燃える街で見た少女
――その日、僕の住む街は天使に燃やされた。
「……は……はぁ、はあ……!」
身を貫くような寒さが、少年の息を白く染め上げる。
冬の始まる季節。一二月、初頭。
少しばかり気の早い雪が、夕刻の街を白銀に変えていく。
僅かばかり積もった雪がスニーカーを滑らせそうになる中、少年は強引に走っていた。
……少年が通った後の雪が、点々と赤く染まる。
力無く揺れる右腕から、決して少なくない出血があった。
――否、世界が赤く染まる理由は、流れ出る血液のせいだけではない。
ブゥワッ――ドンッッッッ!!
「!? うわっ!?」
背後で膨れ上がった爆風が、少年の痩躯を枯葉のように吹き飛ばす。ごろごろと冷たい雪の上を転がり、少年は民家の塀へとぶつかって停止した。
「……う……ぐっ……!? ――あ……」
額から血を流し、ふらふらと身を起こそうとした少年は、その人懐っこい容貌に似合わない恐怖と拒絶を宿した。
――少年を、見下ろすように。
一人の少女が、そこに居た。……足場など何も無い、空中に。
現代日本の街並みに相応しくない鋼の甲冑を纏い、その手に二メートルを超す長槍を携えて。
その瞳に一切の感情は無く。無慈悲に、無感動に、少年を見詰めている。
「……う……わ……て、天使……!?」
少年の言葉通り。少女の背には、一対の翼が広がっていた。
煌々と燃える、炎の翼が。
そしてそれが燃え移った如く、周囲の街並みが赤き炎に蹂躙されていく。
「……あ……」
少年はただ、目を見張った。自分が生まれ育った街が、灰になっていくのを。
人の営みも、そこにあった日常も、まるで無価値だと言わんばかりに燃やしていく天使の炎。
それは、黙示録にある裁きの日を思わせて……。
――天使が、何の感情も見せないまま槍を持ち上げる。突撃の構え。少年の、命に向けて。
自身の、一四年足らずの人生の終わり。冷たくにじり寄る死の気配に、少年は思わず目を閉じて――
――キィィ……ンッ。
「…………え?」
突き刺されるはずの槍の穂先は、来なかった。
澄んだ金属音に目を見開いた少年は、そこに奇跡を見る。
――毛先に向かうにつれカールした銀髪が、翼のようにその背に踊っていた。
肩越しに振り返った顔立ちは、西洋の骨董人形のように整っていて。ラベンダー色の瞳が、ほっとした様子で少年に向かって微笑んでいた。
学校の制服を思わせる黒き衣。均整の取れた肢体をそれで装った少女が、手に握った細身の直剣を振り切り、天使の槍の穂先を切り飛ばしている。
――唐突な救いの手に、少年はぽかんと口を開けた。
「……え? あ、え? ……き、君は――」
「――申し訳ありません。少し、待っていて下さいな。アレを、片付けてしまいますので」
言って少女が目を向けるのは、今をもってなお無表情の天使。だが、それでも警戒するものがあったのだろう。反射的に空へと踵を返す天使の背を、跳躍した少女の剣が斬り付けた。引きちぎれる炎の翼。天使が地上へと、墜落する。
少年よりもなお細い、華奢ともいえる少女の身体。その何処に、それほどの力があるのだろう。猫科の猛獣のように駆ける少女の剣舞が、天使の鋼の鎧を打ち砕いていく。
少年は、ただその光景を見詰めた。
剣を振るう度、少女の身体から立ち昇る光を。桜の花吹雪のように天へと舞い上がる、その幻想を。
――少年はまだ知らない。
目前で少女に打倒される天使が、サーバントと呼ばれる天使の眷属に過ぎないことを。
だからまだ自分が、本当の天使を見たことなど無いという事実を。
しかしそれでも、少年は後にこう語る。
――あの日自分は、天使より美しい少女を見た、と……。
☆ ☆ ☆
「――それでは、これで新入生の皆さんへのガイダンスを終了します。お疲れ様でした」
壇上の、ヘアバンドが似合う黒髪の少女が優雅に一礼する。
