一章-6
今日は疲れた。さっさと寝支度をして寝てしまおう。
そう思って足を踏み入れた寝室に、なぜかあの娘がいた。
──自分で脱いだほうがいいですか?
ケヴィンは驚いて目を見開いた。
何を言っている?
絶句しているうちに娘は胸元を合わせる紐をするすると解いていく。
たった一つのランプの明かりに左側から照らされて、ほのかに浮かび上がる佇んだ彼女の姿。白く細い指先が滑るように、編み上げられていた紐を引きぬいていく。
わずかな間見入ってしまい、反応が遅れた。
ケヴィンは早足で近付き、みぞおちあたりまで紐を解いた、彼女の片方の手首をつかまえる。
とっさに出てきた声は、意図したものとは違う、低くて威圧的なものだった。
「何をしている?」
こんな言い方をしたかったわけじゃない。ただ、彼女を止めたかっただけで……。
失敗したと思った。けれど彼女は、ケヴィンの後悔をよそにきょとんと見上げてくる。
「え? ですから自分で服を……」
その理由を聞いているというのに!
憤る気持ちを抑え、ケヴィンは言葉を選ぶ。
「……何故、服を脱ぐ必要がある?」
彼女は目をしばたたかせた。
「だって、そのつもりであたしに服を贈ってくださったんでしょう?」
「そんなわけがあるか。服は身に付けるためにあるものだ」
何でそんな発想が出てくるんだ。
唖然としていると、娘も何を言われているのかわからないといった様子で首をかしげた。
「でも、下働きに似つかわしくないドレスを送ってくださるということは、そういうことなんでしょう?」
「──そういうこととは、どういうことだ?」
要領を得ない物言いにいらだちを覚え、つい詰問するような口調になる。
娘は言いにくそうに口ごもった。
「それは……あたしを着飾らせて、ベッドでお相手をさせようという……」
は?
間抜けた声をうっかり出すところだった。
何をどうしたらそんな話に?
思考が上手く回らず、ケヴィンはめまいを覚える。
落ち付け。こういう時こそ平常心だ。まず状況を確認しよう。
ケヴィンは冷静を装って問いかける。
「誰がそんなことを?」
「ビィチャムさんです。ケヴィン様の結婚後の生活を心配してたビィチャムさんがすごく喜んで、オルタンヌさんを通じてどうしてもお願いしたいって」
開いた口がふさがらないとはこのことだ。
意中の相手に贈り物をすることで気を引くという方法を知らないわけではないが、今回のことをそう捉えられてしまうとは思わなかった。それに、“結婚後の生活を心配してた”とは一体何の話だ?
言葉を失い視線をさまよわせたケヴィンは、自分が娘の手首をとらえたままだったことに気付いた。そして彼女の手の向こうに、開いた胸元の艶めかしい肌を見てしまう。
ケヴィンは慌てて目をそらした。
「……服を直してくれ」
そっと手を離し、ケヴィンはよろよろとベッドに近寄った。
疲れているところに、さらに疲れた。
体を投げ出すように、乱暴にベッドの端に座る。ちらっと見れば、娘は背を向けず紐を閉じていたので、ケヴィンのほうが下を向いて見ないようにした。
この間から、わたしは何をやっているんだ……。
何かするたびに、墓穴を掘っているような気がする。こんなときこそ慎重にならなくては。
こつこつと小さな足音がして、ピンク色のドレスのすそが下を向いたケヴィンの視界に入る。
「直しました」
その声に顔を上げることなく、ケヴィンは言葉を選びながらゆっくりと話した。
「服を用意させたのは、君の服が使い古されてぼろぼろに見えたからだ。新しい仕事着を新調してやってくれという意味で言ったのだが、どうやら取り違えられてしまったようだ。──君をどうこうしたかったからではない」
言葉の伝達がまずかったせいで、不快な思いをさせてしまっただろう。
申し訳なく思うのに、娘は拍子抜けするほどあっさりと言う。
「あ、そうだったんですか。じゃあこの服お返しします」
「いや、それは外出用にでもとっておいてくれ」
せめてもの罪滅ぼしだ。作業着は別で用意させればいい。今度こそ違う意味に取られないよう、正確に。
娘はぷっと吹き出した。
「こんな上等なドレスを外出着にする下働きなんて聞いたことありません。ていうか、下働きに外出着も普段着もありませんよ。いつだって同じ服です」
「そういうものなのか?」
「そうですよ。念のため言っておきますけど、このドレスで下働きの仕事なんてできませんからね?」
娘は笑いながら、冗談口調で付け加える。
ケヴィンは罪悪感を覚えた。彼女の笑顔に、あの夜のことはなかったことにしようという気遣いを感じて。
それではこちらの気が済まない。
当人に聞くのが手っ取り早いと、ケヴィンは思った。
「なら何が欲しい? 金か? 今よりましな仕事か?」
娘の表情から、すうっと笑顔が消えた。