龍の眼
「ヴァン様っ!」
げっげ、とマンティコアが気味の悪い笑い方をした。
「見たか、こぞ・・・」
そこで、自分の異変に気づいた。
自慢の牙が、根こそぎ無くなっていたのである。
「な、何ィ!?」
「へ、へへ・・・」
にや、とヴァンが笑った。
「残念だったなあ。お前の猫牙じゃあ、俺の腕は食いちぎれないみたいだなっ。」
楽しげに左腕を振ってみせた。千切られるどころか、牙が食い込んだ後すら残ってなかった。
地面にはひびが入ったマンティコアの牙が落ちていた。
「ば、バカな! 人間如きに、この俺の牙が負けるはずがない!」
ヴァンは落ちていた剣を拾い上げた。不敵な笑みを浮かべている。
「あのさあ。お前さっきから人間人間って言ってるけど、外見で決めんなって話だよな。なあ、ロア?」
ほっとして弓を下ろしていたロアが、にこりと笑った。
「はいです、ヴァン様。」
「人間ではないだと? ならば貴様らは魔人か!?」
「はずれだ。」
そう言った直後、ヴァンはそれまでとは段違いなほどの速さで、マンティコアの両前足を切り落とした。
痛みで叫ぶマンティコアを見ながら、楽しそうに笑う。
「魔人だったらお前の牙で食い破られてるだろうが。」
「ぐう・・・バカな。見えなかった・・・?」
驚きに戸惑うマンティコアの頭上に、いつの間にかヴァンが立っていた。
「まだあるだろ? 人間みたいな形の、最も頑丈な種族がさ。」
「何・・・?」
思いついたのか、はっとして動きを止めた。
「・・・いや、ありえん。そんなはずはない。」
「何? 言ってみろよ。聞いてやる。」
遠くからロアがため息をつきながら声をかけた。
「ヴァン様! お戯れも大概になさってください!」
けらけらと笑いながらロアに手を振った。
「いいだろ。少し遊ばせろよ。」
なんとか頭にいるヴァンを振り落とそうと首を振ったが、一向に降りる気配は無い。
「じゃあ、ヒントな。お前の考えてるやつ、言ってみろ。」
それまで首を振り続けていたマンティコアが、ぴたりと動きを止めた。
「・・・いや、この世界で人間族に近く最も頑丈な種族など、あるはずがない。」
「あるだろうが。俺の腕に噛み付いといてまだわかんねえのか?」
「バカな・・・奴らは、もう・・・」
「お、それそれ。言ってみろ。」
頭の上を飛び、マンティコアの眼前に着地した。
「俺の目見ても、わかんないか?」
瑠璃色に輝く、瞳孔が細い瞳。それを見て、マンティコアはぶるりと体を震わせた。
「な、何故貴様、『龍眼』を持っている!?」
「さあてね。何でかな。」
憎悪を滾らせた瞳で、マンティコアは唸った。
「やはり貴様ら・・・ドラグーンの生き残りか!」
にんまりとヴァンは笑った。だが、その目だけは殺気が漲っていた。
「お、正解。」
「ありえん・・・貴様らドラグーンは、あのお方が全て根絶やしにしたはず・・・」
その言葉に、それまでにやにやしていたヴァンの顔が凍った。
遠くから見ていたロアも表情を止めた。
不意に、ヴァンを取り巻く空気が変わった。
酷く冷たい、殺気の孕んだ空気に、一瞬のうちに変化した。
マンティコアは全身の毛が逆立つのを感じた。
己よりも危険で強大な敵に睨まれた時のように全身が動かない。
その凄惨なほどに美しい瞳から、目が離せなくなった。
「あのお方?」
酷く冷えた声で、見下しながら言った。
「あのお方ってのは、誰だ?」
全身が異常なほど震えているのを感じた。牙の無い口が、己の意思とは関係なくがちがちと鳴り続ける。
「お、俺らは、知らない。知らされていない。俺たち下っ端には何も知ることは出来ない。だから、どんな方かは知らない。ただ、そのお方を主として、俺らは動いているだけだ。」
「何も知らない?」
「そう、そうだ。何も知らない。知ることは出来ない。」
「そうか・・・」
ふと、ヴァンは持っていた双剣を上げた。
ただそれだけだった。
「なら、お前は要らないな。」
双剣が上がった瞬間、マンティコアの首は、地面に落ちていた。
何をされたのかもわからないまま、マンティコアはただその瞳を見つめながら、絶命した。