その一言を待っていたとばかりに、講堂内に詰め掛けていた少年少女たちは緊張感を弛緩させた。
ある者は掛けていたパイプ椅子から立ち上がり、伸びをしている。ある者は隣の相手に、朗らかに喋り掛けた。急速に喧騒が生じていく講堂の一角で、一人の少年が肩を震わせているのに気付く者は少ない。……否、『少なかった』。
「……やっと……くくっ、やっとここまで来た……! はは、うぉっしゃああああああああああ!」
ビクンッ、と辺りに居た者たちが硬直した。如何に騒がしくなりつつあったとはいえ、その中にあっても少年の雄叫びは大きかった。戸惑いと好奇に満ちた視線が、少年に殺到する。
「ははははっ! …………あ」
……その多数の視線を浴びて、ようやく少年は周囲の様子に気付いたらしい。高笑いは即座に身を潜め、顔を伏せてこそこそ小さくなる。一〇代半ばにしては高めの身長は、それでもそうそう隠せはしなかったが。
「……お、お騒がせしました……。はは……」
人懐っこい容貌に愛想笑いを浮かべ、そのまま出来る限り大人しく講堂の出口に向かう。扉を抜けるまで付いてきた視線を振り払い、少年は晴れ渡った青空を見上げた。腰まである髪を掻き上げる。
「……い、いきなり失敗しちゃったなぁ……。で、でも……ふふっ、やっとここまで来たんだ……!」
隠し切れぬ歓喜を笑みに零し、少年は小さくガッツポーズを決めた。
――久遠ヶ原学園という、学校がある。茨城県の東、埋め立てによって造られた人工島に存在する学園だ。小学校から大学院まで設置されたその巨大学園は、しかし単なる教育機関とは一線を画する存在理由がある。
天使。或いは悪魔。そう呼ばれる存在が神話や童話の中にだけ居たのは、最早過去の話。
一九八〇年代、半ば。人類は初めて天界、そして冥界に到る超次元の門、『ゲート』を認識した。……そこから人類社会へと侵攻する、天使と悪魔の軍勢も。
互いに争い合う天使、悪魔たちは、その戦争の『資源』として人類を求めていた。人の感情、魂を糧とする天使と悪魔たちは、それを貪る為の餌場としてこの人類の世界を選んだのである。
多くの人間がその暴虐の犠牲となったが……人類も決してそれを手をこまねいて見ているだけではなかった。天使、悪魔に対抗し得る人材を発掘、育成する為に専門の教育機関が用意されたのである。
その教育機関こそが、この久遠ヶ原学園。
この痩躯の少年、基山紳もまた、そんな久遠ヶ原学園に集められた対天使、対悪魔を担う人材――『撃退士』の一人であった。
「……ついに、僕も久遠ヶ原学園に合格出来たんだ……! 僕も今日から撃退士……ふふふふふふっ!」
抑え切れず、再び紳の口から含み笑いが漏れ出す。――と。
「……おい、そこの怪しい新入生」
呆れ気味の声を背後から掛けられ、紳は文字通り飛び上がった。
「ひゃ……ひゃいっ!?」
「……一人で盛り上がってるところ、悪いんだが。比較的年齢の若い他の新入生がビビってるんで、出来ればやめてくれ」
その言葉に紳が周囲を見回せば――恐らくは小等部の生徒たちだろう。一〇歳になるかならないかという女の子たちが、紳を見て涙目になっていた。
……さすがに、小学生の女の子に怯えられるのは心にくる。ちょっとヘコんだ様子で、紳が肩を落とした。
「……いや、はい。……すみません……」「素直でよろしい」
うんうん頷くその相手を、紳はようやくきちんと認識した。
(……! 上級生!? つまりこの人も撃退士か……!?)
紳は、まじまじと相手を見詰める。
すらりと手足の長い痩躯。女性よりの中性的な美貌をしているが……久遠ヶ原学園高等部の男子制服を纏っていることから、男性だと思われた。
紳ほどではないが男性にしては長めの髪の間から、イヤーカフの着けられた耳が覗く。そこに、やけに目が奪われた。
(確か……さっきのガイダンスでも話してた先輩だ。名前は……月読だったっけ?)
