お金がない!
太古。
この世には、唯一の言語“源語”が存在した。
“源語”は、森羅万象すべてに通じ、すべてを生み出し、すべてに還った。
しかし、長い年月の間に“源語”は同種族にしか伝わらない“言”へとすり替わり、
一部の種族の“言”の片鱗にその名残が残るのみ。
世界は、己の言葉を知るものに力を貸す。
ゆえに、人々は奔走する。
“言”を得るために。
――――――
人間は、3種類に分けることができるという。
“唯人”と“口”、そして“耳”。
“口”は、“言”を操り、あらゆる事象を人為的に引き起こすもの。
“耳”は、あらゆる事象から“言”を聞き取り、ときに与えられるもの。
唯人は“口”でも“耳”でもないもの。
「この分類でいけば、僕は“唯人”だよね」
旅装束に身を包んだ黒髪の子供、コマは、手の中の小さな青い玉を眺めながらつぶやくと、青い玉は返事をするようにころり、手のひらの上を転がった。
帝国・香音の帝都・連玉は、多くの“口”と“耳”を有することで有名な国だ。
もともと中央部にあるひとつの小さな国であった香音は、次々と周辺国家や部族を制圧し、帝国と呼ばれるまでに成長した。
その立役者とも言われるのが、15代国王・香稜の息子であり、希代の“耳”である香玉。
彼は一生のうちに数多くの“言”を香音にもたらし、そして、幻と呼ばれる原初の言葉“源語”を4語も発見したという。彼が発見した“言”を香音の“口”たちが余すところなく活用した結果、香音は24もの国と部族を統合し、現在の帝国の礎を築いた。
王侯貴族の集まる中央の帝都・連玉へ、国内のあらゆる産業が集まり、特別な産物のない町では、その分、商業が盛んに行われている。
各地への交流の要であるイルンバもまた、商業の盛んな町だ。
そればかりではなく、二つの顔をもつ町でもあった。
昼間は行商人の声や大きな荷物の行きかう大通りも夜になればあちこちに夜店が出て、客引きの声が多くなる。
一夜の快楽を売る男女や、良い夢を約束する言葉を売る“言葉屋”の姿もある。
居並ぶ夜店を見渡せる一ヶ所だけ忘れ去られたように静かな協会の階段に座って、自分の心情を表すかのような寂しげな歌を小さく口ずさんでいたコマは大きなため息をついた。
夜店からはうまそうなにおいが漂ってきて、おなかも十分に減っているというのに。
黒い瞳は恨めしそうに夜店を眺めていた。
活気に満ちたイルンバは、常に金銭が動いている。
金の行き交う町は、文無しには時として、非情なまでに冷徹な顔を見せる。
活気からあぶれて、コマはまたひとつため息をついた。
「おなかすいたなぁ」
町から町への移動には税はかからないが、小さな町や村から隣国の大都市に入るには、通行税がかかる。それをうっかり忘れていたコマは、見事に一文無しになってしまっていた。
ぴったり通行税料金分を持っていたから、強制労働送りにされなくて済んだけど。
やっぱり“言葉屋”の資格を取っておけばよかったかなぁ、と飛ぶように売れていく言葉たちを見つめて、先ほどとは違うため息を漏らした。手の中の玉をもう一度眺めて懐に戻す。
「朝になったら職安所に行かなくちゃ」
すぐに仕事を見つけないと、飢え死にだ。
盛大な音を立てる腹を水でごまかしながら、街が眠りにつき、朝日が昇るのをじっと待った。
ところが、ここでもイルンバはコマに冷たかった。
空腹に耐えて朝一番で職業案内所に飛び込んだコマは、迷わず“言術士”用のファイルを取り出して、たった一行、『該当なし』と書かれているのを見て固まった。
大きな都市には多くの人が集まり、結果多くの“耳”や“口”を集めることになる。“言術士”は“口”ほどではないが、普通の人よりは多少“言”を使える、という程度の力だ。“口”が近くにいるなら、“口”に仕事を頼むほうがよほど安心できるというもの。“言術士”を重宝してくれるのは、田舎の小さな村々だけだ。
「イルンバになんか、来るんじゃなかった……」
コマは早くもイルンバにきたことを後悔し始めていた。
一般職のファイルも取り出してみてみるが、どれも夜の客引きだとか、明らかに胡散臭いものばかりで、まともなものは力仕事や年齢制限がかけられていてコマには手が出せない。
体力には自信があるが、筋力にはまったく自信がない。
おなかが空腹を訴えて盛大に抗議している。
しばらくぼんやりしていたコマは、イルンバについて最大のため息をつくと、職業案内所を出て別の建物、“耳寄り所”を目指して歩き出した。