
ピィィという耳障りな音を立てて薬缶が鳴り、私は慌てて火を止め、用意していたカップ麺に薬缶からお湯を注いだ。
旨い。そろそろ飽きたが、まあ旨い。
だが、次に食ったらどうだろう?
明日になったら?
私はカップ麺の底に残った細切れの麺のカスと溶け切らなかったカレー粉を箸先で掻き混ぜながら思った。
明日は大丈夫だとして、明後日の食糧がない。カップ麺はBIGサイズにしても腹持ちが良くないのだ。初日はそのせいで予定していた数量の四分の一ほどを消化してしまった。初めての大型連休で浮かれていたせいでもある。
二日目は空腹を覚える前に無理やり寝てしまう事にしたのだが、トイレに目覚める度にぐぅぅと腹が鳴った。
鳴れば致し方ない。カップ麺を食う。それが独り部屋の中で楽しめる唯一の娯楽でもあるのだから。
喰い終わったカップ麺の空を布団の脇に投げる。正月は何もしないと決めたのだ。当然、ゴミも出さない。部屋の中は古本の焼けたインクの臭い、埃に体臭。それらにカレーやシーフードやしょうゆに味噌といったレトルト臭が入り混じっている。だが、その部屋に長く居ればそれも感じなくなる。ただ、カレーだけは他の物に比べて長く余韻を残した。
いつの間にかまた寝てしまっていたらしい。
寝過ぎで頭が痛い。
寝返りを打った。こうしないと床擦れを起こす。身体が完全に衰弱しているのだ。ライフゲージは残り三つで点滅している状態だ。救いなのはマジックポイントが満タンに近い状態であることだ。
私は再びの空腹を覚えて、買い置きのカップ麺が入ったビニール袋を覗いた。
――無い。
何度見ても、無い。
まだあると思っていたのだが、入っていたのは空のケースだけだった。食った後に寝ぼけてビニール袋の中に突っ込んでしまったのだろう。
困った。非常に困った。そして焦った。
連休はあと五日も残している。そして、食料はゼロ。
五日も食わねば餓死出来る自信は、ある。
さしあたっての延命であれば、水と塩、それに砂糖があれば大丈夫だろう。 一週間くらいは生き延びれる筈だ。知識として有ったが、実践する勇気は無かった。
状況がここまで切迫してしまえば仕方がない。迷わず私は呪文を唱えた。
◆
召喚呪文に応えて私の枕元に現れたのはサンタの衣装に身を包んだ太鼓腹のオヤジだった。
「お前か、俺を呼び出したのは」
そいつは不機嫌そうに、布団に横たわる私を見下ろしながら言った。
「そうだ。あんた、サンタだろ? 願いを叶えてくれ」
「クリスマスはもう終わった。次のクリスマスまで待つんだな」
サンタは踵を返して去ろうとした。私は慌てて呼び止めた。
「待ってくれ! 私は去年のクリスマスに願いを言っていない。一昨年も一昨々年もだ。溜まっている分がある筈だろう?」
サンタは振り返り言った。
「そんなルールは無い。第一、サンタからのプレゼントは子供にと相場が決まっているもんだ。お前は幾つだ? 中年のオヤジじゃないか」
オヤジにオヤジと言われることほど屈辱なことはない。だが、この時の私は藁でも掴む気持ちであった。泣きながらサンタに訴えた。
「頼む! 後生だから、願いを聴いてくれ!」
「お前もしつこいな。しょうがない。時間外労働だが、やってやるよ」
サンタはやれやれと溜め息を吐いてそう言った。
私は心の中で万歳三唱しながら涙ながらに願いを唱えた。
「カップ麺をおくれ!」
サンタはフードを目深に被り、上着の内側から髑髏のマスクを取り出した。
「じゃあ、行ってくる」
サンタはそう言って、手にした鎌をガリガリと床に引きずりながら部屋を出て行った。
どれくらい経ったのだろう。
空腹と尿意を同時に覚えて目が覚めた。
なんとか踏ん張って身体を起こす。
枕元に見かけない袋がある。
その布袋を開けると大量のカップ麺が入っていた。その中に埋もれるようにして、近所に在る見知ったコンビニの定員の生首が。
「サンタのやつ、余計なサービスしやがって」
思わず頬が緩む。私はこいつが嫌いだった。
コンビニの定員のくせして、私を見下げた目で見るからだ。
私はほくそ笑んだ。わっはっは。嗤った。うっきょっほー! 飛び跳ねて喜んだ。
ボキッと嫌な音がして、両足が折れた。弱っていたのに無理をしたからだ。
崩れ落ちる身体を支えようとして手を突いた。グギャ。両腕も折れた。勢いで顔面から布団に突っ込む。ゴリン。頸椎が曲がり、首の骨が折れた。目玉がクリンと裏返った。