三章-5
クリフォード公爵邸の広間では、この日華やかな夜会が開かれていた。
再び戦場に赴くことになったシグルドとケヴィンのための夜会だ。
決して狭くはない場に親族や派閥の貴族たちがひしめくように集まり、ろうそくを立てられたシャンデリアに真昼のように照らされている。
夜会も終盤に近付き、招待客と一通りのあいさつを終えたところで、シグルドは派閥の貴族たちに囲まれた。
「シグルド殿下のご活躍はちくいち耳にしておりましたぞ。連戦連勝、まだ十八歳であらせられるのに大したものです」
「ありがとうございます、クレンネル侯爵。これも指揮官の心得を教えてくれた前総指揮官と、作戦を支えてくれた部下たちのおかげです。兵一人ひとりが国の財産と考えれば、一兵卒もむやみに犠牲にできません。できるだけ犠牲を減らす無難な指揮をとり続けたことが、結果的に連勝をもたらしたのだとわたしは考えています」
「若いのにしっかりとした意見をお持ちだ。そうです。国民は国の財産。これをおろそかにして国は成り立ちません。そして人心を集めるには、人を消耗品ととらえないことです。大勢の人間をまとめようとすると人を数で捉えがちになりますが、その一人ひとりがかけがえのないただ一人と理解する努力を怠ってはなりません。理解すれば民は国を支える大きな力となります。かの御仁たちはそういうことをわかってらっしゃらない。富を優先して人をないがしろにすれば、人は国のために、領主のために働かなくなる。それがどれほどの損失になるかわかっていない議員が多いことが嘆かわしいです。今回も殿下のお力になることができず、申し訳ない」
「気に病まれることはありません。クレンネル侯爵のような方が議会に残ってくださったことが、わたしにとって救いです。議会がかの御仁たちのような者だけになってしまったら、わたしは戦う意義を失ってしまいます。あの者たちの富を手に入れるためではなく、あなたのような方々の安寧のために、わたしは戦ってまいります」
「嬉しいことをおっしゃってくださる。議会に残るという話で思い出したのですが、……」
シグルドとクレンネル侯爵の話にみな聞き入っている。
ケヴィンは周囲の貴族たちに「失礼」と声をかけながら、その輪を外れた。
できたら今夜中に会いたい人物がいる。
どこにいるかと見渡していると、着飾った女性たちと目が合い、彼女たちが近付いてきた。
「こんばんは。よい夜ですわね」
話しかけてきたのは縁戚にあたるホノリウス侯爵令嬢だ。名前はジェイン。こげ茶色の髪を頭の後ろで束ね、ゆるやかな巻き毛を何本かの束にして垂らしている。シャンデリアに乱反射する光が令嬢を四方八方から照らして、瞳の茶色の虹彩もよく見える。三年前の夜会では社交界にデビューしたてで少しおどおどした感じがあったが、今では堂々としたものだ。
「こんばんは。そうですね。お会いするのは三年ぶりですか。三年前はドレスに着られている様子でしたが、今宵はとても素敵に着こなされておいでだ」
「あ、ありがとうございます……」
ほめたのに、侯爵令嬢はほほえむ口元を何故かひくつかせた。
「あの、よろしければ戦地でのお話をお伺いしたいですわ。ケヴィン様のご活躍とか……」
「戦場とは凄惨なものです。女性に話せるようなことはありません」
男性であっても、知らずにいられたらそれに越したことなない。
気を遣ったつもりなのに、何故か令嬢は不満そうで、笑顔をひきつらせる。別の令嬢がなおも尋ねてきた。
「で、ですからケヴィン様のご活躍を」
話せることもないのに、これ以上の会話は互いにとって無意味だ。ケヴィンも今はすることがある。
令嬢の話をやんわりとさえぎった。
「戦場にて書記官が活躍できる場などありません。申し訳ないが、失礼していいだろうか? 人を捜しているので」
「あ、はい……」
そこまで言うと令嬢たちもようやくわかってくれたらしく、ケヴィンの目の前から数歩下がった。
ケヴィンは軽く頭を下げて令嬢から離れ、もう一度会場を見回す。
するとようやく会場の端にいる目当ての人物と目が合って、ケヴィンは真っ直ぐその人物に向かって歩いていった。
途中、給仕の者からグラスを二つもらうと、壁際に立つ目当ての人物に一方を渡し、その隣に立つ。
四年ほど前に爵位を継いだ、ケヴィンの従兄弟のアランデル侯爵ハンフリー。ケヴィンの八歳年上の従兄弟で、青みがかった銀髪に薄青色の瞳をした青年だ。邸が近いこともあり、幼少の頃は互いの邸を訪問しては、兄弟のように過ごした。シグルドが邸に引き取られケヴィン自身が兄の役目を担うようになると、ハンフリーも社交界デビューをしたり官職に就いたりと忙しくなり、会う機会は少なくなっていった。しかし親交がなくなったわけではなく、近況は耳にするし会えば気安く話もできる。ただ、昔のように兄と弟のような関係でなくなっただけだ。
ハンフリーは隣に立ったケヴィンに、ちらっと苦笑いを向けた。
「おまえは相変わらずだな。あんなに邪険にしなくてもいいだろうに。ここまで話し声が聞こえたぞ」
「? 邪険にしたつもりはありませんが?」
普通に会話していただけなのに、何故そのように言われなければならないのか。
ケヴィンが眉をしかめると、ハンフリーはあきれたように肩をすくめた。
「あれはほめ言葉なんかじゃないぞ。三年前はひどい格好だったと言っているようなもんじゃないか」
「ですが、今はドレスも十分に着こなし、たった三年で見違えるようだとほめたつもりなのですが」
あきれられてしまうほどひどいほめ方だったろうか?