「え、えと、高等部に入学した基山紳といいます。よろしくお願いします、先輩」
「ああ、高等部から入学してくるのが一番多いしな。よろしく」
軽く頭を下げる紳に、月読は微笑んだ。
「ま、この学園は、入りたくても入れない人間も多いしな。入学出来てはしゃぐのも解るが……一目は気にするようにな?」
注意を終えると月読は、紳から背を向ける。ばつの悪い思いをしながら紳はペコペコ頭を下げ――改めて、辺りの人の流れを見回した。
講堂から、人が吐き出されてくる。多くは、紳と同じ新入生だろう。……その中には紳より明らかに年上の、大学生くらいの者も見受けられる。
『新入生』と一括りにされているが、それは別にこの四月から高等部に入学した者たちだけ……という限定ではない。先程見た通り小学生も居れば、中には中三や高二といった、本来なら新入生と呼ばれないはずの者たちまで交じっているのを紳も知っている。
ここで『新入生』と呼ばれているのは、年齢学年問わず、この四月に初めて久遠ヶ原学園に所属することになった生徒たちだ。つまり新しい学園生たちであり……未だきちんとした形で天使や悪魔、及びその眷属――『天魔』や『冥魔』と呼称される存在たちと戦闘したことが無い者たちを差す。
これから彼らはこの学園で修練を積み、やがては天魔や冥魔との戦いに身を投じていくのだ。
そして、余りに頼りない場合は審査等で弾かれる場合もあるが、その時期は基本的に生徒自身に一任される。つまりその気になれば――というか、実際にそうする強者たちも多いらしいが――今日今から、天魔や冥魔との戦いに臨むことも可能なのだ。
(僕は、どうするか? ――決まってる!)
紳はガイダンスの内容を思い出す。天魔や冥魔との戦いは、基本的に『依頼』という形で学生に参加を呼び掛けているという。そして、その『依頼』がまとめられた『斡旋所』が、学園内に存在しているらしい。
「僕が目指すのは、まず斡旋所だ! よし、早速――」
「――ちょっと待て、そこの無謀な新入生!」
「――あうんっ!?」
唐突に後ろ髪を引っ張られて、紳は強制停止した。
去っていったと思った月読が、紳の髪を掴んで止めている。涙目で振り返る紳に、月読の呆れた視線が突き刺さった。
「……お前、今いきなり斡旋所に行って、依頼に入ろうとしたな? ガイダンスで何を聞いてたんだ?」
「……え? でも別に、今日から依頼に入っても問題無いんじゃ? ――それとも、僕が実力不足に見えますか!? これでも学園入学前から色々と鍛えてて……!」
「……あー、別に今日から依頼に入ることを止める気は無い。実際、俺もそういうクチだったし……」
月読は当時を思い出すように頬を掻きつつ、しかし目を険しくした。
「――けど、そうであってもその前に、絶対に行くべきところがあると俺自身がガイダンスで説明したはずなんだけどな!? 思い出さないか?」
(……言われてみれば、そんな説明が確か……)
その肝心な部分を、説明した当人の前で忘れたままはさすがにまずいと紳にも解った。超高速で記憶を検索する――
「――そ、そうだっ。まだ僕らには『V兵器』が無いんだ!」
「正解」
答えに辿り着いた紳に、ようやく月読は表情を緩めた。
天魔・冥魔は、たとえそれが最下級の者でも、一般人では勝つことが出来ない。
それは、天魔・冥魔の優れた身体能力や、魔法染みた異能力のせいばかりではなかった。
本来天界・冥界という別世界に属する天魔・冥魔は、この世界の物質をことごとく透過する能力があるのである。そのせいで、仮に核ミサイルを用いたとしても天魔・冥魔に傷一つ付けることは叶わない。
唯一有効なのが撃退士の攻撃であるが……それであっても素手で天魔・冥魔と渡り合うのは撃退士でも難しい。それ故撃退士の為に開発された専用の武装が、『V兵器』である。
そしてこのV兵器、『兵器』である以上一般の流通に乗るはずも無く。専門の機関――それこそ久遠ヶ原学園などでしか入手出来ないのだ。
つまり、当然紳は未だ撃退士として必須のV兵器を持っていない。それを持たないまま天魔・冥魔との戦いに挑むのは……無茶を通り越して死にフラグだ。
「解りました! 僕は今から、V兵器を手に入れに行けばいいんですねっ。……確か、購買に売ってるんでしたっけ?」
……一応学校という形態を取っている以上、久遠ヶ原学園では撃退士専用装備も購買で売っている。ある意味シュールではあった。
「そうだな。……ただ、この学園、とにかく広い上に道も複雑だからな。……確か、スマホはもう支給されてるんだよな? ちょっと貸せ」
撃退士としての任務に色々重宝するという理由で、学園生にはスマホが支給されている。紳のそれを受け取った月読は、予めそれに入れられていた学園の地図を呼び出した。
「いいか? 現在地はここだ。そして購買はここ、依頼斡旋所はここにある。この地図に沿って、慎重に進んで行け。……不安になったら、手近な人間捉まえて改めて訊き直せ」
やけに慎重な月読の弁に、紳は笑ってみせた。
「ははっ、大丈夫ですって。高校生にもなって、地図もあるのに迷いはしませんよ!」
「……いや、そう言って毎年何人もの新入生が迷子になるんだが……って、もう行っちまいやがった……」
月読の忠告を最後まで聞くことなく、紳は足早に歩いて行ってしまった。その背を、月読が複雑そうな視線で追う。
「……ああいうのに限って、迷うものなんだけどな……」
――そして、やっぱり迷いました。
「……カ、カッコ悪いぃ……」
紳は、頭を抱えてうずくまった。
(……な、舐めてた……。ちょっと、こっちから行った方が早いんじゃないかって横道に逸れたら、そのまま何処を歩いてるのか解らなくなって……! こ、これが久遠ヶ原学園……恐るべし……!!)
