背に腹は代えられない⑮
元の姿に戻った彼女をイリキに改めて紹介すると、なぜかひどく睨まれ、ぐったりと肩を落とされてしまった。
どうしたんだろう?
なかなか力が入らない身体を無理やり動かして立ち上がろうとすると、白くてひんやりとした手が、そっとコマの手を取って支えてくれた。
「ありがとう、ミコト」
視線を合わせてお礼を言うと、優しい微笑みを浮かべてくれる。
その微笑に、コマはまた泣きたくなった。
本当に、間に合ったんだ・・・。
「コマっ!」
警戒を呼び覚ます鋭い声に我に返って振り向くと、イリキが厳しい目でミコトの頭上を見ている。その視線をたどったコマは、息を吞んで固まった。
水の浄化を免れた“穢れ”の残滓が、ミコトの頭上で集まり、凝り、固まっていく。
鋭く尖った牙のような形をかたどっていく“穢れ”の先は、人型に姿を変えたミコトに狙いを定めていて。
ツララが自重に耐えかねて落ちるときと同じ、音のない震えが“穢れ”全体に起きていた。
「ミコトっ、うえ・・・っ!」
青ざめてミコトに頭上の脅威を知らせようとするのと、真っ白いきれいな手がモヤを払うように小さく振られるのが同時だった。
たったそれだけで。
巨大な塊となりかけていた“穢れ”が、泉から噴きあがった水に包まれ、渦巻く水流によって切り裂かれて霧散する。
水は、何事もなかったかのように清らかに輝きながら、泉へと戻った。
コマはぽかん、と口を開けてその一部始終を目の前で見ていた。
さっきまで、あんなに苦労させられてた“穢れ”を、たった一瞬で・・・?
思わずイリキの方を見ると、イリキの顔も引きつっているのをみて、コマはちょっとだけ、ほっとした。
イリキからミコトへ視線を戻すと、またふわり、と優しく微笑んでくれる。
「コマさま。“源”を、ありがとうございます」
涼やかな、漣のように心地よい声。
聞いているだけで、心が洗われていくような優しい声に、コマは胸を強く抑えた。
もう少しで、僕は、この優しい声を失ってしまうところだったんだ。
「大丈夫です」
いまさら湧いてきた恐怖に、小さく震えると、ミコトがそっとコマの手を取ってくれる。
見上げると、澄んだ青い瞳の中に、ひどく怯えた子供の姿が見えて。
「わたくしは、大丈夫ですから」
ここにおりますから。
幼子の不安をあやすような、優しくて、暖かな声に、コマは落ち着きを取り戻していく。
「本当に、大丈夫なの?」
それでも、重ねて尋ねてしまう甘えを、ミコトは力強い笑みで許してくれる。
「はい。今のわたくしに、払えぬ『穢れ』など有りません」
凛とした自信に満ちた声に、そこに含まれる力に、コマはようやく小さく息を吐いた。
「イリキ」
「・・・なんだ」
コマと同じように緊張を漲らせていたイリキもまた、詰めていた息を吐く。
「僕に声をかけてくれて、ありがとう。一緒に来てくれて、本当にありがとう」
イリキがいなかったら、きっと、間に合わなかった。
スイシャまでの道のりを、いつもの調子でのんびり歩いて来ていたなら、手遅れになっていたかもしれない。
乗り物を乗り継いで、急いできたからこそ、ぎりぎりで、間に合った。
それは、イリキと出会い、イリキが急いでくれたからこそ起きた、奇跡だ。
「ミコト、イリキだよ。彼のおかげでここまで来れたんだ」
改めてミコトにイリキを紹介すると、イリキがまた片手を額に当ててうつむいてしまった。
どうしたんだろう?
さっきから様子のおかしいイリキに、やっぱりどこか怪我をしているのかも、と手を貸そうとすると、イリキは小さく手を振ってそれを断って、背筋をまっすぐ伸ばして姿勢を正した。
「セイランが“口”、イリキと申します。泉の精霊殿」
思わず見ほれてしまうような、綺麗な礼。
流れるように自然で、上品な礼に、コマはちょっとどきどきした。
「我が守護地へようこそ、『イリキ』さま。ご助力いただき、ありがとうございます」
それに応えるミコトのお辞儀も、とても綺麗。
コマ自身ではどうやっても真似出来ない上品さに、惚れ惚れと眺める。
二人とも、美男美女で目の保養になるなぁ。
・・・イリキが若干青ざめて固まっていなければ、だけど。