背に腹は代えられない②
ミナ湖は細長い円形で、中央には小さな島をもつ。
少し高くなったその島には水月と呼ばれる小さな泉があり、そこから懇々と湧き出るきれいな水が幾筋もの小川となって湖へ流れ、湖を作り出している。
膝丈までしか水がない湖から島へ這い上がると、水辺に咲く花が、そっと風に揺れていた。 花に囲まれるようにひっそりと存在する小さな泉は、きれいな水を湛えている。
以前は、水底から勢い良く湧き出る水で水面が盛り上がり波打っていたのが、今は鏡のように凪いだ水面が日の光を反射している。
泉から流れ出る小川だった川筋もほとんど干乾びてしまっていた。
かろうじて、細く水が流れている部分を見つけて、コマは眉を寄せた。
干上がっちまうのも時間の問題だな。
不意にミズハの言葉が脳裏に浮かび、コマは慌てて頭を振って言葉と共に浮かんできた嫌な予感を振り払う。
そんなことない、泉はまだこうして生きている!
コマは焦る気持ちに無理やり蓋をすると、内ポケットから小さな青い玉を取り出して緊張で震える手のひらに乗せ、ひんやりと冷たい泉の水につけた。
「『水月を護りしミコト』」
目をとじて、小さく息を吸い込んで見えない相手に語りかけるように“言”をつむぐ。
「『源を受け取りたまえ』」
コマの“言”に応えてくれるなら、この手の中の玉は、水中に溶けていくはず。手のひらから伝わる玉の感触を意識しながら、その感触が消えるその時を待った。
けれど。
いつまで待っても、手の中の感触はそのままで。
ゆっくりと目を開いてみると、水につけた手の中には、目を閉じる前と同じく青い玉が存在していた。
嫌な予感に、体中の血が冷たくなっていく。
「『ミコト』?」
手足の先がしびれるような緊張感に、心臓が早鐘を打ち始める。
「『ミコト』!」
もう一度、相手の返事を願いながら真名の一部を呼びかける。
それなのに、応えはなく、泉はただ凪いだ水面がそこにあるだけで。
コマは激しい焦燥に駆られて泉の水面を玉を握った手で殴りつけた。
「返事をして『ミコト』!」
あらん限りの大声で呼びかけているのに、返事がない。
もしかして、返事が出来ないほど、弱ってしまった?
脳裏に浮かんだ最悪の状況が、コマの最後に残った平常心を叩き壊した。
「『ミナカミノミコト』!!」
悲鳴に似た声で、聞こえていたなら決して無視することが出来ないその名を呼んで、コマは泉の中に入っていく。
お願い、お願いだから返事をしてほしい。
必死に耳を澄ましているのに、何も聞こえない。聞こえてくれない。
「どうして、どうして返事をしてくれないの!? 『ミナカミノミコト』っ!」
腰まで水に浸かって泉の中を音を立てて歩き回る。
それでも聞こえてくるのは、ただ自分がたてている水しぶきの音だけ。
立ち止まると、また静寂が戻ってくる。
「・・・どうしよう」
コマは両手で握り締めていた玉を見つめる。
ころり、と手の中で転がった玉に、コマは目の前が真っ暗になった。
「どうしよう、どうしよう! 僕は間に合わなかったんだ!」
約束したのに。
必ず届けると、そう約束したのに。
ぐらり、と一瞬世界がゆがんで視界が像を結ばなくなった気がしたけど、すぐに大きく頭を振って意識をはっきりさせる。
だめだ。
倒れている暇なんかない。
返事が出来ないほど弱ってしまっているなら、それこそ、なんとしてでも見つけ出さなきゃ。
そのために、今、出来ることは?
「呼んで返事がないなら、探すしかない。探す、でもどうやって・・・?」
片手を口元に当てて、思考に沈んでいく。
「見えない場所にあるものを、探す・・・無くなったものを見つける・・・探し物・・・?」
その時、紐をくくりつけた財布が頭をよぎり、コマはあっ、と声を上げた。
「そうだ・・・、そうだよ!イリキがいたんだ!」
何ですぐに思い出さなかったんだろう!
イリキの美声なら、あの恐ろしいまでに威力がある“言”なら、きっと。
彼女を見つけられる。
「『広がり響け』」
イリキに届くことを願いながら、声域拡大の“言”を口にする。
「『イリキ』!」
早く、来て。
コマは祈るように玉を両手で握りしめた。