変なところで学園に驚嘆していても、迷子である事実に変わりはない。こういう時こそ月読のアドバイスに従い、誰かに道を訊くべきなのだろうが……。
「ははは……だ、誰も居ない……!」
前後左右一八〇度を見回しても、やや年季の入った校舎が見えるだけで人影は見当たらない。辺りには紳の乾いた笑いだけが響いている。
「……ス、スマホのGPSによると、僕は今海の上に居ることになってるし……! こ、これは本格的にまずいんじゃないか……!?」
久遠ヶ原の新入生、学園内で遭難。そんな新聞の見出しが、紳の脳裏を過ぎる。
「というか。もしかしてこれ、僕の救助が依頼になったりして……? おおっ……そ、それは恥ずかし過ぎる……!!」
紳が羞恥心に身をくねらせていると――
「――き、きゃああああっ!? ど、退いて下さいな!」
「…………へ?」
上空から降ってきた悲鳴に、紳はそちらを見上げた。
(――純白の、レース!?)
いきなり視界を覆い尽くしたのは、それだった。直後にやけに温もりある柔らかいものが顔面にぶつかってくる。
「んがっ!?」「ひぁんっ!?」
首に掛かる重さ。人一人分はあろうかというほど。とても支え切れず、紳は後ろにひっくり返る。
背中から後頭部に掛けて衝撃。目の前がチカチカして、一瞬視力を失った。それが回復すると……やはり目の前は真っ暗だった。
何がどうなっているのか、顔に何か柔らかく弾力があるものが当たっている。同時に鼻腔を、甘い匂いがくすぐった。どうしてか紳の鼓動が加速する。
「……え? な、何事!? これは何――」「――ひゃぁんっ!? ど、何処で口をもごもごさせてますの!?」
可愛らしい悲鳴が聞こえた瞬間、紳の頭蓋に重い一撃。一瞬意識が飛び、それが持ち直すと……
「………………え?」
視界は開け、一人の少女が倒れた紳を見下ろしていた。
美しい、少女だった。ほんのり赤く染まった西洋人形風の美貌を飾るように、毛先だけカールしたプラチナブロンドが腰まで流れている。体型も華奢で抱き締めたら折れてしまいそうだが、それが彼女の可憐な雰囲気を強調していた。学園の高等部女子制服を纏っていることから、相手が紳と同じ久遠ヶ原学園の高等部生であることが解る。ネクタイの色から見て、紳より一つ年上の二年生らしい。
だが、紳が何より目を奪われたのは、そのラベンダー色の瞳。そして、その全身から陽炎のように立ち昇る、花吹雪を思わせる桜色の光。どちらも、紳には見覚えがあった。
中二の冬、燃やされゆく自分の故郷で見た、天使より美しい少女の面影が彼女に重なる……。
(あ、あの時の女の子だ!)
