公爵令嬢の婚約者 1/4
何故だ? 何故なんだ……!?
今宵、主役の傍らに立ったグロスタ侯爵の長男フィリップは、頭の中でそう問いかけていた。
今いるのは、本日十六歳になるクリフォード公爵令嬢エイミーの誕生日パーティー会場。
貴族の娘は十六歳になると社交界への参加を認められるようになる。我がラウシュリッツ王国では、令嬢の十六歳の誕生日は社交の場へのお披露目をするためにパーティーが開かれるのが一般的だ。
その際のエスコート役は、特別な意味を持つことになる。父親や兄といった肉親以外でその大役を務められるのは、大抵の場合婚約者だ。お披露目パーティーの際に婚約が成立してなかったとしても、いずれは婚約するものと誰もが考える。
フィリップはエイミーと多少の血のつながりはあるが、肉親と呼べるほど近しい間柄ではない。
なのに数日前、クリフォード公爵に呼び出され、この大役をおおせつかってしまった。
どうしてこのようなことになったのか、さっぱりわからない。
何しろフィリップは、初対面で彼女のことを罵倒したのだ。
あれは十一年前、フィリップが七歳、エイミーが五歳の時のことだった。
──おまえの母親は庶民の出なんだってな。いくら父親が公爵家の正当な血筋を持ってて国王様の信頼が厚くたって、おまえの中には卑しい庶民の血が流れてるんだ。そんなおまえが貴族を名乗るなんて間違ってるんだぞ!
正式に引き合わされる前に出会ったエイミーに、フィリップはそう暴言を吐いた。
──おまえは大きくなったらアランネル侯爵の養子となり、いずれはアランネル侯爵となるのですよ。
物心つく前から、そう聞かされて育った。
アランネル侯爵夫妻に子どもがいないため、次の家格を持つグロスタ侯爵の家から養子を出し、アランネル侯爵位を継がせる。これは、もしもの時も円滑に爵位を受け継いでいくために、この国に貴族が誕生したはるか昔から取り決められていることだった。
それが十一年前、当時のクリフォード公爵の嫡子に隠し子がいたことが発覚したことで、この話はなかったことになる。
当時のアランネル侯爵夫人の友人として邸に滞在していた女性が、実は当時の(くどいようだが現在と状況が違うので繰り返す)クリフォード公爵家の次期当主の内縁の妻だったというのだ。
元クリフォード公爵跡取と元アランネル侯爵の間にある協定が結ばれたことによって、フィリップの立場が消えてしまった。
結ばれた協定によると、元クリフォード公爵跡取の内縁の妻と隠し子を元アランネル侯爵が保護しその隠し子に跡取の資格を与える代わりに、跡取は侯爵に公爵位を譲るのだとか。そして空位になるアランネル侯爵位には、グロスタ侯爵家の当主が、グロスタ侯爵位にはクレンネル侯爵家の当主がおさまる。
グロスタ侯爵家では、長男であるフィリップはアランネル侯爵家に養子に出すものとみなし、次男が跡取としてすでに周知されていた。つまり、協定によると、アランネル侯爵位を継げるのは、フィリップではなく弟ということになる。
クリフォード公爵位は隠し子のもの、アランネル侯爵位は弟のもの。
そうしてフィリップが継ぐべき爵位は消え、立場が宙ぶらりんになってしまったのだ。
両親も使用人たちも、フィリップをどう扱っていいのか迷い、変に遠慮するようになる。
フィリップは先の見えない自分の将来や周囲の人々からの扱いにいらだち、状況が一変して間もなく引き合わされることとなった問題の隠し子に、そのいらだちをぶちまけてしまった。
──は、母親が庶民の出のくせして、貴族の令嬢ぶりやがって! おまえさえいなければ、クリフォード公爵位は俺のものになるはずだったんだ! だからおまえは俺と結婚しなくちゃいけないんだ!
頭に血がのぼっていたとはいえ、何と言うことを口走ったのか。だが、だからこそ信じられない。暴言を吐いた相手を、本当に結婚相手に考えると誰が思う?
跡取の立場を譲り国王の側近としての務めに専念するようになった元跡取のケヴィンと、国が安定したところで勇退したクリフォード公爵から爵位を譲り受けた元アランネル侯爵ハンフリー。この二人がエイミーを溺愛していることはよく知っている。二人がフィリップの暴言を知っていることも知っている。
なのに二人はフィリップがエイミーと会うのをこれまで許してきて、今回とうとう愛娘の婚約者の立つべき位置に据えてしまった。
継ぐべき爵位を失ったフィリップに同情してのことなのか。
ここ、ラウシュリッツ王国では、女性は爵位を継ぐことができない。女性に相続権がある場合、その夫が爵位を継ぐことになる。
エイミーと結婚すれば、フィリップは失われた相続権を再び手にすることができ、丸くおさまる。
だが、そのためにかの二人がエイミーの意思を無視するとは思えない。
つまりは、フィリップがエスコート役として隣に立つのを、エイミー自身が了承していることになる。
クリフォード侯爵令嬢エイミーは、自らが主役となる今宵のために、薄紫色のドレスとアメジストを使ったアクセサリーを身に着けていた。ブルネットの髪、紺色の瞳を持つエイミーに、それらはよく似合っている。
父親譲りの無表情であっても、その姿は称賛するにふさわしい。
「フィリップ?」
文句の一つも言おうとエイミーに目を向けそのまま見とれてしまっていたフィリップは、その声に我に返り見つめ返してくるエイミーから慌てて目をそらす。
小首をかしげるエイミーに、周囲に聞こえないよう声を小さくした。
「何で俺なんだ? 十六歳の誕生日のエスコート役がどういう意味を持つか、知らないわけじゃないだろ?」
すると令嬢は、無表情のまま問い返す。
「そういうあなたは、どうしてエスコート役を引き受けてくださったのですか?」
フィリップはみるみる真っ赤になり、その顔を隠すようにそっぽを向いた。
「ケ、ケヴィン様やハンフリー様に頼まれて、断れるわけがないだろ!?」
そんなの言い訳だと、フィリップ自身、とっくにわかっている。