背に腹は代えられない⑪
突発的な想定外の事態さえ起きなければ、イリキはセイランの“口”として対応する術をもっている。
相手の動きを読むのも、その動きを利用して幾重にも策をめぐらせるのも、イリキの得意とするところだ。
“隠し身”で姿を隠したことで相手の動きを観察できる状況になり、イリキはようやく自分の本領を思い出した。
冷静に状況を見て、予測し策を張る。
黒い蔦もどきは、面白いほど思った通りに動き、徐々にその本体を削り落としていく。
丁度いい。
コマと出会う前から溜まっていた鬱憤を思いっきり晴らさせてもらおう。
口元にわずかに笑みを浮かべながら、イリキは連続して指を弾いていく。念入りに、綿密に“指示”を出していきながら、この蠢く塊の全体を観察する。
さっきはその時間も冷静さもなく、小さな言術士と怒鳴りあっていたが、こうやってじっくりと見てみれば、その正体はすぐに思い至った。
これはおそらく、“穢れ”。
これほどまでに純度が高く、知能と実体をもつ“穢れ”が存在するなんて、今まで見たことも聞いたこともなかったが、これが“穢れ”であることは、まず間違いない。
(それにしても奇妙だな)
“穢れ”は精霊と同じく、遥か昔から存在する“人ならざるもの”のひとつ。
精霊たちの知性と理性を奪い、本能だけの存在にする病のようなもので、人に宿ることもあるのだという。
厄介なのは、“穢れ”そのものが独立した意識を持ち、知性を持つということだろう。己の分身を増やすため、“穢れ”は知性を奪った宿主の身体を使い、眷属を増やしていく。
人でも精霊でも知性あるものならば宿主を選ばない代わりに、宿主を媒体としてのみ、その“穢れ”を広めることが出来る。
ゆえに、“穢れ”それ自身のみでこんな風に動くことは本来、ありえない。
・・・はずなんだが。
目の前で暴れ蠢く“穢れ”の塊を見せ付けられて、イリキは苦笑を浮かべる。
ありえないもなにも、目の前に存在するのだからそれが現実だ。
そう割り切ってしまえば、別の手も浮かんでくる。
“穢れ”ならば、“光”と“清め”も効果的だろう。
いくつか“指示”を新たに織り込み、配置につける。
予想通りの順序で、予想通りに動きを鈍らせ、徐々に小さくなっていく“穢れ”に爽快感さえ感じながら、止めを刺すべく、“言”をつむぐための“場”を構築する。
“場”が完成する直前、無防備になっていた背後からいきなり強く突き飛ばされた。
(まだこんな動きが出来る“穢れ”が残っていたのか!?)
反射的に“指示”を出そうと視線をめぐらせると、イリキがそれまで立っていた位置に他人を突き飛ばした体勢のままの小さな言術士の姿が見えた。
どうして、コマが?
ほっとしたような、気の抜けた顔。
それを見た次の瞬間、コマの足元から“穢れ”が飛び出してきた。
小さな言術士は、悲鳴を上げる間もなくその身体を持ち上げられて“穢れ”の中に取り込まれていく。
「コマっ!? 『求め応え・・・』っ!?」
いくら丈夫さを自慢にしているコマでとはいえ、あんな“穢れ”の塊に取り込まれてしまったら、命に関わる。一刻を争う事態に、イリキは倒れた体勢のままコマを取り戻すための“言”を紡ごうとした、その時。
いきなり“場”が崩された。
イリキが構築した“場”の力さえも取り込んで、新たな“場”が構築され、何かの力が解放される。
“穢れ”でも、イリキのものでも、ましてコマのものでもない。
もっと大きく、この地になじんだ力。
どこまでも澄んだ、清廉な力の気配。
その力は、コマを取り込んだ“穢れ”に向かっていく。
コマを奪い合うように、力と力がぶつかり合い、こう着状態になる。
しかしそれは一瞬で。
“穢れ”はコマを放り出すように吐き出すと、コマを引き寄せようとする力の源を遡り、一気にはじけた。
泉の水をすべて弾き飛ばすような衝撃と攻撃的な水飛沫に目を庇う。
「ミコトっ!?」
コマの悲鳴と、何かの苦しげな絶叫が重なる。
目に飛び込んできた姿に、イリキは固まった。
「あれが、“ミコト”だと・・・?」
冗談だろう。
青ざめたイリキの視線の先では、激しく水飛沫をあげながら、大きく身体を泉に叩きつける灰色の“大蛇”の姿があった。