天魔に殺され掛けた自分を助けてくれた、少女撃退士。紳を避難させた後、名前も告げずに去っていった……。
――あの少女に憧れて、紳は撃退士を目指した。もしかして彼女に会えるのではないかと期待して、撃退士の集まる久遠ヶ原学園に入学を果たした。
その目的が、今紳の目の前に――
紳は、慌てて居住まいを正す。地べたであることも構わず正座して、真っ直ぐに少女を見上げた。
言いたいことは山ほどあった。あの時助けてもらったお礼。どれだけそれが嬉しかったか、自分の人生をどう変えたかを。けれど、一番伝えたい言葉はもう決まっていた。紳は両手を地面に突き、額を地に擦り付ける。
「――貴方に憧れて、ここまで来ました! 僕は撃退士として、貴方のようになりたい……! 僕に、撃退士としての戦い方を、教えて下さい!!」
万感の思いを込めて、紳は少女に土下座した。
☆ ☆ ☆
――ところ、引き起こされて往復ビンタを喰らいました。
「……うわ……まだこんなに腫れてる……」
翌日になっても腫れが残る己の頬に、紳は鏡の前で溜息を吐いた。
久遠ヶ原学園生は、ほぼ全員が寮生活である。紳もその例外ではなく。入ったばかりの寮の共同洗面所で、現在朝の準備の真っ只中である。
「……とはいえ。改めて考えれば、殴られても仕方がなかったんだけど……」
少女が顔を赤らめてスカートを抑えていた時点で、気付くべきだった。紳は落下してきた少女の下敷きになり――そのスカートの中に、顔を突っ込んでいたのだ。その直後にいきなり、謝りもせず藪から棒なことをのたまったのである。……普通に考えて、失礼だ。
「……とんでもない失敗、しちゃったなぁ……」
昨日のことを思い出して、紳は気が滅入ってくる。往復ビンタの後、少女は肩を怒らせてその場を去ってしまっていた。肉体・精神双方のダメージでしばらく動けなかった紳は、その後偶然通り掛かった学園の教師に救助されて寮まで戻ってこれたのである。
(当初の目的だった購買や斡旋所に辿り着けなかったことは、まあいいにしても。……憧れの人とあんな最悪な再会の仕方をしちゃうなんて……)
その上、向こうが紳のことを……あの燃える街で助けた少年だということを認識しているかさえ解らない。もし気付いていなければ、紳は彼女にかなり高度の変態と認定されていてもおかしくなかった。
「おおおっ……な、何とか謝って、誤解を解かないとっ。……で、でも、僕は彼女が何処の誰かも解らない……!」
解っているのは顔と、恐らく高等部二年生であることだけだ。それだけの情報で、この広大な学園から一人の人間を捜し出すことは困難を極める。
どうすれば……と紳が身悶えていると。
「……お前、何をやってるんだ?」
訝しげに声を掛けてきたのは、既に学園の制服を着込んでいる月読だった。
昨日ふらふらになって寮に帰ってきてから初めて知ったが、月読も紳と同じ寮に住んでいたのだ。
「つ、月読先輩ぃ……!」
この学園に来たばかりの紳にとって、数少ない相談が出来る相手。迷う余裕も無く、紳は月読に泣き付く。
洗面所では他の寮生の邪魔になるということで――寮の食堂に場を移し、月読は紳の訴えを聞く。
話を一通り聞き終えたところで……
「……あの辺の空き校舎の辺りで、空から落ちてくる女? ……もしかしてあいつか……?」
「!? せ、先輩、心当たりがあるんですかっ?」
「……あくまでも、『もしかしたら』ってレベルでだけどな。――プリムローズ・ランチェスターかもしれない……」
プリムローズというその少女について、月読は静かに語り出す。
――曰く、月読とほぼ同時期にこの学園に入った少女で、その中でも特に有望視されていた生徒だと。イングランドの古くは騎士だった家系の出身で、それに相応しい剣の使い手。久遠ヶ原の撃退士の中でも特にエリートと呼ばれる集団、生徒会長の親衛隊の候補にも挙がったことがある強者だと……。
「……す、凄い! やっぱりあの人、凄い撃退士だったんですね……! 僕、そんな凄い人に助けてもらったんだ……!」
感動に震える紳に、しかし月読は何処か冷たい視線を投げ掛ける。
「……最終的に決めるのはお前だ。俺には止める権利は無いけどな。――プリムローズ・ランチェスターに関わるのは、余りお勧めしないぞ」
「…………え?」
意外な月読の忠告に、紳は目をぱちくりさせて固まる。
「プリムローズ・ランチェスターの評価は、全て『過去形』だ。今のあいつは、かつての評価とは程遠い。……俺の同期の撃退士の中では、『最低ランク』。それが現在の彼女の評価だ……」
「……え? ――な、何でそんな……!?」
自分の憧れた少女。今も目標として胸の中で輝く撃退士。……それを貶めるような月読の発言に、紳はまともな言葉も返せず目を白黒させるしかなかった……。