聞いてないよ ①
道のでこぼこに合わせて車輪が立てる振動と音に眠気を誘われながら、コマはこの揺れをものともせず器用に書き物をしている連れの青年に視線を向ける。
旅って、資金と連れでこうも変わるんだなぁ。
イリキと同行することになって、約10日。
コマはしみじみと実感していた。
これまでも商隊に混ぜてもらったり、仕事を依頼されたり、依頼したりで色々な人と一緒に旅をしてきたけれど、こんな旅はコマにとって初めての経験だった。
セイラン出身だというイリキは、同行を同意したコマから「いかなきゃいけないところ」がどこなのかを、まず確認してきた。目的地がスイシャ村だと告げれば、イリキの目的地であるセイランまでだいぶ遠回りすることになるというのに、顔色ひとつ変えることなく鷹揚にうなづき、そして、「12、3日あれば着けるな」と信じられないような言葉を吐いた。
イルンバからコマの目的地・スイシャ村までは、どんなに急いでも一月はかかる。今は乾季だから雨で足止めされることはないとしても、最低限食料と水を確保し、体を休めるためにも途中いくつもの街や村に寄る必要がある、とコマは主張した。
するとイリキは不思議そうにコマを見、それからコマの足元を見てから、小さく眉を寄せた。
「コマ、君はまさか、スイシャまで歩くつもりか?」
「……そんなわけないでしょうが! いくら健脚自慢の僕でも一ヶ月でいけるわけないでしょ。途中で乗り合い馬車に乗るよ」
憤然と主張すると、イリキはますます分からない、という顔になった。
「なら、どうして一ヶ月もかかるんだ? ここからなら、そんなにかからないだろう?」
「……かかるよ。僕、前にスイシャに行ったことあるもの。間違いない」
自信を持って主張しているのに、意識はつい、イリキの声に向いてしまって受け答えに時間差ができてしまう。
本当に、悔しくなるほどいい声だ。
イリキは考えるように沈黙した後、何かを思いついたように、口元にあまり性質の良くない笑みを浮かべると、トン、とひとつ指で机をたたいた。
「間違いない、ね。じゃ、賭けるか?」
「なにを?」
「15日以内にスイシャについたら私の勝ち、それ以上かかったらコマの勝ち。私が勝ったら、そうだな、私の質問に正直に答えてもらうか」
「じゃ、僕が勝ったら毎日一曲歌を歌ってね!」
さりげなく不平等な条件を賭けて、勝手に「はい、決まり!」と宣言してもイリキは気にする様子もなく笑っているだけだったのだが。
コマの記憶に間違いがなければ、徒歩でもあと2日もあればスイシャに入るところまで来てしまっている。
コマの思い描いていた道程で行けば、間違いなく一月はかかっていたはずなのに。
「ほんと、信じられない……」
そりゃ、余裕な顔を見せるはずだ。
あるときは馬車に、あるときは馬に、そしてあるときは船に。
イリキは全ての移動に乗り物を使った。
途中まではその金額が全部でいくらになるのか計算していたのだが、4日目を過ぎたあたりで分からなくなってしまった。もちろん、旅費は全部イリキが出してくれてるとはいえ、貧乏旅が当たり前になっているコマとしては、ものすごくもったいないことをしている気がしてならない。
「あ~ぁ、これで一体何個シュルが買えたんだろう」
「少なくとももう一人連れがいるよりは安いさ」
コマの小声の嘆きが聞こえたらしい。隣を見ると、ちょうどイリキが手帳をしまったところだった。
「だから少しくらいの贅沢は問題ないだろう?」
「それはそうだけどさぁ、それにしたってさぁ」
「ほら、ちゃんと前を向いて座って。風が出てきた。マントもちゃんと着て」
ぶつぶつつぶやくコマを無視してイリキは足元の袋の上においていたマントを手にとってコマに渡す。
きちんとマントを着込めば、いい子だ、といわんばかりに満足げにうなづかれる。
「ほんっとイリキっておにいさんだよね」
当たり前といえば当たり前だけど、イリキはコマに連れがいると思っていたらしい。
食堂を出て、夜のイルンバでまたたらふく食べて満足したあと、同じ宿を取ったイリキはコマと一緒に旅をしている相手にも了承を、といってきた。説得は任せろ、という意思を感じてコマのほうが困った。
そんなものはいない、と言ってやったときのイリキの顔は、なかなか見ものだった。
「たった一人でスイシャまで気軽に行こうとする子供がいれば、心配にもなる」
「だから僕はもう何度もスイシャに行った事があるんだってば。ほんっとイリキは人の話聞かないよね」
肺の奥底から大きくため息をつくと、コマは背もたれにどっかり体重をかける。
この10日あまり一緒に行動して、イリキについていくつか分かったことがある。まだ10代後半か20代前半に見えるこの同行者は、人の話を聞いていないか、あえて聞き流していることが多い。特に、自分が信じられない、と思ったことに関してはその傾向が強くなる。
これまで一人旅をしてきたことを納得させるのも一苦労だった。
コマは約10日前のやり取りを思い出して遠い目になる。
(本当に、本当にあれは大変だった……)
思い出したくない色々を思い出しかけて、コマはあわてて首を振って嫌な記憶を振り払う。
思い出したくないことは、思い出さないに限る。
「セイリカに着いたら、トルカネットという宿に泊まろう。明日は月に一度の朝市だ。スイシャ村からも物品が運ばれてきているだろうし、買出しもあるはずだ。うまくすれば、明日中にスイシャに着くよ」
これも一緒に旅して気付いたことだけど、イリキは小さな行事の一つ一つの日程を良く知っている。
コマだって珍しいものや、名物を逃さず食べたいから色々な祭りごとの日程は頭に叩き込んでいるつもり だけど、イリキの持つ手帳には到底及ばない。
セイリカに月一度の市があるなんて、知らなかったし。
知識の差は、能力の差にそのまま直結する“口”だから当然といえば当然かも知れないけど。
ちょっと悔しい。
「コマ?」
「……なに?」
「スイシャに着いたら、質問させてもらうから、そのつもりで」
いつもの美声で言われて、コマはちょっぴり軽く約束した自分を思い出して諌めたい気分に陥った。