眉間にしわを寄せて悩んでいると、ぽんと肩を叩かれた。
「……わかってるよ。おまえは正直なだけなんだよな。まったく、クリフォード公爵の心配ももっともだ。おまえは無意識に女性を振り倒してるんだからな」
「“振り倒す”? 振った覚えどころか、言い寄られた覚えもないのですが?」
「うんうん、わかってるよ。そんな鈍感なところを、令嬢方はクールだとかストイックだとか言ってのぼせるんだよな。で、自分のアプローチが通用しないことに身もだえる、と」
ケヴィンはむっとした。
自分が鈍感だと思ったことはない。言動や表情から相手の考えを読みとることもするし、空気を読むこともできる。ハンフリーやヘリオットといったごく一部の人間は、ケヴィンにそうしたことができないと言わんばかりに意味不明な言葉を口にする。
馬鹿にされているようで不本意だが、今は相互理解に時間を割いているわけにはいかなかった。
表情を改め、ケヴィンは話を切り出した。
「わけのわからない話は後回しにさせていただいて、わたしの話を聞いてもらえないでしょうか? お願いしたいことがあります」
ケヴィンの真剣さに気付いたのか、ハンフリーも表情を改める。
「珍しいな。おまえが頼みごとをするなんて。──だが、手短にしてくれよ。主役に話しかけられていると目立つからな。おば様方につかまって説教されるのは勘弁だ」
本気で勘弁してほしいと思っている口ぶりに、ケヴィンは思わず小さな笑いをもらした。
「おば上たちもあなたを心配してのことでしょう。ですがあなたは、ご自分で選び取ったことに、後悔をしていないのでしょう?」
「まあ、そうだけどさ」
そう答えて苦笑するハンフリーの表情は、どことなく晴れやかだ。
彼とは事情が違うけれど、障害を乗り越えても手に入れられるしあわせがあると示してもらえることは、ケヴィンにとって救いになる。
「わたしの、母の形見を覚えていますか?」
左の小指を見せれば、ハンフリーは目を丸くした。
「失くしたのか?」
ケヴィンは正面を向き、ハンフリーにだけ聞こえるよう声をひそめた。
「そうではありません。あの指輪を持ってあなたの邸を訪れる女性がいたら、あなたのところで保護していただきたいのです」
「おまえ……」
ハンフリーの表情が険しくなる。
「“謝礼”も考えています。あなたにとっても悪くない話だと思います」
ぼかした話し方をしたが、彼ならこれだけで理解してくれるだろう。ハンフリーは壁に背をもたれさせ、ケヴィンから渡されたグラスの中身を一口飲んでため息をついた。
「おまえがそういう道を選ぶとは思わなかったよ。公爵には?」
「まだ話していません。片手間に話せることではありませんので」
「そうだな。だが、“現れたら”などと言っていないで、遠征前にわたしに預けていったほうがよくはないか?」
「……それこそ片手間にできることではないんです」
ケヴィンも今すぐ彼女をハンフリーに預けたいところだが、妙に頑固なところのある彼女に無理強いをすれば、いくら好意をもってくれていても反発をくらうだけだろう。
守るために急ぎたい気持ちはあるが、彼女の心を一番に大事にしたい。
そうしたケヴィンの気持ちも察してくれたのか、ハンフリーはくつくつと笑いだした。
「おれもおまえも、何でわざわざ大変な道を選んでしまったんだか」
ケヴィンからも失笑がもれる。
「それこそ“運命”というものでしょう」
「……そうだな」
感慨深げにつぶやくと、ハンフリーは小さなグラスにわずかに残っていた酒をあおった。