勧誘 ⑤
「で。おにーさんと一緒に行って、僕になんの得があるの?」
まだ警戒はしているようだが、話を聞く気になったのか、子供は慎重に言葉を口にした。
「セイランに行けば間違いなく“言術士”としての能力が上がる。セイランまでの道中に私が指導してもいい」
セイランの“口”は特殊な訓練を行っていることで有名だ。
それを受けられるとすれば“言術士”である子供が食いついてくるだろうという思惑どおり、警戒のかわりに動揺が浮かぶ。
「……それで? わざわざセイランまで連れて行って、期待はずれだったらどうするのさ?」
「“音”がそう簡単に聞き取れないものだということは、私も良く分かっている。それでも、それを見極められる可能性があるなら、私は賭けてみたいんだ」
「あのさ、自分が言っていることが非常識だって自覚ある?」
「もちろん。君が“耳”ではなく“言術士”だということも理解した上で言っている。“言術士”の君に一緒に来てほしいんだ」
じっと目を見つめて言えば、動揺が大きくなる。
「セイランにつくまでの旅費はすべて出すよ。もちろん、食費もだ」
「……い、いやいや、そんな、食費とか、関係ないし」
くるり、と大きな黒い瞳がまた動く。それからあわただしく首を振って動揺を隠そうとしているが、旅費より食費に反応したのは間違いない。
なるほど。ここが攻めどころか。
イリキは机の下に置いていた自分の荷物から小さな袋を取り出して、机の上に置く。
警戒する子供の目の前で、その袋の口をあけると、子供の目が輝いた。
「え、こ、これ、これって、もしかして、シュル!?」
袋の口から覗く黄金色の蜜を固めたような板。
特殊な果物を干して加工したこのシュルという菓子は、希少価値が高く、非常に高価なもので、その金額に見合うだけの味わいをもつ。
「食べたことがあるのか?」
「い、一回だけ」
反応から見て、食べたことがあるのだろうと問いかけてみれば、案の定。
シュルを一枚取り出せば、完全に目が釘付けになっている。
口元が緩みそうになるのを意思の力で抑えて、シュルを一振りしてみせる。
「私と一緒にセイランに来てくれるなら、このシュルを全部あげよう」
「う……」
頷きそうになった子供はあわてて首を小さく振るが、すぐに物欲しそうな目がシュルに戻ってくる。
もう一押し。
「シュリスンって知ってるかな?」
「シュリスン?」
「このシュルの原材料になっている果物の名前さ。ということは生で食べたことは?」
素直に首を横に振る子供に、口の中でとろけるような食感とじわりと広がる旨味を思い出しながら、イリキはにこっと笑ってみせる。
「うまいぞ」
「……」
「シュリスンはどういうわけか、セイランの中部でしか育たない植物でね。収穫からわずか数刻で痛み始めてしまう。だから、セイランでしか生では食べられない」
大きな黒い瞳がうるうると揺れている。
シュルをゆっくりと左右に動かすとそれにあわせて視線が動く。
「一緒にセイランへ来てくれたら、シュリスンを食べさせてあげるよ」
「……三食つき?」
落ちた。
イリキはさわやかな笑顔を浮かべてみせる。
「シュルは一日一枚にしておくんだよ」
「僕、行かなきゃ行けないところがあるんだけど」
「多少の寄り道は問題ない」
「何度も言うようだけど、ぼくは“耳”じゃないからね。おにーさんと行くのは“言術士”だから」
「ああ、よく分かってるよ」
子供はじっとイリキの目を見つめたあと、ニッ、と笑う。
「僕からもお願いがあるんだけど」
「なんだい?」
「歌、歌ってよ。一日に一曲」
「それは無理。歌は苦手って言っただろう」
まだあきらめてなかったのか。
あきれた視線を向けた先で、子供らしい小さな手でシュルを一枚取る。
「ちぇ。ま、いっか。これからしばらく一緒に行くんだから、機会はいくらでもあるし」
手に取ったシュルを食べるのかと思ったら、半分に割って一方を渡してくる。
「僕は、コマ。コマだよ。よろしくね、イリキ」
初めて名を名乗ったコマは、シェルを口の中に入れて幸せそうに咀嚼する。
名前の交換と、食の共有。
コマが分かってやっているとは思えないが、手渡されたシュルが急にずっしりと重みが増したような気がした。
「よろしく、コマ」
口に放り込んだシュルの甘みが溶けるように広がり、癖になるほど旨かった。