背に腹は代えられない⑦
イリキが水中とは思えない動きで大きく飛びのいて、その物体から逃げたのを視界の隅で見ながら、コマは自分が身体に巻きついたものに宙吊りにされるのを、他人事のように感じていた。
ああ、地面があんなに遠い・・・。
「コマっ!?」
「・・・へ。う、うぎゃあああぁぁっっ!」
イリキの鋭い声で、ようやく我に返ったコマは、はるか下に木々に紛れてこちらを見上げているイリキを見つけて絶叫した。
「た、たか、高っ!? ってうあ、うああああああああっ」
足が宙に放り出された状態で、勢いをつけるように振り回され、するり、と身体を縛り付けていた黒い物体の拘束が緩んだ。
投げ捨てられるっ!
思わず胴体に巻きついているモノに掴まろうとしたけど、ヌルリと気持ち悪く滑っただけだった。
身体が放り投げられる感覚に目を閉じることも出来ず、まっすぐに頭っからイリキへと向かって飛ばされていく途中で、青ざめたイリキと目があった。
「『集い受け取れ、柔らかき風の子ら』」
顔色とは裏腹に、冷静なイリキの美声が聞こえたかと思うと、逆風がコマの身体の襲った。
目を開けていられなくなってきつく目を閉じると、吹き荒れる風が、コマの周りを楽しげに笑いながら通り過ぎていく。その中の誰かが、通り過ぎ際にそっとコマにだけ聞こえるようにささやいた。
ああ、そうか。イリキは・・・。
「ぐふっ!」
突然腹部を襲った衝撃に息が詰まって、思いっきり咳き込んだ。
一体何が起きたんだ、と潤む目で見ると、お腹にイリキの腕がめり込んでいる。
状況からいって、泉に叩きつけられないように、片腕を伸ばして受け止めてくれたんだろうけど。
贅沢を言えば、もうちょっと身体全体で受け止めてもらいたかった・・・。
風の子供たちのおかげで投げ捨てられた勢いが弱まっていたとはいえ、全体重がお腹にかかって、せっかく掴みかけたものも、意識も何もかも全部吹っ飛んじゃいそうだ。
咳き込みながら、頭を上げると、イリキの背後からしなる鞭のように黒いものが襲い掛かってくるのが見えた。
「避けて! また来た!」
青ざめて甲高い声で叫ぶと、コマを片腕で抱えたまま、振り向きざまに大きく右へ跳躍して避ける。
それまでイリキが立っていた場所に叩きつけられた物体が、大きな水飛沫をたてた。
「なんなんだ、これはっ!?」
「僕だって知らないよっ!」
冷静に聞こえたのは“言”を発するときだけだったのか、ひどく焦ったイリキの美声に、半ばヤケクソで怒鳴り返す。
「一体なんなんだ、この動く塊は! まさか、これが“彼女”だって言うんじゃないだろうな!?」
「分かってて聞いてるでしょっ!? そんなわけあるかぁっ!!」
水飛沫の音にかき消されまいと大声で言い合いながらも、イリキは水を吸って重たくなった服をものともせずに、コマを抱えたまま泉から出て中島の陸地に上がった。
「『全て溶け込め』」
さっきまで怒鳴りあっていたとは思えないほど落ち着いた声で“言”を口にしたイリキは、コマを下ろして片手で口をふさぎ、一緒にその場にしゃがみこむ。
イリキが口をふさいでいてくれてよかった。
いきなり襲ってきた黒い物体を正面から見る形になって、上げそうになった悲鳴を必死に飲み込む。
艶のある真っ黒な蔦のようなソレは、コマの胴体よりも太く、長さは周りの木々よりも長い。泉の水面近くから二股に分かれていて、せわしなく形を変えながら、何かを探すようにふらふらと泉の周りをうごめいている。
なんだか、見ていると不安になってくる動きだ。
こんなへんなもの、今まで見たことない。
さっき投げ捨てられるときに触ったヌルリとした触感をいまさら思い出して、コマはうめき声を上げそうになった。
両手が、なんとなく気持ち悪い。
こっそり、後ろにいるイリキの服の裾で両手をぬぐってみるけど、気持ち悪さは取れない。別に汚れているわけでも、ヌルヌルが手に移っているわけでもないのに。
イリキの服でごしごしとこすってみても取れない気持ち悪さに、いらだってつい足を踏み鳴らすと、それに反応したように黒い蔦の片方が近づいてくる。
慌てて息を止めて不動の体勢になると、風が揺らした梢のほうへと移動し、また泉の周り何かを探すようにゆらゆら動いていった。
ミナカミノミコトは、いったい何処にいるんだろう?