背に腹は代えられない⑧
揺らめくように動く気持ち悪い蔦は、石や木をなぎ倒しながら何かを探しているようなのに、湖の方には全く関心を示さない。
探しものが、この泉の中にあることを分かってみたいな動きに、コマはいやな予感がした。
もしかして、ミナカミノミコトを探してる?
少なくとも僕にはこんな蔦に襲われる理由が無い、と思う。イリキだって、声こそ落ち着いていたものの、この状況に戸惑っているみたいだし。
それに、もし彼女が万全の状態であったなら、こんな自然の摂理から大きく外れた存在に泉の侵入を許す訳が無い。
もし、弱った彼女がこんな蔦に攻撃されたら?
自分の想像に、一気に血の気が引いて気が遠くなりかける。
“言”で誤魔化したはずの疲労と痛みがぶり返してくる錯覚に、コマはそれどころじゃないだろう、と大きく頭を振って気を持ち直す。
彼女を探すにしても、まずあの気持ち悪いのをどうにかしないと。
あれは一体なんなんだろう、と視線を揺らめく蔦もどきに当てているその視線の片隅で、イリキが注意深く身をかがめて地面に落ちていた石を拾ってと木の枝に投げつけたのが見えた。
石がぶつかる音、枝が揺れ、葉が揺れる音。
黒い蔦もどきは、コマとイリキを襲ったときと同じ速さで石がぶつかった木をなぎ倒し、静寂が戻ると、その周囲で揺らめいている。
「なるほどな」
小さな呟きが聞こえて見上げると、イリキがこちらを見下ろしてくる。
どこか厳しい、冴え冴えとした青を浮かべた瞳に、背筋に寒気が走った。
「あれは、“彼女”ではないんだな?」
念を押すような、抑えたイリキの声に、さっきも言ったでしょっ!?と普通なら大声で言いたいところが、声もなく何度も首を縦に振るだけしか出来なかった。
な、なんだか、ものすごく逆らっちゃいけない気がする・・・っ!!
ゆっくりと立ち上がったイリキの声を聞きつけたのか、こちらへと寄ってくる蔦もどきをみて、イリキはこの状況に不似合いな、小さな笑みを浮かべた。
コマは、思わず、一歩後ろに下がった。
普通の笑顔のはずなのに、な、なんなんだろう、この底知れぬ怖さは。
「コマ、“耳”をふさいでいなさい」
イリキの言葉から伝わってくる言外に込められた本当の意味に気付いて、コマは反射的に息を飲んで、両手で耳を塞いだ。
ほぼ同時に始まる爆音。
身体的にも意識的にも耳を塞いでいるというのに、伝わってくる音に、コマは耐え切れずに膝をついて、大きく息を飲みこむ。
冷や汗を流しながら、冗談でしょ、と目の前の光景に見入った。
次々と爆ぜる音に反応して、二本の蔦もどきが混乱したようにあちこちの木をなぎ倒し、地面を大きくえぐっていく。
聞き馴染んだこの音は、“癇癪玉”と呼ばれる、子供がよく遊びで使う“言”だ。
普通なら本当に小さな爆ぜる音がするだけのはずが、多分“声域拡大”と何かの“言”を混ぜてアレンジされて、とんでもない爆音になっている。
しかも、よく見れば、黒い蔦もどきの周りにシャボン玉のような透明な球体がふわふわと浮いていて、それに蔦もどきが触れると弾けて爆音が出る仕組みになっているようだ。
その音に反応して、別の蔦がもう一本の蔦を攻撃していく。
「子供騙しの“言”ではあるが、こいつらには有効なようだな?」
響き渡る爆音のなか、普通に話しているはずのイリキの声だけは、ちゃんと聞こえる。
そう、イリキは、話している。
つまり、“言”を発声していない、はず。
それなのに、シャボン玉もどきは数を増やし、次々と音が爆ぜる。
いつもと違うのは、左手の人差し指をはじいていることだけ。
それを見て、コマをがっくりと肩を落として、頭を抱え込んで蹲りたくなった。
確かに、イリキの“言”の威力が普通の“口”よりもずっと強いとは思っていた。
威力が強くて、当たり前。
イリキが行っている本当に小さな動作は、発声の代わりに動作で“言”を発動させる“指示”と呼ばれるものだ。
ひとつの“言”が自分自身に慣れ親しむまで何千、何万回と繰り返して初めて素質が生まれる“指示”。
その素質をさらに何年もかけて徹底的に鍛え、磨き上げてやっと“指示”が出せるようになるという。
話には聞いていたけど、本当にそれが可能な“口”に初めて会った。
しかも。
よく見れば、イリキが出している“指示”はひとつじゃない。
“癇癪玉”、“カマイタチ”、“光彩”。
少なくともコマが見て取れるだけで、三つの“指示”を出している。
・・・もう、驚くのを通り越して、あきれるしかない。
「イリキって、もしかして結構おじさん・・・?」
「シメルぞ?」
ぼそ、っとつぶやいた声を拾ったイリキに笑顔で睨みつけられて、コマは青ざめながら大慌てで首を横に振った。
「いや、だって、おかしいでしょう!? なんでイリキみたいな若い人が“指示”出せるのさっ!?」
「・・・ああ。コマはまだ良く分かっていないんだな」
慌てふためきながら思わず口走ると、目の前に左手を差し出される。
その時、イリキの背後から、全てをなぎ払うような大きな動きで蔦もどきが迫ってくるのが見えた。
「っ!?」
悲鳴を上げかけたコマの目の前で、イリキの左手がゆっくりと動いて、指ではなく爪を弾く。
それと同時に蔦もどきが膨れ上がり、爆音とともに閃光が走り。
イリキの背後でぼろぼろと崩れ落ちていく。
「私は、『セイランの“口”』だ」
自信に満ちた笑みを浮かべ、イリキは誇りをもって言い放った。