耳寄り所
探し物は案外目に付きやすいところにあるものだ。
「それなら、いい加減、探し物が見つかってもいいころだと思うんだが」
景零領への道の途中で、イリキはイルンバという町の“耳寄り所”で登録された“言”のファイルをめくりつつ、思わず愚痴が口をついて出る。
故郷から帝国の首都・連玉への道中に通った道を今度は逆からたどりながら、連玉から見て西南西に位置する景零領を通って故郷のセイランへと帰る旅路をとっているが、南に向かう道をとるべきだったかもしれない。
ある程度、予想していたとはいえ、連玉を出て二月たつというのに、探し物は一向に見つからず、ついでのはずの“言”もほとんど集められていない状況に、焦りを感じ始めていた。
“耳寄り所”は一般人が偶然見つけた“言”を登録申請することで報奨金を支給する制度があり、このファイルに書かれている内容は、各“耳寄り所”によって異なる。それは、発見された“言”を取りこぼさないための処置でもあり、“耳”の能力を持つものをいち早く見つけるための手段にもなっているので、イリキとしては、なるべく多くの地域の“耳寄り所”でファイルを確認する必要があった。
商業都市であるイルンバは、多くの旅人が通るため、探し物が見つかるのではないか、もしくは面白い“言”が登録されてはいないか、わずかに期待しながら“耳寄り所”を訪れたのだが。
特に収穫はないらしい。
イリキは疲労感に小さなため息をついて、ファイルを閉じようとしたときだった。
わずかに、肌があわ立つような違和感。
感じなれた、しかし無視できない感覚に、その方角を見ると一人の旅装束の少年が佇んでいた。
何か“言”を売った後なのか、小銭を手にしたまま、唇をきゅっと引き締めて、一心に何かに耳を傾けているようだった。
その様子に、心臓が大きく音を立てた。
(“耳”、か?)
それは昔みた“耳”の学び舎・座玉楼の“耳”能力者が植物の言葉に耳を傾けているときの様子に良く似ていた。
狭い“耳寄り所”の中で立ちつくす少年ははっきり言って目立っているのだが、少年の様子を気に留めているのは、受付に座っている鋭い目の男と、資料に目を通している振りをしている初老の男、そして自分の三人だけのようだ。
(下手な隠し身だな……)
少年が悪目立ちしないのは、おそらく隠し身と呼ばれる“言”で自分の存在を目立たないものにするものを使ったからだろう。それは確かに一般には有効なのだが、力ある“口”から見ると何の効果もない。むしろ、“言”が使われた気配を感じ取り、注目してしまうものなのだ。
受付の男は当然“口”だろうし、自分と同じように旅をしているらしい初老の男も“口”であることは間違いない。
少年はそんな三人に気づく様子もなく、耳を傾け、時々うなずいている。
かすかに開いた唇が動く。
返事をしているかのような姿に、三人の目の色が変わった。
少年は目を閉じて小さく頷くと、会心の笑みを浮かべ出入り口へ向かって歩き出した。
「君! ちょっとこちらへ」
三人の内で最も少年の近くにいた受付の男が少年を呼び止めた。
手にした小銭をしまいながら入り口に向かっていた少年は何事もなかったかのように振り向いた。
イリキは内心、激しく舌打ちした。
もっと彼に近づいておくべきだった。そうすれば、手をつかんで逃げることもできたが、今はもう遅い。
ひとつしかない入り口には、すでに数人の男たちがさりげなく立ちふさがっている。
これでは、イリキも初老の男も無関心な振りをするしかない。
手招きをする受付の男に歩み寄ると、少年はニヤッ、とどこか人を食った顔で笑った。
「なに? やっぱりもう少し値上げしてくれるの?」
少年にしてはいささか声が高い。
少女だったのだろうか?
改めて注視することはさけ、耳に意識を集中させる。
「いや、さっきの分はそれ以上は払うことはできないよ。ただ、今しがた君が手に入れたものならもっと高く買ってあげることができるかもしれないね」
ニコニコと核心を突いてくる受付係に対して、少年は不思議そうな顔をした。
「今しがたって?」
「何かに耳を傾けていただろう? 隠し身は“口”には効かないのは知っているね?」
はっきりした口調で受付係が言うと、少年は小さく、ああ、とつぶやいた。
「お兄さんって“口”なんだ。いいよなぁ、公務員って給料高いんでしょ? 思ったよりも“言葉”が高く売れなかったからさ、ちょっと呆然としちゃって今後の予定を立ててたんだよね。せっかく隠し身まで使ったのに、“口”には効かないんだからさ、見てみぬ振りをするのが礼儀ってもんじゃない?」
照れているのか不機嫌そうな、面白がっているかのような声で少年は言う。
「これは失礼。だけど、目の前で“耳”を傾けられたら誰だって気になるよ。“口”なら誰だってね」
皮肉な口調とともに一瞬こちらに鋭い視線が来た。
こちらも気付いたのだから、当然相手も気付いているだろう。平然とした態度を崩さずに、ファイルに目を通す振りを続ける。
「“耳”ならもっといい言葉を見つけてくるって。本当に生活に困ってるんだよ? これじゃあ、次の町までもいけないしさぁ。ここじゃ仕事に就けないし、もう一声高くならない?」
おどけたような声に、受付の男は困ったように笑ってみせた。
「だめだよ。君が“謝礼”の言葉を口にしたのもちゃんと聞こえていたんだ。君は何の“言”をここで手に入れたんだい?」
“謝礼”の言葉は“耳”が“言”を手にいれたときに、話しかけてきて教えてくれた相手に対して贈る言葉だ。その種類によって何の種類の“言”を手に入れたのかが分かるのだが、イリキの位置からでは聞き取ることができなかった。
受付の男は引く気は全くなく、じっと少年を鋭い目で見つめている。
少年は根負けしたように小さくため息をつくと、机の上のペンを勝手に取り上げて、近くの紙に何かを書き込んでいく。
「次の町なら高く買ってくれるんだろうけどなぁ。でも旅費も足りないし、ラッキーでここで手に入れたんだし、お兄さんにはばれてるし、しょうがないか。今日はほんっとについてるよなぁ」
言いながら書き込んだ紙を受付の男に渡す。ざっと目を通した男は苦笑を浮かべ、少年に金を渡した。
その金額は中の下を示す額だった。
「やったぁ! これで次の町までもつよ。それじゃあね」
少年は明るく言って、出入り口から出て行った。
金額を聞いた初老の男も苦笑を浮かべ、資料に目を落とした。
イリキも手元の最新のページを開くと、そこには『水がこぼれないようにする言葉』と『水たまりを消す言葉』が『音葉』という名前で載っていた。
イリキはその言葉を覚えると、何気ない足取りで“耳寄り所”を後にした。
その足で、そのまま先ほどの少年の後を追うために。