一章-1
書籍化のため削除した「これがわたしの旦那さま」の過去の話になります。本編をお読みでない方にもおわかりいただけるよう説明を入れていきますが、わかりづらいことございましたらご一報ください。適宜加筆させていただきます。
本編跡地「旦那さま短編集」へのリンクを目次ページ下部に張らせていただきます。検索除外をかけているため作者のページに作品名が載っていないので、こちらの入り口をご利用くださいませ。
説明が長くてすみません。最後に注意書きを。お酒は二十歳になってから(笑)
目が覚めてみれば、そこはふかふかなベッドの中だった。
えええ!? 何で???
起きたばかりの頭は、すぐには記憶を引き出してくれない。
えーっと、えーっと……とりあえず思い出せるところから思い出してみよう。
あたしはアネット。多分15歳。クリフォード公爵家の下働き。毎日朝から晩まで、食事の下ごしらえや洗濯から、こまごました雑用までいろんな仕事をしている。
住んでいるのはご主人様のお邸の洗濯室脇の物置き。他のみんなは屋根裏で相部屋。あたしは寝る時に三階のさらに上までのぼっていかなくてもいいし、一人部屋なのですっごい楽。
そんなあたしのご主人様は、ここ、ラウシュリッツ王国の建国に大きく貢献した三公爵の一つ、クリフォード公爵家のご当主様だ。初代国王陛下の上の弟君の血筋を引き、国王陛下に助言を差し上げる名誉あるお役目に就いている。
何で一介の下働きがそんなことを知ってるかって? そりゃあ、そんなご立派な方の下で働いていることを誇りに思い、一生懸命働きなさいって教えられてるからよ。
──って、今はそういったことを思い出してる場合じゃなかった。
見上げる天井は物置きの天井とは違って、真っ白に塗られた上に細かな模様が描かれていて、それだけでここが上等な部屋だということがわかる。
そして横を向けば、夜明け前のうっすらとした明かりに浮かびあがる、端正な顔立ちの若い男の寝顔が間近に……!
この顔には覚えがある。ご主人様の一人息子、ケヴィン様だ。今年17歳になられる彼は、お父上の跡を継ぎ公爵様となられるお立場にありながら、このお邸にお預かりしている王子殿下をお守りするため近衛隊にまで入ってしまった、ちょっと変わり者。普通公爵家の跡取りともなると、そうしたお勤めには就かず、跡を継ぐためのお勉強をされるものなのだそうだ。
そんなお方の寝顔が、何でこんなに近くにあるかというと。
……そう。昨晩、自分の部屋で繕いものをしていると、外で物音がして、こっそり窓から見てみたら、裏庭の井戸のところに人が立ってたんだった。
ふらふらしていて危なっかしくて、水が欲しいのか井戸の中をのぞきこんでいて、何だか落ちそうだったから慌てて裏口から飛び出した。真夜中に不審人物、誰なのか確認しないまま近付いたのは軽率だったと思うよ? でもちょっと見過ごせなくて。いつも使ってる井戸だから。
ぐらりと傾く体を、上着をつかんでうしろに引っ張った。暗がりでもわかる。上質な手触り。もしかしてと思って月明かりの影というわずかな光の中で目を凝らして確認してみると、案の定知った顔だった。
ご主人様の息子じゃん!
驚いて吸い込んだ息に、顔をしかめる。
酒くさ!
とりあえず井戸の縁に座らせて、あたしは井戸に桶を落とし、滑車に通された縄をせっせと引っ張る。水をたたえた桶を井戸の縁に置いて気付いた。
「コップがいるわよね……」
つぶやいてきびすを返したところで、背後で水音がする。
振り返れば、ご主人様の息子は桶を両手で抱え、桶の端に口をつけて水を飲んでいた。
どんどん傾いていく桶。口元から喉、胸元へと流れ落ちる水。
あたしはそれを、唖然としながら見つめた。
ご主人様の息子は今まで遠目でしか見たことがない。でも噂はよく聞いてる。頭脳明晰、品行方正を絵に描いたような立派なお坊ちゃまなのだそうだ。使用人にも、真面目すぎるからもうちょっと遊んでもいいんじゃないかと言われてしまうほどのカタブツだ。
そんな人が、一体どうしちゃったの???
満足したのか、彼の手から桶が落ちそうになる。それを受け止め近くの台に置くと、あたしは前のめりになる彼の体を全身で受け止めた。
「倒れるのはお部屋に戻ってからにしてください!」
声をひそめて叱りつける。するとご主人様の息子はゆらり立ち上がった。それを脇から支えると、彼はあたしに体重をかけてくる。
お、重い……。
次に思ったのはどうしようということだった。
正面玄関に回って扉を叩いて、誰かに出てきてもらうか。いやいや、この人がそうしなかったのは何か事情があるはず。あたしが支えて正面玄関に回るのも問題ありだ。こんな夜更けに男女二人で何をやっていた、とかいう話になっちゃう。
仕方なく、あたしの部屋から邸の中に入れた。
物置から洗濯室、厨房の前の通路を通って階段室へ。
一人で歩けるなら洗濯室から廊下に出たところでお見送りしたかったんだけど、肩にのっけられた腕にかかる重さはあいかわらずで、肩から降ろそうものならどうなってしまうかわからない。
そのままよたよたと階段を上がり、二階にある彼の部屋にこっそり入った。
扉一つ開けるのも苦労しながら、でっかい書斎机の置かれた部屋を通り抜け、寝室に入る。
ベッドに寝かせようとして、彼の服の湿り気に気付いた。
こぼした水でたっぷり濡れた上着。
「ちょっとの間、ご自分で立っててくださいよ」
聞こえているかわからないけど一応言って、押しのけるように彼を立たせ、前に回る。
わかってくれたようで、ゆらゆらしながらも一人で立ってくれていた。あたしは布地が濡れて外しにくいボタンを何とか外し、上着を脱がせる。
ただでさえ重たい上着が、濡れてさらに重たくなっている。
まずは寝かせないとと思い、上着は側に落とした。
そして彼から少し離れ、ベッドにかかっていた毛布をめくった時。
「きゃ……っ」
倒れた彼の下敷きになった。ベッドの上で。
そして──。
それらの出来事を一気に思い出し、あたしはベッドの上に仰向けになったまま青くなる。
マズい。
非常にマズい。
こんなことしちゃうなんて、使用人、しかも下働きなのに。
どうしよう……。
……
……
……
……ま、いっか。
さいわいまだ早い時間だ。みんなぐっすり眠っているだろう。
お隣のご主人様の息子も、しっかり目をつむってぴくりとも動かない。
お腹の上にのっかる腕をそうっと持ち上げながら、あたしはそろそろとベッドを降りた。
降りてから再確認。
うん、目を覚ましてない。
あたしは足音を立てないように扉へと向かう。
要するにあれよ。バレなきゃいいのよ。
そうっと扉を開き、わずかな隙間に体を滑り込ませて寝室から出る。
カチ……
ほんのわずか、音を立てる。でもその音が消えれば、静寂が戻る。
できるだけ音を立てず、あたしは無事洗濯室まで戻ることができた。
誰とも行きあわなかった。ご主人様の息子も、あれほど泥酔していたのだから覚えてなんかいないだろう。
つまり、昨晩のことを知る人は誰もいない。
らっきー♪
ふかふかのベッドに寝れて、得しちゃった。
くしゃくしゃになった三つ編みを編みなおし腕まくりをして、あたしは早朝の仕事にとりかかった。